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6月13日(日)観世流能楽「浮舟」

前回、と言っても2002年6月の「夕顔」から二年、「源氏物語」のお能は久しぶりです(^^)
解説も前回同様の上○先生ですが、不思議なことに今回はけっこうシャッキリお話になっていて、と言っても前回に比較して・・・(^^ゞ

今回は「能・浮舟」という作品に沿って、という先生のお言葉から始まりました。
それで、今回は、お能の鑑賞記「感激・観劇」の方に書いたほうがいいのかな、と思いましたが、実は、今受講している「源氏物語」のセミナーが、もうじき「宿木」が終わるというところで、すぐ浮舟登場、と言うことになるのです。まあ、実は「浮舟」としては出てきているのですが(私は受講が間に合わなかった)、本格的に登場はこれからです。
それで、先生から伺う前に私自身の浮舟像をまとめておきたい、と思っていたので、丁度いいかな、と思って、こちらにアップすることにしました。

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「浮舟」は「宇治十帖」の終章に近いところに現れる女性の話だと、間狂言の中でも物語りますが、八宮の三人の姫君です。八宮の長女大君をヒロインにした総角(あげまき)という能もありますが現行ではかけられていません。
「物語と能」の一番大きな違いは、三人一緒に育てられた、と言うことになっていることです。

大君は薫に求婚されても思うところがあって求婚に応じなかった。なぜ求婚に応じなかったか?能の「総角」では、薫に納得できないまま死んでしまった、薫を迷わせたまま死んでしまった、どうしたらいいのかという大君の葛藤がテーマになっています。

二の君、中の君は匂兵部卿宮という、普通には匂宮という人との幸せな結婚生活をして、いろんな悩みは持っているが、劇の主人公としては心の葛藤が少し弱い。

三の君、間狂言では「三つの君」と言いますが、浮舟は、父は八宮で、大君や中の君と同じですが、母は中将の君という女性で、どうしたことか、八宮はこの母と娘を自分の子と認めない、追い出してしまいます。これは何故か、というのは「源氏物語」を読むときの興味ある問題です。浮舟としては大変不幸なことで、心の奥底に大きな亀裂となって生涯の傷となっています。
大君に求婚して受け入れてもらえなかった薫に対して、幸せな状況に居る中の君が気の毒に思って紹介するのです。「それほど大君を忘れられないならば」という「形代(かたしろ)」の発想です。当時の発想として、身分ではなく、「姿・形が同じなら愛していい」という発想があった。
あれほど大君を失って失望した薫が急に元気になって宇治に通っていると聞くと、人はみんなどうした事かと噂する。その噂を聞きつけて匂宮が宇治へ行きます。子供まで生んでくれた中の君を嫌いになるはずがない。これは別のことです。

浮舟は、薫の妻として、始めは匂宮の一方的な思いで、浮舟はひたすら困惑しているだけだった。ところが薫にはない匂宮の素晴らしさに目を開かれた。倫理的には薫を守らなくてはいけない、という、これは理性です。感情としては薫よりも匂宮の情熱にひかれる。三角関係の頂点に立って一人悩む浮舟。薫だけを守るのが当然だが、結論は見つけられるようでいて見つけられない。そこで死を考える。
今、「浮舟」という曲は普通の組み立て方をしています。諸国一見の僧が宇治に来て里の女に会って、当地の縁の話を聞こうとする。
里の女は、今話したことのおよそのことを、言う「玉の数にもあらぬ身へ背きし世をや現すべき」と謡う。捨てた世をもう一度思い出せ、というのですか?
一人の女性が、女性として生まれ悩み死んでいったことを謡う。過去を回想する時間。今死んでしまった浮舟の魂が、過去生きていた頃の自分の説明をする。現在生きている女性が悩みを打ち明けているのではない、ということ。

間狂言の話も「源氏物語」とは違う。大君・中の君・浮舟、三人は宇治で一緒に育ったという。浮舟は追い出されてしまっているのだが、そこまで言うと主題がずれてしまうので一緒に育ったということになっている。
大君が薫の求婚を拒否したことも省略しているし、中の君が(ここ、聞きとれませんでした(^_^;)
浮舟は薫と結ばれて宇治に住んでいる。匂宮との事が薫に知られて薫が宇治に尋ねてこなくなった、それで浮舟はもう死ぬしかないということになっています。

「源氏物語」の最後では、(浮舟は)死んではいないが、この能の中では死んだ、ということになっている。これは死んだということにしないと(能として)成立しない。前シテと後ジテの関係です。前ジテとして生前の苦悩を語り、後ジテとして死んだ後にも後悔してさまよう、落ち着いて死につけない。「カケリ」という、動きと舞の中間的な所作を示す。
「カケリ」は、どうしてあんなことになったか・・・と、ひとり思う浮舟の心理的描写が中心です。前ジテは殆ど動かない。後ジテになってから少し動きが見える。やがて僧の祈りによって成仏できる。そこで観客は初めて安心するんです。

近代の能は、死んで後のことは別として前ジテが悩む。複式能というのは生前と死後の世界を描く能です。
脇能(わきのう)というのは、神が、生前人間だった頃、というか本来神であるが俗世の人間を教え導くために人間の姿をして現れる。
なぜ前ジテと後ジテという分担があるのか、というと、御伽草子にも見える一つの考え方で、一生懸命良いことをして、仏教的に言えば功徳を積んで仏になっていく人、神になっていく人もある一方で、(この後突然)
平安時代の中ごろから広く考えられていた還相(げんそう)という(思想がある、ということなんですよね)、ひたすら修行の旅を続けていた僧が水増しした川を渡ることが出来ないでいると、向こうから白髪の老人が小舟を操ってくる。向こう岸に渡してもらって振り返ると、もう老人も小舟もない。これこそ修行に熱心な僧を助けてくれた神仏である。高砂の神も年をとっても人にこう生きるべし、と教えるために翁・嫗の姿になる。

同様に、浮舟が成仏しても自分と同様の悩みを持って苦しむ人がいるのではないか。前シテの浮舟の苦悩を示す。これを還相の思想という。曲の構成を考える上で大事です。

――筆者から
↑このへん、ちょっとわかりにくかったのですが、要するに、
「夕顔」や「浮舟」、あるいは「井筒」などという複式能と「高砂」などの脇能の比較をしていらっしゃるのだと思うのですよ。
そして、還相という脇能の思想から更に複式能に発展して、浮舟のような構想が立てられた、と言うことだと思います。勝手に解釈して申し訳ありませんm(__)m



鎌倉・室町の中で時代が益々混沌としてくる中で取り入れたのではないか。前半と後半の構成で前半は北朝(格調?)後半はやや理論的な説明ができる。

浮舟の曲・装束だけにとらわれず(この後聞き取れずm(__)m
「浮舟」は世阿弥の作った曲ではないが、「カケリ」の後の後ジテの言葉「この浮舟ぞ、寄る辺知られぬ」という(詞がありますが)――死んでもなお薫は身を寄せる岸辺だったのか、匂宮に寄せるべきだったのか迷っている――という成仏寸前の言葉こそ重要だ、と言っていたそうである。

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えー、けっこう熱が入ってなかなかのご解説だったのですが、先生も後半はちょつと息切れなさったていらしたようです(^^ゞ
それにしても「カケリ」って、うちに帰って謡曲全集ひっくり返してみたら、ちゃんと書いてありました。
「囃子につれて目付け柱に出、左へ大きく回って大小前へ行き、足拍子を踏み重ね、正面先へ出て右回りに常座に行く。この短い動きの中にテンポを数回転換することによつて、心の動揺を表現する。」そうです。当日このように舞われたかどうかは定かではありませんが、とにかく、目付け柱にとりついて、ちゃんと、ここが見せ場だろう、とわかるようになっていたところでした(^^)
でも、見せ場になってなかったんですけどね・・・まあ、本来ここが見せ場だろう、ということだけでもわからせたのならそれなり、ということだったんでしょうかねぇ(^^ゞ

まあ、当時の人が持っていた浮舟に対する印象、というのはよくわかる能です。私はあまり好きなヒロインではないのですが、有名処では「更級日記」の著者菅原孝標女などの「浮舟の女君にもならまほし」でしたっけ・・・ファン多いですよネェ(^_^;
うちの「源氏」の先生も「好きなヒロインは?」と伺ったら「若い頃には浮舟」というお答えでした。





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