伯母のページ

伯母さん、105歳で天国へ(^^)


2014年1月、母の姉が105歳で天寿を全うしました。
その老人ホームでの介護生活を、あくまでも、外から見た目ですが掲載しました。
伯母の入所していたホームは、ちょっと例外的かもしれません。
大変手厚い介護をしていただきました。

(これは、ガンコバーチャンと、母の日記に、その都度書いたものを読みやすいように一箇所にまとめたものです。)

読み易いか?
日記は上から新しい日付で、これは順次下に向かって新しい日付になっているので、けっこう、詠みづらいです(^_^;
おまけに、一人称にオバサンがあったり私があったりだしねぇ(^_^;
ちなみに、伯母のことは伯母と書いてます。
オバサンてのはオバサンのことですからね(^^ゞ

2007年9月29日(土)
(ガンコバアチャンの闘病記から)

ガンコ婆ちゃんには、姉が一人生き残っております!
そう生き残り・・・当然のことながら、両親は既に他界(^^ゞ
でー、両親が年老いて、上の姉兄から離れて生まれた末っ子が母なのです。
というわけで、兄二人も逝去、で〜、一番上の姉が99歳で生存!
もはや当然老人ホームです。
兄のうち一人は子供がいるのですが、姉ももう一人の兄も子供がいなくてホントに先細りの家系ですねぇ(^_^;

でー、母も足がかなり弱って、もう何時歩けなくなるか?!という心配も出て来ています。
なので、とにかく、お墓参りと、その姉の所へ行くことにしました。

とにかく、DOOR to DOORで車でなくちゃ無理なので、アホネーチャンが休める日ということで、
今日は晴れたら墓参、雨なら姉上訪問、と言うことにしていました。

なので、姉上のところへ。
ガンコ婆ちゃんは、手術する前は、大体四季の変わり目に一度と言う感じで訪ねてました。
私の方は、もう、ホームに入られてからは、その時に一度伺っただけなのです・・・伯母不幸(^_^;

でー、一応、母が身元保証人と言うことになっているのですが、
最近は、書類が増えたりして、母もサイン一つも面倒になって、私にお鉢が回ってきました。
名義だけはまだ母ですが。
それで分かったんですよ、99歳だって!!
母もあんまり自分と年の差があるので忘れてしまったらしい(^_^;

しかも、ここ数年は母も自分の事だけで精一杯でしたから、無理ないのですが(^_^;
でー、母の歩行がヤバイ!ということと、99歳では、あちらもいつ?!と心配して伺うことに(^^ゞ

事前データで、
「お体は大変お元気ですよ。頭もしっかりしていらっしゃいますが、年相応にマダラボケと言いますか、
話の途中にあれ?ということはあります」
というのを担当者の方から伺っていました(^_^;


まあ〜!現物?いやご本人にお会いしたら、まあビックリ(^_^;
元気!元気\(^^)/
母などより断然元気です(^_^;
まあ、シャキシャキという言葉を絵に描いたように、和服で上っ張りを着て、ぞうりを履いて、
シャキシャキと歩いております。
しかも、和室で立ち居振る舞いも不自由じゃ有りません(^_^;
六畳の和室は多少散らかり気味ではありますが、突然行ったらあんな物でしょう。
部屋の前で草履を脱ぐ時も後ろ向きに揃えて脱いで部屋に入りました!!

アホネーチャンがビックリしておりました!!

ただ、もう妹たる母のことがわかりません!
「どこかで逢った事がある」と言う程度なんですよ〜!!
私が、「○○さん(母は○○ちゃん、と名前で呼ぶので、私も伯母様などと呼んだことが無い!)の妹ですよ」
と、申し上げたら、
「えー、あらなんでそんなに年取っちゃったの?」と言われてました(^_^;
その辺はしっかりしていそう(^_^;
今の母は凄いですからネェ・・・(^_^;

当然、私のこともわからないし、アホネーチャンなんて関係もわからないみたいです(^_^;
そこは、こういうことに慣れているアホネーチャンが、聞かれるたびに
「母と娘と孫です」と説明を繰り返してました(^_^;・・・ん〜?三度くらい聞かれたかな(^_^;

話している様子は、ホントにしっかりしていて、え?何歳?というほどですが、
内容は支離滅裂とまではいかないけれど、かなりプッツン模様です。
あ、ご自分のお年も分からなくなっていて、
私が「99歳におなりだそうで」と言ったら、「え?そんなにならないわよ」と言われて・・・「あら、そうですか」
ちなみに、「(弟の)○○は生きてるわよ〜」と言われて、これはさすがにビックリ!!
「あっ、あっ、そうですか・・・勘違いしちゃった」と答えましたけど、ホントにビックリでした(^_^;

後で、アホネーチャンが、「あの時のママの顔を見て、あーそうか、と納得した」と言っとりました。
母も「体は姉上の方が元気だけど、頭は私の方がしっかりしてるねぇ」
と、半ば勝ち誇ったように言っておりました(^_^;

いやあ・・・
帰り際に隣室の方が丁度トイレから出てくるところにぶつかってご挨拶したら・・・
(ここは個室ですが、トイレと洗面所だけは二部屋で共有)
ヌァ〜ント!夕方になると、よく「ここは私の家じゃないから家に帰る」と、ごねるんだそうです(^_^;
やっぱりねぇ・・・。

あー、でも最後、別れる頃には、出会った職員さんに、
「これは私の末の妹で、17も年が離れているのよ」と解説していたのにはちょっとビックリ!大感動でした♪
「マダラボケ」とはよく言ったもので、全部忘れているわけではなく、
本当に所々覚えていて、所々忘れちゃうんですよね・・・。でまた、
その忘れている所と覚えている所が突然代わったりして・・・ウーム。

でも、職員さんの何方にも親切にして頂いている様で、まあだから、99歳であれほど元気なんでしょうけどね(^_^;
まあ、逢えてよかったです(*^-^*)
母も行ってよかった、と言ってくれましたし、
これでこれ以上歩行困難になって、訪ねられなくなっても、諦めがつくでしょう。

いやぁ・・・しかしああいう年の取り方もあるんですね・・・幸せだなぁ、と思いました(^^)
ピンピンコロリを地で行きそうです\(^^)/


――以下は「母の日記」からです。――

2008年6月30日(月)

母の姉の所に行って来ました。
先日百才になった人です。
もともと子供が無くて、ご主人とは早く死別して、二人の弟(私には伯父になりますが)も亡くなり、
もう、母しか身寄りが亡くなって、某老人ホームに入っています。
でー、
そこのシステムが変わったそうで、というより、厚生労働省の方針で変わらざるを得ないわけですが。
一応身元引受人、ということで、母が名前を登録していたのですが、
その母が、今現在のようで、結局私にお鉢が回ってきたのです(^^ゞ

まあ、別にお金出すわけじゃないし、伯母さまはお金持ち♪
いや、内の親戚で、そんな大金持ちはいないですが(^_^;
今ご自分の店じまいをするには不足無いらしい・・・羨ましいm(__)m
しかも、六畳一間の個室(本人の希望で和室です)で、
冷暖房完備で、
職員の方たちも誠心誠意、という感じです。
母なんかより数百倍幸せそう(^^)
そうそう、このホームは皆さん長寿で、百歳というのは、伯母で三人目!だそうです。

というわけで、うちは名前だけ!
色んな用事に借り出されるわけではないし、
自分たちの将来の勉強にもなるので、
私としては良いチャンス!位の気持ちです。
それに、今回は、母の事もいろいろ相談したい、と思って、お呼び出しがあったときは、
もう〜イソイソと、と言うくらいで(^_^;
逆に、アレコレうちの話ばかりを持ち出してお尋ねして、
何しにきたんだ?と言われそう(^_^;

まあ、そう申し上げてお詫びしたのですが、
アチラの職員の方たちは大変寛容で、それはお困りでしょう、と色々相談に乗ってくださいましたm(__)m

いや、本来なら、母のケアマネに相談すべき事なんですが・・・。
実は、母が今の病院に入るときに、一寸ね・・・。
ケアマネさんとしたら、家に引き取ってあげて、訪問医師と訪問看護で、ということだったんですよ。

でも、私としては、あの時はもう疲れ果てていて、
そんな事言われても無理です。
せっかく引き受けてくれる病院が見つかったんだから、そちらに入れます。
それより、入院費のこともありますから、特養なども考えたいのですが、
どちらかご存知ありませんか?

と、お聞きしたら、
「特養については詳しくないので、個人的に調べた方がいいですよ」と言われて、
私も一寸切れました。いや言葉をぶつけ合った、ということはありませんが、
アチラはこの親不孝メと思ったのだろうし、
こちらとしては、今まで「介護する人の都合を優先しないと共倒れになるのが一番困りますよ」
とか調子のいい事言っといて、
こんな時になって、自分の主張ばかりするのは・・・なんなのよ!と思い不信感を持ってしまいました(^_^;

それで、もう、ナントナクあのケアマネさんに相談しても無駄だと思って・・・。

でー、この伯母の入居している老人ホームと接触が生まれたのを幸、
いろいろ生活相談員、と言う方にお聞きしたりしていたのです(^_^;

今回は、その生活相談員、と言う方ではなくて、
このホームも「ケアマネ」を置いて、その人が入居者のケアプランを作って、ということになって、
そういうシステムになりました、という了解を求めてきたわけです。
そして、私はそれに便乗してアレコレ、愚痴やらご相談をしたんですよ(^_^;

介護度5と言ったら、「それでは家庭で介護するのは一寸大変ですネェ」と仰ってくださって、
思わず、涙!!
「勿論、介護度5でも、介護なさっていらっしゃるご家庭もありますけど、
ご家族との問題も、お部屋の問題も、一概に言えないことばかりですからネェ」
と言ってくださって、もう〜、私は涙、涙・・・(^_^;
ホントに何しにきたのか・・・伯母の入居説明を受けて書類にサインしに着たんです!!

でー、とにかく、私の相談もあちらの御用も終わって、
では伯母様にご挨拶〜♪と伺ったら・・・。
もう〜絶対分からないと思ったんですよ(^^ゞ
去年の秋に母がタブン最後の訪問になるだろうと思って、アホネーチャンに連れて行ってもらったんだけど。
その時は、母のことさえ、もう全然思い出せなかったのです。
「何かどこかで見た顔だわネェ」とか言ってたくらい。
それが何分かお部屋にいて、帰るときになったら、職員さんに、
「これはね、私の妹。16歳も違うのよ」と紹介したので、こちらがビックリ!!
一寸、トリハダが立つほど感動しました(^^ゞ
当然、私のことなんて憶えてな買ったと思います・・・それこそアホネーチャンを昔の私だと思ったかも(^_^;

それが今回は、ふつうに、
職員さんのご案内で部屋に行ったら、「あらいらっしゃい。どしたの?」って、
昨日の続き、のようなお言葉で(^^ゞ
ホントに15〜20分くらいしか居なかったんですけど、
「ところで(母のことだと思う)いくつになったの?」と二度同じようなシチュエーションで聞かれました(^_^;

入院していることも二度、ね・・・。
会話成立しているんですよ。
でも瞬間的なことなのね・・・まあ百歳ですから(^_^;
そうそう、やはりまた当然のように半年の時間の流れを感じるような・・・元気だけど、縮んだ、というのかな(^_^;
勿論、百歳!ということを考えると、ねえ・・・元気!!

また、伺います、とご挨拶したら、「そこまで送るわよ」と、部屋の外にそろえていた草履をちゃんとはいてました。
ただ、去年は手すりなどには触りもせず、ぴょこぴょこ歩いていたのですが、
今回は、ちゃんと立ったり座ったりはちゃんと出来ますが、
歩行は手すりをずーっと触ったままでゆっくりでした。

職員さんの詰め所の前で、職員さんにバトンタッチして、私は帰って来ましたが・・・疲れましたねぇ(^_^;
これで明日、御婆ちゃんか、と思ったら、もう〜嫌になった(^_^;





2008年11月15日(土)

明日、母のところに行くのをnemoに頼んでおきながら、
今日、伯母の見舞いに行って来ました(^_^;
伯母は5月に百歳!になり、
もう家族もなくて、老人ホームにおります。

それにしても、自分の母親ほっぽりだして、なんで伯母の所に行くかと言うと、ですね
実は、七月に脚を骨折した!と連絡を受けていたのですよ〜(^_^;
ところが、
何しろ、今年の私は、天中殺と暗殺剣と三隣亡が重なったような年だったので、
今まで、なかなか、お見舞いにも行けなくて・・・m(__)m
京都行く前には絶対!と思っていたのに、あの頃も結局あまりパッとしてなかったので・・・。
今、行かないと、今年中にいけるかわからない、と思ったので、
えいやっ!と行って来ました(^^ゞ

脚の具合はとっくによくて・・・ホームの方たちも痒い所に手が届くと言う感じでお世話してくださっていて、
母なんかより、よっぽど幸せそう♪

行った時は、ロビーでチャプリンの映画を見てました。
ちゃんとプロジェクターで大きく写してあるので、字幕までしっかり見られます。
(でも、あれ、吹き替えだったかな・・・すぐ、離れちゃったので分かりません(^_^;)

言葉はしっかりしているし、生き生きもしてますが、さすがに二周りくらい小さくなってしまいました。
まあ40分くらいいたんですが、話がグルグル同じ処を回っていて・・・疲れた(^_^;
私のことだって、当然わかりませんし、亡くなった弟たち・・・つまり伯父たちのことはまだ生きてるつもりだし・・・(^_^;
でも、この方が断然幸せですよね(^^)

お部屋も、今日はヘルパーさんがかたずけて下さったばかりだとかで、とっても綺麗になっているし、
まだ和服を着て、上っ張りを着て、草履を履いて歩いています。
あー、お部屋は六畳の和室ですから、立ち座りが一寸大変かな?と思いますが、
「私は畳じゃなくちゃダメ」と言うので、そのままなのだそうです(^_^;

私が書いて贈った「般若心経」の写経が、偉い立派な額に入れて飾られていて恐縮しましたm(__)m
いや、なかなかお見舞いに行けないので、写経だけして、健康祈念ということで書写しました。

もう、今度はいつ行けるかわかりませんが、
まあ、ナントナク気が済みました・・・伯母不孝ですかね(^_^;

でも、母の所行くだけでも、今の私としてはけっこう大変なんですよm(__)m




2009年5月8日(金)

ダンナが6日から出張というのを幸いに「外さん」しまくりでした!!

いや、なんたって夕食作らなくていいので(^_^;
もう・・・外出から帰ってから夕食作るって、出来ませんm(__)m
本当に辛いです!!
昔なら、夕食作ってから出かける、或いは少なくとも下ごしらえくらいはして出かけたものです。
でも、もう、そういうパワーも出ません(^_^;

ひたすら、夕食作らないことを考える日々ですが・・・(^_^;

で、昨日は宝塚。
帰りにトンカツ2枚、2日分のおかずを買って帰宅して、新聞の切り抜きの整理!!

でー、今日は母の姉の所に行って来ました。
もうこの五月で101歳になります。
元々子供はいなかったのですが、夫・兄弟など家族は死に絶えて、
16歳違いの内の母だけが身寄りです。

でー、某老人ホームに入居してます。
去年の11月、私の入院前に行ってから、もう半年もほったらかしで、
いくらなんでも、と忸怩たる思いではありましたm(__)m
だから、もう〜、ホッとした!!
疲れましたけど、私の精神衛生上で、ホッとしましたv(^^)

でも、本当に疲れます・・・この疲れも精神的な意味ですけど(^_^;

まあ、当然といえば当然ですが・・・全く話は通じません。
言葉遣いなどもきちんとしているし・・・難しい語彙も出て、その語彙の意味はちゃんとわかって使っています。
でも話として成り立たないんですよ(^_^;
あー、今日はちょっと話しているうちに膝が崩れました(^_^;
去年の11月にはそんなことはありませんでした。
着ているものも、11月はまだ着物でしたけど、今日は着物風になったセパレーツだった!!
その膝が割れて崩れましたねぇ・・・ムム(>_<)

個室は六畳の和室で、転倒が多い、ということで洋室にベッドに換えるかも?という話が出ていたのですが、
どうやら、本人が嫌がったようでした(^_^;
元々ン十年前に入居する時も、母が洋室を薦めたのに、畳みに拘ったそうですから。
ケアマネさんも、「お年よりは環境を換える事を非常に嫌いますから」と仰っていたし、
無理はしなかったのだと思います。

そうそう、今日は丁度お店屋さんの日で、パンを売りに来て、
ロビーでお買い物ごっこみたいにさせてくれる日なのだそうです。
勿論、本物のパン屋さんが出張してきて、まあ、1個か2個、多い人は3個くらい買うらしいです。
と言っても、みんなそんなに食べられないし、
そのへんは、ヘルパーさんたちが付き添って、よけいな買い物をしないように、見張って下さるようです。
お金も、ヘルパーさんたちが、ちゃんと、一人ごとにちゃんと精算して、うちにも明細書送られてきます。

でも、その自分が選んで買ったパンを忘れちゃうのですね!!
今、そこで買ったものを、ですよ。
自分がこれ、と選んだものを忘れちゃうのです。
私が、行ったときには、ちょうど、買い物が終わって椅子に座って買ったパンの袋を持って
精算が終わるのを待っているところでした。
そこでヘルパーさんから、日常の様子などを伺って、
では、お部屋に引き上げましょう、と腕を支えて部屋に行く途中で、
もう、そのパンが何なのかわからない!!

「これは誰のかしらネェ」
「なんだかわからないけど持たされちゃったのよ」
という具合です。

あー、当然、私のことなどわかりませんよ!!
それは前から(^^ゞ
姪です、と言っても、
「あー、どこかで逢ったことがあるかな、と思ったけど、じゃあ私と血が繋がっているのね」
てな具合です。

そういえば、小倉遊亀さんが、あの方は103歳くらいまで生きていらっしゃいましたが、
ご養子さんのお嬢さんがズット親身にお世話なさっていたんですよね。
勿論小さい時から一緒で、お家は広い邸内のまあ別棟でお住まいだったようですが。
そのお孫さんに、「あなた何方」ってお聞きになるようになったそうです。
まあ、それに比べたら、ホンのたまに顔出すくらいで憶えていたらおかしいでずか。

まあ、それで「お母さんは元気?」という問いかけがあって、答えるんですが、
これを今日40分位の間に何度やったかな・・・三度はやってますよ(^_^;
落語のネタに、たぶん「二十四孝」の枕で使うンダと思うんだけど、
「年老いた親に同じ事を三度聞かれて、同じように三度答えた、ということでお奉行様から褒美をもらった」
っての。
それだけ、同じ事を何度も聞かれて答えるのは大変だ!って話です。
落語ファンのありがたいことは、耳学問でも、そういう話は聞きなれていますから、
覚悟は出来てます。
でまた、これが母子だと、「もうー、何度も言ったじゃない!」てなことになるかも、ですか゛、
伯母と姪はありがたいもので、無責任に、フンフンとアイズチを打っていれば事が済みます。
その点母娘は難しいですよ・・・まあ↑で言うとおり、多少の覚悟はしてますけど(^_^;

でー、今日は、
若かりし頃、詩人を目指して弟子入していた時の先生の本人朗読をgetしたので、
それを持っていったのですが、どうもイマイチピンとこなかったみたいです。
「こういうもので聞いたんじゃ、ちょっとわからないわね」だって。ごもっともm(__)m
でも、そういう話だけは好きでよく乗ってきます(*^-^*)
他に与謝野晶子や坪内逍遥など錚々たるメンバーの朗読がありましたから、
一寸目次のコピーが小さくて読みずらそうでしたが、まあ、そこはヘルパーさんに助けてもらって(^^ゞ
すみません!仕事増やしちゃった(^_^;

それにしても、お付き合いのあった文学者の話から、何を思ったか
「あの人は良い人だったし、身軽にヒョイヒョイとアチコチ出かけて、ねぇ、
だけど、恩知らず、というわけじゃないけど、自分勝手な人でね」
と、来てビックリ!!
えー?○○先生はそんな方だったんですか?と聞き返したら、
「えー、○○さんは、違うわよ。」となって・・・もう誰の話をしているのか分からなくなります(^_^;

まあ、弟たちもまだ生きているように話すし、ねぇ・・・。

101歳はこんなものなんでしょう。
ヘルパーさんとも、少しお話が出来てよかったのですが、本当は、あちらももう少し話したい、
こちらももう少しお聞きしたい、という所もあったのですが、
まあ、お仕事も忙しいでしょうし、
こちらも、いくら夕食作らなくていい、と言っても、まあ六時前には帰宅していたいので、
早々に失礼してきました(^_^;

みんなが年を取っていく世の中で、もう100歳も珍しくはなくなるのでしょうけど、
言わせてもらえば、そこまで生きて幸せな人はどれほどいるのでしょうか?
母は、頭がしっかりしている分、まあ、最近は?の所もありますが、
体が動かず、かえって惨いような気もします。

私自身、本当に怖いです。
生きて行くのが怖いです。
このまま、いつまで生きて行けばいいのかな・・・と、思うと、ね・・・。
母が生きているうちはお先に失礼、というわけには行かないのでしょうけど(´∧`)〜ハ

2009年5月16日(土)

一寸、メモ代わりに追加。

実は、この日、母の姉、つまり↓例の伯母が入居しているホームから、電話が入りました。
転倒して、運の悪い事に、傍に配膳用の台車があって、その脚に頭をぶつけてしまったそうです。
でー、今、CTをとりに病院に行きました。
申し訳ないことをしました、と、恐縮していらっしゃいましたが、
そりゃあ、仕方ないですよね・・・。
101歳!足元ふらつくのを、ヘルパーさんに百パーセント注意しろなんて言えません!!
伯母の専任じゃありませんもの。
それだって、あそこは、ボラの方も多くて、ふつうのホームより、相当手厚い介護をしてくださってます。
だからと言って、あの伯母に車椅子を使うように、と言ったって嫌がるに決まっています。
それに、今、ああやって、なんとか一人で歩けるものを、なまじな不安感で車椅子にしてしまったら、
それこそ歩けなくなりますよ!!

でー、私も行かなくてはならないかな、と思って伺ったところ、
「とにかく今はお知らせしただけなので、病院の様子を聞いてから、また連絡をします。」
ということで、家で待機しました。
おかげさまで整体はパス!涙。

結局、コブが出来た、ということだけで、「なんでもないそうです」というお電話を頂き、
(^o^)〜ホー♪
いやー、これから、コッチもいろいろありそうです。



2009年7月25日(土)

母の所もパスしているのに、とは思えど、伯母の入所している老人ホームから、
「お祭りの日は、少しでもいいですから、いらっしゃって、一緒にいてあげてください」
というお手紙が三度も来てました。

今日が、そのお祭りの日でした。
まだ足は引きずってるし、一寸歩くと立ち止まってる時にプルプル言うんですナァ・・・。
どうしようか?と、思っていたら、
アホネーチャンが一緒に行ってくれる、というのですよ(*^-^*)
えい!と行って来ました!!

私も、ですが、アホネーチャンも、伯母とはあまり接点がなかった、というのがアル意味気楽なのですよね(^^)
母と伯母はそれなりの葛藤もあるでしょうし、
私と母とはそれなりの葛藤があったとしても、逃れられない所がありますが、
伯母とは、葛藤もないし、第一もはや、私のことだってわからないのは気楽です。
それでいて、やっぱり行けば喜ぶ顔を見せてくれる、というのは、こちらがありがとうございます、
という感じです(^^)
で、まあ行くのですが。

ところがよ〜!
やっぱり、101歳の御年のせいもあってか、
「この頃は昼食後はお昼寝が多くなりました」というお便りは頂いてたのですが、
行ったら、寝てます(^_^;
アララ〜!今日は、なんだか体調悪いのだそうです。
しかも、右腕に大きな痣が・・・注射の跡ですか?と聞いても、
「さあ、なんだか、いつのまにか、こんなのがくっついているのよ」と仰います。

亡くなったご主人の事も「忘れちゃった」そうですし(^_^;
話は、何度でもグルグル回ります。
アホネーチャンは、「あなたは誰だっけ?」と何度聞かれたかな(^_^;
そうそう、一昨年、まだ母が何とか歩けた時にアホネーチャンに付き添ってもらって来た時の
記念写真を見ても、既に自分がわからない!!
101歳ですからねぇ・・・こんなもんか(^_^;

後で、ケアマネさんが、
「今日も転倒してしまったらしくて、気が付いたら、あんな痣になっていたんです」
と、謝ってらっしゃいました(^_^;
お婆ちゃんのときも、家で四人も見ていたのに、たいてい、怪我してから気が付きましたから、ねぇ(^_^;
それを申し上げて、お気になさらず、と言って来ました。

だって、本当に、良くして頂いてますよ〜!
個室フロアの方のヘルパーさんも、
「いつもは、ここ(詰め所)でお茶をのんで、楽しそうにお喋りしていらっしゃるのですけどね」
「皆さんからも尊敬されていらっしゃいますよ」
と、今日、寝たマンマなのが残念そう。

でも、お布団から起き上がって、浴衣の寝巻きの前を合わせて正座して相手してくれましたm(__)m
以前に比べると、大分、正座が崩れますけど、私のような無様なカッコウではありません。
私は、もう、この足なので今日は真っ平御免です!!

でも、本人も、「お祭りは行かない」というので、疲れさせても、と思って、
一時間くらいで引き上げてきました。

私が、切れ目なくアレコレ話しかけたり、喋ったりするので、
アホネーチャンが呆れて、後で、
「ママ、喋りすぎ!」と言いました。
でも、喋ってないと間が持てないんだモノ、といったら、
「いいんだよ、何か、ポツリ、ポツリと話して、間が空いたら、それでもいいの。
そんなに間が空かないように喋り続けるから疲れちゃうんだよ」
と、アホネーチャンは、プロですからね・・・ハハァm(__)m

でも、気が済んだ、という言い方は失礼かも、ですが、私として良かったです。
今夜は安眠できそうです♪





2009年12月25日(金)

老人ホームに入居している母の姉の所へ行って来ました。
ちょっとしんどかったので考えていたのですが、
やはり、今日行かないと、もう来年になってしまうし、来年はまたドタバタすると思って、
えーい!と行って来ました(^_^;

相変らず、私のことはわかりません(^^)
ドッカで見た顔だ、くらいはあるらしい・・・顔を見たときの反応で。
でも、だんだん、それ以上のこともわからなくなっているようです。
とにかく、伯母の頭の中では、みんな若くて生きているのですよ〜。
私も、
みんな死んでしまって、生きているのは伯母さんと母だけです、なんて言えませんからね(^_^;

まあ101歳ですからねぇ・・・とにかく自分の足で歩いているのが奇跡です!!
もっとも、両方から支えなければだめですが(^_^;

それでも、両脇を支えられて、とにかく自分の足で歩いていますm(__)m尊敬。

やはり、介助師さんが、
「本当はもう四人部屋の方が良いと思うのですが、
○○さんはベッドの生活に慣れていらっしゃらないので、
やはり個室のままで、私達がチョコチョコ覗きに行くしかないと思います」
と、仰ってました。

お布団も、下に敷く敷布団は、薄くて硬いの!
背骨のため、とか、段差が無いように、ということでしょうか(^_^;
そのぶん掛け布団がフンワリ、かなり豪華な羽毛布団だったのは、アンバランスでおかしかったです(^_^;

この方が、毎月の介護予定表を送ってくださる時に、必ず様子を知らせるお手紙をつけてくださいます。
本当に10行くらいなのですが、様子がよくわかるし、
介護していらっしゃる皆さんそれぞれのご家族に書くのは大変だろうな、
と、頭が下がります。

この老人ホームのバス停は、地元で有名な交通渋滞の真っ只中!
おかげさまで、目の前のバス停にバスが来ているのを見ていながら道路が渡れなくて乗りそこない!
一台乗り損なったら・・・ヌァ〜ント!16分待ち!
ギャア!と思ったら、待てど暮らせどバスは来ない・・・でー、35分待ち!!
二台、くっ付いてきました!!
もう、ダンナにメールして今日はトンカツ弁当にしてもらいました(^^ゞ


2010年5月5日(水)

今月18日に102歳になる伯母の所に行って来ました。
去年の暮れから、もう、ずっと行ってないし、洗礼を受けたそうですし、
誕生月、ということもあって、今行かないと、またいけなくなる、と思って、えいや!っと腰を上げました。

受洗については、4月4日の前だから1日か2日くらいに、たぶん神父様だと思いますが、連絡がありました。

「去年の秋頃から、ご本人から洗礼を受けたいというお申し出が何度かありましたが、
ちょっと、お気持ちが確認できないものですから(ボケてますからね(^_^;)、控えておりました。
そうしましたら、伯母さまの周囲の方たち(ホームの同居者たち、ということですか)から、
ご本人が洗礼を受けたい、と言う意思を示す事ができるのもあとわすがではないか、ということも言われて、
それでは、と思ってご確認のお電話を差し上げました」とのことでした。

伯母は、元々女学校がミッションだったので、それもあって、
そちらにお世話になることになったと聞いておりますから、よろしくお願いいたします、と申しました。

でー、私もついウッカリして、洗礼式には立ち会ったほうが宜しいでしょうか?って聞いちゃったんですよね(^_^;
そしたら、ナントナク、有耶無耶にされてしまったので、
あっ、これは洗礼式にはクリスチャンじゃないと出席できなかったんだっけ?と思って深追いせずに、
後でネットで調べました。
そしたら、クリスチャンでも未受洗の人は洗礼式には出席できないんだそうで!!
アリャリャ・・・そうでしたか(^_^;

でー、そんなこんなもあり、誕生月でもあるので、何か持っていくようなものは?と事前に問い合わせすることに。

ホーム所属のケアマネの方が、たまたま電話を受けてくださってお話したのでGOODタイミング、とうかがったら、
「伯母さまは、洗礼を受けたこともたぶん憶えていらっしゃらないと思いますよ。
御菓子がお好きなので、何か美味しい御菓子を買ってきて下さるのが一番喜ばれると思います」
とのことでした(^_^;

ハハァ〜ン!そういうことか(^_^;
でー、まあ、ホームに菓子折りと、伯母本人には、
梅園の練りきりの菖蒲と藤と流水の三種の綺麗なのを1個ずつ買って行きました(^^)

玄関のロビーの処で、件のケアマネさんとバッタリ、そしたら、丁度夕方近くで、
「家に帰りたい」病が始まった所で階下に下りてきていた所でした。
ありがたいことに、
102歳のオバサンのことを、それより若い80〜90才の方たちが心配してお世話してくれるんですって!
何しろ、歩行が危なくなっているのに、本人はちゃんと歩けるつもりでフラフラ立ち上がりますから。
立ち上がるだけなら良いのですが、歩き始めると、それは無理で転ぶんですよ(^_^;
なので、伯母よりお若い方たちが、気にかけてくださって、
伯母が勝手に歩き始めたりしていると、「ほら○○さんが歩いてるわよ」と、
詰め所に知らせてくださるのだそうですm(__)m感謝

私が誰かなんてことも分からないのですが、不思議に、自分の何かだとはわかるらしくて、
あー、と言う表情です。
それで、そのまま、ロビーのソファでお土産の練りきりを広げてお茶を頂きました。

お話も一つ一つはちゃんと受け答えが出来ていますが、アチコチ脈絡なく飛んでしまうので、
まあ、あわせるも何も、という所です(^_^;
でも、
「最近は、アレは覚えてるか、これは憶えてるか、って、そんなことばかり聞かれるので嫌になっちゃうわ」
なんていうのは、凄い正論でしょ!
それとか、
「戦争は本当に嫌!平和でなくちゃ何もできないわ」というのも、詩人の端くれの気概があります!
洗礼を受けたことも朧気ながら覚えておりました。
もっとも、それが「洗礼式」だったかどうかは定かでなさそうです(^_^;
「あの方はナントいう方?」と、司祭さまのお名前を聞いてましたが、
私もウッカリして聞いていません(^^ゞ
それでも、とにかく話らしきものを交わしましたv(^^)

そうそう、その「話らしきもの」なんですが、
↑の「最近は、アレは覚えてるか、これは憶えてるか、って、そんなことばかり聞かれるので嫌になっちゃうわ」
発言の原因になっちゃうのかな・・・?
ちょっと聞いてみたんですよ。
私の祖父と言う人の話(^_^;
私の中では、「おじいちゃん、おばあちゃん」と言えば、勿論母の養父母しか思い浮かばないし、
実際可愛がられたので、母の生きている時には、何かあると、
「おじいちゃんに頼んどいて!」と言ってました(^^ゞ
つまり、仏壇の祖父にオバサンが今、こういう窮状にいるから助けてください!ってね(^^ゞ
風邪引いて、熱が高くて苦しい時とか、受験で大変だったときとか・・・いわゆる神頼み!!
それくらいおじいちゃんには可愛がってもらったのです(*^^*)

でも、血統上の祖父というのも知りたいじゃない?
で〜、聞いてみたのですよ。
そしたら、あまりはっきり言わなくて、
それでご主人のこと思い出しますか?なんて水を向けたら、
「そうねぇ、なんだか思い出せないわねぇ。忘れちゃったわぁ」
アララ・・・?で〜、私の知っている伯母の知人とか、ホーム直前まで入居していたアパートのこととか聞いたら、
全部忘れているのです(^_^;
これにはビックリよ!!

それで、↑の台詞?発言になったのかな・・・(^^ゞ
それでいて、弟のことならよく話すのは・・・なぜだろう?なぜかしら!
まあ、とにかく発言はきっぱりしていますm( )m

でも、さすがに、着物(和服)が難しくなって、最近は上下セパレートの着物でしたが、
今日は新しい着物です(^^)
生地は和風ですが反物ではなくて、いかにも服地だし、仕立てはいかにもミシンで粗末ですが、
なかなか、よい柄で選んでます。
そういえば、「去年、着物が大分古くなったので新調します」という連絡を頂いてました。

ちなみに、伯母の経費は伯母の貯金で賄えているので、うちが経費を出しているわけではありません!!
ただ、そういうお金の出し入れに対する身元引受人の了承を得る、という建前ですね(^^ゞ
うちは、「家族会」の会費と、こうして見舞いに行く時の手土産代しか出していません(^_^;

着物、新しくて素敵ですよー、と言ったらちょっと喜んでました。
でも、上下に分れているのが気に入らないらしくて、「こんなの着せられてねぇ」と言ってました(^_^;
ちょっと身幅が足りなく仕立てられてしまったのか、裾前がすぐ下に下がるのを大変気にして、
チョコチョコと右手で上前の部分を引っ張りあげてました。
ついでに言うと、足元は靴下タイプの足袋と草履です。

小一時間話して、話題にも困ってきたし、伯母もソロソロ退屈しているようだったので、
二階の居室フロアまでお供して辞去して来ました。
残りのオヤツは明日のお楽しみ、ということにして預けてきました。
ちなみに、ナント!1個半も即ペロリでしたよ〜m(__)m

そうそう、今日、ビックリしたのはですね、
ここは、最近はデイケアなども受け入れているのですが、
豪華ロビーの真ん中偏にダイニングテーブル四台くらい持ち出して、
それを囲んで百人一首をしていました。
大体、ここはロビーが三つ位あるのよね(^_^;
その一番豪華版が玄関のロビーで天井も高いし、大体、隅のほうにコーヒーカウンターもある!
いや、一度、ここでコーヒー飲んでみたいものだと思うのですが・・・(^_^;
凄いよね・・・こんな老人ホーム、スゲェふんだくりの高級老人ホームならともかくも、見たことないでしょ(^^ゞ

その豪華ロビーに、また豪華な木製のダイニングテーブルみたいなのを出して、
一台のテーブルを四人くらい囲んでヘルパーさんが一人ずつついて、
真ん中に立った読み手が百人一首の和歌を詠むと、みんなが手前のテーブルを一生懸命探してます。
凄く優雅で良い光景だし、頭の体操にもなりますよ!
これなら、デイケアを嫌がる人も無いんじゃないかな(^^)

皆さん、うちの母もそうでしたけど、デイケアに行くのを嫌がる第一は、
「良い年をして、今更チイチイパッパもないでしょ!」ということなんですよね!!
いくら、そういうことで体操の代わりをします、とか手足を動かすのにいいから結んで開いて♪をします、
と言っても、高齢者を馬鹿にしている!馬鹿にされている!という気がするわけです。
付いているのもヘルパーさんというよりボランテイァの人たちかも知れませんね。
読み手の方はかなり良いお声で読み方も慣れていらっしゃいましたし。
ここは本当に恵まれてますよね。

いや、でもそれにしても疲れました。
これで明日、母の所に行かなくちゃ!!


2010年12月23日(木)

伯母の見舞いに行って来ました。
例の102歳の伯母です。
今年二回目!スミマセンm(__)m
日々何かと終われておりまして・・・m(__)m
誕生日前の5月に行って、夏祭りとか、老人ホームの家族会主催のお祭りとか、
色々お手紙などもあったのですが、
あー、その間に、ま、とにかく良く転倒するので、
転んで痣を作ってしまいました、とか、
頭を打ったのでCTを取りました、とか・・・とにかく細かく頻繁に連絡は頂いております。

でも、とにかく、良く面倒を見てくださるホームなので、私風情が口出すことは何もありませんm(__)m
入院中の母と比較しても、本当に幸せです。
というより、ダンナも私も、私達の老後は絶対こんなに手厚い介護は受けられないわね〜、
と羨ましく思っています。

今はもう、殆ど現実の世界とはかけ離れた世界に生きているようで、
この初夏くらいから、お人形を子供のようにしてあやしたり、話しかけたり、お世話?したり、
片時も離さず大変なようです(*^-^*)

それが、子供を持てなかったことの無念さの表れか?
幼くして養女に出した末妹への憐憫がさせるのか?
単純に子供に還っての人形遊びなのか?
・・・まあ、色々あるのでしょう(^^ゞ

でも、とにかく周囲の方たちに見守られて、大事にしていただいて、穏やかに暮らせる!
103歳でも104才でも、いえいえ110才まででも長生きして欲しい、
と、ホームの方たちは仰ってくださいますm(__)m
「こんな風に言うのはホントに失礼なんですが、とってもお可愛いんですよ〜」
と、ヘルパーさんたちも仰ってくださいます。
「それでいて、明治の方ですからね、私達が一寸お行儀の悪いことや、
乱暴な言葉を使ったりすると、
ピシッと仰って、
とってもきちんとしていらっしゃるから、皆さんからも尊敬されていらっしゃるんです」
とのことでした。
このご時世にナント幸せなことでしょう。

そうそう、和室にお布団なのですが、
「お布団もご自分でたたんでいらっしゃるんですよ」ということだそうです。
勿論部屋の片隅に折り曲げるだけですが、
それでも102歳のおばあさんが自分でお布団たたむのはね・・・脱帽。

そういえば、ねも姉も一緒に行った時、もうボケてはいましたが、
「さすがに、言葉の世界で生きてきた人だネェ。
言葉遣いがとても綺麗だわぁ」と感心しとりました。

私はどうなるかしら?
最近はダンナにタメゴで話したりして・・・ウーム、いかんですなぁ(^_^;


2011年5月17日(火)


今更に、眩暈やら睡眠障害が起こってきて、パッとしないオバサンでございますm(__)m

でも、昨日は、エイヤ!と、例の102歳の伯母の所にご挨拶?というか、
今日17日が103歳の誕生日でもあったので、それも兼て行って来ました。
ホームの担当職員の方には、既にお知らせしておりましたけど、
伯母自身には、もう、話しても理解できない、というか、
既に意識は宇宙人なので「妹が亡くなりました」という意味を理解できないと思いますので、
単に顔を見に行く、見せに行く、ということで(^_^;

伯母はあいかわらず、「こなみ」と名づけたお人形を抱っこして、
ホンワカとした雰囲気で日差しの明るいラウンジでソファに座っていました(*^-^*)
もう、以前から私のこともわかりませんし、
今までは一見でも通じるようになっていたような話しも通じなくなりましたし・・・でも、
なんとなく、これでホッとしました。
私の気が済んだ!という超自己満足の世界(*^-^*)
でも、疲れた・・・。

おかげで、今日は起きたのが午後の一時半・・・ダンナ様ゴメンナサイ、の世界です(^_^;
いや、今日だけではなくて、ですね・・・。
精神安定剤・睡眠薬・・・とりどり飲んでいるのですが、まるで効かないのですよ!!
精神安定剤飲んで、眠っても一時間かそこら、
睡眠薬飲んでも3時間くらい寝ると眼が覚める、
そのくせ、昼日中にはグッスリ眠れて・・・昼夜逆転もいいところ(^_^;
それでいて、体だるいしねぇ・・・糖尿病の定期健診にそろそろ行かなくちゃ行けない時期なのです。
その相談もあわせて行こう、と思えどしんどくて(^_^;

毎日ボーっとしているだけで、片付けもしてないのです(^_^;
ヤレヤレ・・・。




2011年12月12日(月)

103歳の伯母(横浜の老人ホームに入居中)の所に行ってきました(^^)
クリスマスのプレゼントを届けるのと、やはり、半年に一度くらいは顔も見なくちゃ、
ホームの方にも直にお礼くらい言わなくちゃ、と思って行って来ました。

まだ一応歩けるんですよv(^^)
支えは無論要りますけれど、自分の足でゆっくりゆっくり!!

いつも頂くケアマネさんからとヘルパーさんからのご連絡で、
「○○様は、最近お昼寝していらっしゃることが多くなりました」なんて書かれてあったり、
「ナント!○○様は、103歳にして、初めてお野菜を召し上がるようになりました」
「敬老の日には市長さんがお祝いにいらっしゃって、ご立派にご挨拶されました」
なんてことも、写真を添えて送って頂いたりしているので、大体のことはわかっていますが・・・。

いやぁ・・・さすがに、話はもう完全に噛み合いません(^_^;
五月の誕生日に行った時は、話は噛み合わないけれど、言葉などはかなりはっきりしていたのですが、
今日はもうだめで゛したね・・・。
それに、あんなにお行儀の良かった人が、私の前に置かれたお菓子に手を伸ばしてみたり(^_^;

でも、一時、自分で歩ける記憶が先行して、やたらに転倒を繰り返したりしていたのですが、
最近は諦めがついたのか、転倒はなくなったそうです。

それにしても、大変だよね・・・。
私は、母と1対1でも怪我に気がつかなかったり、いろいろと往生したこともあったのですからねぇ。
ここはボラの方も多くて、人数的には余裕があるようですが、やはり一人のヘルパーさんで何人も見ることになるわけで(^_^;
それでも、伯母は高齢ということも゜あって、殆ど専任みたいについていてくださるようですm( )m

だから、今回も、伯母と話したのは15分くらいで、後はケアマネさんとか、ヘルパーの方たちと
チョコチョコ立ち話という感じでした。

それにしても、疲れた!!
伯母不孝だなぁm( )m



2012年06月18日(月)

老人ホームに入居している伯母の所に行ってきました(^^)
↓で書いたとおり、五月のお誕生月にも伺えず、で、本当に伯母不孝な姪ですm( )m

それにしても、 去年の12月に行った時、

「まだ一応歩けるんですよv(^^)、支えは無論要りますけれど、自分の足でゆっくりゆっくり!!」
なんて書いたのが、この半年でウワッ!というほどこの世の人ではなくなってました(^_^;
このときは、たしか、リビングフロアのソファに横になって、私が行ってから起こしてもらって、
そこでお話したんでした。
それが、今日はもう起きてましたが、リビングのテーブルの所に車椅子で座ってました。
時間的に(3時半)、たぶんおやつの後だと思いますが・・・。
もう、全然会話は成立しません(^_^;
大事におせわしていたお人形の「こなみちゃん」も、もう傍にはないし、
こなみちゃんはどうしました?と、聞いても、なにやらよくわからないらしいです。
っていうか・・・単語になってないのかな・・・もう耳を傍に寄せても聞き取れない、聞き分けられない(^_^;


いつも自筆のお手紙で連絡を下さっていた介護士さんが3月末に退職されて、一寸残念ではありました。
もう、あれだけのお年寄りは環境が変わることが大変答えますから。

でも、
ヘルパーさんが、管理事務所に提出する介護記録のコピーを直接送ってくださるようになってましたので、
毎日の介護記録が読めるようになって、それはまあそれでよかったのですが。

ケアマネさんからも、個別に月間の状況などをお知らせいただいているし、ね・・・ここは、
そういうところ凄い行き届いてんですよm( )m感謝
「ナント!○○様は、103歳にして、初めてお野菜を召し上がるようになりました」と、
驚きの声を届けてくださったのは、そのケアマネさんです。
今日は、丁度半休を録られたそうでお会いできませんでしたが、
もうお一人のケアマネさんとお話できました(^^)

でー、そのヘルパーさんの記録によると、
「○○様は今日もお昼寝が多いので、時たまお声をおかけして、入浴をお誘いしてみる」なんて書かれてあったりして、
もう一日ちゃんと起きているのは無理なんだよねぇ、というのがよくわかっります。
「全身にケラチナミン(時によるとオイラックス)を塗布する」なんて報告があったりすると、
ああ、年をとると皮膚の乾燥が凄いのよね経〜と思ったり
「入浴後に“ありがとう”と言ってくださる」とあると、あ、まだ会話は多少成立しているのかな?と安心したりしてましたが。

今日はもう・・・↑に書いたとおりです。
なので、結局10〜15分くらいかな・・・傍にいたのは(^_^;
それでも、凄く疲れちゃった!!
まあ、大体、私なんかが伺うのは、お世話になっている職員の方たちへの表敬訪問みたいなものですからね。
それにしても、104歳を介護するのは大変です!本当に感謝ですm( )m

帰宅して、ダンナや、深夜帰宅のnemoに報告しました。
ダンナは達観してましたけど、やはり、若いnemoにしたら、行く度に急段階的に老衰していくことが信じられないようです。
ことに意識!
「おばあちゃんの時は、よくなるのと悪くなるのと波があったじゃない?そういうことじゃないの?」
と、言ってましたが、いやぁ・・・やはり、八十代と104歳は違うよ・・・と答えたら、
「ふぅん、そうかぁ・・・」と首をかしげながら引き上げていきました。

いゃあ・・・104歳だもの、ねぇ・・・(^_^;
そうそう、当然のことですが、もう、プルオーバーのセーター?ズボンでした。それもかなり厚地です。
今日は、このへんも30度と言ってました。勿論、ホームはエアコン入ってますが。
職員の方たちは半袖です。
そのうえ、車椅子の背にはあったかそうなクッション、ひざ掛けもしていて・・・冷えるんでしょうね!



2012年12月11日(火)

ナント!
104歳の伯母が体調を崩して、かなり悪いと言うことで、今日は行ってきました。
実は、先日来・・・終末処理というのかな・・・言葉悪いのですが、一寸もめてました(^_^;
いや、ホーム、とではなく。

終末医療及び、看取りについては、もう年齢のこともありますし、
伯母の入居しているホームは、本当に痒い所に手が届く、というか、私!ここに入れてください!!と言うほど、
行き届いた所です。
だから、もう安心してお任せしているのですが。
もしかして、の場合ですね・・・洗礼も受けたことですし、そのままホームで葬儀して納骨させて頂いて、と思っていたのです。

でー、死別していた伯母のご主人のお寺の方へ、ホームの担当者が、それを連絡してくださった所、
お寺のほうからクレームが着たんですよ!!
伯母がホームに入居する時、永代供養をお願いして、
大体、永代供養って30年なんだそうです。
その期間が過ぎると、合同墓地に入れるか、もう一度永代供養を頼むか、その時は、第一回の半額になるそうですが。

まあ、それとは別の話で、伯母の場合は死別して70年以上だし、
まだ元気な頃、私が見舞いに行って、ご主人のことは?と話を向けても、
「主人?もう忘れちゃったわねぇ」・・・って感じでしたから、
終の棲家となった、ここで、おなじみの方たちの傍で眠らせてあげたい、と思ってました。
ホームでも大変に大事にしていただいてるし、何もかも行き届いて、私なんて羨ましい、というか、
母の事考えると、当てにならない子供(アハハ、かく言う私のことです、スミマセン)なんかより、
確かに当てになるホームだなぁ、と思ってました(^^ゞ

そしたら、そのお寺の方でダメ!と言うのよ〜!!
「その伯母さんとは子供の頃から知っているし、墓碑銘は○○先生(まあ、文学史に載るような大先生)で、拓本も取ってあります」
「ご本人の分も、葬式費用として30万円お預かりしているから、何も要らない」
「もし、そちらでお葬式をしたい、と言うのなら、火葬を終えてお骨にしてからでもかまわない」
・・・まあ、破格の申し出です。
それで、「ご本人から、お手紙をお預かりしています。
『妹(私の母〜つまり、去年亡くなったガンコバアチャン)にも頼んであります』と書かれています」
と言うわけです。

え〜、聞いてないよ(^_^;
母は、「○○ちゃん(伯母の名前)は、あのまま、ホームで引き受けてもらうように頼んであるんだろ。
あそこが一番長いし、ずいぶんよくしてもらってるからねぇ」というようなことを言ってました(^_^;
それでも、本人がそう望んでいるなら、それっきゃないでしょ!
じゃあ、その線でお願いします、とは言ったものの、どうも釈然としない(^_^;

大体、伯母が自分で手紙が書ける頃って相当昔ですよ・・・(^_^;
で〜、ホームの担当者の方も、私が一寸拘っているのを察して、お寺とコンタクトも取ってくださってました。
でー、一度面談で、私の気持ちも、最期の相談もしたい、ということで、それではそのうち、と言ってたら・・・、
今回、急に具合悪くなって、それで、用意してあったクリスマスプレゼントを持って、今日行ってきたんですが。

そしたら、ナント!ナント!!
伯母の自筆ではないのですが、
もうおやめになった担当者の方に書いてもらって認印を押した文書(正式じゃないんでしょうね)が見つかったんですって!!
で〜、それには、やはり、ここ(ホーム)で納骨して欲しいと書かれてました(^_^;

まあね、お寺の方も、決して悪い方じゃないんですよ(^_^;
↑で言うとおり、お金も預かっているから、何にも要らないって、なかなか、今時のボーズじゃ言わないでしょ(^_^;
とはいえ、ですよ(^_^;

伯母のツレアイって人は、売れない詩人でした。
そのお寺の先代住職は俳句の同人社の主宰などもしていて、色々な文学者とも交流が深かったのだそうです。
でまあ、詩人氏が子供好きということで、当代の住職も顔見知りではあったのです。

で、その先代の御住職が確かによくしてくださった!というのは、母が伯母から聞いています。
「小説家はお金持ちだけど詩人は貧乏よ」と言うのが伯母の口癖だったし、
そのツレアイの詩人氏がなくなったころは、本当に赤貧洗うが如しであったそうです。
「だから、お友達の尽力と○○寺の住職さんのおかげで、お墓も建てられたの」だそうです。
でもねぇ・・・恋愛結婚でもなく、看護婦代わりに結婚して、十年・・・殆ど生活費も伯母の仕立賃で暮らしていたわけですよ・・・。
まあ、それは詩人氏ひとりの罪じゃなく、その↑の師匠の○○大先生のお指図でもあったわけで。
詩人氏が死んだ後、伯母が挨拶に行ったとき、奥様と話していたら、外出から帰宅した大先生が、
「二人でずいぶん泣いただろうな。○○さん(伯母の名前)には、恨まれているだろうな」とノタモウタそうです。

まあね、売れる売れないに関わらず、詩人は貧乏です。

伯母の口癖の通り、「小説家はお金持ちだけど、詩人は貧乏よ」ってのは本当にありました(^_^;
先日、読んだ堀口大学の聞き書き(関容子著「日本の鶯」)でも、堀口大学が、「詩人は貧乏だからね」と言っていててビックリ!!
あのお坊ちゃまの大学先生がそんなこと言うか?!
って、まあ「貧乏詩人」というけど、あれは、詩人全体に当てはまるのでねぇ。

だから、奥さんに稼がせるのは仕方ない?
伯母はずっと仕立物をして女の細腕で詩人氏を養ってきたわけですよ。
まあ、詩人氏も健康なときは、学校の事務職に就いたり、
あるいは恩師の引きで解説を書かせてもらったり、でも病がちになっていったとき、
友人たちのカンパも就き返してしまったり・・・。
私としては、それだけでも、その詩人氏とはナンじゃ?の思いがあるわけで・・・。
で〜、ホームに入居以来の伯母の安心した生活を見ていると、ここでこのまま眠らせてあげたい・・・と思うじゃないですか(^_^;

ホームの方が、「うちの納骨堂も見ていらっしゃいますか?」とおっしゃって頂いて、見てきた!!

敷地内に、凄いコンパクトだけど、明るくて豪華な空間!!
いやぁ・・・これ見たら、私も入りたくなった!!
お骨箱のひとつずつに生前の写真が写真建てに建ててあって、本当に、みんなでお喋りしている感じです♪
伯母も、これを見たら、あの暗い土の下に入りたい、なんて思わなかったでしょうねぇ(^_^;
こりゃあ、比較の他です!!

まあ、どうなることか、ホームとお寺に一任しましたけど、人間死ぬのも難しいですねぇ(^


2012年12月15日(土)

いやぁ〜参りました(^_^;

↓で書いたとおり
104歳の伯母が体調を崩しました(^_^;
で〜、年齢のこともあるし、何かあったら、ということで、覚悟はしていたのですが、
昨日の歯科治療と糖尿病の定期健診&整体の日に地元駅まで帰り着いた時に、絶妙のタイミングで電話が入りました。
お昼頃から急変して、三時にはアイスクリームにお薬を混ぜて食べられたんだけど、
その後熱も出て、呼吸が苦しそうで肺炎の疑いあり、と言うことらしいです。
老人の肺炎って命取りですからね・・・老人じゃなくとも、勘三郎だって!!
まあ、もう行くっきゃ何いです!!

でー、五時半頃に着いたら、伯母はもう苦しそうで、体が凄い振動というほど震えていて、怖いくらい。
ホームの看護婦さんは付きっ切りだし、介護師さんも付いていて下さって、
事務責任者の方もお二人が交代で来てくださり、
更にケアマネさんも来てくださり、皆さんが、「○○さん、大丈夫?苦しそうだね、がん張って」と声をかけてくださいます。
もう、普段から殆ど専属みたいに面倒見てくださっている介護師さんは、半泣きです。
大体、皆さん、私の顔を見ると、「ありがとうございます」「ありがとうございます」
と、口々にお声をかけてくださり・・・こちらが感謝する所なのに、と恐縮してしまいます(^_^;

そんなこんなで六帖の個室は満杯で・・・m( )m
母も呼吸困難になっていたし、酸素マスクなどはつけてましたけどこんな風にはなっていなかったのでショック!
熱も、この時は、38度4分になっていたそうです。

で、病院に入院させますか?ということが、まず問題!
つまり、104歳、ということもあり、自然のままに、という本人と私の方の従来の気持ちもあり、
決断を迫られました・・・困ったねぇ!

「でも、このままでは、亡くなるのを待つだけです。
年齢のこともありますし、病院でも無理な治療はしないと思います。
入院させてあげれば、この苦しそうな状態だけでも落ち着きます」
という、看護師さんの発言で、私も覚悟!

事務担当者の方と看護師さんが「ドライで行ける?」「今の病院は、ドライでも受け入れられます」
とかの応答があり、後で説明を受けた所「ドライというのは延命治療はしない」と言う意味だそうです。

というわけで、大至急、受け入れてくださる病院に空きベッドがあるか問い合わせてくださいました。
それで、一床空きありということで、看護師さんが一緒に付いていって下さるということで、私が付き添って病院へ。
と言っても、伯母の状態に一番詳しいのはホームの方たちなので、私なんて「家族」という名目だけの頼りないお荷物です。

しかし、ナンデモ揃ってますよ〜このホームは!
ストレッチャーになる車椅子があり、勿論、酸素ボンベ付きですが、今の酸素はコンパクトですねぇ・・・。
まあ、スポーツ選手が使う酸素ボンベは別としても、こんなに小さくなっているとは!!
まあ、ベッドからそこに移して、
更に、ストレッチャーをそのまま乗せられるリフト付きのワゴン車があり、それで病院まで。

ストレッチャーでお部屋を出るとき、
皆さんが「○○さん、必ず帰ってきてね〜」と声をかけてくださり感謝m( )m

7時20分頃病院に到着、改めて色々検査。
ホーム内にクリニックがありますので、ふつうの病気などはそこで見て頂けるのですが、
CTなどの検査記録はありません。
レントゲン・CT・血液検査などして、改めてわかったのは、
脱水症!!
ナトリウムなどが不足しているそうです。九レアチンの数値も悪いそうです。
必然的に腎機能も落ちていて、「今日尿は出ましたか?」とか聞かれてました。
オムツなので、尿が出たかはっきりしなかったのですが、
「三時頃、便がコロンと出たので、おそらく、その時に一緒に出ていると思います」ってことでした。
これは、素人が考えても、なかなか良いことですよね♪
それと、この時は、熱が37度くらいになっていて、血圧も落ち着いてました(100だったかな)。
脱水症は看護師さんは、ちょっとショックだったらしい(^_^;
やはり、老人を預かる所ですから、脱水症にはかなり注意していたらしいですからねぇ(^_^;

あの凄い振動するような脆鳴もなくなり、まあ苦しそうですが落ち着いてます。
誤嚥もなくて・・・って、口から食べているのはゼリー状の食事とアイスクリームくらいだものね(^^ゞ
と、思ったら、それでも誤嚥はあるようで、ホンの一寸でも誤嚥があると、この年齢では、やはり危険なんですね!
アイスクリームに入れる薬も、手で砕いて粉にして下さるそうでm( )m

待っている間に伺ったのですが、ずいぶん手が潤沢だと思っていた、あのホームも、
やはり、人ではかなり厳しいそうで、夜間はお一人で50人を看るそうです!!!!
ヒェー!!
絶句!!
でも、それが法定の数値だと聞いて、またヒェー!です。

でー、病棟が決まるまで待機して、病棟が決まって、看護士さんからお話を聞いて、
主治医の先生が決まったら、改めて病状説明と治療方針のお話を聞くことに。
でー、九時に病院を出て帰宅。
付いて来てくださったホームの看護師さんは、また報告のためにホームに帰るそうです!!
ウーム!激務ですねぇ・・・!

いやぁ・・・自分の歯科治療と糖尿病の定期健診&整体と・・・伯母の入院まで・・・長い一日でした。



2012年12月17日(月)

お医者様の話を伺いに病院へ。

結局、伯母は持ち直しました(^^)
いやぁ、明治生まれは強いですねぇ!!

ホームからも介護師さんと事務担当の方が二人で見えてくださいましたm( )m

やはり、ネックは脱水症、それと腎機能の低下。
ナトリウム不足も大きいそうです。

で、私とホーム側から、
「104歳という年齢のこともあり、現在の治療以上のことは望まない」というお話をして、
理解していただきましたm( )m
やはり、104才ということはありかだい手形になります(^_^;
それと同時に、ホームへの信頼感というのも大きいですよ。
ホームの方が「ホームの法でも、うちで看取って差し上げたいと思ってますし、ご家族もそう望んでいらっしゃいます」
と強く言ってくださったこともありますし、私が
「あの人にとっては、ホームが故郷で、今は家でもありますし、皆様が大変よくしてくださって、私が羨ましいくらいです。
それに、ホームの皆さんが、入院するとき、必ず帰ってきてね、とお声をかけてくださって」と申し上げると、
看護師さんが「戻れる所があるというのはいいものですねぇ」と仰ってくださいました。

ウーム・・・そうでしょうねぇ(^_^;
まあ、入居して20年近く!と言ったら、やはり、かなりビックリしてらっしゃいました(^_^;

結局、診療予定としては、一週間を今の状態を治療すること・・・点滴が主になりますが、
で、その結果を見て、一週間を経過観察期間として、そこで、ホームでの療養可能と見られれば退院、ということに。
先生も、「そんなに親しんでいる場所なら、お正月はホームで迎えさせてあげたいけれど、ギリギリ・・・ですねぇ」
ホームの゜方も「お正月前は勿論ですが、本当ならクリスマスも迎えさせてあげたいんですけどね」と言う発言も。
皆様、ありがとうございますm( )m

それに、ね、私が声かけても無反応ですが、
ホームの方たちが声をかけると、ちゃんと反応して返事?するんですよ〜!
それで、鼻歌みたいなの歌いだして・・・ビックリしました(^_^;
日々の重みですよね・・・たまに(お誕生日とクリスマスくらい)しか顔を出さない姪なんてのより、
日々面倒見てくれる他人のほうが近いしいのは当然です。
その方たちに、本当に感謝ですm( )m



2012年12月21日(金)

12月21日朝、に伯母の主治医から電話があり、ちょっと状況が悪くなった、ということでした。
まあ↓で書いたように凄い持ち直したと言うことだったのですが、やはり、それよりは一寸ということでした。
今すぐ、どうこうと言うことはないと思うけれど、↓の時のお話で、年内にホームに帰れるか?と言うようなことは考えられないということです。
それと、やはり、「覚悟はしておいていただいたほうが」ということでした。
うん、それはね・・・で〜、そんなこと聞いてしまうと落ち着かなくて、
土曜日に見舞いに行く予定だったのですが、慌てて繰り上げてその日に行ってきました。
先生は、その日はいらっしゃらないということでしたが(たぶん、当直明け?)、とにかくね・・・。

そしたら、何のことは無い、まあ、落ち着いてはいるのです。
私が呼びかけても応答はあるし、勿論誰が誰だかわかりませんけど(^_^;
夢の中で鼻歌も歌っているし、
看護婦さんにも伺って、酸素も、入院時の5リットルから1リットルになったそうです。
まあ、主治医の先生としたら、「覚悟」ということをおっしゃっておきたかったのでしょう。
そういう症状も一時的には出たのかも知れませんね(^_^;

でー、ホームに報告かたがた連絡を取ったら、ヌァ〜ント!!
伯母の見舞いには、毎日だれかしらが行っててくださるのだそうですm( )m
いやはや・・・大変なものです(^_^;

これに比べたら、母は気の毒でしたねぇ・・・急逝に近い所もあったけど、こんなに心配してもらえなかったでしょ!!
それに、私たちは、こんな老後〜終期は迎えられないよ!!
もはや早く死ぬもの勝ちですよねぇ・・・(´∧`)〜ハァー溜息。


2013年1月6日(日)


去年、入院した伯母が退院できそうです!というお電話が一昨日病院からありました。

前向きな退院というわけではなく、看取りの場所をホームで!という、ホーム側のお申し出と、
私の願いが一致して、病院側が受け入れてくださった結果です。

つまり、動かすなら、小康状態を保っている今しかない!ということ。
更に、退院させてしまえば、医療行為の点滴は行えない、
また人工栄養の点滴も行わない!という選択をお願いしてありますので、
水分の補充の点滴位しか出来ない、ということ、更にそれもいつまで点滴の針をさせる場所があるか?ということなのです。

ホームには同敷地内にクリニックが併設されていますが、
それはあくまで、日常的な風邪・体調不良などに対応するいわゆる開業医の位置づけです。

退院する、させる、というのは、もう、これで延命治療はしないで、ここで自然死を待ちます、という選択でもあります。

それでも、退院する、というのは、究極の選択でもあります。
しかし、人工栄養のパイプをつけて、何も意識のないまま息だけをし続ける、といのはどんなものだろうということ。

まあ、伯母自身はどう考えているのでしょう?
たとえ、声を出せなくとも、脳のうちでは、言いたいことを言い、周囲が発する言葉を感知している、と言います(^^ゞ
あの伯母なら、十分考え文句も言いそうです!!

でもねぇ・・・私の場合、
母の時、最初の選択を誤って、永らえさせて辛い思いをさせたなぁ、という思いがあるんだよね(^_^;

叱られるなら、叱られたっていいや!
それで、人殺し!地獄に落ちろ!と、伯母が言っているならそれでけっこう!!
私としては、「私が考える伯母の気持ち」として、「自然のままに!」ってことを大事にしたいと思うんですよ。

でー、一昨日「退院できます」のお電話の際、病院側から「ホームの受け入れ準備もあるでしょうから」と言うことだったので、
私が中間に入るより、「病院とホームで直接ご相談いただければ、こちらは、それに従います」
と申し上げました(^^ゞ

そしたら、ナント!昨日になってしまいました(^_^;
ヤバイ!!ってのは、また↓に書きますが(^^ゞ

伯母は、ここでも看護婦さんたちによく面倒見ていただいたようで、
退院の着替えをさせて頂いてたときに、看護婦さんが「○○さんお大事にね」と声をかけてくださったら、
一寸眼を開けたんだそうです!!
すごいねぇ♪
ホームからは担当者の方と看護師さんとお二人が来て下さってました。
ちゃーんと、お菓子折りを持っていってくださったらしい!!!
申し訳ありませんm( )m
私も考えないではなかったのですが、何しろ、10時半の時間までに行くのがギリだったのですねぇ〜m( )m
ホントニ、今午前中は生きてないですから(^_^;

それで、今度は、ホームのストレッチャーに乗って外に出るとき、ホームの方が
「○○さん、外は寒いよ、驚かないでね」なんて声をかけてくださってたのですが、
そのまま、外に出たらね一瞬、また眼を開けたの!!
外界の刺激にってこともあったんでしょうが、
それに、ホームに着く間10分位かな・・・眼を車窓の外に向けているような気がしました。
あー、伯母はまだ生きている!って感じますね!!


でー、ホームについて、ベッドに入れて頂いたのですが、
伯母の部屋は、看護師・介護師の詰め所からは一寸遠かったんです。
そしたら、詰め所に近いお部屋の方が、ホームの方が頼んだら、快く変わってくださったんですってm( )m
丁度、廊下を通りかかったところを、ホームの方に紹介して頂けたので、お礼を申し上げた所、
「お互い様ですよ。明日はわが身」などと優しく仰っていただいて感動m( )m
この方も99歳とか・・・。

この日は、丁度獅子舞が入っていて、入所者の方の頭をパクリ・パクリと噛んでました(*^^*)
こういうところも、ここは恵まれて増すよねぇ♪
私も、お獅子なんて久々に見ました(^^ゞ

で〜、伯母は、一寸ですが、ストレッチャーとか、車での移動ってこともあってか
(勿論、担当の方たちは凄く気を使ってくださってたし車は超安全運転ですしね)
一寸吐きました(^_^;
固形食物は摂ってませんから、まあ胃液というところですか。
でも、すぐ収まって、酸素も0.75から0.5になったそうです。

入院する時が5リットル、入院してから1リットルになり、今0.5って凄いよね(^^ゞ
明治生まれは強い!!

伯母が落ち着く間に、ホームの方と今後の打ち合わせを文書で交わしました。
このホームで亡くなられる方は前にもいらっしゃったそうですが、
こういう・・・って、病院から退院して最終の看取りをするってことか、伯母が初めてのケースなんだそうです。
で、文書も併設されている特養の文書から作成したものだそうです。

クリニックの先生も伯母の部屋に来てくださって、お話をお聞きしました。
で〜、思いのほかに早く終わったので、これなら一度家に帰って出直せる、と思いまして、
それまで、わりとのんびりしていたのが、帰り際バタバタと失礼してきてしまいましたm( )m
関係者の皆様、どうも申し訳ありませんでしたm( )m

と、いうのはですねぇ
実は、この日は午後から、ねも姉が来て、久々に家族揃って初詣ってことだったのです(^_^;
ナンセ、私が去年絶不調!未病もいいトコだったのと、
ねも姉も今年本厄ということで、とにかくお参りに行って来よう、と言うことだったのですよ(^_^;


でも、退院は午前中だし、その後、ホームの担当者お話を聞くことになってましたが
まあ、大丈夫だろう、行けるよ、この日をはずすと、家族揃っていける日はなさそうだ、ということで決行♪
ってことにしておいたのですが、↑の通り、最後バタバタになりましたが、行けました\(^^)/

大体、ねも姉もnemoも、今日が、先生のお宅でするミニコンサートで、昨日は最後のレッスン日だったわけ!!
それでも行くって、二人とも凄いでしょ(*^^*)

帰りに、車のある時に!ということで、○マダ電機に寄って電機釜を買い、
お食事して帰宅!!

かなりドタバタの一日でしたが、一日の〆は楽しかったぁ♪と、行きたい所だったのですが・・・
実は、睡眠不足と疲れで歯がうずきだして、けっこう大変でした(^_^;
まあ、結局睡眠薬飲んで寝るので、まあ、寝てしまったのですが、
今日は殆ど死んでましたm( )m

というわけで、nemoたちのコンサートは、↑でまた書きますm( )m





2013年1月21日(日)

退院して、老人ホームに帰った伯母のところへ見舞いに行ってきました。

あちらは今インフルエンザと、もっと恐ろしいノロウィルスが猛威を振るっているそうで、
「面会はご遠慮ください」というお手紙が来ていました。
なので、どうしようか?と、迷っていたのです(^^ゞ

でも、先日来の一方ならぬお世話になったことと、
「体調の好い時に(って、世私のです(^_^;)、時間ができたら、ぜひ来て上げて声かけをしてあげてください」
と仰っていらしたこともありまして、
とにかく、受付まで行って、お礼とご挨拶しておかなくちゃ!
という気分で出かけました。

そしたら、「○○さんは特別です」と言って下さって、会わせて頂きましたm( )m

えぇ〜♪元気です(^^ゞ
勿論、話などは出来ませんけど、ホームの職員の方が「声をかけると、ちゃんと答えてくださるんですよ」
と、仰ってました(^^)
答えると言っても、勿論、「はい」とか「うん」くらいね。
でも、退院したら一週間持つかどうか?とか言われていたのに、
とにかく、血色もいいし、↑のごとく返事もしいます(^^)

それで、アイスクリームばかりですけど、少しずつ、ちゃんと口から食べさせて頂いていて、
そのおかげで、今日は便も出たそうです!!
でも、元気になった分、手も体も動かすようになり、
点滴の針を抜いたり、酸素の鼻のチューブをはずしたり、皮膚が乾燥して痒がって、ポリポリかいたり・・・
フウン、凄いよねぇ!!

でも、それはそれで、介護の看護師・介護師さんたちには、また色々手数がかかるわけです(^_^;
いつもの看護婦さんがいらっしゃったので、よけいなお世話をかけて大変でしょうけど、宜しくお願いします、
と申し上げたら、
「私たちはいつものことをするだけですから。」
「でも(排便できるっていうことは)、それが口から食べることの一番大事なところです」
と仰って頂いてm( )m感謝

お部屋まで案内してくださったケアマネさんも、
「あんまり痒がって可哀想だから、今、なんとかお風呂どうかな、と相談している所なんですよ。
入浴しても痒みはとまらないでしょうけど、すこしは気持ちよくなるでしょぅし。
ただ、入浴は、非常に体力を消耗してしまうので。
元気な方でも、お風呂の後、凄く疲れたりしますから」
そうなんですよねぇ!!
でも、そこまで考えていただけるのもありがたいし、そこまで元気になったってのも奇跡だわぁ!!

で、少し声かけをしてあげてください、と、皆さん引き上げてしまわれて、
伯母と二人になってしまうと、声わかけるといっても、
元気を出して、とか、頑張ってとね言うのも変な話でね(^_^;

でまあ、昔の話など、ポツリポツリ(*^^*)
でもね・・・伯母には、もうひとり、それこそ姪がいたんですよ(早世してしまったお気に入りの弟の子供の)。
それがあちらが結婚して、
伯母がホームに入居したら、いつの間にか、縁が遠くなってそれっきり(^_^;

大体、私より10歳くらい年上なんだから、もう生きていたとしてもけっこうなお年です。
私は、伯母の話の中でしか、その姪御さんを知りません(^_^;
まあ、本来なら従姉妹と言うんでしょうけど、母が連絡取り合っていたのは、この伯母だけですしね(^^ゞ

だから、もし、○○さん(伯母の弟の名)とこの姪御さんに連絡が取れたら、ねぇ・・・会いに来てもらえるのにねぇ、
と、言ったら、普段、私の声には無反応!の伯母の目尻に涙がスっと滲んだの!!!!
これには、一寸ビックリでした(^_^;

溜まったままで流れ落ちては来ないので、悪いけど、拭かないで来ちゃったm( )m
だって、壊れそうで怖いんだもの!!
手くらいはさすれますよ!!
でも、顔は触れないわ・・・!!

母の顔だって触れなかったでもの(^_^;
あの時も手を摩ったくらい・・・普段なんて手も摩れなかった(^_^;

そういえば、自分の子供たちの顔も大人になってから、っていうより中学くらいから触れない(^_^;
ダンナの顔だって触れないでしょ・・・顔って、特別だもの・・・ペットだって顔は触れないなぁ・・・おかしい?

なので、手を摩って、そこいらで引き上げて来ました(^^ゞ



2013年2月8日(金)

伯母の所に行きたい、とは思えど、何せシンドイm( )m
まあ、悪いようなら連絡を下さる、ということだったので、電話がないのは、まあいいんじゃないか(^^ゞと、
こないだの様子から、横着してました(^_^;

まあ、私自身が体調不良で、寝てばかりいるので、体全体の筋肉も弛緩して、だんだん外出に不安も出てきます。
ので、申し訳ないことながら、電話で一寸様子を聞いてみることにm( )m

そしたら↑予感は見事的中!!
伯母は、点滴も酸素もはずして、三度の食事(と言っても流動食でしょうが)、しっかり食べているそうです\(^^)/
凄いねぇ!!明治生まれ!!!
病院から、退院するときに、「退院したら一週間もつかどうか?」と仰った先生にお聞かせしたい(^_^;
いや、別に嫌味とかでなくよ!
明治生まれは強いでしょってことです(^_^;

私も、落ち着いたら行かなくちゃねぇ(^^ゞ


2013年5月16日(木)

伯母の18日のお誕生日に先立ってお祝いに行ってきました(^^)
105歳です(*^^*)

前にちょこっと書いたように・・・あれ、本文かいてないですが、伯母は、もう先月の段階で、
「口から」食べられるようになったそうですv(^^)

凄いねぇ〜!明治生まれ!!
暮れに病院から、退院する時は、退院したら一週間は持たないでしょうって言われていたのよ!!!!
何度も書きますが、
本人が最終的に、「ここ(ホーム)で見取って欲しい」
ホームのほうでも「私たちで看取りたい」って、両方が凄い要望があって、私もそうして欲しい、ということで。
まあ、年齢的なこともありますけどね↑

まあ、私は何にもしてない!自分のことで精一杯ですからm( )m
みんな、このホームの職員の方たちのおかげですm( )m

で〜、お誕生日のプレゼント・・・去年も一昨年もシーツとか、ガーゼケットとかでね・・・まあ
いいんですけど(^_^;

今回も、前に行った時、同じ入居者の方から、ラジカセをお借りしていたようなので、
それが気になっていたのです。
伯母はテレビは持っていますが、今見られないでしょ(^_^;
多分、ラジオの音で、何気に人の声を聞かせて刺激を与えてくれているとおもったのですね。

だったら、ラジオでも持っていこうか?と、思ってホームの方に伺ったら、
ナント!元もとの持ち主と思われる方が、えっ?私のじゃないわ〜!
えっ?えっ?
まあ、その方もご高齢なので、お忘れになったのかも・・・(^^ゞ

ということで、職員の方が、「何か欲しいものありますか?と伺うと“あんこ”と仰るので、
ラジオとか他のものより、“あんこ”がよろしいんじゃないですか?」

で、また、たまたま、その日にケアマネさんからのお手紙が届きました。
「伯母様は、ちゃんと三度の食事を口から食べていらっしゃいます。完食なさってますよ」ということと、
「お誕生日は、職員がどうしてもろうそくを立てたい、と思うのでケーキをご用意するのですが
伯母様に、何が食べたいですか?とお聞きすると“あんこ”と仰います(*^^*)」
なんて事が書かれてました(^^ゞ

なので、こりゃあ、“あんこ”っきゃない!とあんこを持って行って来ました(^_^;

いやぁ、一寸は、私にも愛想笑い?したり、私わかります?と聞くと、
「うん、わかるわよ」
・・・いやぁ・・・嘘ばっかり!とは思いつつ嬉しい\(^^)/

そうそう、ケアマネさんが、
「皮膚が乾燥していて、彼方此方痒がって掻きます。お気の毒なんですが、それほどよく手足が動きます」
と、掻いて下さってたのですが、
まあ、本当に、よく痒がって、私が行った時も掻いてばっかり!
でも、本当によく手が動いてるので、無責任にも
「痒くて大変でしょうが、手の運動にはなりますね」と、耳元で言ったら、
「そうね」とうなずいてました。
無責任な姪ですm( )m
でも、おでことか、腕も手も、書いている割には、綺麗です。
「ケラチナミンコーワ」とか、よく塗布してくださっているそうですから・・・うちじゃこうはいかないわね(^_^;

お見舞い兼お誕生日のプレゼント?の“あんこ”をお預けして、職員の皆様方にお礼を申し上げて帰宅しました(^^ゞ

ありがたいことに・・・と言ってはいけないんですけどね・・・。
伯母は、まあ緊急措置で、退院以来、職員の詰め所に一番近いお部屋を、その居住者の方のご好意で変わっていたのですね。
そしたら、今回、南側のお部屋が空いたんですって!!・・・どういう意味か・・・ね。
で、状態も落ち着いた所だし、せっかく、南側が空いたし、ということでお引越しをさせてあげよう、ということになったそうですm( )m
このホームは、まあまあ首都圏にあるのに(すぐ傍に、崎○軒の豪華レストラン、ドンキとカツやがある)、
広大な敷地で、中には教会と修道院とクリニックと保育園があります。
ついでに、納骨堂もm( )m
お庭には、四季に花々が咲き乱れるし、緑の植栽は植木屋さんが入って整備されているし・・・凄いのよね(^_^;

その中で、ホームの二階の南側は個室でも一番よい所です(^^ゞ
いやぁ・・・そんなに気を使って頂いて・・・どうしましょう?
うちは何もできないよ!!

まあ、感謝感謝で帰宅いたしました(^^)

それにしても、疲れるよね・・・外出は、本当にダメ!
月曜日の漢詩も、たった一時間で疲れ果てた!!!!
ご講義はおもしろかったですけど・・・続くかな(´∧`)〜ハァー溜息。


2013年11月8日(金)

伯母の所へ見舞いに行ってきました(^^ゞ
何時行ったっけ・・・もうわからないなぁ・・・五月の誕生日には行ったと思うけど。
ま、親不孝で伯母不孝(^_^;

伯母は元気ですが・・・もう一日眠っている、というか、目を閉じていることが多いそうです。
105歳だものねぇ(^_^;

でも、伯母のいるホームではケアがよくて、みんな長生き!
今は107歳を筆頭に、もうじき106歳になる方と、105歳の伯母と、他にもまだ100歳以上の方がいらして、
全部で7人\(^^)/

凄いですねぇ!!
ホントによく面倒見てくださるのですよ。
今日も、私なんか、絶対、こんなに良い介護は受けられないと、いつも伯母が羨ましいと思ってます、と、申し上げました!!
ホントだよ!!
それでも、ケアマネさんも、
「オバサンたちの時代は、それでもまだいいと思います。私たちなんかどうなるか?」
だそうです・・・ムム・・・nemoの老後もどうなるのかな(^_^;

お部屋に行ってみると、相変わらず、手をお針のしぐさで動かしてます。
でも、ケアマネさんによると、これがとてもよいそうで、ま、手を動かしていると呆けない!とよく言うじゃない(^^)
そういう意味かと思ったら、それもあるでしょうけど、
手を動かすと、体全体が小さくて軽い伯母は、全身に動きが伝わって、体ごと、けっこう動くことになるんだそうです。
だから、辱瘡などもなくて、ま、多少はあるらしいですが、これだけ寝たきりにしてはないらしい(^^)

伯母は元々小さくて、記録に残っている身長の測定数値が130センチなんだそうです。
いつのかな・・・103歳まではたしかピンシャンしていたと思うので、その頃かな?
「だから、今は125センチ暗いじゃないでしょうか」と、ケアマネさん。
「体重も30キロは切っていると思いますよ・・・25キロくらいかな・・・?」と。

ひょえ〜!そうなんですか?私の肉上げたい(^_^;

肉といえば、そのケアマネさんにおききしたんですが、
100歳以上・・・というか、ま、長生きの方たちって、
「好き嫌いの激しい、肉食嗜好の方たち」なんだそうです!!

思い当たるなぁ・・・母も、祖母も!!
まあ、伯母にくらべりゃ母も早死にですが・・・84歳(^_^;

祖母も93歳でしたが、入院するまで90歳くらいまで?蒲焼が好きで、何かというと蒲焼でした(^_^;
あいにくと、私たちはステーキ&トンカツ派でしたから、祖母が蒲焼だと、私たちは秋刀魚かなんか。
それで、私たちがトンカツの時は、母がチキン挙げてましたねぇ・・・見るのも嫌だった(^_^;

nemoが、いつか野菜を食べないので、健康に悪いと文句を言ったら、
「だって、身近に野菜を食べなくてもあんなに元気で長生きしたお手本があるじゃない」と、軽くスルーされました(^_^;

ほらね!と言われそうな話だわ(^_^;

ま、とにかく、伯母の顔見てホッとしました。
そういえば、寝顔そっくりです!母に!!
えー!私も長生きするとああいうガンコそうな顔になるのか?!
野菜一杯食べよう。お肉我慢しよう。
どこまで行っても親不孝で伯母不孝だよ(^_^;


2014年1月28日(火)

夜、伯母の入居先の老人ホームから連絡がありました。
「一寸具合が悪くて、大丈夫だとは思いますが、お年のこともありますので、ご連絡します」とのことでした。
それと、「もし、万が一のことがあったら、去年ご相談した“看取り”のルールでよろしいですか?」とお聞きになりました。
つまり、自然に任せる、ということですね。

けっこうです、とお答えしました。
「で、もし、夜中に、ということになったら、ご連絡はどうしましょう?」と聞かれて、
一応、携帯は傍においておきますので。ただ、伺うのは翌朝になると思いますが、というようにお答えしました。
あのね、一昨年〜危篤を乗り越えて、110歳くらいまではいけそうな気がしていたんですよ。
ホームの方たちも伯母の生命力に圧倒されてましたし(^_^;


2014年1月29日(水)

で、未明の5時半過ぎに連絡を頂きました。

「○○さんは、5時28分にお亡くなりになりました。慌てずに、夜が明けてからお越しください。」
一昨年、伯母が危篤の時に、病院まで一緒に行ってくださった看護婦さんでした。

九時頃には伺えると思うのですが、十時にはなってしまうかもしれません。
とお答えして、少しでも眠ろうとしましたが眠れなくてね・・・
実は、やはり殆ど眠れずで、睡眠薬を二度飲んだんだけど一時間半くらいしか眠ってない(^_^;
結局、7時になるのを待つて起きて、そのまま出かけました。

ダンナは、健康診断の日で、ガンの検診予約とも取り直すのは大変だし、
もう亡くなってしまったことでもあるので、私一人でいいです、と出かけました。

伯母は、いつもの部屋で綺麗な顔をして寝ていました。
もう白衣(死に装ですかね?)に着替えて、ヴェールを被せセて頂いてました。
あ、伯母は洗礼を受けていましたので・・・洗礼名は「マリア」です(*^^*)

いやぁ・・・母と似てます・・・元々似ているんですけど、最近見舞った時も、益々似てきていたし、
こういう寝顔のような死顔は本当に姉妹だな、と思いました。

葬儀屋さんの手配もみんなホームでやってくださって、
皆様が入れ替わり立ち代り、お別れに来てくださいました。
その間に、棺の選択と、これからのスケジュールを伺い、
何しろ、キリスト教式なので神父様のご予定が最優先です(^_^;
だって、ミサをして送っていただかなければ天国に行けませんものね。

白衣の上にかける、伯母のお気に入りの衣装があれば、というので、担当の方と箪笥をごそごそして、
紫の素敵な紋服を見つけたので、それをかけてあげました。
後、写真を選びました。

葬儀屋さんがどうしても一時過ぎになると言うので、
「納棺式も一時過ぎになりますが大丈夫ですか?」と聞かれて、
私が、大丈夫です。11時半頃お食事に出かけるほかは、伯母の所にいて良いでしょうか?
と伺ったら、
「伯母様の所は暖房が入れられないので(遺体の傷みがでるからね)、和室ご用意しますから、
そちらで休養してください」と言ってくださいましたm( )m
ということで、私は、ホームの食堂でランチをご馳走になりました!
ここのランチはカフエテリァ方式で10品くらいあるの。
贅沢なんですよ(^^ゞ

伯母の部屋に戻ったら、以前お勤めしていたらっしゃった方も、訃報を聞いてお別れに来てくださってました。
いつも伯母を見てくださっている看護師さんが知らせてくださったのでしょう。
一昨年の危篤時にも、
「二人で泣きながら、私たちが看ますから入院させないでってお願いしたんです。」と仰ってました。
H看護師さんは、本当に泣いて下さっているのを見てますから、一入胸にしみるお言葉です。

「一寸でも横になって休んだほうがよいですよ」と勧めてくださったので、和室に移動。
和菓子とお茶を頂きまして、ごろり横になって、まぁ少し休みました。

一時頃、葬儀屋さんが来て、納棺して小聖堂に移して頂きました。
着物も上手にかけて頂いて、伯母の晴れ姿のような気がしました。
ホームのシスターやスタッフの方たちが本当に続々と集まってくださり、皆さんで、
「なんて綺麗なお顔なんでしょう」
「とっても良いお顔をしているわ」
と仰ってくださいました。

小聖堂なので、祭壇というのはなくて、たぶんここが神父さまのご祈祷の机(これも祭壇と呼ぶのかな?)
の前に、その机の方を頭にして縦に安置します。
既に枕花も綺麗に飾られてあり、納棺式の雰囲気は厳かですが明るいものでした。
元園長先生のシスターが、
「キリスト教のお葬式はとっても明るいの。
まして伯母様は105歳ですから、本当に素晴らしいご最期でしょ。」
と、おっしゃるので、
はい、主人の田舎なら紅白餅と言う所だそうです、と申し上げたら、
「紅白餅?!本当にそうよね〜。」と言うことでした。
そうそう、その元園長先生が、
「伯母様は5時28分だったでしょ。ですから、6時半のミサにお知らせが間に合って、
そのままお祈りすることが出来ました。
だから、まっすぐ、天国に行けたわよ。」と仰ってくださいました。

ホームの方たちも2〜30人参列してくださって、その上、室内に入れない方たちは、ドアの所から
順番にお別れに来てくださいます。
ありがたいことでした。

そうそう、私!相当酷い顔だったらしくて、皆様が大変気を使ってくださいました。
「お疲れでしょう、ちょっと休んで。」とか「お通夜もお葬儀もありますからね。少しでも休んで。」
とか、いろいろ気を使って頂きました。
さらに帰りは地元駅まで送っていただきましたm( )m


2014年2月1日(土)

夕方七時から「お通夜のミサ」ということで、ダンナとnemoと三人で出かけました(^_^;
地元駅で早めの夕食をとりました。
三人で外食!というのも久しぶりで嬉しい♪
相変わらず伯母不孝な姪です(^_^;
ま、こういうのも、仏の供養!

納棺式のときに、元園長先生に、
子供たちも出たいと申していますが、息子が風邪の後本調子でないのと、娘もインフルエンザの後で、と言いかけたら、
「まあ、あなたとご主人だけでけっこうですよ。風邪の人は困ります。」と、はっきり!
そりゃそうよね・・・老人ばかりの所に、うっかり風邪だのインフルエンザのウィルス持ち込まれたら大変ですものね!!

で、どうする?と思ったんだけど、
nemoはまあ風邪の状態からは脱したし、とうとう、伯母の生前に会うことがなかったので、
ぜひお別れだけはしたい、と言います。
ねも姉の方も、こちらは二度ほどホームを訪ねて、生前の伯母と言葉も交わしているし、
職場から出勤許可が出た位だから最期のお別れをしたい、と言うのでね。
とはいえ、ねも姉は土日とも休んだ分の仕事が溜まっているので出勤する予定だったそうで、
日曜日だけ参列したい、と言うことでした。

でまあ、今夜は三人。
ダンナとnemoは、一寸初めてのところで、場違いな感じで、緊張していたと思うのですが、
待ち時間に、件の元園長先生が、例のカフェカウンターでコーヒー入れてくださったり、
いろいろお話をしてくださったり、とってもお気を使ってくださいました。

nemoは派は違いますが、同じカトリックのミッションだったので、とっても喜んでくださり、
「じゃあ、あなたはミサに慣れているわね。」と、ニコニコ。

今夜も、たくさんの方たちが参列してくださいました。
神父様!何時の間にやら外国人になってた!!
二年前に転勤でいらっしゃったんだそうです。
かなり片言ですが、まあ、お祈りのことばですからわかります(^^)
実は、この神父様のご予定が、告別式の方の時間帯に二件ほど早朝ミサのご予定があるそうで、
お通夜のミサになったそうです。
最近は神父様の数が少なくて、いくつかの教会を掛け持ちしている神父様が多い、と聞いていたのですがホントなんだ(^_^;

聖杯の儀式などが、アレ?お茶のお手前みたい、と思ったら、翌日の新聞に、
「濃茶の手前は、キリスト教の聖杯の儀式から影響を受けたという説がある」と聞いてビックリ!!

ま、それはともかく、ミサはnemoの学校で一度経験しているのて゜すが、
身内の葬儀のミサはまた格別です。

お通夜のお別れにも入りきれない方たちがずっと長く続いて順々にお別れしてくださいます。
食堂の方たちや、いろんなボランティアの方たちがお仕事着のままで来て下さいました。
本当に、お忙しい中を感謝です。

八時頃に終わって、タクシーを呼んで頂いて意外や、すいていてスイスイと帰宅できました。

nemoが驚いたこと!!
元園長先生も仰っていたのですが、「あなた、伯母様にそっくりねぇ!」って。
帰りのタクシーの中で、nemoが、
「僕も見て驚いた。あんなに似ていると思わなかったよ。」
うん、鼻の高い所と頬骨は○○家の顔なんだよ、私は鼻は高くないけどね。
頬骨は○○家なの。
そうか、やっぱり似ているんだねぇ・・・。

後、もう一日、頑張りまっしょい!!


2014年2月2日(日)

良いお天気です!!
そんなに寒くもないし
ねも姉もBMを転がしてやってきました。
今日は送迎が出来なくてごめんね!と言われていたのですが、
いや〜、インフル休暇の後の仕事が溜まって土日出勤だというのに、来てくれてありがとう、ですよ!!

で〜、今日はここで現園長のシスターが神父さまの代わりに仕切ってくださって、
お祈りや司会をしてくださいました。
職員の方たちの伯母の経歴紹介や、ホームでの思い出話などさまざまなことが出てきます。

泣きながら話してくださったり、
聞きながら涙をぬぐってくださったり、
家族は、ここのホームの方たちで、私たちが参列者なんだなぁ・・・と、本当にしみじみ思いました。
それは、ダンナもねも姉もnemoも同感だったらしいです。
本当に感謝感謝です。
棺の中にたくさんのお花を入れてお別れをして蓋を覆って・・・ああ、これが本当に最後だなぁ・・・と、
感無量。
伯母の経歴のご紹介のところは、ちょっと間違っている所もありましたけど、
って、私も、納棺式の後、伯母の夫の伝記読んで(伯母の項もありますから)、
あれ?伯父さんて三人だったと思ったら四人だったの?とビックリしたくらいですから(^_^;
ま、いろいろ思い出します。

納棺の日にも、看護師さんや生活指導員の方たちとお話していると、アレコレ、
お通夜のときにもケアマネさんと話していてアレコレ、
今日も火葬場に行って、焼き上げを待つうちに皆様とアレコレ・・・伯母・姪の縁が薄いと思っていたけれど、
アレコレ出てくるものなんですねぇ。

ホームに戻って、あの素敵な納骨堂にお納めして、
「これで終わりました。みなさまご苦労様でした。どうもお疲れ様でした。」
という元園長のシスターのお声で、ホッ!

ねも姉が始めて見る納骨堂の綺麗なことにビックリしてました!!
ねぇ、だからわかるでしょ。
私もここに入りたいほどです。
だから、伯母も、お墓のあるお寺じゃなくて、ここに入れてくれ、と言ったんですよ。

そうそう、伯母の諸々の後始末!
本当は、私のほかにも、もう一人、伯母がお気に入りだった姪がいるはずなのですが、
既に、伯母がホームに入居した頃に音信不通になってます。
それをどう探し出すのか、が問題で・・・困った(^_^;
伯母がまだ元気な頃、意思を書き残したものはあるのですが、
それは「当時の職員が書いて、伯母様が拇印を押してあるもの」なので、ちょっと遺言には扱われないのではないか、
ということで・・・難しい!!

で〜、皆様にお礼を申し上げて、ねも姉も食事はするから、とホームの傍のレストランへ(^^)
実は、ここ、以前に母の母、つまりガンコバーチャンが最初の手術の退院の時にねも姉と寄ったトコ。
とっても素敵で、いつか家族で行きたいと思っていたのよねん♪
こんな時ですが、まあ、これも仏のご供養です。

アレコレ食べてお喋りして、実は私の誕生日が4日。
なので、一寸早い誕生会、なんて言ってしまって・・・結局ねも姉とnemoがご馳走してくれました(^_^;

これも、正しく「仏の供養」ですよね。
伯母様、ありがとう。どうぞ安らかに。
合掌、じゃなくて、アーメンなのね。

あっ、あっ、あっ!
天国では母と仲良くしてくださいねぇ〜!

お母さんも、いろんなわだかまり捨てて、仲良くしてよ(^^)



2014年2月9日(月)

ホームにお葬式や何やかやのお礼で、ちょっとだけお菓子をお送りしました。
本当は、伯母の遺留品の受け取りと精算金の確認に行く時お持ちしようと思ったのですが、時間がかかりそうだし、
早いほうが良いと思って。
ホントにわずかな心ばかりの品ですが、まあ、あれだけの誠意を見せて頂いて、
何もしないって、やはり親族として恥ずかしい!!と思ったからねm( )m


で〜、今日、そのお礼の電話を頂いて、その時も、やはり、弁護士さんを勧められました(^_^;

私たちからみたら大金ですけど、世間的に見れば、ナンダその程度、というでしょう。
でも、伯母が女でひとつで働いてコツコツ溜めたお金だもの、そう疎かには扱えない。
まして、伯母の遺志も知っているし、母からも聞いてます。

私が簡単に相続放棄して済めば、それがベストなんだけどね(^_^;
このご時世、相手のもうひとりの姪とか甥の方がどんな考え方をなさるかわからないですしね。
とにかく公人が入ってもらうことが肝要!ということでね。
なので、まあ、お友達(ご主人が弁護士さん)にも相談してみようかと思っていたので、メールしました。
今返事待ちです。



2014年2月20日(木)

弁護士さんを紹介して頂くつもりだったお友達が、メールの調子が悪いとかで、お葉書をくださいましたm( )m
で〜、ご主人に聞いてくださったそうですが、
「相続などは地元の司法書士のほうが安く済むし、元々仕事としてそちら向き。
弁護士を頼むより費用も安く済みます」
とのことでした。

というわけで、今度は司法書士を探すことに(^^ゞ

こないだの家の売買契約の時にお世話になったトコは、一寸大手で・・・とか、確かアホネーチャンの友達が、
と言ってる間に、ダンナがネットで色々調べてくれて、よい所発見(^_^;

やっぱり地元って凄いです(*^^*)
で、今日、行って来たんですけどね。

最近のオバサンは、物事を要領よく説明するって凄く苦手!・・・あっ、昔からか(^_^;
そこで、
伯父の伝記に、チョツコッと、ツレアイとしての伯母の家庭環境なども書いてあったので、それをコピーして、
ホームがどんなに伯母を大事にしてくれていたか、など、拙いながら、この日記もコピーして持参しました。
これまたついでに、母が亡くなった時にとってあった母の謄本もコピーして、ま、ざっと、こういう関係です、
と、私の拙い説明を補うように資料として持参しました(^_^;

それで、伯母の遺志なども申し上げて、母から聞いていたことも伝えました。
しかしながら、それがきちんとした遺言状の形式をとってない、ってことも(^_^;
と、すると、やはり、私が纏めて受け取って、「伯母の遺志」に添うようにするっきゃないのですね・・・(^_^;

ヤレヤレです(^_^;


まあ、このご時世だし、ねもん家は貧乏だし、現在リフォーム中だし、
お金は喉から手が出るほど欲しいのですが、ナンタッチ、伯母の遺志を一番わかっているのは私なんですよ、困ったことに!!
それに背くわけにゃあいかんぜよ〜♪まあ、複雑!!!!!

でも、「テナルディエ軍曹に気をつけろ!」(“ビブリア古書店の事件簿”にあったでしょ・・・レミゼのテナルディエのこと(^_^;)
というわけで、我欲はちょっとほっぽり投げて・・・ん?お駄賃くらいもらえないかな(^_^;本音。



2014年2月28日(金)

26日からリフォームに突入した我が家ですが、今日は実質工事第一日目の浴室の取替えでした。
で〜、スムースに工事は進み、お掃除真っ最中のところに電話が鳴りました。
アレレ?と思ったら、伯母の件で依頼していた司法書士さんからです。

ヌァ〜ント!伯母本人と母を含めて六人兄弟と聞いていたのが、ナント11人だってよ〜!!

ひぇ〜・・・だって、伯父の伝記の中の伯母の家族の記事だって、六人兄弟になってるじゃん(^_^;
勿論、そのコピー渡して来たんだけど・・・調査始めたら11人だって・・・ビックリ!!!

いやぁ・・・どうなるんでしょぅねぇ・・・「伯母の遺志」は通るのだろうか??
責任感じちゃうなぁ・・・一応、仏壇?(ミニ仏壇なので位牌しか入らない)の傍に、ダンナの両親と、私の祖父母・母と一緒に、
伯母の写真飾ってあるのですが・・・104歳の誕生日の写真。
笑っているけど、けっこう怖い顔なんですね、これが。
「あんた、ちゃんとやってくれなくちゃ困るわよ!」と、毎晩睨まれているみたいです(^_^;

プレッシャー感じるなぁ!!!


2014年3月21日(金)

21日に伯母のお世話になっていたホームに、「慰留金品引き渡し」というので行ってきました。
もう、たいていのものは処分してください、とお伝えしてあったので、まあメインはお金の精算です。

司法書士さんから、「財産価値のあるものはそのまま手を付けずに保管してください。
普通の形見分けに類する程度のものは宜しいと思います。」
と言われていたのでね。

まあ、伯母のことですから、入所前に手紙類は処分していたと思うのですが、
ただ、万が一にも伯父の恩師とか友人とかとの書簡が残っていると、このご時世で、
なんでも価値が付きますからねぇ〜(^_^;いいような、悪いような(^^ゞ

で〜、結局、手紙類は公的機関からの通知と、伯父の埋葬先のお寺の行事の案内状。
それも、伯母が自分で処理できなくなってからの数年分なので、まとめてほんの一束。

後は、納骨堂の申し込みをして、伯母の預けてあった現金の中からお支払いして、残りの現金を預かりました。
「着物類はご覧になりますか?」と聞いてくださったのですが、
私が着物を娘にバトンタッチしたくらいで・・・お友達の所でも着物の処分は困ってます(^_^;
もう、見るまでもなく、いいえいいです、とお答えしました(^^ゞ

実は、伯母の遺品で欲しいと思っていたのは「聖書」!!
これがさ、オバサンは、日替わりで、ダンナの実家の真言宗、
オバサンの実家の日蓮宗、オバサンが個人的に好きな曹洞宗、源氏やっている以上はと浄土三部経を
日替わりで読んでいるわけです・・・まあ読経というより朗読だわぁ(^_^;
でも、聖書を持っていないので、伯母のための聖書は読めないじゃない。
だから、聖書が残っていたら頂いてきて、日替わり読経の中に聖書を入れようと思っていたのです(^^ゞ

そしたら、それを数日前にnemoに言ったら、
「なんだ、僕、聖書持ってるよ」ときました!
「使わないからあげましょうか?」
あんた、そんな簡単にいいの?
「うん、使わないもの。」
使う、使わないって言い方するか?聖書!
でもまあ、頂きまして、それでチョンです(^_^;

それよりも、ですね・・・この、伯母の部屋の大掃除の時に、お布団の間から、現金が15万と
伯母の手書きの遺言状みたいな、手紙が見つかったのですって!!

現金については、予定を打ち合わせるときに伺ってましたけど、今更、こんな手紙が出てくるなら、
もっと早くに出てきてほしかったなぁ(^^ゞ

まあ、手紙には日付も記名も印鑑も押してないですが、明らかに伯母の遺志を書いてありますv(^^)
本当に、このホームに感謝して、死後全てを贈りたい、できれば、直接お世話になった担当者の方たちにも、
と言う遺志がはっきり(^^)
日付も、宛先になっているシスターの在任期間や、まあ、通帳がどうのこうのという記事を参考になすれば
何時ごろかわかるはずです。

第一、伯母の筆跡でこれだけのことが、便箋三枚に綴られていることが大きいです(*^^*)

まあ、こういうのが出てくるとは思いませんでしたが、
残っているのが「ヘルパーさんが書きとめた文章で、伯母の拇印があるだけ」なんだから、と、
オバサンも欲出して、相続権あるんだから欲しい!と、
言わなくてよかったなぁ、と思ったね(^_^;

勿論、担当者の方とは、お金の話が出たときに、
このご時世ですから、しかも、今リフォーム予定してますから、一円でも喉から手が出るほど欲しいんですよ、
ってのは、言っておりましたがね・・・まあ、冗談半分本音半分くらいに(^^ゞ
でも、伯母の遺志は重いですから。
――って言っててよかったわぁ\(^^)/
ビブリアのおかげですm( )m
あの、「テイナルディエ軍曹に気をつけろ!」ってのね(^^ゞ
あ〜戦場の死体から金品を剥ぎ取る泥棒ね!あれは、あまりにもタイミングよすぎの警告でしたよ〜♪
しかも、1月22日に五巻が出て、ちょっとすっきりしないから、一巻から読み直したところだったんだもの(^^ゞ
それで、伯母が29日に亡くなって・・・凄い警告でした!!

母が聞いていた伯母の言葉・・・私に伝えられてたことね。
それと、ヘルパーさんが伯母の遺志を書き取った文章で、認知症が重くなるギリギリの時の意思がわかるし、
今、もっとしっかりしていた頃の自筆の手紙が出てきて、これで、私的には、かなりすっきりしたんですねv(^^)
とはいえ、じゃあ、これ、他の相続者の方たちが飲んでくれるかな、と微妙(^_^;

でも、まあ、帰宅して司法書士さんにも電話でお伝えしたら、
「まあ、ご本人の意思が確認できるものがあると言うのは大きいです。
私からは大丈夫だとかなんともいえませんが・・・。」
なんて、当てにならないけど、ちょっと良い感触でした(^^)


まあ、なるようになるさ!!


あ、ホームの方には、
もし、他の相続者から相続放棄は嫌だ、と言われたら、私からは何ともいえないので、
そうなったら、もう各自相続してもらって、後は各自のお気持ちで、と言うことしか出来ません。
ただ、もうン十年前のことですが、先輩が某恩賜財団(老人施設)の理事長をしていた時、
「そこのご老人が亡くなって、家族・親戚の方たちが相続したりした時に、
いくらかの寄付をお願いすると、皆さん、私たちは何もしなかったのですからと、快く応じてくださるのよ。
それで健全財政も保たれているの。」
というようなことを仰っていたので、伯母の場合もそういうふうに進むことを期待しています。

と、お伝えしました。

ホームの方も納得していらっしゃったので、まあいいやね。
オバサンにはソレしか言えないし、そういう風にしか出来ません(^_^;



2014年4月17日(木)

昨日、伯母の後処理を依頼している法務事務所から相続資格者が確定したということで、
一昨日電話があって、まあ早いうちにと出かけてきました。
今週はもうどこにも出かけなくて良いとまったりしていたのでねちょっとシンドイ(^_^;

でもまあ、行かなくちゃ話が進まないからね〜。
行って来ました(^_^;


まあ、私自身が勘違いしていたこともあるんだろうし、聞き違いもあっただろうけど、
やはり、こういう調査はやってみないとわからないことがたくさんあります(^_^;

まあ、来週中にその方たちにお手紙出して、
伯母の希望を伝えて、相続放棄をしてもらえるか聞くそうです。
で、もう嫌だという人がいたら、↑で書いたように、とにかく相続分ずつ分けて、そこから、
「お志のある方は、伯母様の希望に添うようにいくらかでも寄付してください」ということにするようにしました。

伯母のの自筆の手紙が見つかったのは、心強い味方ですが、
まあ、このご時世ですからねぇ(^_^;

そうそう、伯母の103歳の時の敬老会の時の写真と、104歳のお誕生会の写真を持って行きました。
もし、コピーでもして、文書に添えて頂ければ、と思いました。
司法書士さんも、「とても103才とか104才に思えない、しっかりしたお顔ですねぇ」と仰ってました(^^)
だから、ホームの方たちも、とっても敬意を払ってくださって、大事にしていただいたんです、って。
本当にその通りですよ!!
母なんかより、よっぽど幸せだと思うわぁ(^^ゞ

あ、勿論、伯母の自筆の手紙もね。
コピーと現物と・・・推理小説じゃないけど、現物は三枚の便箋がくっついたままなのですよ。
だから、一枚抜いたとか足したとか、よくあるでしょ・・・推理小説では。
だから、その証拠でね♪

うちの、日記の伯母の葬儀の時の分もコピーして渡してあります。
どういう葬儀゛だったか、どんなに皆さんが大事にしてくださったか、
アホネーチャンの「家族は私たちじゃないねぇ。家族はホームの人たちだねぇ。」と、感動していた言葉も伝えてあります。

ま、どうなりますことか(^^ゞ

そうそう、もう一点、大事なこと。

伯母は永代供養でお願いして、永代供養料もお支払いしてありますが、
たぶん、今後とも家族会の会費(年に三千円)とか、
年に一度の供養会?に参加することがあればその費用(会費は無料だそうですが、手ぶらというわけにはいかんものでしょ?)とか
がかかると思いますので、
何がしかの費用はお預かりしたい、というのは申し出ました。

これは、ねえ、源氏の先輩のご親類で同じようなことがあった時、
永代供養したから、もう良いと思って、一切合切寄付しちゃったんだそうですが、やはり、
それなりのお付き合いは残るんだそうですよ(^_^;
それで「欲張りじゃなくてね、後のことも考えて、少しはお預かりしていたほうがいいわよ」と、
ご忠告を頂いたのです。

言われてみれば、なるほど、今もですが、これから、年金も先細りになっていくんですからね。
20万か30万くらい・・・一年一万円として20年か30年分・・・私生きているのかな(^_^;
まあ、ソレくらいはお預かりしてもテイナルディエ軍曹にはならないだろう、と思いいまして、
司法書士さんに申し上げましたm( )m

司法書士さんも、
「そういうことは事前に言って頂いたほうが良いです。そのお金もどこから出すのか、相談出来ますから。」
ということでした。



2014年4月18日(金)

ありゃま!
今日、司法書士さんから電話が来たので何事?と思ったら、伯母の自筆手紙のことでした。

「あれは自筆ということが証明できないし、署名も日付もないので、やはり“遺言書”とは認められないし、
それ以前に“伯母が書いたとしても、だれかに書かされた”ということもありうる。」
と言うことになるそうです!!

そりゃあ、遺言書とは認められないのはわかってますよ〜!
署名も日付もないってことはわかってるからさ!
だけど、伯母の字なんだけどな・・・甥や姪ならひと目見てわかるんじゃないの〜(^_^;

文面だってさ・・・まあ、そういう問題じゃないんだろうけど(^_^;


なので、今回は、「全く客観的にこういう状況ですと書いて知らせるだけにとどめることにします。」ということでした。

まあ専門家が言うんだから仕方ないと納得しました。
でも、私が、あまり、寄付して、寄付してというので、変な老人ホームに洗脳されているんじゃないかと思われたら困るので、
昨年度のホームの会計収支や活動報告の冊子があるのでお送りしたほうが良いですか、と伺いました(^^ゞ

そしたら、さすがに、それは笑って、
「いやいやそういうことではなくて、まずは客観的な状況だけをお知らせしたほうがいいということです。」
だそうです。



2014年 4月25日(金)

な〜んてことだべしよ!!

今日はダンナが耳鼻科に行くというので、午後はまったりと思っていたら、一時頃に電話がありました(^_^;

法務事務所からです!!
それも、担当者じゃなくて所長殿御自ら!!!
アララ〜?

えっらく緊張した声で、「私どもの不手際でオバサンに大変ご迷惑をおかけすることになりました。
つきましては担当者ともどもお詫びに伺いたい!」

ひぇっ?!
何事?!
どんな一大事?!!!!
と、思うじゃない(^_^;
どんなことですか?と聞いても、
「お電話ではなかなか説明しにくく、とにかくお会いして説明とお詫びをしたい。」の一点張りです。

まあ、いいんですけど(^_^;・・・せっかくまったりしようと思ったのになぁ・・・ブツブツ。

で〜、とにかく、来て頂くことに。
ダンナも耳鼻科早々に帰ってきてもらって、落ち着かずウロウロするうちに所長と担当の司法書士の先生がお二人で。

どんな一大事勃発!?と思うじゃない(^_^;

まあ、法務事務所としては、偉い大チョンボなんだけどね・・・。

つまり、相続者に送付した文書の中で、被相続人の名前を雛型のまま出しちゃったんだって(^_^;
ヌァ〜ンダ!そんなことかい(^_^;
と、まあシロトは思うがな(^^ゞ

でも、こりゃあ、法務事務所としては、はっきり言って超一大事なのねん(^^ゞ

おまけに、それを相続者の中から指摘されたメールが夜の8時59分発信で来て、
慌てて「今日中にお詫びを」と電話入れたら、それが9時15分だったそうで、
@仕事の電話を夜の九時過ぎにかけるとは非常識だ。
Aメールでの問い合わせに電話をかけてくるとは何事だ!
と怒らせちゃったらしい(^_^;

まあ、それで、難しい相続問題が、もうひとつこじれたりしたら、こりゃあ法務事務所としては、
浮沈に関わる信用問題!超一大事なわけです!!

とはいえ、ねぇ・・・。
オバサンは電話は夜10時過ぎにして、と言う人なので・・・(^_^;
おまけに、OL時代、日本の経済界動かしている超お偉い財界人の会合の文書を、
誤って、封筒の表書きと違う所に送っちゃったことありm( )m

なので、この担当の司法書士の先生の気分がよくわかる!!
あんまり、責められない気分(^_^;
だって、オバサンが何かにつけてニッ○ン贔屓ってのは、やっぱり、そのとき、
「文書はいったん秘書が開きますから大丈夫です。誰にでもあることですのでどうぞお気になさいませんように。」
と言ってくれた一言ですもの(^_^;

当然のことですけどグチャグチャ文句つけて怒ってきたところもあったのです・・・それは当たり前!
どう言い訳したって悪いのは私です。
でもさ、どこだって、まず秘書が開くのも当然だろうが・・・とも思ったのは事実(^^ゞ

で〜、後年、その銀行が不祥事起こしてぶっ潰れた時は、ざまぁみろ!と思ったもんね(^_^;

ま、そんなわけで、誠意を尽くして謝りに来たんだし、
もう、オバサンも今回のことでは、けっこうウンザリして腹をくくってきた所だったので諒解しました。

ナント!ナント○屋の最中をお詫びの印に置いて行った!!

いやぁ・・・困った(^_^;
虎屋は超久々で、嬉しくもあるんだけど、昨今、どこにも出ないで食べて寝てばかりなので太ってきちゃって・・・(^_^;

深夜帰宅したnemoに最中があるから、朝にでも食べるなら、と言ってやったんだけど、
後で、
「最中は別に驚かないけど“○屋”というのに驚いた!」などと抜かしました(^_^;
お里が知れるぜ〜(^_^;


5月02日(金)


そうそう、帰宅したら、件の法務事務所から電話あったそうで、
メールで苦情を言ってきた「伯母の甥」という人に「ご理解頂きました」ということでした。
でもね、その甥御さんが、「偉く張り切っちゃって」、
「他の相続権者と連絡を取って、一堂に会して話し合いを持ちたい、
伯母のお墓にも参りたい」のだそうですよ(^^ゞ

まあ、お墓参りは、私も是非して欲しい、と思っていたのですね(^^)
先日、法務事務所の所長と担当者が来たときも、お墓参りとホームへのご挨拶はしていただきたいと思っています、と言いました。
でも、そしたら、その所長氏が、「お墓参りなどは、あちらのお気持ちなので、こちらから言うのはどうか?」と言うことでした。

だから、それは大変ありがたいんですけど、一堂に会して話し合うって何を?って思いもあります。
まあ、善意に解釈すれば、
私が伯母の遺産を勝手に処分しないように、みんなで見張りましょう、ってことなら良いんだけど、
相続権応分の相続をする権利があります!って主張するだけならウンザリよ。
大体、この甥って人は、唯一の男の子だったのに、母方の養子になっちゃって、
伯母をガッカリさせた人だしね・・・(^^ゞ
よくしたもんで、この人の経歴とか見ているうちに、大昔に、母から聞いた話を最近思い出したのですよ〜(^_^;

まあ、そこには色々家庭の事情もあって、お父さん、つまり伯母の末弟が勤務先が左傾したり、
長期療養したりで、奥さん、つまり甥の母方の実家のサポートがあったということもあり・・・なんだそうですが(^_^;
まあ、伯母にしてみたら、末弟は、あのホームでも、皆さん名前を知っていたほど可愛がっていた、というか愛着していたんですよ(^^)
だから、何かにつけて○雄、○雄と言っていたのはホームの方たちもご承知です。
伯母にしてみたら、その跡継ぎを取られたという、アノコは甥は○○の姓を捨てた、という想いがあったらしい(^_^;

そこは昔の人だからね(^_^;

でもさ、そいつが今更、何を?という気分はあるでしょ(^_^;

また、この姉という人が、伯母のお気に入りの姪です(*^^*)
私が、せめて、連絡が取れればとずっと思い続けていた人。
大体、私は、伯母の親戚というのは、私と彼女しかいないと、ず〜っと思っていたんです(*^^*)
他にも、姪御さんが二人もいたとは、今回の調査で初めてわかったんだけどね

しかも、ホーム入居前まで、伯母のところへ一年に一度か二度でも見舞いによってくれたのは、この方達のお母様でした。
私は、てっきり、末弟の○雄さんの未亡人だと思っていたんだと(^_^;

母は、ちゃんと知ってたんだろか?
「亡くなった弟(さん)の奥さん」というのは、母と伯母の表現でしたからねぇ・・・不思議?
母からも○雄さんの話しか聞いたことないもの、ねぇ・・・。

それと、私に言った「私にはあんたのほかにもう一人姪があるのよ」ってことね(^^ゞ
で〜、私が、あ〜、○雄さんの娘さんですね、と言ったら、
「お母さんに聞いてる?」とニコニコしてた、んですよ。
これは、ずっと鮮明に覚えているし、これがあるから、私ともう一人の姪御さんと、
二人だけが伯母の親類、と思い続けていたところがあります。
ただ、母が入院していた時、伯母の様子の報告のついでで、○雄さんとこも一人娘なんでしょ、と聞いたとき、
「いや、男の子がいただろ・・・奥さんのほうの養子になっちゃって、○○ちゃん(伯母のこと)凄くガッカリしたらしいけど」って言ったので、
ああ、甥もいるわけか?ってくらい(^_^;

「もう一人姪がいる」ってのね・・・最近の大きな疑問ですが・・・まあ、とにかく、この姪御さんが伯母の最大のお気に入りってのは、
先刻ご承知で、ホームの方にもお伝えしてありました。

ま、いいや、こちらとしては、伯母の気持ちに沿うように、というのが最大の目標で、少なくとも、私はそうしますから、と。
思いなしか、最近伯母の写真が怖そう、というよりは哀しそうな笑顔に見えるのよねぇ・・・(^_^;


2014年5月14日(水)

そうそう、12・13日と、帰宅したら、法務事務所から電話がありました。

相続権者の中で張り切ってる甥の人が、他の相続権者三人に声をかけて、一堂に介したいというやつね、
予定はいかが、と言われても、今月はもうセミナー始まっちゃって大変なんだから(^_^;
それで、6月の日曜日か月曜日にして欲しいとか言われたってねぇ・・・困っちゃう(^_^;

「全部寄付することには基本的に反対はしないようです」と言うなら、もう、あっさり手続きしてくれれれば良いのに。
お墓にもおまいりしたい、と言うのなら、何も五人揃っていかなくても、
ちゃんと事前に連絡さえすればお参りさせてくれるのに・・・伝えてくれてないのかな?

その日程で、一昨日から、昨日も今日も、担当者だけじゃなく、所長自らも電話くださいました。

あ〜、疲れちゃった!!

大体、その張り切っちゃった甥って、伯母の家系のたった一人の男の子なのに、
実家の姓を捨てて、母方の養子に行っちゃったんだからねぇ・・・(^_^;
伯母は、猛烈ショックだったみたい・・・そんなのが、ノコノコ出てきてどうしようって言うのかな(^_^;
第一、伯母は、ソレを見て嬉しいのかな?
養子に行っても、やっぱり来てくれるのねって喜ぶ・・・ような伯母じゃないんだけどね(^_^;

まあ、とにかく、全額無事に寄付し終われば万々歳なので、仕方ない。
一回だけのお付き合いだと思って頑張りまっしょい(^_^;

あ、でも、今日の電話で、さすがに所長だと思ったのは、
「体調のほうはいかがですか?」と聞かれて、
実は、睡眠障害から来るものなので、とお答えしたら、
「あ、それじゃ、その日によって、かなり差があるんですね」と、ぱっと答えてくださったことでm( )m

そうなんですよ!
だから困るのさ(^_^;
おまけに眩暈持ちと来てるから、睡眠不足は絶対ダメです。
それで、お昼の12時半に睡眠薬飲んでベッドに入るなんてことになるのよ!!!!

それもあって、外出が本当にダメになったんですね(^_^;

とはいえ、整体と通院は欠かせないし、
先ほども言ったスケベ根性で古典のセミナーは逃せないし、
五月は、年に一度のランチと、ここ数年お会いしていない友人とのランチが決まっちゃった・・・こちらは6月だけと゛。

おまけに、家族中でお世話になった方がお亡くなりになっていたことがわかって、
家族揃ってご挨拶に伺いたいと思っているのです!!
これは、ねも姉との日程調節もあるんだけど・・・だからもう、本当に、あの張り切ってる甥というのには、
勝手にしてくれ!と言いたい!!


2014年5月26日(月)

法務事務所から電話あり。

あちらの四人組が都合の良い日が6月8日というのです。
ええっ!6月の15日以降の日曜日か月曜日って言ってたじゃない!!!!
だから、8日はお世話になった方のお宅へご挨拶に行く予定を入れてしまったのですよ!!!!

まったくねぇ・・・どうなってんだか(^_^;
とにかく、その日はダメで、ということで、どこか他の日を探してもらうことに!!
大体、その張り切ってる甥というのが、メールでしかやり取りしないんだそうですよ。
そのうえ、とにかく四人組を纏めたがっているそうで、
且つ又、メールを出しても返事が遅いんだそうで・・・嫌になっちゃう!!!

大体、この間、「6月の15日以降の日曜日なら」って電話してきたのが12・13日でしょ・・・それから二週間も経っているんだもの(^_^;
信じられないわ!!!