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09月04日(金)宇治の三姉妹「浮舟」

いやぁ・・・見事に二年ほったらかして・・・以前に書いていたいたものに加筆すれば良いか・・・とか、そのままノッケチャオウカ(^_^;とかねぇ・・・いろいろ投げやりにしていたのです。
ところが、この三月のどん詰まりに、なんでか、空席待ち7〜8年と言われていたカルチャースクールから、突然「『宿木』からで良ければ入れます」との電話!!
「ええっ!!だってもう4月からの講習申し込んじゃっいましたよ!!しかもふたつも(従来の『吾妻鏡』と『西洋史』と、それにホントは新たに『平家物語』も(^_^;)
おまけに、今現在『紫式部日記』に行ってるわけで、さらに横浜の源氏の会もあって・・・オイオイ、お金の話も大問題だけど、時間的にはもっと大問題!!

なぜ、私がこんなにお勤めにも出ずフラフラしているかといえば、体力がなくてお勤めして家事をこなすだけの体力がないからです(^^ゞ
それなのに、こんなに出歩く用事を作ってしまっては・・・どうしよう??????????・・・・

でも、いろいろ考えた結果、結局行くことになって・・・そのためにピアノはお稽古する時間がなくなって6・7月はお休みしてしまうことになったのですが・・・で、結局当分お休みということに(^_^;それにしても大変でしたm(__)m
家族にもずいぶん迷惑をかけたと思います。ごめんなさいm(__)m

というわけで、始まった「宇治十帖」なのですが、まず、その段階で、こりゃぁ、自分の浮舟像を纏めておかなくちゃなぁ、と思っていたのですよ。でも↑の事情でそんな暇がなくて、「宿木」の終わり頃だったわりには、一学期は、そこで終了、浮舟の本格的登場となる「東屋」は二学期から、ということになったのです。それで、ではいよいよ夏休み!と思っていたら・・・この時期になっちゃった(^_^;
というわけで

。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜

前回、「大君」の項で待ち続けた大君に対して、「待てなかった女ー浮舟」という構図を言いました。そして、もうひとつ、知性派の大君に対して肉体派の浮舟という構図も描かれるのではないか、と思います。私のイメージと一番合致していたのは、大塚ひかり氏の

浮舟は、ものを食べずに死んだ大君の劣り腹の妹だった。女房の私生児で田舎者で気弱な性格で、しかも男好きする体を持っているという、『源氏』の不幸な女の集大成のようなキャラクターだった。(大塚ひかり、AERA別冊「源氏物語」がわかる、より)

という意見でした。
もともと、私の「宇治十帖」の見方は世間様とは違っているらしいのですが。
まず世間の見方としては、薫を柏木の忘れ形見として第一に考えますね。そして、光源氏の孫匂宮との三角関係だということで・・・私は前にも言うように、朱雀院の孫としての薫、源氏の孫としての匂宮として受け止めました。そして、帝の女御になり損なった朧月夜に対して、帝になりそこなった八宮の、さらに認められない娘の浮舟と言う風に。そして、彼・彼女たちは藤原氏全盛の世の中にありながら、時めいていた、或いはときめこうとした源氏なのですねぇ(^_^;まあ、だから「源氏物語」なんだけどさ・・・で、それを考えるとやはり「正編」と「宇治」はだいぶ違う・・・ん〜、また堂々巡りだ(^_^;

朱雀院の孫として考えれば、薫のあの優柔不断ぶりは大変理解できるし、匂宮にどうしても一目置いてしまう習性、出し抜かれてしまう習性は容易に理解できるのです。また、源氏の孫としての匂宮を考えると源氏の短所を強調したような多情性と熱中性、源氏を越える無責任さ、など納得できる性情を受け継いでいます。
そして、浮舟、という女性には朧月夜の知性を欠落させて、多情性を増幅し、さらに夕顔の野性的ともいえる男を翻弄する部分を抹殺して、「やわやわとした」気質だけを掛け合わせるとその姿が見えるように思えます。この構成はどうなのだろう?そして、「源氏物語」の正編が、「源氏の死」と思われる「雲隠れ」の巻で終了した後に、なぜ、この主人公たちで「宇治十帖」を書く必要があったのだろう・・・・と考えます。まあ、本当の意味の源氏ー政治から遠のいて、色恋沙汰にしか生きる道のない「源氏」を描きたかったのか・・・どうか?

例えば、同一作者であるとするならば、あの「正編」の中に、書き落としたことはあったのだろうか?それをまず考えずにはいられないのです。そうすると、話はどうしても其処で止まってしまい、それ以上進まない!!

どう考えても、「宇治」は、源氏と朱雀院の朧月夜を巡る三角関係以上のものとは思えないのです。浮舟に対して共感できないことが大きい、ということはありますね(^_^;
朧月夜に対しては大変に共感できる、それどころか、天晴れ!と思う!!自分の意思で帝にはむかうような恋に身を任せていくのですから。それが本能のままに生きることであっても、その本能を自覚している所が・・・でも浮舟はなぁ・・・
「橘の小島の色はかはらじをこの浮き舟ぞゆくへ知られぬ」と、いう歌のそのままに、つかみ所がないのですm(__)m
古くは、菅原孝標女が更級日記の中で、最近のショックはセミナーのN先生も、浮舟をお好きだ、ということで・・・理解できないのですねぇ(^_^;

たとえば、同じような非知性派として、正編にいる女三宮は、究極のところで源氏に「すかしっ屁」を食らわしますねぇ。柏木との密事ということではなく、出家と、それからの居直った態度。それも何度もね。あの源氏が「はちす葉を同じうてなと契りおきて 露の分かるる今日ぞ悲しき」と詠みかけた時、女三宮は「隔てなく はちすの宿を契りても 君が心や住まじとすらむ」と、つっかえすように詠むのです。これは朧月夜の最後っ屁「」よりかなり強烈だし、あの自立できないお姫様が、かなり強烈な自己主張をするのです。

浮舟には、そういう自己主張がない。ないわけではないのですが、その自己主張は身を投げることであったり、記憶を失った振りをすることであったり、沈黙を守りきることであったり・・・ただ逃げるだけ〜という。今の時代の感覚で理解しようとしてはいけないことだとしても、理解できないのです。

ただ、「宇治十帖」物語の構成のなかで、あっ!と驚くのは、関東ー東国の存在がクローズアップされていることです。これは大野晋・丸谷才一共著の「光る源氏の物語」の中で、

大野――この「東屋」(丁度、「東屋」からなんですよ、二学期!!)は、『源氏物語』の中で、ある意味で非常に特徴的な巻だと思います。それは何かと言うと、ここで初めて東国と言うものが非常に大きな姿を持って、この物語の中に入り込んでくる。――中略――「徳いかめしうなどあれば」などというふうに、「徳」と言う言葉が出てきますが、この言葉はここまでの五十帖の間「お蔭」とか「光」とか「恵み」という言葉で使われてきた言葉です。ところが「東屋」に来ると「財産」と言う意味に使われる。三回出てくるけど、三回とも財産と言う意味なんです。『源氏物語』で、財産があるのないのという話が出てきたのは初めてです。

と、あって、あ!それでまた下世話な雰囲気がしていたのか・・・と納得(^_^;大体、薫があれこれ経済的援助をする様子が、あまりにも詳細で、この「宇治十帖」の作者が、正編に比較してそれほど切実に生活に差し迫っているのか、と考えたものでした。でも、当然のことながら「徳」と言う言葉がの持つ意味合いまでは気が付かなかったですm(__)m
続けて、大野氏は

大野――身分が低ければ、当然貧乏に違いないけれども、財産があるかないか、という捉え方は今までなかった。――中略――それで古ぼけた着物を着ているとかいう話は出てきたけれども、直接、物として財産があるかないかということを問題として結婚を決める話は初めてです。

そうです。そうなんだ・・・。たとえば、源氏は末摘花の歌の詠みぶりや着物のセンスを揶揄するけれど、その貧しさに対してどうこうは言いませんものネェ(^_^;凄い直接的表現が出てきたのですよねぇ・・・此れはどういう意味なんだろう(^^ゞ
で、また続けて大野氏は

大野――それからもうひとつ、さっきも言ったように、財産ばかりあって、教養もなくて品が悪いに関わらず、東国のいいところは二心がないことだといっている。東国と西國の文化の違いをはっきり言葉にあらわしている。
丸谷――率直だと言うことなんですね。
大野――そう、率直なんです。
丸谷――ずっと昔からそうだった。
大野――東国と西國では何か性格のパターンが違うらしい(笑)。それは後世になって兼好法師も『徒然草』の中で指摘していることですね。そして女の人たちにとっての最大の苦しみは男が二心を持つと言うことだから、東国は物欲ばかりで、どぎつくて、どす黒い感じはするけれども、東国の人は二心がない、ということを中将の君がはっきり言っている。
これは物語の中に日本の文化史的な大きな見通しがちゃんと書き込まれている珍しい所だと言ってもいいでしょうね。

実は、この「浮舟」の下りを読んでいくと、?と思うのは、浮舟に東国育ちらしい野性がない、ということなんですね。まあ「北條政子」まで(時代的にも身分的にも)下ると、無理になるでしょうが。勿論、八宮の忘れ形見として、浮舟の母が極々都的に育てたのだともいえるのだけれど、それにしても東国の風土の中で育った女の特性が感じられないのです。

また、先ほど非知性派として女三宮と同様に言いましたけれど、勿論身分的に格段に劣るわけですから、当然のことながら、薫・匂二人の両方からも、軽く扱われているのです。それでも、薫は、正室の女二宮に了解を求めて正式に引き取ろうとするのですが、匂宮は、さんざっぱら痴態の限りを尽くした後に、自分の姉の所にでも出仕させればおもしろかろうなどと考えるのです。・・・ん〜、これが当時の貴族の男たちなんだとは思うのですね。源氏のああいう風にどんな女性でも自分が関わった女性は捨てない、というのは当時としては最大の理想で美化した姿だった。ところが「宇治」になると、それが等身大の貴族像になったんですね(^^ゞそして、浮舟はその二人の気持ちも見抜くことはできないのですね。ただ、薫が自分を受領階級の女として世間体を恥ずかしがって隠しているというのは感じているのだと思います。だからこそ、匂宮の情熱を真実だと信じてしまう節もあるのですけど。どうも、このへんが、正編の女性像と比較すると格段に落ちるのですよ。たとえば。藤壺・六条御息所、紫上・花散里・玉鬘、藤井貞和先生が「源氏物語」一の聡明な女性と持ち上げる明石御方などとは比較にならないとしても、夕顔・空蝉という中の品の女性たちと比較しても格段に劣るのです。中の君さえそう思わせる。この女性像は何なのでしょう?

薫は朱雀院同様人がよくて、あれこれ気配りをするわりには「おめでたい人」扱いされて可哀想ではあるのですが、あまりに優柔不断でねぇ・・・溜息・・・うんざりする浮舟の気持ちも分からなくはないのです。情熱と性欲だけで誠意のない匂宮よりは、マシなんでしょうねぇ・・・ハハハ、私も優柔不断だわ(^_^;

そうそう、源氏が藤壺に生涯の憧れを持ち続け、その幻に支配され続ける生涯を送るという正編のテーマと比較すれば、薫の大君に対する執着や、女一之宮への気持ちもなんだかいい加減ですよねぇ(^_^;勿論、源氏は父親の、しかも帝の後妻を寝取った、という実事ありの子どもまで生まれてしまう大事件の主人公なのですが、それに比較すれば、薫は両方とも自分勝手な片思いですから。大君はプラトニックでも気持ちの上では薫を受け入れてはいたとしても、ですね・・・。まあ事実としての重みが違う、と言うことはあるのでしょうが・・・。そのへん難しいです。たとえ、プラトニックであっても、時間的にいえば一瞬のものであっても、どんなに淡々しいものであっても、気持ちの上での軽重は、本来ならないはずなのですよね・・・空蝉を見て御覧なさいよ!!ん〜、むずかしいですねぇ・・・なぜこういう書き方なのか、理解できない(^^ゞ

ただ、そんなに意思のない、自我のない浮舟ですら、この世の絆しを断ち切って、魂の自由を求めようと出家したのだ、とするならそれは仏教礼賛なんだろうか?では出家によって浮舟は救われたのだろうか?とするとここでも疑問がありますねぇ。

お二人の「浮舟」の巻に関するシメの言葉として、丸谷氏の「浮舟はいい巻ですね」という意見に、大野氏は「素晴らしいまきですね。この物語の白眉だと思う。浮舟を読まなくては「源氏物語」を読んだことにならないと言ってもいい」p432と言う言葉で締めくくられてありました(^^ゞ
フーム・・・わからんなぁ(^_^;

とにかく、意思のない人間、というのは理解できないです(^_^;困った・・・、困った!!

全編書き直したんだけど、結局前回と似たようなものでした。そんしたかなぁ(^^ゞ

あ、これ、これからセミナーで受講して、どう変わるか楽しみです♪感想が変わったら、此れをこのままおいて、「浮舟」Aを書くつもりです。請うご期待\(^^)/






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