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2013年


11月



11月29日(金)

えぇ〜と・・・辻井喬が死にましたねぇ・・・なんだか、最近、誰かの死んだ話にばかり反応するようですが(^_^;

辻井喬という人は、オバサン世代にとっては、辻井喬であるより、堤清二なんだけど(^_^;
辻井喬の作品としては、読んだものなくて、新聞・雑誌なんかに載る文章くらいですm( )m
堤清二としてしかけたセゾングループのマスコミ・文化事業・メデイァ利用の拡大のほうが印象的!
というか、まるごとパルコに絡め取られているかも(^_^;

渋谷の育成・発展は東急の力が大きいけど、
渋谷文化として開花させたのは、パルコとセゾンの西武に大きな功績があると思う・・・
まあ、時代の仇花という人もいるだろうけど(^_^;
文化は文化として仇花の部分もあるんだからさ!!

それと、もうひとつは、堤清二氏の生い立ちですよね・・・ってか、「お母さん」の話!
これ、源氏に取り上げるのは生臭すぎて書かないけど、
ちょっとした「紫上」・・・紫式部が、紫上に子供を持たせなかったのは、別の文学的昇華を狙ったってことも勿論あるけどさ、
もし、紫上が実子を持ったら、それがたとえば凄く優秀でも、親父に歯向かう面を持っていたらって・・・。
美紗緒さんと言ったかな・・・誰か書かないかな(^_^;
今、ウィキに確認に行ったら「操」になってたし・・・最終的に入籍していたそうです。
私が聴いた話では、終生「妾筆頭」の立場で終わった、というんだったけど(^_^;
それでも、この人は、康次郎の事業にまでアドバイスしていたという女傑だったと聞いていたんだけど。
ヌァ〜ント!父親はどっかの社長で、姉は三菱グループの大番頭の一人と結婚してるって!!!!
そんな人を、たかだか(当時)新興のピストル堤が妾に出来たのかも不思議?

まあ、それだって、あの時代のことだから、嫡妻腹か妾腹かわかんないしね・・・。
そのへんから堤清二氏或いは辻井喬氏の精神的荒野があるのかも、だけど(^_^;

ご冥福をお祈りいたします。

そういえば、勘三郎の一周忌の法要がありました。
またまた、涙、涙です。
フジで特番もあるのですよ!!

親が死んでも、これほど涙は出なかった!
覚悟をしていても辛いものは辛い!!

そういえば、秘密保護法が可決だってね・・・新聞なんかはアリバイ作りみたいに、そっと反対記事を載せてますが。
今度、日本が戦争に巻き込まれたら、それは、秘密保護法を見逃した私たち全員の責任なんだよね!!
暗黒政治再来なんて平然と言っている自分自身が呪われるんだろうな(^_^;
・・・自戒を込めて。
我が子よ!次世代の人たちよ!この無力なオバサンたちを許してください。



11月20日(水)


コタツ来ました\(^^)/

う〜ん!もう最高ですねぇ(*^^*)
但し、テーブル式なので、寝転ぶわけにはいかない!
(なんというお行儀の悪い発言m( )m)

でも、大昔、子供の頃、コタツに寝転んで、ラジオから流れる落語を聞きながら、
漢字の書き取りしたりしていたのが、とても楽しかったのを憶えてます(^^ゞ
疲れると寝て、気がつくと、書き取り帳に涎がついてて慌てたり(^_^;

大半の本も、コタツに寝転んで読んだんですよ・・・お里が知れる!!


ウッフフ〜!
でも、これが床暖房に出来ない辛さですよね(^_^;
友人宅でも、床暖房が増えてきて、マンションも対応できるんですが・・・やはり、電気代はそれなりに、というところで、
まあ、こたつでいいわ、になっちゃう(^_^;

テーブル式コタツは、
いすとコタツ布団の間から、暖気が抜けちゃうってことはないのかな?ってのが心配の元で、
まして、今回、我が家は、テーブルコタツ用の椅子は買わずに、
従来の普通のダイニングチェアのままなのです。

テーブルコタツ用の椅子だと、周りに囲いがしてあって暖気は抜けないようになっているんですよ。
でも、それだと、かっこ悪いし重そうだし、で・・・(^_^;
ふつうのダイニングチェアだと四本脚からスースー風が入る、暖気が抜ける、って、
私もそれが心配だったんですけど、意外や大丈夫♪

お勧めです(^^)

もっとも、買ったコタツは五センチ刻みに、70→45センチに、テーブル高が調節できるタイプなのです。
なので、まあ、アンヨ短めのオバサンに合わせて60センチにしてもらったのですよ(^^ゞ
だから、コタツ掛けがちょっとあまり気味♪
ということで、よけいに調子がいいのかも、ですね(^^)
また、そのコタツ掛けをかけるというのも暖かい気分になるんですよね(^^)
買ってよかった♪

今までのテーブルは、このテーブルがくるまれてきた紙にくるんで、大事にしまいこみました!!
ダンナたちは、テーブルが低すぎるんじゃない?
(もっとも、元々のテーブルも、セミオーダーのおかげで65センチという、一寸低い寸法だったんですけどね(^_^;
あの頃より、またオバサンの足が縮んだんだよね・・・身長は1センチしか低くなってないのに!!(^_^;)
椅子の脚切ったら?と、言ったんですが、「これでいいよ」と切らない(^_^;
私は、母が使っていた椅子を引っ張り出してきて座っているので丁度良いの(*^^*)
まあ、娘夫婦や、誰かが遊びに来る時は、脚を足して、ふつうのダイニングテーブルの高さにすればいいしね♪

そうそう、お友達とのお喋りで思い出したこと(*^^*)
うちも、幼稚園時代くらいまでは掘りごたつだったんですよ♪
でも、炭とか練炭が値上がりしてきたからかな?
あと、後始末が大変になって、面倒臭がりの母が電機コタツにとっ替えちゃったんです(^_^;

まあ、時代の流れですねぇ・・・祖母が温かみが全然違う!と怒ってましたけど、
やはり灰を取り替えたり、炭火の後始末は毎晩大変でしたからね・・・(^_^;
そうだ!「灰」も買うようになったのだった!!!
それまでは、お米屋さんから、「米俵」とか、炭屋さんから「炭俵」とかもらって、それを焼いて焼き灰を作っていればよかったのに、
米俵が無くなり、炭俵が無くなり・・・それで、灰をかうことになったんじゃなかったっけ?
今まで多少のお礼はしていたろうけど、ただでもらっていたものを買うって馬鹿馬鹿しいでしょ(^_^;
たぶん、そのへんも原因ですよ(^_^;

↑見ていただけですが、お茶を習い始めた時に、お炭の後始末ではそれなりに役に立ちましたv(^^)



11月16日(土)


お友達のぽんずさんのサイトにうかがったら
島倉千代子が「宇宙戦艦ヤマト」の挿入歌を歌っていたとそうで、紹介していらっしゃいました(^^)
いやぁ〜、全然知りませんでした!
聞かせていただきました(^^)
歌はケレンのない人なので、しかも「本気かしら」とか「この世に神様が」、「人生色々」なんて、
演歌っぽくない曲もけっこうヒットさせているので、歌ってもまあ不似合いではないのですね♪
一寸母物で感動しました(^^)

うちの日記には書き忘れちゃっいましたけど、
清宮様(今上天皇の妹さん、“おすたちゃん”と呼ばれていた方、憶えてます?
「私の選んだ人を見てください」って仰った内親王さま♪)が、
島倉千代子の大ファンだったそうです(^^)
ああいう方は、あまり誰それのファンです、とか言わないものだそうですが、
“おすたちゃん”は、わりとオープンで、島倉千代子を宮中にも招待して歌ってもらった、とか、
真珠のネックレスを贈った、なんて話が話題になりました(^^ゞ

真珠のネックレスからはかけ離れますが・・・
今日はこれから、待望のコタツが届きます(*^^*)
嬉しい!!

いや〜、何度も書いてると思いますが、このマンションは、真冬でもエアコン無しでノープロブレム♪
時には、上はTシャツ腕まくりしているのですが、
下は冷えるのですよ!
コタツ!!欲しいと思ってました!
前の家では、ダイニングテーブルにコタツが付いていたの。
でも、あれは、ずっと使っていると、結局天板にひびが入るのです(^_^;
それで、処分して、テーブルオンリーのに買い換えたのですけどね・・・一寸良いテーブルなんですよ、ソレが(^_^;
だからさ、今更、寒いからって、コタツテーブルに替えます、これ処分します、ってワケには行かなくて・・・。

だって、テーブルの天板のカバーだけだって18000円したという代物です(^_^;
椅子もなんだかんだ言って、テーブルとは別に、といっても、椅子は既製品なんだけど、
テーブルは一応セミオーダーというの!?

ここ数年悩んだ挙句!
寄る年波には勝てない!!
ま、今のテーブルばらして取っておいて、考えよう、ということになりました(^_^;
やっと来ます!コタツ\(^^)/
来たらご報告♪ルンルン(*^^*)



11月9日(土)

訃報記事のまとめ?ですが・・・藤圭子からこっち、岩谷時子、昨日は島倉千代子、
あれ?もうひとり抜けてるな・・・誰だっけ?

藤圭子は書いたから・・・ウタダが心配だ!って書いたんだけど。
その後、やっぱり色々あって・・・ウタダ、可哀想。
沢木耕太郎が、ン十年前の藤圭子のインタビュー記事を没にしておいたのを
引っ張り出して出版したというから、一寸嫌な感じがしたんだけど、
沢木耕太郎としては、
ウタダが母親の精神的な不安定さを言うから、そんなことはなかった、と否定したかったらしい(^_^;
まあ、いろんな形のファンがいるから、それはそれでいいのかな?
でも、ウタダだって、精神的に不安定要素がたくさんある歌手だからね・・・あまり追い込まないで欲しい(^_^;
親子・・・特に母と娘って難しい所もあるしね(^_^;

ま、とにかく、岩谷時子のとき、書きたかったのが・・・ドタバタしてて書き損なった(^_^;
「越路吹雪よ、寂しくはないか?私は寂しい」と、
天国のコーちゃんに向かって朗読した岩谷さんの声と姿が目に残っています。
何回忌かの時?
コーちゃんは、自分の一周忌のすぐ後?前か、にご主人の内藤法美さんを迎えに来て、連れて行ってしまいました。
結局、岩谷さんは取り残されてしまったんですよね・・・仕方ないよね(^^ゞ

やっぱり、コーちゃんはご主人をとっても愛していたんでしょう。
最期の言葉も、「ブラックコーヒーにミルク(入れて)」という、法美さんの健康を気使ったものだったそうだし。
だから、連れていってしまったけど、そこには岩谷さんの席はなかったのですね。

でも、私たちの時代の音楽シーンにとっては、コーちゃんもだけど、
岩谷さんは、全てのジャンルにわたって本当に大事な人でした!!
岩谷時子無しでは、60年代から、少なくも2010年頃まで、
半世紀に亘って
クラシック以外の音楽界全シーンに欠かせなかったんですよね。

片や島倉千代子は、私たちの時代でいうと「この世の花」のデビュー曲から始まってます。
これ、映画の主題歌よというより、この歌が当たって映画ができたんだっけ?
松竹で全部で七部くらいまでやったんでした。勿論メロドラマ♪
だって、「思う人には嫁がれず 思わぬ人の言うまま気まま♪」って歌詞にあるでしょ(^_^;
主演淡路恵子・川喜多雄二でしたよ〜♪
そうそう、あの淡路恵子さん。考えたら老けたヒロインだった(^_^;
いや、年は若かったのよ・・・多分二十歳前後!
だって、私が感動しまくりの豊田四郎監督の「女体は哀しく」が、確か、昭和36年だもの。
その時26歳とか言ってなかったかな?
その頃既に、ビンボー・ダナオと結婚して、子供も二人いたはず。
(ビンボーさんはイスラム教徒で、国にもう一人の奥さんがいて、それを承知だったんだけど、結局錦ちゃんと結婚するために離婚したんだよね)
その前に、黒澤明の「野良犬」があるでしょ・・・だから、演技もしっかりしていたけど、相当老け顔でした。

「この世の花」って、
始めは、お金持ちのお嬢様で、相手はナンだっけ?家庭教師かな(^_^;
川喜多雄二って、覚えてる人なんていないでしょ・・・たいした役者じゃなかったし、
途中で消えちゃったんじゃないかな(^_^;
淡路恵子は、今、入院中だって、年も年だしね・・・アレレ?島倉千代子の「この世の花」から飛んだ所へm( )m

島倉千代子は、クラウンレコード作る時に、猛烈誘われて、
コロンビアにいたら、美空ひばりがいるから、絶対トップにはなれないから移籍しろって!
そしたら、
「美空ひばりさんがいるレコード会社が一番のレコード会社だと思うから、トップになれなくてもここがいい」
と言って移籍を断った、というのは有名な話。
事ほどさようにお人柄が良いという話は多いけど、だからもう〜だまされた話ばかり。
でも、亡くなった追悼メッセージとか見ても、良い人だった、優しい人だったってことばかりでね(*^^*)

まあ以って瞑すべし。

亡くなられた皆様、そして、我が青春の貴重な音楽シーンを飾ってくださった皆様に、
深く哀悼の意を捧げます。合掌。




11月8日(金)

伯母の所へ見舞いに行ってきました(^^ゞ
何時行ったっけ・・・もうわからないなぁ・・・五月の誕生日には行ったと思うけど。
ま、親不孝で伯母不孝(^_^;

伯母は元気ですが・・・もう一日眠っている、というか、目を閉じていることが多いそうです。
105歳だものねぇ(^_^;

でも、伯母のいるホームではケアがよくて、みんな長生き!
今は107歳を筆頭に、もうじき106歳になる方と、105歳の伯母と、他にもまだ100歳以上の方がいらして、
全部で7人\(^^)/

凄いですねぇ!!
ホントによく面倒見てくださるのですよ。
今日も、私なんか、絶対、こんなに良い介護は受けられないと、いつも伯母が羨ましいと思ってます、と、申し上げました!!
ホントだよ!!
それでも、ケアマネさんも、
「オバサンたちの時代は、それでもまだいいと思います。私たちなんかどうなるか?」
だそうです・・・ムム・・・nemoの老後もどうなるのかな(^_^;

お部屋に行ってみると、相変わらず、手をお針のしぐさで動かしてます。
でも、ケアマネさんによると、これがとてもよいそうで、ま、手を動かしていると呆けない!とよく言うじゃない(^^)
そういう意味かと思ったら、それもあるでしょうけど、
手を動かすと、体全体が小さくて軽い伯母は、全身に動きが伝わって、体ごと、けっこう動くことになるんだそうです。
だから、辱瘡などもなくて、ま、多少はあるらしいですが、これだけ寝たきりにしてはないらしい(^^)

伯母は元々小さくて、記録に残っている身長の測定数値が130センチなんだそうです。
いつのかな・・・103歳まではたしかピンシャンしていたと思うので、その頃かな?
「だから、今は125センチ暗いじゃないでしょうか」と、ケアマネさん。
「体重も30キロは切っていると思いますよ・・・25キロくらいかな・・・?」と。

ひょえ〜!そうなんですか?私の肉上げたい(^_^;

肉といえば、そのケアマネさんにおききしたんですが、
100歳以上・・・というか、ま、長生きの方たちって、
「好き嫌いの激しい、肉食嗜好の方たち」なんだそうです!!

思い当たるなぁ・・・母も、祖母も!!
まあ、伯母にくらべりゃ母も早死にですが・・・84歳(^_^;

祖母も93歳でしたが、入院するまで90歳くらいまで?蒲焼が好きで、何かというと蒲焼でした(^_^;
あいにくと、私たちはステーキ&トンカツ派でしたから、祖母が蒲焼だと、私たちは秋刀魚かなんか。
それで、私たちがトンカツの時は、母がチキン挙げてましたねぇ・・・見るのも嫌だった(^_^;

nemoが、いつか野菜を食べないので、健康に悪いと文句を言ったら、
「だって、身近に野菜を食べなくてもあんなに元気で長生きしたお手本があるじゃない」と、軽くスルーされました(^_^;

ほらね!と言われそうな話だわ(^_^;

ま、とにかく、伯母の顔見てホッとしました。
そういえば、寝顔そっくりです!母に!!
えー!私も長生きするとああいうガンコそうな顔になるのか?!
野菜一杯食べよう。お肉我慢しよう。
どこまで行っても親不孝で伯母不孝だよ(^_^;


11月7日(木)

昨日が台風で予約取り直したがん検診の残りの二科目・・・胃がんと子宮ガンの検診でした。
火曜日の夜からスタンバイ(夜九時以降の飲食禁止!)で、
また疲れる検診で・・・いやぁ・・・本当に疲れましたm( )m

朝の9時に出て11時半には帰宅したんだけど疲れ果てて、シャワー浴びて、午後寝倒しました。

それで、今日もお昼まで寝させてもらい、午後やっと起きだして、シーツ替えて、お掃除して、洗濯して・・・疲れた!
けど、昨日の疲れとは違う心地よい疲れ♪
でも、ま、疲れたm( )m

だけど、明日は何もない金曜日で・・・あ、伯母の見舞い、気にかかっていたんだよねぇ(^_^;
この前行ったのは何時だ?
で、行ってくることにしました。


そうそう、↓で、長谷川きよしとか、書かなかったけど、好きでした♪
ジャンジャンでは聴いてないけど・・・あれ?行かなかったか(^_^;
どこか、コンサートいったような気がするけど勘違い?
これは、20歳くらいだよね・・・覚えてないなぁ(^_^;

因幡晃、最近、テレビで見た!!
巧いと思うわ、やっぱり・・・尾崎豊の「アイラブユー」を歌ったけど、全然、こっちのほうがいいよ(^^)
ま、私は尾崎豊って全然知らなかったから(^_^;
「アイラブユー」も、尾崎の死後に、他の人が歌うのを聞いて、ふうん、と思ったくらいで・・・「15の夜」とか理解できない(^_^;

長渕剛とか大嫌いだしね。ま、こっちは「乾杯」とか良い歌もあるけど。
あんなに長渕、長渕という人の気持ちはわからないなぁ(^_^;

ま、オバサンは早く大人になりすぎたのかね・・・「汚れちまった悲しみに」って所なんだろうね(^^ゞ



11月3日(日)


日付、3日になっちゃいましたが、ホントは11月2日です・・・でも、11月になっちゃったよ(^_^;

みゆきさんの特番を見たぞ!!
いやぁ・・・泣きっぱなし(^^ゞ

新堂本兄弟と被るから、VTRにしておいたんだけど・・・一寸早く始まるんだよね・・・だから、
チラッとでも見たらヤバイな・・・と思ってたら、やっぱりヤバカッタです\(^^)/
途中でチャンネルなんか替えられないよー!!

あ〜!なんで、あんなにみゆきさんは凄いんだろう・・・もう言葉ないです!!
陽水も凄いし拓郎も凄いけど、いやぁ・・・みゆきさん凄いっす!!!!!

私のフォークは因幡晃(まだ死んでません!)から始まって、小椋桂が来て、
バーンと陽水に出会ってしまった!!
あ、さだまさしがいたか・・・いや、さだはかなり後だなぁ・・・「雨宿り」からだからね。
拓郎は最初ガサツで汚くて嫌いだったなぁ・・・同じ汚いなら泉谷しげるのほうが歌が好きだった(^^ゞ
高田渡は好きだった(^^)・・・でも、ちょっとフォークとは違うと思ってました♪
西岡孝だっけ・・・「五つの赤い風船」なんかは、歌だけ聞いてたんでした。
「赤い鳥」とかね・・・。
高石友也なんかもいた!ナターシャセブンだ!
岡林信康なんかは、もうその自叙伝みたいなのが有名だった・・・もう、ここまで来ると順不同だわ、わかりません(^_^;

あ、大塚博堂って、凄い歌手がいるって、知ったとたんに亡くなっちゃったんだけど、凄い歌巧い人でした!
・・・彼はフォークに入るかな?ポップスになるのかな?

とにかく、フォークでライブなんかに行ったのは、因幡晃と陽水とアリスだけ。
陽水のライブを聞いてしまうと、他のフォーク歌手子供っぽくてダメなんだよね(^_^;
喉の鍛え方も、陽水は布施明並で・・・何十曲か、乱れずに歌えたし・・・。
因幡晃なんて、もう最後はヘロヘロになってたなぁ(^_^;
拓郎、行っておけばよかったなぁ・・・と、今は凄く残念!!
みゆきさんは、もうその頃から、けっこうプラチナじゃなかったかな・・・。
小椋桂はNHKの特番しか出なかったしね・・・ダイチカンギンのエリートだったわけで(^^ゞ

そういえば、こないだ拓郎の番組で小田和正出てましたけど・・・私、最近なんだよね(*^^*)
小田和正と財津和夫の区別つくようになったのは(^_^;

勿論、歌は知ってるのもあって、
我侭は男の罪♪ってのは、オフコース?
あの日あの時♪っては小田和正?ってくらい・・・だなぁ(^_^;
あ〜、コマーシャルで有名な歌は知ってます。ナンだっけ?
まあ有名な歌よ・・・嬉しくて嬉しくて言葉にならない♪っていうんだっけ?

但し、財津和夫って、あ、なんかドラマ・・・出てたでしょ?
ドラマは見てないけど、番組の予告かな(今みたいに番宣のない時代です!)
ああ、良い顔の俳優だな、と思ったら、それが財津和夫だとわかって、
あぁ・・・意外や大物なんだ!と思ったのですねぇ・・・いや、やっぱり、一角の顔を持ってるってことだからね(^_^;
でも、歌は・・・我侭は♪くらいしか知らないですねぇ(^_^;

片や、小田和正は聖光から東北大というしか知らなくて。
顔もわからなかった(^_^;
ただ、お友達のお兄さんが同級生で、お友達も家族総ぐるみで、軽井沢の別荘とか遊びに行ったとか聞いて、
はぁ〜、フォークシンガーも軽井沢に別荘持つ時代なんだなぁ、と、それはもう感無量でした(^^ゞ

いやまだ、我々の時代ではフォークというと地味系のイメージだったんだよね(^_^;
でも稼いだお金、レコード会社作って潰したりして、お金儲けて別荘持つイメージはなかったんですよ。
でまあ、勿論スタジオ欲しいでしょ・・・そのあとだもんね、別荘なんて♪
だから、そうか、当然、スタジオ持って、家建てて、別荘なんだなぁ、凄いなあ!って。

勿論、凄い売れ方しているんだから儲かってないわけはないんだけどね、あくまでもイメージ(^_^;
ま、聖光ということからしてお坊ちゃまってのはわかるから、実家が薬局だし、
元々実家が別荘もちだっておかしくはないんだけど(^^)
そうそう、小田和正も良い顔してるんだなってわかりました・・・頭白髪になってからね。

そういえば、金持ちハナの先にぶら下げてるユーミンも、だけど、
みゆきさんも、結構なお嬢様!
みゆきさんの大学の下からずっと後輩だった知人の話では、相当バブリーな人ではあるらしい(^_^;

ま、それなのになぜ、あの底辺に生きる人たちの歌を書くことが出来るのか?
しかも、半端じゃなく胸を突く、腸をえぐるような歌を書くことができるのか?
しかも、あの歌唱力!!!!

ああ・・・でも、みゆきさんと同学年じゃないの?ってお友達がいるのですが、こちらは知らないんですって!
後で、同窓生だと聞いて驚いたそうです(^_^;
凄い小人数の家族的な学校だそうですが、だから、彼女にすると、
「地味な方だったんじゃないの?大スターってそういうものでしょ?」ということに。

やっはり天才っているんだよ!!
陽水も拓郎も天才だけど、やっぱり天才という言葉のキャパが半端じゃないよね・・・みゆきさん!
ある意味、怪物!
ある意味、バケモノ!!
ん?どっちが怖いかな・・・?

今日の出演者が、みんな、口をそろえて、
「みゆきさんのプライバシーを知りたいとは思わない!(あの素晴らしい歌を)聞かせてもらっているだけで十分!!」
って言ってました。
本当にそう思う(*^^*)

・・・ってかさ、もしかしたら、本当に「中島みゆき」という着ぐるみを脱いで、
フワッと透明人間だったりしたら・・・ありうるでしょう?みゆきさんだもん・・・怖いよね(^_^;

そうそう、クリス松村がゲスト出てて、
「モーツァルト・ビートルズ・中島みゆき!」
って言ってた\(^^)/

みゆきさんとユーミン、ライバルだった時代もあるんだよ!!
私は節操がないから、ライバルだって、良いと思えばどっちも好きなんだけど、
昔、ユーミンもけっこう好きだったんだけど・・・
こんなに長生きして欲しくなかったな、と思う。
若い頃、突っ張って、時代先走りしてたカリスマみたいだった人が老いをさらして、
勲章もらって(ユーミンの場合は紫綬褒章か?)喜んでるって、なんだか裏切られた気分だったもの。
ユーミンのファンで、あのユーミンを見て喜んでいた人もいたのかな?
だったら、ごめんなさいm( )m

でも、私は嫌でした!
あの前夜に、丁度、高橋克己が、ユーミンの歌ったドルフィンで、「青春の思い出の場所です」なんてやってて、
ウンウンなんて、けっこうジンときて見ていたんだよ。
それが、翌日、紫綬褒章で、写真とコメントが載って・・・なんだかなあ、と思いました。
いや、勿論、紫綬褒章だって、藍綬褒章だって、もらってよかったわぁ、と、心から思える人はいるんだよ(^^)
勘三郎の時も、三津五郎の時も、ツレの時も、本当に嬉しかったし、よかったと思ったもの(^^)
でも、この人たちは、今、現役でまだまだ頑張って、これから先も頑張ってね、という意味があるでしょ?
勘三郎は死んじゃったけど、さ・・・。

ユーミン・・・これから先頑張れるのかな?
ってか、終わってるんじゃね?と、私は思っているからかもね。

ま、ヒットもないし・・・「真夏の夜の夢」か、あれ、私もけっこう好きなんだけど、
あれが出たとき、あ〜ユーミンも終わりだな、って思ったんだよね(^_^;
「終わりの始まり」って、よく言うじゃない・・・そういう感じ(^^ゞ

「卒業写真」も「飛行機雲」も
名作で古びてないけど、ユーミンは古びちゃったんだね・・・「海を見ていた午後」「あの日に帰りたい」(^_^;