松竹新喜劇

今のご時世で「新喜劇」といえば吉本でしょ。
おばさんたちの時代はいわずもがなの「松竹新喜劇」です。

もともと、渋谷天外と曾我廼家十吾が作って、天外が乗っ取ったのか、十吾がオン出たのか・・・
当時は天外体制です。

おばさんが、一度も関西に住んだ事がないのに、上方に愛着を感じるという大きな原因は、
やはり、小さい頃に見た「新喜劇」に拠る所が多いでしょうね。
当時は渋谷天外を頭に、両サイドに曾我廼家明蝶・曾我廼家五郎八、女優に石河薫・酒井光子、
そして若手の藤山寛美が伸び盛り、というより、もはや屋台骨を背負うスターでもありました。
今の藤山直美のお父さん、既に伝説になっている人ですが・・・。


当時のテレビは、創世記、とまでは言わないまでも、
「電気紙芝居」と言われた定義づけから脱却しようと、いろいろもがいていた時代です。
ドラマも良質なものが造られたし、ショー番組て゛は「光子の窓」って、
今も言われますが・・・その頃はだ我が家にテレビがなかったな(^_^;

VTRなどはないから、みんなナマ撮り。
とすると、ナマに強い役者たちが重宝されるわけです。
予算がなければ、手っ取り早く、体を張って演技している舞台中継も多かったしね・・・。
舞台中継というのは、舞台でやっているものを、殆どそのまま流してきます。
勿論ナマで見るのではないのですから、カメラワークにも大きく左右されるし、
声もナマ声で聞くのと違いますから、かなり印象も違うし。
でも、大まかな雰囲気と、出来の程度はよくわかります。
舞台中継で八割がた面白い、と思えばナマで見れば100%OK♪です。
面白いもので、舞台の芝居が当たったからと言って、それをスタジオ・ドラマで構成すると、これがけっこう白けるんですね(^_^;
舞台の魅力って不思議なんだよ!本と!!

「びっくり捕り物帖」っていたかな・・・?
中田ダイマル・ラケットとという兄弟漫才師の、これも今でも関西漫才界には名が残っている大物漫才師ですが、
これがズッコケ目明しコンビ!
そして、上役の同心に藤田まこと!
まあ、見えきるばかりで当てにならない二枚目、という役回りです。
そして、そしてヌァ〜ンと、藤田まことの妹の、名探偵役に森光子です!!
ねぇ〜・・・、イマニして思えば大変な人たちが出ていたのですね。

この後の「スチャラカ社員」というのがあって、中田ダイマル・ラケットから都蝶々に変わります。
そこで藤田まことが、頼りない二枚目振りで、好きな彼女の名前を呼ぶ「長谷くぅ〜ん♪」で、ブレークします。
それが次の「てなもんや三度笠」に結びつくのです。

そうそう、その前に「番頭はんと丁稚どん」というのがありました!!
これは、大村昆というハナ眼鏡の一寸賢い丁稚と、丁稚をしごこうとして逆にしごき返されるマヌケな憎まれ役番頭はんりお話。
まあ、日本判「Tom&Jerry」ですかね、これが大ブレーク♪
日本中ハナ眼鏡で溢れた!!・・・大げさじゃなくて!!
その大村昆氏は今や喜劇人協会会長ですから(^^)

この昆ちゃん、役者にしては珍しく家族を大事にする人で、
花登筺という一世を風靡した喜劇作者と自分の喜劇団を旗揚げしたんだけど、
その花登が星百合子と不倫して糟糠の妻の由美あずさと離婚しようとした時に、
「花登先生には大恩があるが、その奥様にも大恩がある。そんな奥様と離婚するような先生とは一緒に芝居できへん」
と言って、劇団脱退宣言!!
大スターの昆ちゃんひとりで売っている劇団だったから、大騒ぎになって、
渦中の由美あずさが中に入って、「私を大事やと思うなら劇団続けて」ということで、両方の顔が立って、シャンシャン♪

「ビックリ・スチャラカ・てなもんや」は沢田隆治、「番頭はん」は花登筺という分け方でいいのかな(^_^;
関テレ・毎日という分け方かもねぇ(^_^;

番頭はんをやっていた芦屋雁之助という・・・ん〜、一寸近代に近かった頃、テレビの「裸の大将」シリーズで山下清を演じて、
テレビ版寅さんシリーズのようにした人、
「娘よ」というヒット曲を持つ人というのかな(^_^;
森光子の「放浪記」と並ぶ代表作「おもろい女」のヒロイン(ミス・ワカナ)の相手役(島一郎)と言えばいいのかな・・・
いい役者でしたよ・・・。もう亡くなっちゃったんですけど。


あら、横道にそれた!!

そういう中で、新喜劇の舞台中継がありました。・・・前振り長いなぁ(^^ゞ

当初、私が見た頃は寛美のアホ・ボンシリーズ絶好調の頃ですね♪
世俗の垢にまみれた成功者の父の元にちょっと知的障害のあるボンボンがいる。
世間から、お前の頭の中には親父の悪事や人を泣かせた不人情が詰まって、そんなアホが生まれたんや!と言われてる。
今なら、知的障害者の人権侵害著しい、という所なんでしょうが、
何しろ、このアホ・ボンが本当にPUREなんですね(^^)
「普通」だと言われている人たちが知らん顔している不正におめず臆せずぶつかっていく♪
それも、正面からだけでなく、裏から横からゲリラ的手法もあって!!
後の雁之助の「裸の大将」シリーズに共通するものがありましたよね(^^)

勿論、大俗物の成功者たる父親が一本取られて、善人に還ります、アホボンの存在感も認められて万々歳という・・・
まあ勧善懲悪プラス人情物語なんだけど、それが日本人のツボに入って、大変に面白かったのです(^_^;

さすがに、子供心にも、時々寛美の芸のあざとさに鼻白む一瞬がなかった、とはいえないけどね(^_^;
渋谷天外というのは、私たちが見た頃はかなれ枯れていて良かったですよ〜(^^)v
まあ、その大俗物親父とか、「船場の子守唄」では、超常識人の叔父さんとか、
最高に印象に残っているのは「桂春団治」!!
これは、後世寛美が引き継いで、今や寛美の代表作のようだけど、
私は始めて見たせいか、天外のほうが印象に残ってるなぁ・・・(^_^;

女道楽をしつくした春団治が死んで、死の床から魂が抜けて花道に出てくる。
花道には、先に死んであの世にいるはずの、お馴染みの車引きの○○さんが人力車引いて待っている♪
この車引きの○○さんの曽我之家五郎八がまた逸品でした!!
で、その車に乗って天国・・・地獄かな?に行こうとすると、自分が捨てた女と娘が臨終と聞いて駆けつけてくれた、と言う。
さあ、戻りたい、「一目だけ逢わせてんか?」
「かなんなぁ、ほな、ちょこっとだけでっせぇ」
で、死の床では、「あっ、お父さん、目ぇあけはった!」と喜び、ニコッとうなづいて、天国行き人力に帰ってくるんですなぁ♪
で、「待たせたなぁ、ほな、行こかぁ♪」
「へぇ、御供しまっさぁ♪」
あくまで陽気です♪

五郎八というのは、こういう飄々とした役が得意で一場面の出でパーッと攫ってしまうような人でした。
後には、天外を失った後の寛美の体制に反対して新喜劇を出てしまいました。
彼を失った新喜劇も痛手でしたが、やはり年のせいもありますが、
五郎八自身にとっても、彼のキャラクターを生かせる天地は新喜劇以外には難しかった!!
というより
五郎八のボケの演技を受け止めきれる役者はそうそうはいなかった!というのが事実難じゃないでしょうか(^^ゞ

明蝶というのは、彼自身の出し物も持つ、まあ二枚目系親父の部分と、
悪の親玉など演じさせると凄味を出せ、しかも悪人の持つペーソスを出せる役者です。
今ならファンファンかな・・・岡田真澄・・・彼よりもっと脂っこいですけど(^_^;
この人は、在団中から外の芝居や映画に出ていたので、
寛美体制になるのを良い汐に外に出て、いろいろ出ていたんだけど・・・あの人は今?


天外が亡くなった後は、ちょっと主導権争いもあったのかな・・・?
でも、世間も親会社の松竹もとにかく、寛美体制を待ちわびてます、という状況でしたからね(^_^;
実は、天外が元気な頃、寛美が暴力団からの膨大な借金を抱えて、
新喜劇出演を一時停止というよりは、一時解雇の形になっていた時がありました。
その時、お客が入らなくて、新喜劇自体の解散か存続か、という所まで行ってしまったのです。
それで、松竹が諦めて、寛美の借金の肩代わりをして劇団に戻した。
寛美を待ちわびていたお客が押し寄せて、まあ、周囲は寛美の人気と実力に苦い思いで屈服したんですなぁ(^_^;
いろんな人が寛美体制になって出て行ったのは、それが後を引いたってのもあるんだろうなぁ(^^ゞ

でも、寛美のいない間に、児島秀哉・慶四郎なんて貴重な役者が成長してきたし、まあ悪い事ばかりでもなかったのよ(^^ゞ


その間に、石河薫はなくなり、酒井光子は年を取り、女優というと、もう分からなくなったなぁ・・・
四条栄美・大津都志子くらい、かな(^_^;
それぞれ良い女優さんだけど、酒井光子ほどのオーラがなくてねぇ(^_^;
曾我廼家鶴蝶という酒井光子の継ぎ行く女優さんがいたのですがね♪

酒井光子と言う人は不思議な人でネェ・・・船場の御寮さんから、貧しい長屋のおかみさん、
貧にやつれた女から、色っぽい年上の髪結いまで〜ね♪
女優なら当たり前でしょ、と言う人いるかもしれませんが、じゃあ出来る女優さんは?
というと、そんなにいませんよ!!
それと関西弁ー上方弁のエロキューションがなんともいえない♪
私は、これで上方弁を学んだ!と思うのですね(^^)
勿論喋れるわけではないけど、上方弁に対する耳が出来たと思います(^^)

勿論、漫才などは関西弁ですけど、あちらは関西弁、こちらは上方弁なんですね(^^)
だからこそ、米朝師匠の噺もわかるし、有り難味も分かるのです(^^)

で、その批判の寛美体制ってのはねぇ・・・まあ、経済的なことも有ったんだろうけど、
劇団は365日やります!ってのと、
結束を固めるためにも、劇団員はホテル住まいをせず楽屋に寝泊りする、というのです。
究極はお客様のリクエストにお答えしてすぐやりますっての!

歌手ならそれもありだろうけど、舞台でそれをやるのはなぁ(^_^;
まあ、お客は喜ぶよ!!
私も見ましたけど、壮絶です!!

何もない舞台一杯(たくさん、と言う意味ではなくて)を見せておいて、
背広に台本抱えた寛美がマイク持って出てきます。
後ろに十本近くのタイトルが書かれたフンドシ幕が垂れ下がって、見たい物を拍手で示す、ということでした。
それにしても十本近くの芝居をいつでも演じられるように役者が体勢を整えるのは大変です。
レギュラーの芝居(昼夜三本ずつ、そのうちの昼の部がリクエストになるわけ)もあるわけですしね。

ストレスを溜め込んでいた役者は多いと思う。肉体的についていけない人もいたでしょうし、
楽屋で暮らすというのは、一番辛いかもしれない・・・精神的に!!

というわけで、五郎八・明蝶はさっさと脱退し、酒井光子を継ぐのはこの人だろうと思われた曾我廼家鶴蝶・
寛美の若き日の持ち焼くの大半を演じていた児島秀哉が脱退しました。
受け皿は東宝だったんだけど、まあ、活動はソコソコと言う所かな・・・勿体無い(;_;)

私が見ていたのは、この辺りまでだから後は知らないのです(^_^;
その大物・中堅たちが抜けた穴埋めに曾我廼家十吾を重し代わりに迎えたりしたけれど、どうだったんだろうか(^_^;
でも、今十吾の息子が頑張っている所を見ると巧く行ったんだろうと思うし、よかったです♪
そういえば、曾我廼家文童と言う人を「蜘蛛之巣城」で見て、お〜\(^^)/と思ったけど彼も新喜劇?
というのが今のおばさんの状態です(^^ゞ