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6月1日(土) インターミッションF 寂聴氏講演会「源氏物語の世界」&「源氏物語の世界」展

5月の某日、新聞に「寂聴源氏新装版の出版完結記念講演会・“源氏物語の世界”」の囲み記事が出ました。
場所は東京国際フォーラム・先着5000名・入場料2500円。但し寂聴氏の現代語訳「源氏物語新装版の第一巻か第十巻(一冊どちらも1300円)・ならびに時期を合わせてデパートで開催される「源氏物語の世界」展の入場券二枚(一枚800円)を進呈、ということで、偉く豪儀な催しなのです。

先着5000名と言っても、当然、「予想を上回る応募がありましたため抽選の結果・・・」はずれるんだろうな・・・と予想しながら即応募!!
予感は見事的中し見事にはずれ(;_;)でも、入場券はしっかと頂いたので、まぁモウカツタカ(^^ゞと口惜しさ半分納得していたところ・・・某日午睡を破るTELの音!!

TEL「こちらは○○社でございますが・このたびはジャクチョーコーエンカイにご応募ありがとうございましたぁ」
私「はぁ・・・どうもぉ・・・」(目覚めてない)「ジャクチョーってなんだぁ〜・・・?(誰だ?じゃない!なんだぁ・・・なのです(^^ゞ)
TEL「既にハズレのご連絡が行っていることと思いますが、キャンセルが出ましたので宜しければご招待したいとご連絡しております」
私「はぁ、ありがとうございます。それは無料のご招待でしょうか」(まだ目覚めてない!!頭の中でジャクチョー、ジャクチョーってなんだ?梅雀の顔が浮かんで、私、前進座の公演なんか応募したかな?と考えてる(^_^;)
TEL「えっ、あっ、これは通常の入場料を頂く事になっておりますが・・・」(怪訝そうな声)
私「はぁ、おいくら・・・?」(えっ、私有料の公演〜講演じゃないの、まだわかってない〜なんか応募したかな・・・?)
TEL「2500円でございます。」
私「あ、それでは、一応行かせて頂く事に・・・」(まぁ、いいや2500円なら、応募したからには行きたかったんだろうから・・・)
続けて私「で、あの・・・公演は何でしたでしょうか?」
TEL「あの、『瀬戸内寂聴の源氏物語の世界』でございますが」かなり怒りを含んだ声でトーンが上がった!!そこで、やっと私は目が覚めた!!うぉーヌヌヌ!!
私「行きます!行きます!!どうすればよろしいですか?」咳き込むように訊きましたよぉ〜ん(*^^*)

へへへ(^_^;)前振りが長すぎましたか(^_^;
というわけで、本日、見事!行って参りました(^o^)丿

で、まずは「源氏物語の世界」展

瀬戸内寂聴氏が関わった「源氏物語」の世界のとりどりを展示したものです。
歌舞伎座で三之助(新之助・辰之助・菊之助)が演じた光・頭中将・紫上の衣装、脚本(殆どは大藪郁子氏だが、寂聴氏も関わったそうです)の原稿。
「源氏物語」から題材をとった新作能を、と梅若六郎から依頼されて執筆した「夢の浮橋」の執筆原稿と装束(デザイン・植田いつ子)、中啓。これ、よかったです(*^^*)
後の講演で、寂聴氏の苦労話の部分がありますから、そこで書きますが、植田さんの装束は豪華で素晴らしいものでした。特に匂宮の!
寂聴氏所蔵の「源氏物語」写本。金蒔絵の草子箪笥入り。
「寂聴源氏」の装画・石踊達哉の原画。新装版・堀川里万子の装画の原画。
ちょつと関連は・・・・?とは思いますが、大和和紀「あさきゆめみし」の原画、ホリ・ヒロシの創作人形(浮舟・薫・匂宮)合計10点。草乃しずかの日本刺繍を仕立てた几帳・小袿・内掛け・訪問着など。
それで、一番の展示物は(私は、ね)日立製作所が開発した技術による「国宝源氏絵巻」の復元絵巻!!ちゃんと、絵の間に詞書の部分がはめ込んで、絵巻物として復元してあります。五島美術館の「国宝源氏絵巻」展でも、江戸時代の絵師が復元した「国宝源氏絵巻」もよかったですけど、これはまた、原画から忠実にコンピューターでデジタル化して色づけされていて・・・もう溜息!!
それがですねぇ、これは、当日のデパートでも売りに出されていました、五島本(「夕霧」と「御法」の二巻入り)で11万円!!欲しい!!!11万円かぁ・・・勿論高い(^_^;だけど買えないという額じゃないのよね・・・というわけで、まだ悩んでます(^_^;


寂聴氏講演会「源氏物語の世界」

で、講演会!!
面白かったですよ〜!!凄い人ですねぇ、瀬戸内寂聴!!
緩急自在、一時間半を、何の原稿も見ず、笑いの渦で押しつつみながら、なかなかのお話しをして頂きました。
勿論法話慣れもしていらっしゃるでしょうが俗語やべらんめぇ調も含めて、四国なまりのイントネーションもチョイありの声も柔らかで耳障りがいいのですよね(^^)
まぁ、大したものです(*^^*)
終わりの挨拶で、司会者が言ってましたけど、80歳とは思えないパワフルなご講演と(^^)うん、全くパワフル、バワフル♪その言葉がピッタリでした(^o^)丿

以下

1.前説

5000人入るところで講演するのは、やはり、心臓がドキドキします。ここは3回目で少し慣れてますけど、まだちょっとドキドキしています。それに、このところ、全国あちこちで「源氏物語」の講演をしていますから、そんなに違ったお話もできませんから何度もおんなじ話することになる。で、出版社に言ったら、「大丈夫ですよ、今日は初めての人たちが多いみたいですから」と。出版社は口先でうまいこと言いますからね(笑)
それに、こうやっていると、「追っかけ」見たいな人もたくさん出てきて、今日も、この前のヘンにすわつていらっしゃるでしょ。もう私よりうまく話せるんじゃないかと思うような。
天台寺では、毎月第一日曜に法話をしますが、5月なんか12000人の人たちが来て下さって、とても本堂なんかに入りきれませんから、境内に筵を敷いて座ってもらいます。木登りの上手な人は木に登って話を聞くわけ。一時間か一時間半話を聞くと、その人達の顔が変わってきます。そりゃあ、長い山道を登ってきて疲れているわけだし来た時は疲れた顔してる人たちが、話を聞いた後では、明るくなって生き生きとします。

2.「源氏物語」とは

「源氏物語」は千年前に、子持ちの若い寡婦が、一人で書いた大長編恋愛小説です。まだ世界で誰も書いていなかった時代にあれだけのものを書いたんです。
それを、アーサー・ウェーリーという英国人が英語で翻訳して世界に広めました。その御蔭て「日本は素晴らしい文化を持った国だ」と言う日本観が出来ました。
私は「日本が世界に誇る文化遺産は何か?」と問われたら、古寺名刹より「源氏物語」を挙げます。形あるものは台風・地震・戦争・人災で滅することもありますが、「源氏物語」は永遠に伝わる文化遺産です。日本人が知っていなければ恥ずかしいと思うのに殆ど読んだことがない。
教科書で取り上げる部分は差し障りのない部分ばかりで面白くも何ともないの。それは、「源氏物語」は皇室を舞台にした不倫や恋愛を描いていますから、時代によっては、だめだったときもあります。
文章も難しいから教える先生にもわからない。同時代の清少納言の「枕草子」の方は、随筆ですが、こちらも、「随筆文学」としては大変なものですが、文章もテキバキしているし、清少納言の感覚が現代的でとっつきやすいんですね。

外人記者クラブの講演で呼ばれたときに、世界から集まった記者や編集者・カメラマン達に、「私たちは日本に赴任すると決まった時に、上司に呼ばれて、日本に行くなら“紫式部”という人の書いた『源氏物語』を読まなければ、日本と日本人を理解することは出来ない、と言われて、一生懸命に読んで来た。それなのに、いざ日本に来て、『源氏物語』の話をしようとすると、大学を出たインテリや社会的地位の高い人でも『源氏物語』を知らない」と言われて、大変恥ずかしい思いをしました。

3.「源氏物語」の現代語訳

昔でも、それに気付いた与謝野晶子(この人は近代に和歌を広めた大変な人ですが。近世の天才文学者を一人挙げよと言われたら、与謝野晶子を挙げます。)は、独学でいろいろな古典を勉強して、「与謝野源氏」と呼ばれる一番読みやすい「源氏物語」を書きました。
私は13歳の時、「与謝野源氏」を読んで、こういう仕事をする女性になりたい、という憧れを持ちました。

その次に谷崎潤一郎という現代の大文豪―「大」がつく文豪は谷崎先生だけです。「谷崎源氏」は原文に忠実で、この人は大学でちゃんと古典を勉強していますから、非常にきちんとした現代語訳です。句読点から、センテンスの長さまで同じような訳です。女学校の3年くらいで読みました。

それに対抗して現代語訳をしたのが円地文子さん。この方は、私が目白台のアパートに仕事場を持ったとき、円地さんも仕事場を置いていらっしゃって、ご一緒でした。当時の文壇での「女親分」という人だったんです。上田万年という大学者のご令嬢で乳母日傘で育った人で、結婚していらっしゃったけど、おうちのことは何にもできないという方でした。その方が「お茶を飲みましょう」とお電話を下さると、もう私も一応は作家の端くれで、書きかけの原稿があつても何があっても、円地さんのおへやにすっ飛んでいって、私がですね(と、強調)おやかんにお湯を沸かして、お菓子も、私のお金で買って行って、お茶をお入れするんですよ。(場内大爆笑)
で、私も作家ですから、その円地さんが、今の今まで油が乗って、仕事が進んでいることが部屋の雰囲気でわかるんですね。で円地さんの顔もポーッとピンクになっているわけ。そこで、「現代語訳」をしているいろいろな話をして、「円地文子の源氏への入れ込み方」をまざまざと見て、ああ、このままココにいたら私の作家としてのエネルギーをみんな吸い取られちゃう、と目白台アパートを逃げ出しました。
谷崎さんも家を建ててる間、目白台アパートに仮住まいをしていた時期があつて、一つ屋根の下に「源氏物語むを訳した大文豪ふたりと住んでいたんです。
谷崎先生は上の方を住まいにしてらして、私と同じ階に仕事場を置いていらしたので、そのお部屋の前を通る時は、そうっと、先生のお仕事の邪魔をしないように足音も忍ばせてね。ドアの上をさすって、私の頭をなでたりね(と、やってみせていらしっしゃいました)。
私は、出家の時は誰にも相談しないで決めましたから、それを聞いて円地さんが泣いて止めに来てくださったんです。「私が親ならそんなバカなことはさせない!」なんて、バカなことをおっしゃって。(と、笑。ここで会場も大爆笑)
で、私が言うこと訊かずに出家しちゃったもんだから、円地さんはおこって「瀬戸内晴美は破門した」とあちこちでおっしゃったんです。でも、破門したもなにも、私は、円地さんのお弟子入りした覚えはないんですよ。でも、円地さんとしては弟子のように思って可愛がってくださったんですね。(ちょっとシンミリ)

4.「出家」

「源氏物語」の時代の出家というのは「肩そぎ」とか「尼そぎ」という肩までに髪を切りそろえたものです。私は顔は悪かったけれど、髪は腰くらいまで長くて凄くきれいだったんですね。それを切るわけです。で、自分では「源氏物語」で浮舟が髪を切る処を想像して、几帳の向こう側に髪だけ出して、僧侶が髪を切るでしょ。それを想像していたら、いざ、その時になつたら、中尊寺の近所の理髪店の若い娘さんが、あの白い上っ張りを着てね、ポツンと待っているんですよ。あなたが切るのと訊いたら、おとうさんが、今朝急に「中尊寺で、どっかの婆さんが髪を切るって言うから、女の方がいいだろって言われたんで」ってその若い娘さんが、言うんですよ。で「もしかしたら瀬戸内晴美さんですか?私、瀬戸内さんの髪なんか切れないわ」って言うから、みんな待ってるんですから、早く切っちゃって下さいって無理に急かして、切ることになつたら、なんだか古いバリカンでここから(頭のてっぺんをくるりとさすって)そってくのよ。髪が引っかかって痛くてひぃひぃ言ってたら、障子の外で伺ってた取材記者が「瀬戸内晴美も髪を切るときにはひいひい泣いた」って書いて腹が立ちました。(会場大爆笑)
で、そり終わって、鏡見せてください、って言ったら、鏡も何もないところでそっていたんですからね。そしたら、あの夜店で売っているような安っぽい金属の鏡で、それでもうそれだけが心配だったんですけど、おそるおそる鏡を見たら、漫画の一休さんみたいで、これならいいか!と安心しました。
それで法衣に着替えるんですが、大体最初の法衣は師僧が作ってくれるものなの。私の師僧は今東光さんでしたけど、「お前さん、金たくさん持ってんだから、法衣屋紹介してやるから自分で作れ。」って言われて、自分で作ったんですヨ。それが注文の時には、私は木綿でいいですって言ってんのに、「俺の弟子なんだから派手にやろう」って羽二重やナニヤラいいものばかり選んで、私がいくらかかるかって心配したら、「お前、お釈迦様と婚儀をすると思え」と言われてね。

5.現代語訳

自分の髪が束になつて落ちてくるのを目の当たりにして、それから「源氏物語」を読むと、出家した頃は仕事も控えて時間の余裕もありましたから、それまでは「源氏物語」の女性たちが、なぜ出家するのか、女人成仏できたのか、目から鱗が落ちるように理解できました。
三人の訳者は出家をしていない!出家した女性としてもう一度現代語訳していいんじゃないか、と思いました。
まず、「女人源氏」を書きました。「女人源氏」という小説です。それも円地さんがご存命だったので、畏れ多いですからね、わざと売れないような雑誌にこっそり連載して、密かに円地さんのご他界を待つていました。(会場大爆笑)

円地さんがお亡くなりになって、「源氏物語むを持っていない出版社は、というと○○社だったんですね。私は持ち込み原稿は絶対したことがなかったんですけど、このときばかりは私のほうから話を持ち込みました。
そしたら、社長というのが慎重な人でねぇ、「瀬戸内さん、全訳終わるまで生きていられますか」と訊くんですよ。そういわれたら、与謝野さんは三十代、谷崎さんは四十代から五十代、円地さんは六十代、私はその時七十でした。そしたら、女性編集者の人が「その時は私が辞めればいいんでしょ」と言ってくれたんですよ。女性って凄いわねぇ。
で、訳を始めた時には七十歳。予定では3年のところがやはり5年かかりましたね。与謝野さん・谷崎さん・円地さんと三冊を前に並べておんなじようにならないように・・・大変でした。円地さんは美文、谷崎さんは原文どおり、与謝野さんは意訳。私は誰が読んでもわかる「源氏物語」を書きたいと思いました。おかげさまで220万部売れましたけど、豪華でちょっと高くて若い人には買いにくい、というので、若い人に読める半値以下のものということで、今回の新相版を出しました。
書いた以上は広めたい!売りたいというのじゃなくて広めたい。一冊の本を十人で読んでくれてもそれは広まるからいいんです。
今は黙っていて売れる時代ではないから、全国講演に歩いて、疲れているはずなのに元気になりました。
私はこの二月で満80歳になりました(会場大拍手)手を叩いてもらおうと思って言ったのよ(会場笑い)
この健康は、私が一生懸命がんばっているご褒美にもらったんだと思っています。

6.「源氏物語の世界」展

今度は、○○デパートでも、「源氏物語の世界」展をやっていて、毎日、千人、二千人と入場者が増えているそうです。
もともと「源氏物語」を書き始めた頃にも、「源氏物語」展をやってくれたんですけど、その時は廊下の隅っこにチョコチョコつとしたものだけで、私は気に入らなかったんですが、大変評判が良くて、あちこちのデパートで開催してくれるようになりました。
今度は、私のことだけでなく、「瀬戸内源氏」から広まっていく様子を辿るということで、三之助さんたちの「源氏物語」・梅若六郎さんからの依頼で書いた新作能「『源氏物語』でない『源氏物語』」

「源氏物語」の名場面というのは、全部古典能に入っているんです。私は浮舟の髪を几帳のあちらがわから切った僧の話から、不犯の僧が、初めて触った若い女の髪に煩悩を起こし、堕落して全国を流浪する話を書きました。
「夢の浮橋」という題で、原稿用紙にしたら30枚くらい古典の文章を一生懸命書いたのに、梅若さんの所に持って行ったら、どんどん切られて往復はがきくらいにされちゃって・・・そしたら、これが素晴らしい作品になつて二年間で14回も演じられました。

後、ホリ・ヒロシさんが篠田正浩さんが宇治の源氏ミュージアムのためにお撮りになつた映画のために作られた人形を10体出してくださいました。篠田さんもああいう方ですから、ご自分の奥さんが岩下志麻さんなんですから、奥さんを出せばいいと思うのに、「生身の人間を使うと源氏のイメージが崩れる」と人形に演技させてお撮りになりました。そのお人形です。

昨日も日野原(重明)先生と対談があつて、日野原先生は90歳で、私よりお元気です。90歳と80歳の合わせて170歳の対談ですよ。で、対談が終わったら、一緒に見に行きましょう、っておっしゃるので行って来ました。あの先生は粗食がいいとおっしゃるけれど、私はご馳走の方がいいです。

ブームが起こると、そのブームがブームを呼んで結婚式まで「直衣と十二単衣」が流行って・・・先日は甥の結婚式があったのですが、その花婿さんが眼鏡かけて直衣着ているのにはビックリしました。でも、源氏饅頭・源氏チョコレートでもいいから日本中の人が源氏を広めて欲しいです。

7.ふたたび「源氏物語」とは

「源氏物語」とは、光の君という主人公が生まれるずっと前からの話から書いてあります。光の君のお母さんは桐壺ですが、お父さんの身分が低いのに愛されたために、憎まれ恨まれてしまいます。
「後宮3000人」と中国では言いますが、まあ、中国はなんでも大げさに言いますから、白髪三千丈とかね。でも300人くらいはいたようです。日本の後宮は30人くらいの女性達が、お父さんの身分によって決まった身分と部屋の場所で暮らしていました。

昼は天皇が好きな女性の部屋に遊びに行き、夜は、好きな女性を御指名して天皇のところに呼ぶんですね。で、毎晩同じ女性を指名すると、お茶をひいてる女性達がいじめを始めるんです。「いじめ」は今に始まったものじゃないんです。で、気の弱い桐壺はそれを気にして病気になり死んでしまいます。源氏は幼くしてお母さんに死なれ、お祖母さんにも死なれて、天皇が膝元で育てることになります。そういう史実はありませんが小説ですからね。

で、愛する人に死なれて、天皇が「あさまつりごと手につかず」という状態になる。その前から政している様子もないんですけどね。周りの者たちが心配して、そっくりさんを探してくるの。桐壺にそっくりですが、今度は大変に身分の高い、前の天皇のお姫様です。で、源氏は元服前ですから、天皇に連れられて、どこへでも一緒に行って、藤壺の顔も見ることができます。で、10才くらいの子どもですけど、お父さんの周りの女性達はみんな年とっているのに、この人は若くてきれいだな、と好きになります。子どものくせにませてるんですね。

でも12歳になると元服して結婚しなくてはなりません。でも、その結婚した左大臣のお姫様はプライドの高いお姫様でうまく行かないんですね。そうすると、源氏は本当は自分は藤壺のような人とこそ結婚したかつたんだ、と考えます。
そこで、15〜6歳のときには、既に藤壷と通じてしまいます。当時は身分の高い人たちのまわりには、いろんなひとがいますから、その女官たちに賄賂をおくって、賄賂だって今はじまったことじゃないんです。

そうやって、女性のところへ忍び込むと、もう声を出しても誰も来ないんですね。藤壺は源氏の子どもを産みますが、天皇の子どもとして、帝位につけようとします。知性と教養は深いけれど、か弱いお姫様のようだった藤壺が子どもが生まれると、その子を帝位に就けるために源氏をも、利用するようになる。「女は弱し、されど母は強し」と言うでしょ。藤壺は個性の強い人です。

六条御息所と言う人は一番身分高くインテリですけれど、それゆえに言葉に出せない。心にためる思い〜自分の情念が自分自身を抜け出て、情念が人を殺す、という現実と非現実とを遊離する女の魂を描いて、誰もが書きたいところです。

「源氏物語」には、あらゆる恋愛のノウハウが描かれています。

「雨夜の品定め」なんて、今は女性がやっているでしょ。お酒なんかのみながら・・・、ねぇ。「通い婚」だって女性がする時代ですよ。

(このへんで時間がなくなってオハショリになったのか、逆に6.くらい迄の筈だつたのが時間が余ったので人物解説に行ったのか不明♪)

8.結びの言葉

小説は難しく考えなくていい。楽しく読む。読み終わって何か残ればいいんです。
家庭に一揃い、「源氏物語」を。花は枯れても「源氏物語」は枯れません。

↑いやぁ、これには参ったm(__)mでした。しかし、司会者が言っていた「パワフル」!!はぁ、よく笑い、大いに圧倒されて帰ってまいりました(^^)
しかし、国際フォーラムという建物は、かなり設計上問題ありですねぇ。
トイレ少ない。階段が暗くて急で狭い。エスカレーター数少ないし一本が狭い!!あれじゃ何かあつたら完全にパニックです。
今日もみんなが゜口々に、こりゃ、設計ミスだ、とか、外観優先で建てるからこんなもんが出来るんだとか、ここはどこが管理してるんだとか、罵りまくってましたよ!!




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