『2004流氷ツアー公式記録』
〜流氷船おーろら号と層雲峡氷爆まつり・阿寒冬華美3日間
      

 流氷ツアーはねも母にとっては永年の夢。しかもねも父との二人だけでの2泊以上の旅行は新婚旅行以来(ずっとねもん家は一家揃っての旅行が当たり前になっていた)ということもあって、共々毎日流氷の状況をネットでチェックするなど結構力が入っていた。なのに。
 最初の予定は2月23日から3日間であった。ところが出発前日、北海道地方の明日の天気予報は、暴力的だったか、爆発的だったか忘れたが、そんな形容詞のつく低気圧が来るというのだ。当日になって予定通り羽田へ向かった。こちらはいい天気だ。空港に着くと受付ロビーは溢れんばかりの人人。で表示板をみると、案の定各便欠航、調査中(だったかな)という表示が並んでいる。新千歳空港は大雪のため着陸不能で、何時出発できるかわからない状況にあり、しばらく待ってほしいということだった。
 結局、出発時刻過ぎまで待たされた挙句、ツアー中止と相成った。しょうがないので昼食をとって帰ることに。帰宅後、ねも母が以後の空きはないかとあたった結果、今回の日程となったわけ。
 
 行ってきてからすでに3週間以上も過ぎてしまって、記憶も定かでなく、もらってきたパンフや領収書を見ながら書いた次第。正直あまりおもしろくはないが行ってきた記録として。写真も結果としていいものはなかった。

1日目=3月14日(日)
 5:30起床。快晴。菓子パン、紅茶の朝食をとり、リュックを背負って出発。JR、京急を乗り継いで羽田空港へ。集合時間(8:10)の20分前くらいに着く。すでに受付けが始まっていた。ANAの搭乗券を受け取り後、弁当を買って(前日電話で問い合わせても昼食の予定すらわからない始末)、早めにゲートラウンジへ。飛行機は予定通り9:00離陸。すぐさま弁当を開いた。これって朝食?昼食? ねも母は「もちろん、朝食に決まってるじゃない」

 関東から東北にかけての山なみが真っ白に雪化粧しているのが、雲間から見え隠れしてすばらしい。猪苗代湖もくっきり。追い風もあってちょっと早めに新千歳空港に到着。そこで添乗員とガイドの出迎えを受け(ここでわが6号車は43名であること、私達同様の中高年カップルが大半を占め、若いカップルが一組のほか、高年5人組など、が判明、さすがに一人というのはない)、バス乗り場へ、しかしバスがなかなか来ず、11:20頃? ようやく出発した。最初からいらいらさせられる。気温のわりには風がないせいかそれほど寒さは感じない。
 
 いよいよ阿寒湖へ向けて出発。早速添乗員が昼食の予約を取り始めた。この後の休憩所で用意するとのこと。ほら、このツアーは昼食がオプションなんだから、そういうことを事前に教えてくれといっているわけで。
 バスはその最初の目的地に向けて、274号線(だとおもう)を東へ東へとひた走る。景色はと言うとただただ真っ白な畑か牧草地かわからない、雪原というのかな。これが延々と続く。道路だけは雪がない。時折山あいに入ると雪が舞うとういう繰り返し。延々といえばガイドの説明もそうで、よくしゃべる。切れ目がない。といって窓外はどこまでも雪景色ばかり、したがってこれも繰り返しが多くなるように思う。

 そうこうしてるうちに日高ウエスタンファーム純馬油館に到着(13:00頃)、よくある一階がみやげ物店、二階がレストランというやつ。名前どおり馬油中心のみやげ屋さんだ。昼食は牛肉ともやしの鉄板焼(かな)、まあまあといったところ。馬油と馬油ののど飴を買う。

 再びバスは東へ、日勝峠を越え、十勝平野を展望するおみやげ屋さんでトイレタイム、そしてタバコタイム。ここはチーズ製品がメインだったような。おいしそうだったけど何も買わず。
 さらに十勝平野を清水町、鹿追町、そしてあの有名人(歌手と元衆院議員)のふるさとの足寄町−あの歌手の実家を示す看板がそこここに立っている町だ−と通り抜けて行く。どの町も日曜日ということもあって、商店はほとんどしまっている。人もあまり見かけない。町並みは比較的まばらで、そうではないだろうに町が出来てからそう永く経っていないような印象。
 
 17:30頃、今夜の宿泊地、阿寒湖畔温泉、ホテルエメラルドに到着。落ち着いた雰囲気のシティホテル風だ。部屋は玄関真上あたりの洋室で、闇の中に白くスキー場が浮かんでみえる。広さはツインベッドでいっぱい。バストイレはこじんまりとしたユニット。バスを使うつもりはないのでいいが。履き物はスリッパではなく雪駄でなんとなく落ち着かない。夕食は大広間で会食。内容はねも母が別に(それなりの工夫がみられると)書いているので省く、というかあまりよく覚えていない。まずまずだったように思う。
 
 夕食後、折角だからと、街へ出る。さすがに道路は一面凍っている。連なるみやげ物店はほとんどがアイヌの木彫や民芸品。歩いて数分のところにアイヌコタンがあり、民族舞踏劇場「オンネチセ」に入ることに。そこへ向かって歩いていると、とある木彫みやげ物店のお兄さんが暇を持て余しているように顔を出して、「まだ始まらないし、寒いから中に入って待っていたら?」だったかな、声を掛けてきた。「そう、それじゃ」と入って、トイレ借りたり、世間話をしたり。で、結局、ストラップを買う羽目に。お兄さんの目論見通りか。まあ、子供達へのみやげに丁度良かったかな。帰ってから渡したら結構喜んでもらえたし。

 肝心の民族舞踊だが、約30分、鶴の舞はじめいくつかの踊り、楽器ムックリの演奏などアイヌ伝承芸能を見せていただいた。観客は10数人だったけど、何人か舞台に招き上げ、一緒に輪になって踊ったり(下の写真)、たのしませてもらった。ちなみにガイドの説明によると、年々純粋の方が少なくなってきており、伝承もむずかしくなっているらしい。
 

 その後ホテルに戻るつもりだったが、ついだから冬華美も見ようということになり、阿寒湖湖上に。こちらは雪の舞台(写真左)を中心にたくさんの観客。着いてまもなく、3、40メートル先の湖上で打ち上げ花火が始まった。こんな間近から見るのは初めてのこと(横浜港で見たそれより近い)で、それなりに迫力があった。たったの5分間だけど。この時期毎日開催らしいから仕方ないが。さすがに寒さが身にしみてきた。花火の写真ははタイミングがむずかしい。
 

 ホテルにもどり、ロビーの喫茶コーナーでサッカーのオリンピック予選を眺めながらコーヒーを頂く。去年のツアーではホテルでコーヒーが飲めなかったので、今回は念のためブルックスをいくつか持ってきたが、よかった、良かった。
 さて、つぎはお風呂。だが、なぜかここのお風呂のことはあまり思い出せない。例の雪駄で行ったことは覚えているがあまり印象にない。

 明日は当初の予定では8:00出発であったが、摩周湖、網走へ向かうバスがほかに13台とか、込み合いそうなので少しでも早くということで、少し早めに集合となった。流氷はないのになんて思ったり。
 さあ寝ようという段になったらどうも部屋が寒い。どこで調節するのかわからずフロントに問合せたら、来てくれて見てもらうと、どうも最低のところになっていたらしい。温度を上げてもらい安心して眠る。

2日目=3月15日(月)
 6:30起床。7:00一階に降りるとかなりの人が前日の添乗員の言うとおり、そのまま部屋に戻らずに済むように持ち物を持って降りている。朝食はロビー奥のレストラン、バイキングである。テーブルを窓際にとる。正面に雄阿寒岳その前は一面凍結した阿寒湖が間近に。眠気が吹っ飛ぶ素晴らしい景色だ。さて朝食だが、これもまあまあといったところ。普段の朝なんてほとんど食べないのに、旅に出ると何かが違う。ついつい食べ過ぎてしまう。
 トイレ、歯磨きを済ませ7:45頃バスに乗ると、はやっ!ほとんど揃っている。予定より10分ほど早く出発した。今回のメンバーはいい子ばかりらしい。 今日もまた昨日同様、一面の銀世界、それとどこまでも真っ直ぐな道路だ。山あいの道路傍の林には時折鹿が餌を探しているのが見られた(これは昨日だったかな?)。ガイドによると、鹿が車と衝突して人身事故が起こることがあるらしい。
下向きの矢印は道路が雪で埋れた時この真下が路肩ということを示すのだそうだ

 快晴の下、まずは摩周湖へ向かう。この時期地吹雪があったりして、展望台に行けないこともあるとか。今日は大丈夫、霧の摩周湖というわけにいかないようだけれど。1時間ほどで展望台到着。おお、これがあの摩周湖なんだ。正面遠くには真っ白な斜里岳がくっきり。絶景かな、絶景かな。なんともいいようのないすばらしさ。見られて良かった。ここもだめだったらこのツアーは何なの、雪原を見に来ただけか、となるところだね。
 早速全員でお決まりの記念写真。早起きした分待たずにすんだようだ。そのかわり撮り終えて振り返ったらなんじゃ、日付のパネルが 「15.3.15」 だって、おいおい。ひょっとして16年になってからずっとこれできたってこと? 私が気づくまで。取り直しはない。つぎの団体のガイドが直してたよ。
 で、私の撮ったものをパノラマにしてみたのだが、写真の色調、サイズがバラバラ(↓)。どうもうまくいかない。でもなんとかつながった。ほんとうは360度撮ったのだが、横着して手すりの上に置いてぐるぐる回したら、手すりしか撮れてないところがあったり、アホだね



 つぎはいよいよこのツアーのメイン、オホーツクの流氷を求めて網走へ出発。そういえばここまで添乗員もガイドも流氷の話題には全くふれない。避けているに違いない。こちらも事前にネットなどで流氷の状況を知ってての参加だからいいんだけれど。で、オホーツク海に近づくにつれて知床半島の白い山なみが見えてくる。あっちに行けばまだ流氷は接岸してるんだけど、なんて恨みがましく思ったり。
 オホーツク海沿岸を走る釧網本線に沿ってバスは走る。真っ青な海が見え隠れしている。涛沸湖(アイヌ語で鳥がいつもいる湖というらしい)、小清水原生花園(残念ながら花の季節ではないし)を眺めながら、網走近くの白鳥公園(かな?)に寄って白鳥の餌付けをする。といっても鴎の方が圧倒的に多く、えさの食パンを撒くとワーッと寄ってくるのは鴎ばかりで白鳥は端から諦め顔だ。ここでのめっけものは流氷の天使クリオネ、10匹余りかわいらしく泳いでいるのが見られたこと。でもペットボトルの中というのはありかなあ。


 11:00過ぎ、網走海鮮市場にて昼食のかにちらしと帆立弁当をいただく。これもまずまずかな。ここでもみやげ物は買わず。おーろら号乗船ターミナル横で後ろにおーろら号、前に流氷をおいて記念写真。看板には氷上航海記念とある。実際は鴎と一緒に海上遊覧で、約1時間お昼寝タイムとなった。数年前ねも姉は友人と来ており、今回より遅い3月20日過ぎだったのにしっかり見たのだ。仕方のないことではあるけれど、それにしてもねえ。
 だが、ここで生活する人々にすれば、流氷が離れていくことは待ちに待った春が近いということ、生きるための営みをまた始められるということになる。
その代わりということではないが、天都山のオホーツク流氷館に立ち寄り、クリオネを見、去年採取の流氷に触れたり、流氷のビデオ鑑賞をする。いくら実物に触れたからとはいえねえ。屋上展望台からは網走一帯を眺望して気分転換、これもいい眺めであった。
 
 そのあとは、網走湖畔、網走刑務所を眺めながら、層雲峡へ向かう。途中、留辺蕊のキツネ村にて放し飼いのキタキツネを見学、毛色がいろいろあるのを知った。ここでの休憩の後、層雲峡に着くまでの間、ノンストップだったか、一箇所くらい休憩したのか、全く記憶にない。
 大雪山系に入り、薄暗くなると、また雪がちらついていた。今夜の宿舎、ホテル大雪には18:00頃到着。玄関を入ると、カメラを構えたおっさんがパチリ。疲れた顔を撮ってどうするの。プレゼントかな、と思ったら何と翌朝ロビーに張り出してあるではないか。大雪山など2枚の写真をつけて500円だって。ねも母は、買わずに残して燃やされるのも嫌だからというので買うことに。パチリの瞬間にねも母のこのホテルの評価は決まり。ホテル全体の印象も、前日のホテルエメラルドに比しても、なんか洗練されてない。

 部屋は、入り口がロビーの吹き抜けに面した二階で、12畳の広々和室に前日同様のユニットのバストイレ。部屋の窓によって見ると、すぐそばまで雪に埋もれた山が迫っていて、少し離れた林の中に鹿を見かけたような。雪の上には鹿や他の動物の足跡がライトアップされていて、素敵に見えたので、写真にしたらこんな具合になった。こんなに緑が濃くはなかったのだが。
 

 ここでのイベントはホテル近くの氷爆まつり。これは野外に木組みをしてそれに水を掛け、自然に凍らせる、これを繰り返して、自然の氷の造形を作り、氷と光のファンタジーを楽しんでもらおうというもののようだ。私達は今回はパスして、風呂へ行く。見学に行く人たちは、先にお風呂に入って髪が濡れていたりすると凍ってしまうので後になる。そういうこともあってお風呂は貸し切り状態だった。そして湯船の窓際によると、何と氷爆まつりの会場が真下に見えるじゃないか。これでOKだね。あったかいし。

 さて、夕食であるが、ここもすでにねも母が別稿で触れているのでいいと思うが、まあ質素。目玉らしきものもなく格安ツアーのしわ寄せをここにもってきたか、という感じだ。
 食後は売店を覗いて、お隣りさんなどのみやげ物を買い揃える。北海道限定の切手(東京中央郵便局にはあるらしい)やなぜか沖縄産の黒砂糖までも。で、郵パックの箱をもらって、ねも父のリュックひとつに身の回りの小物を残してその他はみやげ物とともに送ることにした。これで明日は身軽になるぞ。
 
 そういえば、お風呂のロビーに足裏マッサージがあったね、結構足がくたびれているし(そんなに歩き続けたわけでもないのに)、やってもらおうか、ということで二人揃って揉んでもらった。30分、3000円。まあまあリラックス出来た。
 ロビーの喫茶コーナー(玄関ドアが開くたび、ちょっと寒かったが)でコーヒーも飲めたし、のんびり出来た。そうそうあまり有難くないBGM付きだったけど。ロビーに小さなステージを設けて、ホテル専属か、プロなのか、名も知らぬ女性歌手のショーがあって、持ち歌らしい演歌や民謡を数曲。ロビーは静かな方がいいのに。

 さて就寝、添乗員だったか、ホテルの温度は結構高めにしてあるので、お風呂にお湯を張ってやすむといいといっていたので、そのとおりにしてみた。たしかに暑かった。

3日目=3月16日(火)
 いよいよ最後の日。今日もまあまあいい天気になりそう。朝食は和洋バイキング、おいしそうなものを選べるのでこれはこれでいい。今日はスケジュール的にあまり制約もないので、出発は8:30だ。
 まずは層雲峡の景観を観光。ここは大雪山系を源とする石狩川が作り出した柱状節理の断崖絶壁やそこを流れ落ちる滝が見ものということで、まずはバスを降りて凍りついた銀河の滝(写真)・水が落ちている流星の滝を見学、それぞれ写真を撮る。そのあとはバスの中からバスガイドの解説を聞きながら峡谷の両サイドに続く断崖絶壁を見上げるわけだけど、窓ガラスが汚れているし、普通の観光バスじゃ無理。よくわからない。


 続いて訪れたのは、アイスパビリオン。ここは中がすべて雪と氷で造られていて、-20度を体験できる。無風状態なのでそれほど寒いという感じはしない。濡れタオルをぐるぐる回してカチカチに凍るのを体験できる。上を見上げるとまるで鍾乳洞のように氷柱がびっしりぶらさがっている箇所(10数年かけて造ったらしい)があったり、日本での過去の最低気温の記録(旭川)として残っている -41度を体感できるポイントがある(下3枚目の写真、幸いフラッシュが光らずわからないが私。そのすぐ左下のボタンを押すとその上の穴から風が吹き出して、-41度を体感できる仕掛け。頭などの露出部分は痛いという感じになる)。


 また館内には人工にダイヤモンドダストを見せる装置もある。身体が冷え切ったらストーブにあたりながらクッキーとお茶の無料サービスも。ああ、トイレ美術館なんてのもあった。野外では、そり遊びや雪だるまつくりをしたり、おとなも結構楽しんでいる(この辺の書きっぷリはやや投げやりかな)。

 いよいよツアーも大詰めに。昼食は砂川ハイウェイオアシス館マッシーファームとかいうところ。海鮮丼に舌鼓を打つ。みやげも多少小物を買い足し、デザート代わりに北菓楼のシュークリームを買い込んでバス内で頬張った。言われるほど特別な味には思えなかったが。バスは札幌へと向かう。

 13:30頃、大通り公園のテレビ塔に到着、ここでおよそ3時間の自由時間、16:30の集合だ。バスを降りると、おお、寒い、ビル街を抜ける風が冷たい。北海道に来て初めての寒さかもしれない。まずはNHK札幌放送局のトイレを拝借。ここはそんなに観光スポットは多くないし、そう遠出というわけにもいかないので、近場で時間を潰すことに。札幌は、私は二度目だが、ねも母は初めてでもあり、定番の時計台から。その歴史や時計の仕組みを勉強。


 次いで、赤れんがの北海道庁旧本庁舎へ。歴代長官、知事の執務室だった記念室、道立文書館展示室、開拓記念館などを見学し、庁舎の歩み、北海道の歴史を学ぶ。これで札幌の巻は終了し、札幌グランドホテルのロビーラウンジ・ポプラにて、コーヒー、ケーキセットを。明るい陽射しの中、しばしのんびり、ゆったり、まったりの時を過ごした。後日、ねも母は、ここが一番よかった、と。うん、そうかもしれない。16時少し前、バスへ戻ることに。
 
 バスの中にはもうほとんどの人が座っていた。みんな買い物も済んでいるし、時間を持て余したのかも。まもなく新千歳空港に向け出発、途中、時間調整なのか、もう一箇所、観光物産興社だったかな、に立ち寄り、18:00前に空港に到着、JAL団体カウンターで搭乗券をもらい、解散となった。みなさんお世話になりました。3日間のバス走行距離は、およそ1,000キロ。ちなみに昨年のみちのくは2日で1,000キロ強。

 出発時間は20:50、十分過ぎるくらいの時間がある。まずは夕食ということで、レストランのあるフロアへ。
いろいろあって目移りしそうだったが、郷土料理「ユック」に。東京や横浜にもあるらしい。ボリューム、味ともに満足であった。
 食後、少しでも早く帰れたらということでJALカウンターで前の便に変更できないかを聞いたが、やはり団体チケットなので、NOとのこと。仕方なく出発ラウンジのソファーで待つことにする。この日もちょうどサッカーのオリンピック予選、テレビをみて時間潰し。
 
 そうこうするうちに予定通り出発し、無事22:30頃羽田着。その後電車の乗り継ぎもまずまず順調に行って、なんとかその日のうちに帰宅できた。お疲れ!。

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 反省@これはもう再挑戦するしかないのかなあ。
   A流氷は別として、雪のない色とりどりの季節も価値ありかなあ。
   Bそれなりのサービスを期待するにはそれなりの金がいるかなあ。
   C記録はすぐ纏めないとなあ。メモをちゃんととっておかないとなあ。
 
 これにて任務完了。