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8月31日(土)宇治の三姉妹@ 「私の『宇治十帖』観」

3月に、「宇治十帖」を書こうか、どうしようか迷った挙句、一度は書いておくべえか、とざっと書いてアップしたのですが・・・まあ、いつものデンで、アップしたものを読み返しているうちに、まとまつて来るだろう・・・といういい加減な了見で・・・(^_^;
ところが、私は、「『宇治十帖』は『源氏物語』にあらず」と確信しているような人なので読み方も足りないし、底も浅い!!
というわけで、アップして早々下ろしてしまいました(^_^;

ところが、ちょつと「家庭の事情」で、当分、更新は無理のようなので、とにかく、一応、アップし直します。というわけで・・・前文に少し手を入れるつもりで始めたら、こんなになってしまいました。ゆえに独立させることにして・・・組み方変えました。

私が、「『宇治十帖』は『源氏物語』にあらず」と確信している理由としては、作者が紫式部とは思えないなぁ・・・ということが第一です。内容的にどうこう、と理論的に言うよりは、やはり、最初に読んだ印象があまりに「正編(と呼ばれているもの)」と違うように思ったからです。勿論、ド素人のことで、文中の助詞・助動詞の使用の違いとか語彙の使われ方の違いとか、専門的なことは全然関係ありません!!何しろ子ども(10才前後の)なんですから、直感的に、ええっ!?これも源氏物語?なんでやねん??みたいな感じでした。勿論主役が変わるということじゃなくて、ですよ。いくら、子どもでもそれくらいの判断はつきますから(^_^;

「源氏物語」の持つ神秘性が薄れた、というか、生々しく下世話になった、というか・・・とにかく、偉く安っぽくなった、というような印象だったと思います。いえ、勿論これはこれでたいした物だということはわかります。しかし、「源氏物語」正編と比較して、というお話で。

円地文子氏が「源氏物語私見」で「『源氏物語』を通読した後で、正編より宇治十帖が優れているという読者は意外に多い」という前振りで、

小さい意味で作られた筋は確かに宇治の方に多く、巧でもあるように見えるが、正編の一見鈍いまでに大様で、動いているかどうかわからない底にあらゆる動物的な力を籠めている大河のような深さ、美しさには及ぶべくもない。

と、述べられている文がこの落差の全貌を語り尽くしていると思えるのは私の僻目でしょうか。更に、

正編「源氏物語」は、外面は、殺人や、自殺や、天災などを一切取り除いた優雅な衣装でなよやかに蔽われているが、その内面には中国の古典、例えば「史記」の冷厳な史観などんら学び取った逞しい骨格が巧みに隠されている、と私は思う。



また、私自身、「出家」一つを取りあげても、「正編」での出家は生きるため、「宇治十帖」の出家は死ねないための代償行為、と考えるようになってからは、よけいその思いは強くになりました。
ですから、今、国文学の諸先生を始め、寂聴氏や田辺聖子氏が、「正編」と「宇治十帖」ともに、「一続きの源氏物語」として、作者も紫式部ひとり、と想定していらっしゃるのには、あらら!?という気がするのです(^_^;

また、重ねて言えば、「宇治十帖」は人間の描き方がえげつないように思われるのです。人間の弱さ・愚かさを描く、と言ってももうすこし品格のある描き方ができるのではないか、と思います。光源氏も世に稀なる美貌と幾多の才能と、政治的能力を併せ持ちながら、相当愚かであったり、したたかであったり、無恥であったり、またあくどいこともしましたし、自己中心的でもありました。それは物語の主人公としてひとりの人間としての複雑な性格付けを構成していたと思いますし、ある意味では、物語の主人公として「ご都合主義という括り」でかなりカバーされるものであったように思います。
生々しい描写といえば、斎宮入内の折の藤壺との謀は凄かったですけれど、かえって政の残酷さと言う意味で物語自体に重厚さを加えました。いわゆる、性的描写に関しては、奥ゆかしい、というよりは慎重であり、艶なるヴェールにかくされて、優雅さを失わない形態を保ちつづけました。登場人物それぞれの性格も悪役的な嫌な面があっても、それを理由付けする根拠を与えられていたものです。しかし、「宇治十帖」の登場人物はその場しのぎの卑しさばかりが目立つ、とは言い過ぎになるでしょうか。キレイ事に言い変えると、それぞれの人格が終始一貫されていない、というべきか。
まず、主人公と設定される薫の卑小さ身勝手さ。一見優雅の裏側のせこさ。そのライバル匂宮の冷酷さ。ただ、匂宮は冷酷以前の瞬間湯沸し器のような沸騰の仕方が点数が高くて得をしています。これは、円地文子氏もおっしゃるところ(後出)ですが。

しかし、自分の政治生命を賭して、流謫の源氏を訪れた頭中将、柏木が今際の際に夕霧にすがる思い、それを受けて、例え自分の父を裏切ったと知っても猶柏木を懐かしむ夕霧に比較すれば、この二人のなんと情けない破壊された人間性よ、と嘆かずにはいられません。
同一の作者が、登場人物の性格設定にこれほど落差を求めるものなのでしょうか?勿論、作品の時代と人情の変化を描くため、あえて変えた、といわれれば、それまでですが、そう言いきれない「宇治十帖」の作者の悪意さえ感じることがあります。
円地文子氏は「源氏物語私見」の中で、「宇治には正編にない人物は殆どなく、それを弱い線で縮小している趣がある。」とお書きになっていますが、薫と匂宮について、

優柔不断な性格ならそれでもいいのであるが、薫の場合には、作者は彼を、結構一廉の人物らしく扱っている。正編の光源氏には作者の眼に遠近法の狂いがあるように思われる箇所は殆どない。どこから見ても、見事な人物でありながら、手に負えぬ欠点も持ち合わせている矛盾した人間像を確かに描き上げている。これだけの厚みのある主人公を創造し得た同じ作者が、続編に来て、こんな魅力のない男性を果たして描いたであろうかという疑問が私のうちに芽生えている。薫に比べれば匂いの宮の方が、あの時代の貴族のあり勝ちな浮気で、熱し易く覚め易いタイプをリアルに写していると思われる。

と、述べています。更に匂宮について、

雪の中を宇治まで逢いにゆき、、浮舟を舟に乗せて、向かい岸まで渡すところの描写など、篇中屈指の濃艶な場面であるが、浮舟の失踪後の傷心状態には、正編の夕顔死後の源氏の哀傷が投影している。

と述べていますが、このあたりのの記述こそ、「宇治十帖」の白眉でありながら、しかも、果たして紫式部の手になるものか、と私は疑うところなのです。
(さすがに、ここはたとえ、「宇治」と雖も本文読んでます(^_-))
ここだけでなく、薫が中の君の腹帯に触れて思いとどまる辺り、更にその後の匂宮と中の君の痴態を思わせる箇所など・・・、やはり数え上げると、私ごときおばさんでも「?」と思う箇所があります。

これらは、登場人物の性格付けということだけでなく、文章表現として、かなりきわどい表現がされているのではないか、と考えます。正編でも、我がゴヒイキ場面の「六条邸朝帰りの段」に見られる御息所の閨疲れの場や、某の院における夕顔との痴態を思わせる場面、朧月夜に「まろは、みな人に許されたれば」と挑みかかる場面など、ドキリとするような表現は多数あるのです。しかし、そのどれもが、きわどさを避けて、優雅な香華に包まれ、その燻らされる煙の彼方にあるかなきかのように朧に見えるように仕向けられているのです。その優雅さが「宇治十帖」には欠けているように思われてなりません。


もうひとつ、登場人物のパターンの踏襲の仕方・・・私は、薫という人物を「柏木と女三宮との不義の子」であると同時に、それ以前に朱雀院の孫と捉えていますから、源氏の孫匂宮と、さらに、彼らの弟である八の宮の孫浮舟との三角関係・・・しかも、オール源氏の登場人物による三角関係、という設定の仕方に、何らかの意図とパターン化を感じるのです。

つまり、「昔を今に」的発想で「柳の下の泥鰌」を狙った二番煎じ、ということです。光源氏と朱雀院とで朧月夜を巡る三角関係があつて、それが、ある程度の流れはあったものの、主流への大発展は遂げず、源氏の須磨流謫の直接の原因というところで傍流になってしまいました。それを惜しんだ、源氏ファンがいたのではないか?
もっとも、その根底には、紫式部のアシスタントをしたような―つまり、清書係のような―弟子に近い女房がいたはず、とも私は考えているからなのですが。その辺りの才ある女房の中から、完全なる終焉を迎えた「源氏物語」の続編を書きたい、と野心を抱いた者が出現したのではないか。或いは、誰か貴族の中から、紫式部に刺激されて、俺ならもっとうまく書ける、と挑戦した貴公子がいたのではないか。そこで光源氏・藤壷・紫上(女三宮も含めても)源氏トリオ(カルテット)の「源氏むの潜みに習って、八の宮の孫でありながら、皇女とは呼ばれぬ源氏の女(浮舟)を作り出したのではないか、と。そして、宗教観なども当然紫式部とは違いますから、前出のように「生きるための出家」ではなく、「死の代償行為としての出家むをするのではないか・・・荒唐無稽な想像かもしれませんが、しています。で、当然のことながら、紫式部ほどの天才は二人といるわけはなく、どうしても質が落ちるのではないか、と考えています。


我が円地師は対談集「源氏物語のヒロインたち」の津島佑子氏との「大君・中の君」に関する対談の中で、その件で、
「著者が代わっているんじゃないかと思うんですけどね。まあ、これは私だけの考え方だから・・・。」とおっしゃって、津島氏が「私はストレートに、とにかく同一の人が書いたという前提で読みました。」という発言には、「私も一応そういう前提で読みます」と述べています。

そして、同氏の「私見」の中では、(前にも取り上げていますが)

私は、いつも言うとおり、「源氏物語」を愛読者の立場で見てきたので、作者に着いてはあまり拘りたくない気持ちであつた。実を言えば、この稀有の優れた物語の作者が、複数であっても単数であっても、私にはたいした問題ではないので、仮に紫式部と言う名前が集合名詞であっても、「源氏物語」を評価する上に何の変わりはないと思っている。唯私が読んでいるうちに自得した勘に従えば、この作者は女性であろう、ということだけは言える。それは光源氏という男性像を造形した根底に、ジェンダーとしての女を感じるからである。
しかし、口語訳の仕事にかかつて、六年の歳月を「源氏」と共に暮らしてきた後の今となっては、正編、つまり光源氏を主人公とした物語は、確かに同一の作者の作品であるが、その続編とも言うべき、「匂宮」「紅梅」「竹河」の三帖、また由来正編を凌駕するほどの傑作として愛読されている宇治十帖にしても、果たして、正編と同一の作家の手になったものであろうか。私には疑問を挿みたい点が多いのである。

と、述べています。

それに比較して、田辺聖子氏・瀬戸内寂聴氏が「源氏物語」正・続ともに紫式部の手によるものと見なされているのは周知の事実です。
おふたりとも、ことに瀬戸内氏は「宇治」は出家した紫式部が出家した体験を踏まえて書いたのだと、ご自身の出家体験を踏まえて述べていらっしゃいます。(このへんは、源氏店のあちこちで取り上げているので、今回はカツト)
それより、最近、大変なお宝本を発見いたしました。それが国文学者大野晋氏と文学者にして評論家でもある丸谷才一氏共著の「光る源氏の物語」というもので、出版は1993年でかなり古いのですが、寡聞にして知りませんでした。

これが、丸谷氏が54帖各巻の核となる場面をピックアップして、現代語約を施し、それについて、大野氏と討論する、という垂涎の二巻なのです。当然時間と紙数の都合で、本当に一部なのですが、これが、凄い!!
そりゃあ、「小説家兼批評家(丸谷氏の自称)」がどういう風に物語を読むのか!という、これは大変なお宝本です。丸谷氏の読み方を聞いているだけで、「本文読みました」なんて、恥ずかしくて言えなくなります(^_^;語彙に対する拘り、文法に関する知識、世界文学に関する知識・・・当然ですが凄い!!確かに「カラマーゾフの兄弟」や「失われた時を求めて」を読んでいなければ、理解しづらいこともあると思います。私は読んでませんけど(;_;)
と言いつつも、身のほど知らずにソレチガウジャン!等と恥ずかしげもなく呟くオバサン・・・私だ(^_^;とんだ恥知らずなのですが・・・。
これによりますとですね、またも、コンチクショー!!あんなに考えて暖めていたのに!!ということがワンサカで、私は死にたくなるのではありますが・・・まあ、そういう身の程知らずのアホな愚痴は置いときまして、冒頭から・・・親分大変だぁ♪という具合で・・・

「『源氏物語』の原題は」というところから入りまして・・・えっ?「源氏の物語」じゃないの?紫式部日記にそう書いてなかったっけ?とか言うのは、非才浅学の身なりせば、お許しなされてくださりませ(^^ゞ
まあ、結局は「源氏の物語」でよさそうなのですが、それは、後日。今は「宇治十帖」!!で、その「原題話」の終わりのところから話は始まります。

丸谷―(前略)作者については、大野さんは単数説なんですね。
大野―このごろ、単数説に固まった(笑)。この『源氏物語』がどういうふうにして書かれたかに関しては、たとえば折口信夫先生などは「大勢いるような場合もあり得る」とおっしゃっていましたね。
丸谷―そうです。
大野―私は最近までは少なくとも複数なのではないかと思っていました。というのは「宇治十帖」は、読んだ印象がどうも違うんですね。言葉づかいがなんとなく違うと感じていたんです。
実際文章を分析した人も大勢います。たとえば安本美典氏の『文章心理学入門』を拝見すると、統計的な方法を使って文章の長さとかをいろいろ比べておられる。そうすると、それ以前の巻々と「宇治十帖」とは文章の長さその他が違う。「宇治十帖」にくると、文章が長くなるんですね。それから歌をどれだけ混ぜて使っているかということを調べると、はじめの方が多くてだんだん減っていくんです。今日で言う文体の上で、『宇治十帖』とそれ以前とは文章が違うということがあるんです。

と、来て、オーオーそれでなんで作者単数説よぉ?とブツブツ呟いておりますと、次に円地文子氏の例の「私見」で述べられた説の御紹介があります。で、ところが!と来ます。
石垣謙二氏という国語学者が『源氏物語』及び奈良朝から中世以後までの助詞「が」を全部とって、「が」の使い方が、どういう風に展開してきたかということを調べられたところ、「助詞の『が』の使い方からだけ言えば、宇治十帖は違っているとはいえない。だから別人の作という意見はなかなか簡単には行かない」とおっしゃったそうです。ただ、この方は昭和23年に逝去されていらして、昭和25年の頃の武田宗俊氏の「仮説(という言い方を大野氏はしている)」、つまり正編33巻のうち、桐壺系17巻が最初に書かれたもので、「帚木」「空蝉」など俗に言う玉蔓系16巻は後で書いて挟みこんだという見解を知らずにいらした段階での意見です、という大野氏の注釈がありました。
で、そこで大野氏は、

大野―実は最近に至ってのことなんですけれども、私は『紫式部日記』を読み返したんです。昭和30年代にも読んだことがあったけれども、その段階では実はサッパリわからなかったんです。最近『紫式部日記』の研究が非常に進んできました。本文の上でも進んできたし、注釈の上でも、萩谷朴さんが、非常に綿密な研究をなさって、かなり細かく読めるようになって来たんです。人間関係などもいろいろわかるような注がつけられてきた。それを読んだ結果、『紫式部日記』の内容はなかなか重要なもので、それを考えに入れると「宇治十帖」も紫式部の筆だということになると思うようになりました。

と、おっしゃるのです。
大野氏は、「紫式部日記」の記述を「源氏物語」の内容と連動させて、お考えになっているようで、殊に

大野―死にそこなった浮舟が、私はなんで匂宮なんかに気を引かれたか、あれは間違いだった、そうじゃなくて薫のほうが私を真当に愛してくれた人間なんだ、自分は愚かだったと、一生懸命自分自身に言っているところがあります。それは『紫式部日記』の後半で彼女が、絶対に私は愚かな、二流の女だなんて自分で思ってはならない、と言っていることと、ネガとポジの関係になっています。―中略―
「宇治十帖」で、「蜻蛉」の巻まで読むと、話は終わっているように読める。しかし、「手習」と「夢浮橋」に絶対必要な事が書いてある。そこのところをよく読まないと、「宇治十帖」全体はどうもよく理解できない、というのが僕の考えなんです。
こんな具合で、『紫式部日記』の後半と「宇治十帖」の最後の二帖とは逆の形で照応している。他人がやっては、ああは絶対いかないと思うようになったのです。ことによると、「宇治十帖」はかなり年をとつてから、頭の中で全部整理して、十分な組立てが出来てから書いたんじゃないか。そんなことを考えるものですから、私は『源氏物語』は一貫して紫式部という一人の女の人が書いた、といまは思っています。

ええっ!?そうですか?そりゃ、国文学者の大先生がそうおっしゃるのですから、なんとも反論はしにくいのですが、まして、私は「紫式部日記」を、きちんと読んでいるわけではないのですから、反論なんてとんでもない!!
でも、でも、「紫式部日記」と言っても、読まれることをかなり意識している前半は別としてもですね、後半のかなり自我を主張した、というかあられもない内容があったとしても、それをそのまま「宇治」の浮舟の煩悶に結び付けられるのでしょうか??これは大疑問であります。しかも、私は、「宇治十帖」の作者は正編よりかなり若い人じゃないか、いわゆるアプレという類の人ではないか、と思っているんですから・・・
で、ここで丸谷氏が先の大野氏に対するお答えをします。

丸谷―ぼくもほぼ単数説ですね。ただ、大野さんの今のお話は、作品の世界と作者の伝記的事実との関連があまり直接的にすぎる。長編小説、あるいは物語を書く場合の想像力によって別の世界を創るという作用を排除して、伝記的事実と作品の筋とをパラレルに置きすぎていらっしゃるという気がします。でもね、あれはひとりの作者じゃないと、ああいうふうにうまくゆかないんじゃないかという気がするんです。

だそうです。嗚呼!!そうですか〜(;_;)
そういうお二人も、「橋懸り三帖」という「匂宮」「紅梅」「竹河」の三帖については、ラフな語彙の使用―「孕む」の使用・係り結びの乱用・正編からのパクリなど―から、紫式部の美学に反すると、あっさり、別人の作じゃないかというお説です。

丸谷―この三巻は本来の『源氏物語』にはなかったんでしょうね。読んで別に楽しい思いをすることもない。
大野―読んでいたらいやになる。研究してみると、いろいろ怪しい。というのが結論かな。
丸谷―読者はこの三巻を飛ばすほうがいいとおすすめしたい(笑)
大野―賛成です。

はい。私は、「雲隠」で、ある感慨を以って本を閉じて、また新たに読み始めたとき、ここを越えるのはかなり大変でした。こりゃナンジャ??そのために、「宇治十帖」全体が私自身の中で貶められている、ということは否定しません。かなり退屈、内容もありません。確かに源氏一族のその後という説明が必要でもあるのですが、それにしても総華的に話が広がるわりには、み〜んな尻切れトンボですしね。玉蔓も明石中宮も平凡なおばさんになっちゃって昔の光今いずこ!!
それが、前出の、円地文子氏の「源氏物語私見」の中での、「宇治には正編にない人物は殆どなく、それを弱い線で縮小している趣がある。」ということになるのではないでしょうか。
ただ、円地文子氏は「私は世人がけなすほどこの三帖が嫌いではない。」とも、おっしゃつていらっしゃいます。


「宇治十帖」がすんなり、一人の手によるものだと納得しない私に追い討ちをかけるように、大野・丸谷両氏の「宇治十帖」論が展開します。
薫の自身の出生への拘り方への描き方について、

丸谷―小説化がこういう概念的な説明で済ませてしまうのは、エネルギーが失せている時なんです。具体的なエピソードを思いつけるのは充実している時です。紫式部は「雲隠」以降、なんだか一種、虚脱状態で描いているという感じですね。
大野―それは「宇治十帖」の文章にも表れています。センテンスが非常に長くなってくる。a系列(正編桐壷系)のワンテンスが平均五十三字。「宇治十帖」では八十五字。
丸谷―でも、文章構造は単純になりますよ。
大野―ズルズル長いんです。ということは、作者の力が乏しくなってきた。ぼくは「幻」の後、「宇治十帖」を書き始めるまでにかなりの時間がたっていると思っているんです。
丸谷―十年とか二十年とか・・・。
大野―そうでする「宇治十帖」の文体ないしは内容の理解の上でそう考える以外にないように、この頃は思っています。「宇治十帖」は別人がつくつたという意見もありますがね。
丸谷―折口さんのものが一番有名ですね。それは男で、隠者であると。
大野―ええ。隠者でないまでも、とにかく別人だといろんな人が言っている。その根拠になつているのは、まずはこの前論じた三巻ですね。それをわれわれはもう除けてしまった。それは関係ないと考える。それにしても、「宇治十帖」は、どうも全体として文章がズルズル続いているところがあるんです。力強さがない。簡潔さの表す美が乏しい。
丸谷―そうかもしれない。でも、ところどころに非常にうまい文章があります。
大野―もちろん。ぼくは内容上からいっても、「宇治十帖」はやはり紫式部が書いたといまは思っています。

そうですか・・・結局そこに落ち着くわけですか(^_^;とガックリ。
しかも、この後、大野氏は「宇治十帖」の更なる特徴として、色彩語・色の記述がa系列の半分以下であること、「白」と「黒」が多くなって、「朱」とか「紫」とかいう色の扱いが減る、ということもおっしゃっているのです(話題と描く世界によって派手な色が減ってくるのは当然ですが、という注釈つきです)が。

そうなんですよ!!あの荘厳な曼荼羅に例えられる「源氏物語」が、精々幡くらいになっちゃうのですよ。登場人物のスケールが小さいんだから、作品が小粒になるのは仕方ないんです。だからそれはそれで納得しなくてはいけない、ということは理解できます。しかし、作品の品格・品性はそんなにも違ってしまうものなのでしようか。

そして、その「宇治十帖」のヒロインの終焉に際して、匂宮と薫共々の冷たいこと。薫はまあ、いつまでもグスグス言い続けますが、それにしても、自分の妻の異腹の姉(今上帝の明石中宮腹の女一の宮)に懸想して変態的な振舞をしたり、匂宮は死後すぐにこそ、枕も上がらぬほどの嘆きを見せますが、49日も過ぎぬれば、あっという間のプレーボーイに逆戻りしていきます。「死」に彩られた「宇治十帖」は主役の「死」さえも軽く扱っています。正編の「死」に対する敬虔な思いはどこに行ったのでしょうか。

まあ、両氏も、「椎本」の、薫が大君・中の君のふたりが薫の訪問を聞きつけて、西表の持仏の間から居間へ移ろうとした所を垣間見る場の解説で、

丸谷―引用の覗き見のところ、なかなかいいシーンですよ。とってもきれいだし、くっきり目に見えるでしょう。―中略―うまいけれども、なんだか女三の宮の猫のところの覗き見のシーンのような生き生きした感じはないんです。―中略―ただ、この部分、姉妹をパッと出したのはなかなかの力量ですね。―後略―
大野―手が込んでいますよね。
丸谷―あれを「橋姫」の真中へんくらいに持って言ったら、読者は・・・
大野―イメージを浮かべながらこの物語についていけますね。そのことも含めて、ぼくはいささか老年の筆に至っているんじゃないかと思うんです。どうも描写の活力に欠けているところがある。
丸谷―これは、紫式部が文化勲章をもらってから書いたんですね。(笑)

ただ、救い、というのはあります。それは、やはり「夢浮橋」の終わり方。あれは、よくもああ思い切った終わり方ができる、ということと、ヒロイン「浮舟」の人間的な成長を突然のように描ききったことです。
インターミッションBの「紫式部賞選考委員の鼎談」でも、田辺・瀬戸内・梅原三氏が述べていらっしゃいましたが、

田辺「殊に、最後に小君に声をかけられても振り向かない、という場面は素晴らしいです」と言い
瀬戸内「そうです、あれは、ああいう最後の場面を設定して終ったんですね。」
田辺「そうですね。薫がつまらない想像をしてるのにね。」
梅原「あれはいいですね。僕はヘミングウエイの『武器よさらば』の最終場面を連想してました。
瀬戸内「男って、なんでああいうつまんない想像しかできないのかしら!?」ということでありました。

白状すれば、私は、この終わり方を理解するまでには十年以上かかったのです。やはり、この最後の部分は、三十路近くならなければわかりませんでした。そして、そのこういう終わり方もあるのだ、と理解しても、それがどれほどのテクニックなのか、ということは恥ずかしながらわかりませんでした。それは、やはり浮舟の出家が、作品的には、朧月夜の翻然たる悟りによる出家を真似ていながら、浮舟自身にとっては、死の代償行為であった、と考えていたことだと思います。
しかしながら、たとえ死の代償行為としての出家であったとしても、現に彼女は生きている。生きているからこそ、憂世の絆しを断ち切って、仏の世界へ飛翔する自我に目覚めたのだ、と考えられるようになって、初めて、「宇治十帖」も捨てたものではない、「源氏物語」の続きということでなく、一つの作品として考えられるようになりました。



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