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9月2日(月)宇治の三姉妹A 

―ホントは9月2日―
以前アップした「宇治の三姉妹」を組みなおした文です。
あれ以降、大野晋・丸谷才一共著「光る源氏の物語」を入手、朝日新聞の記事から若干の加筆があります。

私が「宇治十帖」に始めて触れたのは、残念ながら、誰方の源氏本でもなく、映画の「浮舟」でした。
小学校の4・5年生で、子ども用に書かれた「源氏物語」で、二条院落成で大団円を迎えた物語の後に、まだまだ続く愛憎の「大人の世界」が広がっている、ということは、母から聞いてはいたのですが、なかなか、読むにいたらなかったのです。
そこへ、冒頭でも書きましたように、映画・演劇は何でも天下御免の家系で、ちょうど大映で長谷川一夫・市川雷蔵・山本富士子という、当時のゴールデンキャスト出映画化されたものを見たのです。それが、昭和32年の制作というからには、私は一体、いくつの時に見たのだろうか?と不思議な気もするのですが、たとえ封切り(昔はファーストランをそう言った)の時でなくとも、そんなに遅くはなかったはずで、そうすると、私が「源氏」にふれたのは、自分で覚えている小学校の4・5年生というよりは、だいぶ前になるらしい・・・と今回思いました。

えっと、もうひとつ白状するとすれば、私は「『宇治十帖』は、与謝野源氏と円地源氏で一回ずつしか読んでいないものでよくわからないのです」などと、かっこつけていますが、実は、「通しては少なくもその倍以上」、「正編との比較などで断片的には数知れず」読んでおります。
しかし、わからないのですよ、実をいえば・・・何度読んでもよくわからないのです。入ってこない!!頭の中に、体の中に(;_;)原文で読んでいるところもあるにはあります。でもわからない!!なぜ、これが「源氏物語」なのか?勿論、「源氏物語」とは別の田辺風に言えば「霧深き宇治の恋」の物語、といわれれば、それで納得はします。それならそれで、なかなかたいした文学だと感動しております。しかし、わからない??なぜ、ここに、正編の美しい終焉の後に、この生臭話が来るのか理解に苦しんでいるのです。

さて、その「宇治十帖」は、大君の死から始まりました。そのために、私の「大君像」はだいぶ変わっているかもしれません。
そして、先に言うように、私は、「宇治十帖」というモノに対して「源氏物語」とは大いに違和感を覚えているのです。

はっきり言えば、「宇治十帖」の時代的感覚・登場人物たちの精神活動についていけない!?うまく言えませんが、時代は変わった!!と、慨嘆するしかないような感慨を持つのです。
何代にも亘る大河小説では、主人公も変わるし、時代風俗も変わります。それに連れて、その小説の雰囲気も変わっていくものなのです。ちょうどオムニバスドラマのように。が、その小説世界に入ってしまえば、その大河に翻弄され押し流されて、一挙に読みきってしまう作者のテーマとか、意志を感じるものなのです。それが、「源氏正編」と「宇治十帖」の間には、ないように・・・私は思います。
だから、今ここで、ナンデ私が「宇治十帖」について語らなくちゃならんのか??だれもそんなこと頼んでおらん!!自分の勝手じゃ(^_^;
そうでした・・・そうなんですよね・・・でも、丸谷才一さんとかさぁ・・・ムムム(^_^;

ただ、菅原孝標女が「更級日記」で「光源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ」と書いたのが、彼女の上洛の1020年頃、と言われれば、1013年頃に完成したか?といわれる「源氏物語」の普及の速さからいっても、作者紫式部同一説が説得力を増すのでしょうけれど、ド素人のおばさんは、そんな学問的見解を無視して、ついつい自説にしがみつくのです!!


そこで、大君です。宇治の三姉妹の長女、大君は待ち続けた女です。そして、その身代わりのように登場した浮舟は待てなかった女です。中の君は、その二人が、現実に生きた生き証人としてのみ存在します。ふたりを結びつけるきっかけは作るものの、二人の心を繋ぐよりましにさえなりません。

円地氏の「源氏物語のヒロインたち」では、津島佑子氏との対談の中で、大君は、

円地―優婆塞の宮(笑)
津島―あの大君は本当に悲痛な人ということになるんでしょうね。何もこんなに慎重になることないのに、って感じがします。
(中略)
津島―だからねやつぱり薫に責任がある。
円地―そうですよね。私も薫に責任があると思う(笑)。あんなに大君をいい加減にして置いて、心ではどうとかこうとかいったって・・・。
津島―心なんて見えませんからね。はっきり言うか・・・。
円地―行動に出なきゃね。源氏なんか相当に行動的ですもの。紫の上を連れてくる時なんか、略奪結婚みたいなことをやっているし、空蝉だってよろしいといっているわけじゃないのに、自分のモノにしちゃいますからね(笑)。
津島―結局、決断は男の人にしてもらわないと困る。いまだってそういうことありますよね。

ちょつと可哀想?でも、本当に可哀想な人ですよね。プラトニックラブといえば聞こえはいいですけれど、結局は優柔不断な男の犠牲になってしまうようなものです。正編で、光源氏は性的に女君たちを従属させるようなところがありますが、薫はそういう能力もない。ただ、そういう薫の態度を、大野晋・丸谷才一共著「光源氏の物語」の中で、大野氏は、こう解説していらっしゃいます。

大野―かねて薫は自分の出生に関して、どうもおかしいという印象があって、それにかかずらっています。それがもとで物事に積極的な態度を取ることが出来ない。そうした時に、弁は柏木と女三の宮との手紙を薫に渡すんですね。それを読んで自分の本当の親たちがどんな状態だつたか、薫ははっきりと知ることができた。―中略ー
作者はこのことで、薫という人間の性格付けを決定的にしたと思う。つまり、自分の父親である柏木と女三の宮との関係。ひとりの男がほんとに恋の思いを込めてはげしく相手の女に突進していった。そして何が起こったかといえば、そのことが光源氏にわかってしまい、自分という人間が生まれた。その結果父親は死に、母親は出家した、ということですね。
このことで、薫は本当に自分が心を込めた女に突進していっていいのだと思えなくなってしまった。男の真実の恋着は実はよくないことを招来することがある、ということを薫に思わせた、という事件だと思うんです。
丸谷―確かにそう考えることもできますね。
大野―これは後になつての大君と薫との恋愛関係を規定していく大きな条件じゃないかと思います。

はい。両親の恋愛の形と自分の出生は、薫の大きなトラウマになっています。でも、だから、人が愛せない、愛するのが怖い、というなら、わかるのですけれど、そういうことじゃないんですね。恋愛はします。かなり夢中になります。けっこう踏み込んだ態度もとります。でも「中途半端」です、ということなんですよ・・・それがヤナ奴!という・・・現代では?・・・なのでしょうか(^_^;
それを補う意味でか、やたらに世話物っぽくよく気が回ります。細やかな心遣いと共に経済的な援助も相当しています。
もっとも、薫の行動を「この小説の一番下手な読み方は、経済的条件で読むことです。」と、丸谷氏がおっしゃっています。

しかし、AERA別冊「源氏物語がわかる」で、今井久代氏が「正妻との格差に苦しむシンデレラの現実」というタイトルで、当時の婚姻形態である、女の実家による丸抱えとも思われる「後見(うしろみ)」について述べられ、

このように考えてくると、両親をなくし、保護者の手による「正式な結婚」などあり得ない宇治の大君が、薫の求愛を拒否するしかなかった気持ちも理解できよう。大君は自分の結婚はあきらめて保護者の立場に立ち、妹中の君に薫を婿取ろうとするのであるが、大君自身とて中の君よりもわずかに二歳上なだけの、薫に好意を抱く生身の若い女だった。大君の物語は、プライドを抱える没落貴族の女性の生き難さを、語りかけてくる。

と書かれています。やはり、経済的な側面は疎かにすべきではないのではないか、と思います。かなりの紙数も割いていますし、その援助の仕方も細かく書いてあります。勿論それは、薫の人となりを表す表現方法なのですが、それだけでなく、正編の夢物語のような御殿での御伽噺に対比するような「宇治十帖」の現実的な世界を納得させるものです。
ただ、その薫が経済的に援助する、いろんな心遣いをする、という意味が、なんとなく、薫の出自を貶めているように描かれているのではないか、と考えるのは私の僻目でしょうか。作者が誰であれ、経済的苦労を知っている人ではあると思うのです。また、それだからこそ、そういう援助のありがたさと、そういうところまで気が回る、という薫の出自の悪さ(母は内親王であっても、実父が高級貴族であっても所詮は不義の子であるという)を意地悪く取り上げているように思えるのですが・・・。

同じ、AERA別冊「源氏物語がわかる」のなかでは大塚ひかり氏が、独特の切り口から大君について、面白い表現をしています。

光源氏の子孫達が活躍する宇治十帖と呼ばれる巻巻に登場する大君は、『源氏』の女たちの中で唯一、自分の姿を鏡に映した人だ。貧しい親王家の孤児であり、当時としては中年の域に達した二十六という年齢で、薫という貴公子にしつひく口説かれた彼女は、自分に仕える老女房たちを「見られたものではない」と思いつつ、「私だって」と鏡を見る。−中略ー
これまで、源氏の世界ではいつも男とともにあつた女の肉体が、初めて男を離れ、女自身の視線の下に浮き彫りにされるのだ。
が、彼女の意識は、あくまで男に抱かれる自分としての体にあった。大君は自分の痩せた姿を見ながら「とても男に見せられたものではない」と思う。
「これでは男に幻滅されてしまう。しかも私は幻滅されたくない。それに男に対しても幻滅したくない」と考えた彼女は、やがて男性不信に陥り、「物を少しも食べない」という拒食症状態になって死んでしまう。

これは、「総角」の大君の述懐「われもやうやうさかり過ぎぬ身ぞかし。鏡を見れば、やせやせになりもてゆく。(後略)」というところです。そして、これは、「若菜・下」で紫上が

対の上、各年月に添へて、方々にまさり給ふ御おぼえに、「わが身はただ、一所の御もてなしに、ひとにはおとらねど、あまり年つもりなば、その御心ばへもつひにおとろへなむ。」

ということに対応しているように思います。思えば空蝉だとて同じです。別に紫上も空蝉も鏡に我が姿を映したわけではありませんが「源氏の世界ではいつも男とともにあつた女の肉体が、初めて男を離れ、女自身の視線の下に浮き彫りにされるのだ。が、彼女の意識は、あくまで男に抱かれる自分としての体にあった。」というのは、「宇治」の大君が初めてではありません。
もっといえば六条御息所こそ、誰よりも鏡に我と我が姿を映して嘆き詫びていたことでしょう。

同氏の「やがて男性不信に陥り、「物を少しも食べない」という拒食症状態になって死んでしまう。」という件については、大野・丸谷両氏も触れていますが、

大野―前略―この大君の死を今井源衛君は「大君は自殺したんだ」という説を書いています。
丸谷―それはどういう意味でですか。
大野―「ものを食べない」というのが三回出てくるんです。
丸谷―全然、気が着きませんでした。
大野―日本人の自殺については『自死の日本史』という面白い本がありますが、今井源衛君は、小学館版の『日本の古典 源氏物語』の新版に当時のいろんな自殺の例をずっと挙げています。
私も非常に驚いて、原文を読み直してみたんです。たしかに「ものを食べない」ということは三ヶ所出てくる。だけども、いろんなところから考えて、自殺といっては言い過ぎで、それは成り立たないんじゃないかと思います。やはり、絶望は死に至る病を導くということだと思いました。―中略―
『源氏物語』の評論では、よく大君が結婚を拒否したという言い方をするんですが、前にも申しましたように、大君は薫に髪を掻き分けて顔を見られています。これはつまり結婚したに等しいことなんです。ただ、暴力的ないわゆる実事に至ることは恐ろしいことであるし、とても耐えられないことであってそれからは逃れようと大君はあれこれしたんです。

そうですよね。薫の不実―自分の望みを無にして中の君に匂の宮をあてがってしまったことや自分への執着―に関しては恨んでいたとしても、一応、今現在の自分自身に対する薫の哀憐については、疑うことはなかったのでは、と思います。だからこそ、最初に添い寝?をした翌朝も二人揃って、朝焼けなどを見るわけで・・・あさこで、あれ?と思いますもの。

で、この大野氏の解説の後半分のところで、大君臨終の言葉「よろしきひまあらば、きこえまほしきことも侍れど、ただ消え入るやうにのみなりゆくは、くちをしきわざにこそ」という言葉の解説が入るんですが、それはちょつと疑問なのです。私は、これは桐壺更衣の「聞こえまほしげなることはありげなれど」という場面を連想させるものとして、やはり正編の焼き直し的な意味を持つと思うのです。
ただ、大意としては大野氏のおっしゃる

大野―前略―これは自殺する人間の言う言葉ではないと思う。男の不誠意、二心に痛手を負いながら、大君は薫との結婚を一方でかすかに期待しているわけです。
丸谷―大野さんの説に賛成だな。さっき、ぼくは鳩が豆鉄砲食らったような感じだった。(笑)

ということになると思うのです。
大君は待っていた。密かに・・・「誰を」なのか?「何を」なのか?この部分で、連想したのは、小津安二郎の「東京物語」で原節子扮する死んだ次男の嫁の言葉なんですね。亡き夫の両親から、いつまでも死んだ人のことを思っていちゃいけない、新しい幸せを考えなさい、と言われて、「私ずるいんです。しらんふりして(黙って・・・だっけ?)何かをずっと待っているんです。」というセリフがあるのですよ。これが、非常に大君にぴったり来たんですね。
大君も待っていたのです。その待ち方が、自分自身でズルイ、ということも理解していたのだと思います。けれど、待っていたのです。何かを・・・薫かもしれない、死かもしれない・・・とにかく、大君は待ちつづけて、死んだのです。

そして、そんな大君に対して待てなかった女が浮舟でした。




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