2013年1月10日

PATTIPAGEが、アメリカ時間の1月1日に死んだそうです。

三日だったっけ・・・新聞の片隅にベタ記事扱いで、一寸悲しかった。涙。

私は、「テネシーワルツのパテイベイジ」というのは、あまり記憶に無くて・・・私のテネシーワルツって、
なんたっち江利チエミだからね(^_^;

そのかわり、「ワンワンワルツ」は、小学校時代から、聞き覚えで、
ハウマッチイダドッギンダウィンドー♪と、歌ってました(*^^*)
もちろん、「How much is that DOGGIE in the window」なんですけどね。
まあ、中学くらいになれば「How much is the DOG in the window?」くらいには歌っていたと思うけど。

そうそう、それと、「キスミワンスアン、キスミトワイスアン キスミワンスアゲン イツビンナローンローンタイム」ってのと、
「ウエヌビトゥルー ウエニュセ アイラブビュ イツアスィン トゥテル ア ラァイ」ってのね♪
わっかるかな〜?わっからねぇだろうな(*^^*)

私達の時代って、
(まあ生まれた家にもよるだろうけど、わりと音楽・観劇・芸能情報などは自由でしたから)
小学生でプレスリー、「ザヒットパレード」絡みでアメリカンポップスとカンツォーネ、
中学校でビートルズ、
高校時代がエレキブームで、GS。
大学・社会人(ってより、浪人時代です)が、フォークなんだよね♪

で、さらに私は宝塚に嵌ったから、ジャズ・シャンソンが入ってきますが。

で〜、さらに、それ以前に、ジャズというのは、その間隙を縫って、もの心ついた頃から耳に入ってくるものでした。
それは横浜と言う土地柄なのか?
いやぁ、時代的に、あの時代はジャズ・・・というか和風ジャズが多かったんですよね(^^ゞ
日本人のジャズ歌手もたくさんいたし・・・今よりもっと、ジャズはメジャーでした!!

まあ、私なんかの聴くジャズは、当時のラジオで流れる、極、スタンダードなものですけど(^_^;
ローズマリー・クルーニーとか、ジョー・スタッフォードとかなんて、今思い出す歌は、みんな、彼女立ちの歌ですよv(^^)
そうそう、江利チエミは彼女の「Come Onーa My House」もカバーしてた♪
中学・高校で英語習い始めると、特に英語の勉強と称して、よく音楽を聴いたしね。

パテイベイジとかドリス・ディ、我が愛する(当時の)弘田三枝子の尊敬するエラ・フィッツジェラルドとかね。
男性なら、ナットキング・コールとかシナトラ、ペリー・コモ、あたりはよく聴きました(^^)

トニー・ベネットは「思い出のサンフランシスコ」なんて、デクティションしやすいからね(^^)
そうそう、私、香山雄三って「若大将シリーズ」なんて嫌いなんだけど、
当時・・・って高校時代か、日本人の歌手でデクティションできるのは彼の英語だけでしたから、それだけで尊敬した!!

今はなんとなく忘れられちゃってるけど、サミー・デービスJu.なんて、
歌手というだけじゃなく、日本人には真似できないエンターティナーとして凄い人気だったんだよねぇ(^_^;

でも、まあ、とにかく、そんなわけで、ジャズは、意識しないうちに、英語としてインプットされないうちに、
耳だけで入ってきたものです(^^ゞ

それで、ですね・・・なぜ、この記事を書きたくなったかと言えば、あの頃のジャズが懐かしかったのです(^^ゞ
本当にシンプルな、ストレートな歌と演奏で、子供心にも体が浮き立つような、シーンと切なくなるような、
・・・いろんな味わいを漂わせていたものでした(^_^;

今のジャズは難しい!!

(これ、一寸書き足します・・・八月に八代亜紀がジャズに挑戦した番組を流していたんだけど、
彼女は、ジュリー・ロンドンに憧れて歌手になったんだそうですよ。
それで、いつかは本場のプレイヤーでジャズを歌いたいという希望があったそうです。
それで、今回↑そういうことになったんだそうだけど、今のジャズって、彼女や私の知っている昔のジャズじゃないのです。
それでもう最初は涙目になってました(^_^;
結局ナントカしちゃうところが八代亜紀なんだけどね・・・まあ、ジャズも違うのですよ・・・13年10月補足)

というわけで、オバサンのノスタルジーを偉く掻きたてた、パティペイジの訃報ではありました(^_^;
そうそう、彼女のテネシーワルツは、高校時代の英語の得意な友人が、
「パテイペイジのテネシーワルツは“チェ〜ネッシーウォルッ”なのよねぇ」と笑っていたのが印象的でした(^_^;
それまで、そんなこと気にもしなかったんだけど・・・そうか、チェ〜ネッシーウォルッかぁ(^_^;
そう思って聴くチャンスを待ってたんだけど・・・その頃はもうジャズって下火だったなぁ(^_^;
ジャズのレコードは持ってなかったし、買うのはもったいない!
その頃のお小遣いって3000円くらいだもの(^_^;

ドーナツ盤が一枚330円だったと思う!!
でまた、ジャズはLPが殆どだったんじゃない?そうすると、一枚が1500〜2000円くらいだものね(^_^;
趣味の本代と学校帰りのお茶代とで、せいぜい、ザ・ピーナツのドーナツ盤を買うくらいでしたねぇ♪

そうそう、この辺りから、ちょっとずつクラシックとか入ってきて、
いつか、友達と貸し借りしていたのが、授業中に机の中から飛び出して、先生に見つかっちゃったんだ(^_^;
そしたら、「アヴェマリア」と、もうひとつなんだっけなぁ・・・まあ、一応クラシックだったので、
先生が、ニヤッと笑ってお咎めなしでしたm( )m
これがビートルズだったら取り上げられたカナ?
何しろ、学園祭でエレキのコンサートを開くってのが大問題になった時代ですよ〜!
定年間近というくらいの漢文の先生が、「どんな音楽でも、音楽で不良になることはない!」って、
校長に直談判して、職員会議で熱弁を振るってくれて、無事開けるようになったんだけどねv(^^)
漢文の先生!というのが良いでしょ(*^^*)

ふぅむ・・・懐かしきあの頃ね(^^ゞ
今は、時々20年前くらいに買った、古い吹き込みの複製CD盤のアルバムを聴くくらいですが、
やはり、ローズマリー・クルーニーとジョー・スタッフォードは大好き\(^^)/
何度聴いても飽きないもの!!
あと、アルバム買ってから、リー・ワイリーという歌手が好きになってますね。

いろんなこと思い出させてくれた、パティペイジに哀悼の意を捧げます。


13年10月補足

今、ふっと思い出してウィキを見てきたら、ジョージ・クルーニーって、ローズマリー・クルーニーの甥っ子だった!!
ビックリ!!!!