2006年
3月1日(水)
――武相荘――
『武相荘―春〜次郎と正子の暮らし〜』展
武相荘は、今大流行りになっている白洲正子さんと、ご主人の白洲次郎さんのお邸です。
直前にNHK教育で「白洲正子特集」があったりして混雑を心配してましたけど、
お天気のせいもあってか、まあソコソコでゆったりしてこられました(^^)
できれば、先月の能装束の展示に行きたかったな、と思っていましたけど、
今月は、白洲夫妻の「生活展」というのでしょうか、
ご夫妻が愛用されていた陶器や衣類、が中心でした。
今は、先の特集にも見られるとおり白洲正子さんの方が有名ですが、
実は、私たち夫婦には、白洲次郎さんのお名前の方が先にinputされていました。
ダンナは仕事の関係で白洲次郎氏の経歴を調べた?こともあり、
私は某事務局に入って直ぐ、役員名簿の整理などで名前だけ覚えた、という風に。
その後、正子夫人のお名前が有名になって、いろんな処で見ることがあっても
あ、白洲次郎さんの奥様か、という程度でした(^_^;
ホントに私は興味のあることからしか触れないので、いつも変則的な入り方をするのですよ(^_^;
梅若六郎さんが、朝日のコラムを書かれていた時、
シテを勤められた公演で、昨日は白洲正子さんがいらっしゃって、何方に見られるよりも緊張した、
そして
「あなた、お父様を越えたわね」と仰られて、何方に言われるより嬉しかった、
と、書かれていて、
ほー、そんなに凄い人なんだ、と感心したくらいですかねぇ(^_^;
GHQの高官(マッカーサーの副官ホイットニーだとは後で知りました)に、
君の英語はなかなかうまいね、と言われて、君ももう少し勉強すれば僕ぐらいにはしゃべれるように成るだろう、
と答えた日本人がいる、と聞いてました。また
天皇陛下から、マッカーサーにクリスマスプレゼントを届ける使者に立った日本人が、
たくさんのプレゼントが山積された部屋で、そのへんに置いといてくれ、といわれて、
我天皇の贈り物を、そこらへんのものと一緒くたに置けるか、とGHQの役人を怒鳴りつけて、
別のテーブルを出させた、という話も聞いていました。
二人が同一人物だとも知らず、白洲次郎という人だったとも知りませんでした(^_^;
「風の男 白洲次郎」という本を読んで、あれは両方とも白洲氏のエピソードだったのか、と知りました(^_^;
正子夫人については、大分後で、
「今なぜ青山二郎なのか」という本から、初めてそんな有名人だったのか、と知りました(^_^;
青山二郎については、かねがね知りたいと思っていたので、本屋で見つけた時慌てて買いました。
青山二郎という人を、なぜ知りたかったか、というと、
実は、彼こそ武原はんさんの最初の夫だからです。
武原はんさんという人は、大阪の芸妓からスタートしているのに、
一度も囲い者にならず(まあ、公開されている人生ではね(^_^;)
舞踊家として日の当たる場所に堂々と生きることのできた(稀有なと言って良いでしょう)女性です。
あの時代、芸妓からスタートした女性はまずダンナがついて、運がよければ引かされて妾になる、
というのが通り相場でした。
それでも相手が役者なら、けっこうおかみさん(正妻)に治まることもできて、
新・勘三郎の岳父の芝翫のお母さん、要するに大正の名女形で夭折した「慶ちゃん福助」の奥さんなどは、
そのパターンです。
彼女も武原はんさんの後輩芸妓で、大阪の大和屋という芸妓置屋は大変なところだったのですね(^^ゞ
自前の芸妓学校というものを持っていて、芸妓の育成をしていたわけです。
武原はんさんも芝翫のおかあさんも、まあ大和屋芸妓学校の卒業生、というわけですね。
しかし、妾からスタートすれば、どんなに踊りが巧くても、なかなか日の当たる場所には出られない。
勿論その世界で有名になっても、です。
最初に芸妓でスタートすると、どうしても妾暮らしをする羽目になり安いわけです。
逆に、最初に舞踊家として名乗りをあげれば、
パトロン&スポンサー(西洋風の芸術パトロンじゃなくて、ですよ)がついていてもれっきとした舞踊家なんですね(^_^;
ところが、武原はんさんは、芸妓からスタートして、まあ何かしらあったかもしれませんが、
青山次郎という金持ちに引かされて後妻に納まります。
結局、破鏡して、離婚して(また新橋から芸妓で出たというのは後から知りました)、
それで、あの「はん居」→「金田中」という料亭を開くわけです。
それ以前に「なだ万」の女将もしていたというので、こりゃ凄い!と思いましたね(^^ゞ
舞踊家としてはその頃からつとに有名で有りました。
まあ、その当たりからはちょっと分かりかねますが、とにかく金田中をあれだけの名料亭に仕上げました。
それに、某大作家との恋愛もソコソコ有名なので、ダンナが付いていたとも思えない
事業の腕もあったのでしょうねぇ(^_^;
でー、とにかく、おはんさんの一生に稿スタートを切らせた青山次郎について知りたかった、という訳です。
長いなぁ・・・(^_^;青山二郎は、まあいいや、白洲次郎についてね(^_^;
白洲夫妻については、↑の武相荘のサイトに詳しく書かれています。
武相荘は武藏と相模の中間にあるから武相荘なんだそうです。
まあ、勿論「無愛想」をもじってあるんでしょうけどね(^_-)-☆
薩長の田舎もんが、明治維新をしたのは良いが、江戸の文化をぶち壊した、
卑俗な田舎好みを持ち込んだ、といわれますが、
新貴族も三代続けば垢抜けて、海外留学を重ねて国際的に目も開けてそれなりの人が輩出します。
正子の祖父樺島資紀という人は昭和天皇の御養育係を勤めて、自邸でお世話した、というほどです。
次郎と正子の両家の縁組も双方の父親が、英米留学の後に、更にボン大学へ留学し、
家族ぐるみの交流があって生まれたことのようです。
次郎と正子の兄がまず親交を結び、妹の見合いを段取りしたのではないか、と書かれていました。
勿論、みんな海外留学組よ!!
お互い、見合いの席で一目ぼれということでしたが、
白洲次郎という人は、当時としては珍しい180センチの長身で、
生まれが良い、頭が良い、語学が出来る、・・・以前に、やはり、その外見のよさが
周囲の者に対して、彼に一目置かせるオーラを与えていたのは確実と思われます(^^ゞ
美人は徳だ・・・いやぁハンサムも得だ♪
なかなかのフェミニスト(本来の意味での)で、リベラリストでもあったようですが、
やはり貴族としての自負は大きかったでしょう。
「カントリー・ジェントルマン」という言葉の中に、彼の屈折した誇りを見ることが出来ると思います。
それは正子夫人にも言えることで、
何をどう受け止めていたとしても、その基本は樺島伯爵家の娘だという矜持からは逃れられなかったと思います。
日記の方でも書きましたけど、
今日は、古澤万千子さんと言う方の着物だけでも見られてよかったー、と思いました(^^)
ちょっとサイトの方でも紹介されていますが、
ふつうの職人さんでは馬鹿馬鹿しくて出来ないほどの仕事!ってホントに細かくて大変な作品でした\(^^)/
お雛様はさすがの代物?で、お顔の美しさ・装束のきめ細かな作りは素晴らしいものでした(*^-^*)
例のNHKで映った
法隆寺伝来鍍金鈴・鎖、神護寺伝来経帙蝶形ブローチも展示されてました!
両方とも推古時代のものだそうで、
言はば国宝・重文級ですよねぇ・・・どうやってgetされたかは?ですけどさ(^_^;
法隆寺伝来鍍金鈴・鎖の方は
山中を分け入っての「西国巡礼」の取材の折、正子さんはこの鈴を身に着けて心細さを紛らわしたとのことでした(^^ゞ
神護寺伝来経帙蝶形ブローチというのは、
「経帙(きょうちつ)とは、経巻の損傷を防ぐために納めた覆いに配した金具のこと」だそうで、
正子さんはブローチに仕立ててお使いだったそうです。
それぞれのレプリカも売ってましたけど、
レプリカで 鈴/¥226,800(うち消費税等10,800円)、鎖/¥197,400(うち消費税等9,400円)
同じく神護寺伝来経帙蝶形ブローチも¥191,100(うち消費税等9,100円)
だそうでした♪
誰か買う人いるのかなぁ・・・まあいるんでしょうねぇ(^^ゞ
NHKといえば、正子さんの書斎はやはり素敵でしたよ\(^^)/
本棚が三面を取り囲んで、掘りごたつになった机があって・・・
番組で、解説の細川氏が僕の一番好きな場所、と言ってましたけど、ホントに素敵です(^^)
みんな、本棚の中に、自分の持ってる本を見つけて、あ、私も持ってる、とかうちにもあるぅ〜♪
なんて、無邪気に喜んだりしてねぇ〜(*^-^*)
楽しかった・・・ホントに遠足だわぁ(^^)v
お食事は限定20食、というわりにはちょっと高かったかなぁ〜・・・美味しいのも有りましたけど、
スープとオードブル頂いた時はお〜\(^^)/と思いましたけど。それと
デザートとコーヒーは美味しかったですねぇ(*^-^*)
八重寒紅という紅梅ですかねぇ・・・わりと大木でしたけど素晴らしい梅でした♪
物置に上がる階段下の大きな甕にさしてあるのが素晴らしいあしらいだったので、あれは?
と見上げたら件の木に切った後が白く残っていて、端枝を切ったのを挿したのネェ・・・と、一興でした♪
お土産は、どういうわけか虎屋の「推古」と「夜の梅」を置いていたので、
まあ、↑のブローチなどが推古時代、ということもあるのかな(^_^;
「推古」を買ってきました♪
また行きたいか?と言われれば、もういいかな、と思いますけど、
でも一度は是非行っておきたい所だとは思いました。
そうそう、土壇場で、サイトで「ご希望の方に使い捨てスリッパ200円」と書かれているのに気が付いて、
朝ドタバタとタカノのスリッパ持ち帰ったのを四足持って行ったりのですが、これは正解でした♪
たいした処を歩くわけでは有りませんが、寒い時なら、やはりスリッパがあると良いと思います。
それでも、リビングにしていたお部屋(本来は農家の土間だった部分に床を張ってリビングにしていた)は床暖房でした♪
もともとの農家にれこれ移築して継ぎ足したりしたので床に段差があったりしますが面白いつくりでも有ります。
サイトには邸内の図面も有りますからわかり安いでしょう。
ただ、やはり使われていた当時とは大分趣が違っているのでしょう。
本を読んで、あっここか、というのは一寸ムズカシかも、ですね(^^ゞ