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02月16日(月) 光源氏モデル考B――「伊勢物語」の業平

前回、「平安王朝」の業平、ということで、保立道久氏の著作の名前をしっかり無断借用して、歴史上の業平の立場と政治的な業平をちょっと書いたのですが、業平といえば、これは「伊勢物語」と来るのが本題で、やはり、それを書かないと、なんで光源氏モデル考よ?!となると思います。

「物語の親が竹取物語」ならば、「伊勢物語」というのは、「源氏物語」を生み出す母体になっていたのではないか・・・と、私など素人のおばさんは生齧りの知識で考えてしまいます。それはどういうことじゃぁ〜?と申しますと・・・業平は、前回も書いたとおり阿保親王という、れっきとした親王様の息子です。いわゆる「源氏」です。美男子(だった?)そうですが、勿論それだけではありません。
つまり、ここでは「光源氏のモデルは業平」という話と「源氏物語のモデルは伊勢物語」という話をごっちゃにして書いてみたいと思います(^_^;

まず、「伊勢物語」というのは「歌」をフィーチャーして短編が語り続けられて行く「歌物語」であるということです。では「源氏物語」は?というと、これもまた歌が大変重要視されている、ということです。当時の人にとって「歌」は生活の一部であったことを考えても、「源氏物語」が歌で綴られているといってもよいほど、歌が多く深い意味を持たされています。全編で795首。伊勢物語に擬せられる「須磨・明石」巻などは「須磨」48首、「明石」30首も詠まれています。一つの巻の一つの歌に論文が何本も書かれるほど、その意味は深く、テーマ性を持っています。

そして、「伊勢物語」の中で大変に印象に残る物語、あるいは重要な話、といのは、「源氏物語」に発展的に取り入れられているものが多い、と思うのです。

今回の参考資料は「グラフィック版伊勢物語」(世界文化社)の中村真一郎氏の解説です。

まず、第六段「芥川」。これは恋する女を盗み出す話ですが、その盗み出した女を鬼に食われてしまう、と言うことになっています。いうまでもなく「若紫」巻の紫上略奪事件ですよね。そのほか、このヒロインが清和帝に入内した高子とするなら、まさしく朧月夜に発展させているし、ある意味藤壷との密通も暗示している、ともいえるのではないでしょうか。
中村真一郎氏は「グラフィック版伊勢物語」(世界文化社)の解説の中で、

これは日本の古い民話の「鬼一口(おにひとくち)」という堅の、典型的な物語であります。そして、これとほとんど同じ話が『源氏物語』の「夕顔の巻」にもあのます。つまりある場所なり、建物なりに鬼が住んでいて、美女を一口に食ってしまうと言う妖怪譚です。

と、書かれています。つまり、この「芥川」の段ひとつで、「源氏」の前半部分の殆どが描かれる、と言っても過言ではないのではないか、と思うのです。

源氏の須磨流謫に相当するものに「業平東下り」というものがあります。「伊勢物語」の中では特に有名ですが、これは例の「かきつばた」と「なにしおはば」の二首の名歌が「伊勢物語」という本体を離れて、色々なシチュエーションで使われているからでもあります。そして、「東下り」は典型的な貴種流離譚ということで有名でもあります。実際は本当に東下りをしたかどうかもわからないそうですけれど(^_^;
中村氏の解説では

一般に平安朝の貴族は滅多に都を出ることがなく、全国の地名を詠み込んだ歌は多く残っていても、大概は京都にいて、それらの名所の景色を空想するだけで、歌を詠むことが多かったことは、能因法師の有名な「白河の関」の歌のエピソードからも知られます。
現に中世の学者たちの一部では、業平は二条の后(高子)との情事が暴露された後で、藤原良房邸に監禁されたのだ――そして、良房邸が東山にあったのになぞらえて、東下りとなったのだ――という説さえあり、

とありました。なぁ〜んとねぇ・・・東山で東下りかよ(^_^;などと言うのは現代の私たちの発想なのでしょう。都の内裏周辺以外、大きくみても洛中だけが世界の貴族たちにとっては、東山の邸の中に閉じ込められれば東下りの思いもしたのでしょう。
ところで、今度は「貴種流離譚」に関する解説ですが

ところで貴種流離譚において、貴人が田舎へ困難な旅をするのは、自分の犯した罪を償うためであ、とされています。
一方そうした貴人を都から迎える田舎の人々からすれば、その貴人は遠い幸福の国からの、神のごとき訪問者、つまり「まれびと」ということになります。

はいはい・・・明石入道の出番です(^^ゞ源氏も罪の贖罪・・・表向きには「朧月夜との密通」ですが、その実もっと恐ろしい義母にして中宮の藤壺との密通、しかも子まで生まれて皇太子に立てている(皇統を乱す!!)大逆罪ですよね(^_^;そして、その贖罪の地で「まれびと」たる源氏を迎えるために待っているのが明石入道。まさしく「その貴人は遠い幸福の国からの、神のごとき訪問者」になるわけですが。

「筒井筒」は言うまでもない夕霧と雲居雁の幼い恋を連想させます。ところが、これには、ちょっと重苦しい背景があります。この筒井筒の女は紀有常の娘と言うことになっていますが、紀有常と言う人は、妹が文徳帝の更衣として、第一皇子の惟喬親王を生みながら、藤原良房の娘の女御明子の生んだ第四皇子惟仁親王との間に皇位継承争いが起こり、藤原氏を外戚にもつ惟仁親王が即位して清和帝となったのです。この皇位継承争いに敗れて有常は不遇の身をかこつのですが、これまた平安王朝の日常茶飯事とはいえ、惟喬親王の母の更衣を桐壺更衣に重ねて見ることもできるのではないか。勿論桐壺更衣には藤原沢子という強力モデルがおりますが、まあ、モデルの一端を担っていると言っても良い、と思います。

そうそう・・・「源氏物語三奇人」のひとり源典侍は「つくも髪」の老婆がモデルと言われていますが、実際は紫式部の兄嫁(維規が弟だとしたら弟嫁?)がモデルだと言う説もあるそうです(^_^;

「芥川」と並んで名高いのは「狩の使い」です。これは「君や来し我や行きけむ思ほえず 夢かうつつか寝てかさめてか」という歌が大変印象的ですし、後々まで政治的にも影響のあった伊勢斎宮の活子内親王との密事です。これは実事なし、とはされますが、賀茂齋院の朝顔への懸想、そして、本人ではないものの、斎宮の母となった、六条御息所との野々宮の名残の一夜に結びつく気がします。

そして、実は私は「宇治十帖」は別人の作だという、今では省みられないみたいな説を想像している素人のおばさんですが、「目離れせぬ雪」(第82段)には、どうしても宇治の八宮と薫を連想してしまうのです。
この段では、子どもの頃からお仕えしていた主君が出家してしまったのを正月に見舞った男が、日常は朝廷に出仕しなければならないことを歎いたが、雪に降り込められてここを離れたくない自分の気持ちが通じたと歌を詠む話です。
この主君が前記の惟喬親王で、男が業平というのですが、なんとなく八宮と薫だと・・・これは、私が勝手にそう連想していたかと思っていたのですが、何のことはない、今回、この本を読み直したら、中村真一郎氏の解説にも書いてあるのです。かなり大昔に読んだのに、刷り込まれていたのかと、ちょっと残念(^_^;

当然帝位に即く筈の生まれの皇子が、藤原氏の圧力で退けられて、不本意な人生を送り、遂には出家して山中に隠棲する、というのは、いわばひとつの悲劇的人生の型として、王朝後期の読者の心の中に定着して行ったので、『源氏物語』にさえ、それはひとつの変形としての微かな影を落としていると言えましょう。

とありました。

「伊勢物語」でさえもいろんな成立説があり、時代も場所も主人公も業平とは違う人々のエピソードが業平のものとして、最終的には「業平の物語」、と言われる一つの物語になるのです。それがなんで「源氏の母体よ」と問われれば、これは私が想像している「源氏物語の成立ち」話になってしまいますので(2000年8月の「光源氏と紫上」でちょっと触れています)、まあ、その点に関しては、ここではパスm(__)m
「源氏物語」に「伊勢物語」は影響がない、と言う人は何方もいないでしょうが、母体というと異論が出るかもしれません。しかし、当時の物語全てが「源氏物語」として大きな花を咲かせるための肥やしになったとするなら、「伊勢物語」は、まず「種」としての役割は果たしているのではないかと思います。そして主人公とされる業平に光源氏のいろいろな姿を連想することとあわせて、「伊勢物語」と「源氏物語」を合わせる事も決して間違いだとはいえないと思います。







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