「お能を見せますぞゑ!」

と、言ったのは鎌倉能舞台の中森晶三氏です。
去年「井筒」を見に鎌倉能舞台に行った時の解説で
「『井筒』というのは能らしい能です。昔お公家さんの家では、乳母が子どもを脅しつける時、
『お能を見せますぞえ』と言ったそうです。そういうお能です。」と言ってました(^_^;

なるほど、一般にお能に抱くイメージってそういうことですよね(^^)
ところが、私は意外やそうではありません。かえって狂言が弱いのです(^_^;
お能は面白い、とまではいきませんが感動します。
私が観に行く物は大体が夢幻能というジャンルですから、しっとりした雰囲気のあるものが多いのです。
これはやはり単純に感動の世界が広がります。

一番最初に良い物を見てしまった!!という後悔?はあります。
だから途中で、何だ、あれは特別だったのか・・・とお能から離れてしまったのです。
ところが、最近、私の周囲にお能を習っている人だとか、お父さまが謡の先生と言う方達が現れて、
ひょんな事からまた見始めたのです。

観世寿夫と言う怪物
私の運が良かったのか・・・良すぎた、と言うべきか・・・私のお能の初体験がこの昭和の怪物だったのです。
それも国立能楽堂だとかそういう立派な能楽堂ではない・・・その頃は国立能楽堂なんて蔭も形もない時代です(^_^;
で、その時代のありがたさ!!というか、横浜の青少年会館に毎年恒例で「横浜能」という催しがあり、
けっこうそれなりの能楽師が来ていたのです。

ちょっと時代と能楽堂のことを言えば、
能楽堂とえば水道橋!!ここは本当は「宝生流」の能楽堂らしいのですが、
宝生九郎という戦後宝生流復活の祖みたいな人が、当時は能楽堂なととんでもない時代だったので、
自派の能楽堂再建の折に全ての流派に解放したいと、あえて「宝生」の名を用いず水道橋という地名を当てたのだと聞いています。
で、私がお能を見た頃には観世の能楽堂がもうできていたので・・・できたばっかりだったかも・・・(^_^;
まあ、そういう時代です。

観世寿夫と言う人は観世流分家の七世銕之亟家の長男です。
例の観世栄夫は彼の弟にあたります。
それより何より「源氏物語」の朗読(ただの朗読ではない、平安朝当時のままの読み方をする!)で有名な関弘子さんのだんな様!!
まあ、あの時代の狂言界には珍しい血の気の多い兄弟だったようで、かなり異端児という扱われ方もしていたのではないかと・・・
今で言えば狂言界の萬斎みたいなノンジャンルの活動の仕方でした。
萬斎といえば芸大出身で文化庁の留学生としてロンドンに留学した、というのが有名ですが、
萬斎の凄いことは本当は出身高校が「学芸大附属高校」ということで、
つまり東大も受験範囲に入る学校だった、ということなんですね。
だから何?つまり、芸というものは役者バカでは勤まらない、ということなのです。

勿論「役者バカ」というのは究極の境地です!!
しかし「役者バカ」に達するためには本当の馬鹿ではだめなのです。
本物の馬鹿にならなければならないのです。

禅の修業で「無とはなんぞや?!」と問い掛けられて、あれこれ答えて否定されつづけ、
自分自身に問うてわからず七転八倒し、もはや自分にはどうにもならぬ、と諦めかけたところに、再び問われる、
「無とはなんぞや?!」思わず詰まって「無!」と答える。
これは最初に問われた無とは違った無。つまり自分で会得した無なのだそうです。

これを聞いたときに、私はしっかり「芸の世界」を感じましたね。
歌舞伎でもそうですが、伝統を守るというのは、教えられたとうりをそのままやり続けていくことではないのですね。
勿論最初は学ぶは真似ぶ!真似ぶは学ぶ!なのですが、真似を真似のままでは駄目なのです。
そこからが自力の悪戦苦闘!!
その自力の悪戦苦闘を克服していくには、体力だけでは駄目なのです。
知識・学識・研究・研鑚・・・さらに場数というキャリア!!
悲しいことに時代という運命的廻り合せ・・・

話が横にそれましたが(^_^;
「本物の馬鹿」になるには頭が良くなければならない、ということです。
(そういえば↑の中森晶三氏は「東大出(一高出身)の能楽師」と言われる型でした♪)

観世寿夫は学歴こそ中卒(慶應普通部)ですが、頭はよかった、当時にしては良すぎたのかもしれません。
あの時代における能楽界が抱える問題に黙って従来どおりの能楽師生活に終わる事をよしとせず、
様々なジャンルの人々と交流の輪を広げ、活動範囲も多岐のわたりました。

私自身が観世寿夫の名前を最初に聞いたのも「能楽師の観世寿夫」が誰それと何をした、とか何をしようとしている、
という記事ばかりだったと思います。

それで、私が21歳〜23歳くらいのとき、「横浜能」に出演するということで、私もチケットを購入したのです。
演目は「巴」!!
狂言も見たのでしょうがまるで記憶にありませんm(__)m
とにかく、初めてみる能の素晴らしさに圧倒されておりました。
「幽玄の世界」と言いますが、たしかに異空間、全くの別宇宙です。

それでも、その頃はお能のチケットを買うというのは一般人には大変難しいことでした。
今のチケット○アなんてものは勿論ありません。
市中のプレイガイドでは当然扱っていません。
一度問い合わせたところ、「お能?お能ってあの浪花節みたいなので御面被ってやる奴ですよねぇ」とか言われて、(;_;)
でも親切な人ではあって「日本橋の赤木屋さん(今はなくなった有名なプレイガイド)なら扱ってるんじゃないでしょうか」って
教えてくれました。
と、言っても今みたいに電話して予約して何週間以内に取りに行く、なんてことは猿之助の「春秋会」くらいしかやってない時代!!
まあ、その頃お仕事先が虎ノ門でしたからナントカしようと思えばできたのですが、
まだ若い私にとっては小さな頃から通いなれた歌舞伎座なら一人でチケットとって一人で行くことも平気なのですが、
勝手知らない能楽堂・・・しかもお能のことを何も知らずに飛び込んでいくのはちょっと・・・と躊躇してしまいました(^^ゞ

で・・・26歳の時、東京○響という鑑賞団体でお能のチケットを扱っているのを知り、
そこでやっとお能を定期的に見ることができるようになったのです。

と・こ・ろ・が・・・そのとき思い知ったのです!!
私の見た人は特別な能楽師だった、ということに・・・何本見たのかな・・・それでも二年くらいかよったでしょうか?
いつか、もう一度観世寿夫の能に巡り会いたい、と念じつつ・・・そのうち彼は急逝してしまいました。
今、ネット銕仙会のサイトを覗くと会53歳だったそうです。
結局私はお能は合わない、と見なくなってしまいました。

あの頃のお能で記憶に残っているのは、「土蜘蛛」のワキの頼光を演じた森四郎さんとおっしゃったか・・・その方と、
私には珍しく眠らずに見ていられた狂言、誰だったか忘れちゃいましたが「鐘の音」と、
「葵上」の舞台に見立ての衣裳を置いた、現観世家元の清和氏の美少年ぶり・・・そんなものですか・・・情けないm(__)m
「葵上」は二度見ているはずなのですが、全然記憶になくて、
教育テレビの「伝統芸術入門」かなんかで見た方が印象に残ってます(^^ゞ
「石橋」は見ましたね。これは歌舞伎の方がいい、と思ったんだ(^_^;
「猩々」を見たと思っているのですが・・・全編思い出せません・・・断片的にもワンシーンくらいしか覚えていない(^_^;

ま、そんなものです。
で、このところ・・・と言うわけです。
私も年を取って、歌舞伎や他のジャンルのように、能楽もその能楽師ごとに演じるレベルがあるものだ、
と理解できるようになって、そのレベルごとの見方が少しできるようになったのだと思います。
それでも時々、歌舞伎でもヒスを起こしていますが(^_^;

ただ、先日「世阿弥」の後援会で三○先生がおっしゃつた「一番最初に見るのは一番良い物が絶対に良いです」というのは、
歌舞伎・宝塚を問わずそういうものだという自身もありますし、
その点に関して、「私の能鑑賞のキャリアは観世寿夫から始まった」と言うことには絶大なプライドがあります(^^)v




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