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10月13日(月)

人間文化研究機構 公開講演会・シンポジウム
源氏物語一千年記念 国際源氏物語研究集会
「源氏物語の魅力」

えー!つまり国文研の講演会です。
独立法人になったり、
いくつかの、その独立法人と「人間文化研究機構」というグループを形成した事もありますが、
まあ、だから伊井春樹さんが館長になった、とも言えるのか、
最近なかなか大掛かりです(^^ゞ
さすがに、今回は思文閣みたいなスポンサーはついて無いんですけど、
後援に「文部科学省・朝日新聞社・NHK文化センター」となっております。

NHKは自分とこのカルチャースクールの宣伝パンフを、
大っぴらに、というより資料と同時に配ってました。

ちなみに会場は有楽町の朝日ホール!
つまり朝日カルチャーの親会社ですが・・・朝日カルチャーのパンフは会場外のロビーでした(^^ゞ

でー、
第1部 基調講演 [源氏物語の魅力]

講師  ハルオ・シラネ/コロンビア大学教授
     カレル・フィアラ/福井県立大学教授
     平野啓子/語り部・大阪芸術大学教
竹西寛子/作家       

第2部 シンポジウム[源氏物語の世界を語る]
パネラー  ハルオ・シラネ/コロンビア大学教授
       カレル・フィアラ/福井県立大学教授
       平野啓子/語り部・大阪芸術大学教
         スティーブン・ネルソン/法政大学教授
           ツベタナ・クリステワ/国際基督教大学教
司会  伊井直樹/国文学研究資料館館長

各講師の先生方は、日本文学専攻といえども、あまりにも流暢にして立派な日本語で講演なさって、
ショックでございましたm(__)m
いや、アーサー・ビナード氏やパックンなんて人もいるわけなんですから(^_^;
でも、現代語じゃないですから・・・促音便なども綺麗で、なだらかです(^_^;
ただ、やはり、時折テニオハが変?!ということもあり、ちょっと安心しました\(^^)/


――第1部――



「源氏物語 みやびと暴力」

ハルオ・シラネ/コロンビア大学教授

最初の題名が「源氏物語 みやびと暴力」だったのですが、当日、
ご講演の開始時に、テーマを変えます、ということで、
「『夕顔』における歌物語としての源氏、近代小説としての源氏」ということになった、
と思うのですが、↑ここ、よく聞き取れませんでしたm(__)m

21世紀の今日の「源氏物語」の人気の焦点は、世界文学としてみた時、優れた心理小説ということ。
19世紀、明治の頃から、既に「源氏」は小説として読まれていた。
与謝野・谷崎もそうして扱っていた。

17〜8世紀に、英・仏文学に登場したものよりはるかに優れた心理小説である。

翻訳では通じない歌物語としての「源氏物語」。
本文の中に歌と散文を抱えて、近代小説では描ききれないパワーがある。
与謝野は明治45年に出した「新訳源氏物語」では、多くの歌を削った。
アーサー・ウェイリーは歌を詩歌として訳さなかった。会話として訳した。
谷崎・円地は、歌をそのままにして、訳を傍につけた。

例として「夕顔」の巻を取り上げる。
第一部は「夕顔の家」での5組10首の贈答。
第二部は歌は無い、心理小説としての部分。
ドナルド・キーンは欧米の小説より心理描写が精緻。
「某の院」には
第三部は船での九州(←ここ、本当にそう仰ったんですかね・・・筆者疑問(^_^;)

11世紀〜近世には「歌物語」としての捉え方をしていた。
江戸時代の「十帖源氏」などはダイジェストであるのに、歌だけは全部残している。
源氏梗概書は、あくまでも歌物語として扱う。
伊勢物語などと同じ扱い。

だって、これはやはり、俊成の「源氏見ぬ歌詠みは遺恨のことなり」というところから、
歌詠みのバイブルというよりは必読虎の巻になっているからですよね(^_^;)


第一部

1) 心当てにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花 (夕顔)
2) 寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔 (源氏)

贈答歌の役割は、中世の23種以上の「(源氏)絵」が、夕顔の贈答の絵をテーマにしている。
「心当てに」の歌には、土佐光起の絵などがある。
スクリーンに浄土寺所蔵の土佐光起の扇面の夕顔の絵が出ました。
「より手こそ」の歌には、歌川国貞の浮世絵などもある。
(同じく、歌川国貞の浮世絵が出ました)
北斎の「風流源氏歌留多」なども「夕顔」のこの場面をテーマにしている。

第二部

次は六条御息所の邸から帰る朝の歌。
(筆者の言う「六条邸朝帰りの段」です。
源氏が、御息所の侍女の中将にチョッカイ出して上手にあしらわれる処です)

3) 咲く花にうつるてふ名はつつめども折らで過ぎうきけさの朝顔 (源氏)
4) 朝霧の晴れ間も待たぬけしきにて花に心をとめぬとぞ見る (中将)

土佐光吉の「源氏物語画帖」(京博)にも描かれている。
(スクリーンに出ました)

近代小説として見る時は重要には見えない。
与謝野は、この歌は削除している。
中世以前の人にとっては重要。
藤原定家の姉が書いた、と、される「無名草子」では、これは「いみじくおぼゆ」とされている。

「夕顔」と「朝顔」の場面。
お互い似た花であって、夕方と朝。夏と秋。身分の低い者と高い者。貧しい家と豪壮な邸。
暗黙のコントラストを描く。

(スクリーンの次のテーマが映し出されました)

「源氏物語のテキストの特徴」
1.過去の時間/現在の時間
2. 物語は三人称/和歌は一人称
3.物語の時間/和歌の時間
4.自然界/人間界
5.時系列的時間/環境的時間


1.過去の時間/現在の時間
物語と和歌の内容は「いずれの御時にか」というように、語り手は現在から過去を語る。
和歌は常に現在の感覚。

2. 物語は三人称/和歌は一人称
語り手は外から見ている=外的視点/和歌は読み手の視点を一人称で主観的に詠む=内的視点
外的視点と内的視点を結びつける和歌

3.物語の時間/和歌の時間
物語の時間が行動に基づいて時系列的に描かれる。
和歌は物語の時間を静止させる。オペラのアリアのようだ。

4.自然界/人間界
和歌は多くの場合、人物の感情を直接的に現さない。草や木に象徴する。
「源氏物語」では登場人物の容貌がまるでわからない。容貌についての描写が無い。
西洋文学では、人の容貌はかなり克明に描写されている。
(小説の登場人物の容貌は)小説の中で大きな要素を占める。
しかし、(「源氏物語」では)、与えられた自然の名前に大きな意味がある。

5.時系列的時間/環境的時間
和歌は季節的な時間に密接に結びついている。
和歌は循環的な時間を表す。
@には、直接的なユートピア六条院
Aは紫上の死後語られる「幻の巻」の過ぎ行く時間(現在ですよね)と過ぎ去った時間(過去です!)。

結論
「夕顔」は歌物語<第一部>と短編小説<第二部>から成立している。
中世は歌物語<第一部>に重点が置かれた。
中世後期〜江戸時代には、短編小説<第二部>に重点。
室町時代の謡曲の「半蔀」「夕顔」
中世以降は、版本などの普及で、庶民に広がり「夕顔」の物の怪や、「朝顔」の

19世紀に、「偽紫田舎源氏」が出て、「空き家と物の怪」の両面は大変重要にンなってくる。
「和歌的読み」から「小説的読み」へ推移した、ということだ。


後から思えば、今日の先生たちの中では、一番日本語が外国人だった!と思いますが、
それにしても素晴らしかったですm(__)m

「源氏」が既に近代小説であった、というのは、よく言われますが、
それはたいてい「宇治十帖」を指して言いますから、
本編の、しかも「夕顔」にそんな近代小説としての面があるとは・・・?思わなかったです。
ま、今でも(^_^;
それに、夕顔と六条御息所の比較というか、対極というのは、勿論考えてましたけど、
身分と経済力、くらいですね・・・後、子持ちの共通点もある、というのは考えてましたが、
その共通点は、パスでした・・・関係ないですかねぇ・・・(^_^;
ま、それにしても、あんなに細々と対極にある、とは思いませんでした。

私たちは、「俊成の源氏見ぬ歌詠みは遺恨のことなり」ばかりがインプットされて、
だから、その歌詠みの人たちが簡単に読めるようなダイジェストこそ、
「歌」を落とさず取り上げているんだ、という固定観念が出来てました。
これは反省m(__)m



時代の先を行く『源氏物語』

カレル・フィアラ/福井県立大学教授

私の国チェコは人口一千万位なのに、外国文学の翻訳が多い。
歴史的な事情もあるが異文化の受容に大らかな国である。

それは、17世紀からオーストリアの支配を受け、チェコの自国語の圧迫を受けた、ということが大きい。
18世紀から、文学者たちから、自国の文芸復興の機運が高まり、
チェコ語は、当時の公用語のドイツ語に対してひけをとらない、と言う自信が出来た。

そこから国家独立を目指した。

19〜20世紀、ジャポニズムの機運がヨーロッパを席捲した。
日本に於いても、漢文化に対して、
紀貫之らの万葉集の当時は読み方もわからなくなっていた万葉集への取り組みがあった。
(その貫之らの取り組みを、チェコ語への取り組みに影響があった、ということか、
単に同種の取り組み、という例として挙げたのか。)


「桐壺」の冒頭は「古代物語」の素朴さを持つ。

「源氏物語」は
繊細な自然観察
鋭い心理描写
宮廷世界の豪華さ
物語全体を貫く品格


「源氏」成立当時は、評価は低かった。
アーサー・ウェイリーは、小説のジャンルとして扱った!世界初の小説だと。
ソコから、世界的評価が定まった。

「源氏物語」の魅力

@ 主観的・内面的

ヨーロッパの登場人物は、
「宿木三の絵」を見ると、匂宮が、傷心の中君を慰める場面です。
源氏物語絵巻の、です。スクリーンに出ます
(ここで、タブンNHKの絵巻復元の時の解説と同様な解説があったと思うのですが、
つまり、庭の萩などの草木の描き方が、登場人物の心象風景を表す、というような・・・
実は余り聞気とれなかったのですm(__)m)


人の心と人を取り巻く自然環境の調和が描かれている。
西洋では一般的ではない。

「オリブ山上のキリスト」というチェコの絵があります。
自然風景の中に、キリストの厳しい未来を描いています。
これは珍しい例です。

A 「源氏物語」の重層・複合

プロットの中に愛・罪・罰・出家などが、
小さな箱が大きな箱に入れられ、さらにまたそれがより大きな箱に入れられる、
という入れ子の構造になっている。

1.「雨夜の品定め」→「空蝉」→「藤壷」→「玉鬘十帖」

2.六条御息所の恨み/紫上との間のヒビ
            \女三宮の不倫
紫上と源氏は出家もしないままに死んでしまう

3.本筋は薫と匂の競い合いだが、負け犬の八宮の子の一番弱い浮舟は出家する。

(「有鄰」の「源氏物語一千年」の藤井貞和先生の記事
「密通する女性は全員出家する」「密通しない女性は出家をしない」という文がありました。
そういうことかな?とも思うけど、言われてみればそういうことか、とも思ったのですが(^_^;
私ってイージーm(__)m)



B 和歌の重要性

夢・見立て・比喩に象徴される。
むばたまの闇のうつつはさだかなり夢にいくらも増さざらりけり (古今集)

当時から、和泉式部が最高歌人とされていたが、
与謝野晶子は、「紫式部より上の歌人はいたはずはない」と言った。
紫式部の歌、というより彼女が描いた登場人物に優れた歌を詠ませる。

くもりなき池の鏡によろづ代をすむべきかげぞしるく見えける (紫上/初音)


C 「源氏」の中では四つの時間の流れがある。

1.時間は後先を交互に
2.循環的な流れ
3.時間軸に沿った流れと横にずらした流れ
・・・視点をずらしながら、同じテーマでも重ねて語る
4.内的遠近法 作者が自分と題材の距離を考えながら書いている。
かかる好きごとどもを末の世にも聞きつたへて、軽びたる名をや流さむと、
忍び給ひける隠ろひごとをさへ語りつたへけん人のもの言ひさがなさよ。
帚木冒頭の源氏の言葉を語り手が語る

それが、柏木と語る時は「時は戻らない」と嘆く。
「さかさまに行かぬ年月よ」(源氏/「柏木」での柏木を責める場面)

この書きかたは、プルーストと似ている、と言われた。


D 朝廷の衣装

「源氏」の女性は、装束よりも源氏の「しどけない姿」に関心を持つ。
過ぐる齢にそへてはさかさまに行かぬ年月よ (↑に同じ)

紫上は衣装配りに光源氏の意図を測る。(玉鬘の巻)
玉蔓が「山吹の細長」という衣装をもらうと、その衣装から玉鬘はあまり上品でないな、と思う。
(あれ?そうだっけ?華やかな女性だ、と思ったんじゃない?まあ・・・派手?!)

物語は華やかで繊細だが、劇的な展開や死も柔らかに受け止める。


E 「雨夜の品定め」

もともと「雨夜」は不吉なものであった・・・寂しく・暗い・憂・不安・恐怖・・・など。
独りで過ごしてはいけない。
客や友人たちと共に過ごすもの。

1.ひさかたの雨は降り重け念ふ子の宿に今宵は明して行かむ(万葉集1040、大伴家持)
2.「雨降る夜なんめり。一人な寝そ」
(「落窪物語」雨の夜にヒロインの許へ行かれない男がヒロインを案じて言う)
3.垣根には卯の花植えむ雨夜にも我が宿   (好忠集)
4.万葉集「怖ろしき物の歌三種」の中にも
  人魂のさ青なる公がただ独逢へりし雨夜の墓し念ほゆ (万葉集3889、)

漢詩の中の「雨夜」
寺院新竹 。・・・煙洗翠。贈道人。(作贈 李道士)元[禾眞](「全唐詩」の中の例)

これは、スクリーンに映し出されたのですが、書き写しそこないましたm(__)m)

雨夜待つ「雨夜神社」は天皇から叙位を賜った。
「源氏」では、6回も「雨夜」が登場した。
雨夜神社なんてあるの?と思ったらあるんですね、これが〜。ここです。)

蘭省花時錦帳下。廬山雨夜草庵中。廬山草堂雨夜独宿。  白居易(和漢朗詠555)

しづかなる草の庵の雨の夜を訪ふ人あらばあはれとや見む  式子内親王集


紫式部は白居易のこの思いがあったのではないか。
タブーの夜に物忌みもせず、友人たちと女の噂話をする。
源氏は罪を犯したが京に帰り、左遷中に恋愛もしたり、華やかに暮らしたが、
白居易は皇帝に上表文を出しただけで左遷されて、寂しい日々を送った。

そのしなじなやまたかはるらん
月がすむ果ては雨夜になりにけり  關白前左大臣(犬筑波集)



大変に流暢な自然な日本語で、ホントにNativeJapanese!と言う感じのお話だったのですよ。
それで、テーマの一つずつは大変面白いのですが、
なんとなく脈絡が無い!と思いません?
別に居眠りしていたわけではなく、
本当に面白いから、興味深々で聞いていたのですが、
こうして、メモを纏める段になって、本当に困っちゃった!!
ただ、「雨夜」の解釈は大変斬新で、勉強になりました。

「雨」の持つ意味、「夜」の持つ意味、それが重なって「雨夜」となった時の大きな意味は、
現代の私達が感じる以上の大きさ・重さを持つのだ・・・と、しみじみ(^_^;

もともと、「夜」というのは魑魅魍魎が徘徊したり、霊が飛び交う時間帯・空間?なわけです。
そして「雨」は「ながむ〜ながめ(る)」の掛詞によく使われるほど憂鬱な雰囲気をかもし出します。
実は、それぞれの意味を知っていても、それが「雨夜」となった時の、
「雨の夜に一人で居てはいけない」というような、
或いは、フィアラ先生の言うような「(雨夜に)物忌みもせず」というような
重い意味を感じた事はありませんでしたm(__)m

それと、和漢朗詠の中の白居易の漢詩は読んでいても、ああーそんなもんか、くらいでねぇ(^_^;
ただ、紫式部がこれを知っていたとするなら、和漢朗詠の編纂前ですよね。
まあ、白楽天狂いと言ってもいい式部の事だから、
和漢朗詠のピックアップ部分だけでなく、本文というか本物の詩を、きちんと押さえていたんでしょう。

ちなみに、この白楽天の詩の、前に置かれた詩はお馴染みの「香鑪峯雪巻簾看」ってやつ♪
J−textさんに行けば、読みも出ていますし、和漢朗詠集全部見られます。


でー、ここで、平野啓子先生の朗読が入りました。

今に生きる「源氏物語」の心模様

朗読・平野啓子/大阪芸術大学教授

○若菜上(岩波文庫3巻、P.240〜242)・・・@
○同じく(P.298〜300)・・・・・・・・・・・・・・・・A
○若菜下(岩波文庫四巻、P.74〜76)・・・・・B
○御法(同じく、P.288〜290)・・・・・・・・・・・C

@は女三宮との結婚三日目の夜に、源氏を送り出して、ひっそりと悲しみに耐える紫上の姿。
Aは、その夜、女三宮の傍で、夜明けに紫上の夢を見て、慌てて帰ってはみるものの、
侍女たちに締め出しを食う源氏。
やっと入れてもらって、紫上の夜具を引き明けてみると、袖が涙でぬれていた。
(ここ、実は、この後実ごとありやなしや、つまり紫上はこのまま源氏を受け入れタルや否や?という
研究者の先生たちの論争ポイントです(^_^;
勿論、今日は、そんな所まで仰いませんよ〜!)

Bは紫上に物の怪がついたため、それを憑坐に移してみると、六条御息所と知れる。
Cは、紫上の終焉の場。明石女御と三人の唱和が有名な泣かせどころ!!

平野先生は、いつもどおりの豪華な和服姿で、いつもどおりお美しい\(^^)/
でー、朗読も、いつもどおり感情込めて!なので、まあ、ちょっと演劇と言う感じです。
この講演会で言えば、目の保養を兼ねた、ちょっしたインターミッション♪

勿論、朗読のソコココには、先生の意見とか、どうしてこういう読み方に至ったか、という解説もあります。

朗読のポイントは、やはり、六条御息所の霊が、憑坐について狂おしく嘆く所ですね。
ここは、もう確かに演劇です!!
それと、やっぱり、綺麗な人が狂おしくなるって、本当に怖い!!
白石加代子氏の「葵上」の御息所も凄かったけど、いや〜、平野先生も凄いよ〜(^^ゞ
でー、ちょっとしつこいけど、美人は得です\(^^)/
まあ、下品な美人じゃダメだけど、上品で教養溢れてて、本当に六条御息所に見えたもの♪
ま、だからね、平野先生も、恋人が心変わりしたら怖いだろうな・・・m(__)m

Cの「御法」は、「源氏物語」の中で人気の場面のベストテン上位です。
ココが一番と言うファンや研究者の方たちは多いですよね。

でー、ここの唱和のところをですね、これは後のシンポジウムの時にお話なさったんですが、
第二部においでのネルソン先生が、控え室で談笑なさっている時に、
「和歌には歌に音階があったのではないか」とおっしゃっただそうです。
それで、「本当は淡々と読もう、と思っていたのですが、『御法』の三首も節をつけました」
と、仰ってました。
また、ちょっとダブりますが、その話は↓で。

でー、私は、今の時代の中で、古典を朗読する時に、節をつけるのは、
実はあまり好きではありませんm(__)m
今、参加させて頂いている横浜の源氏の会は、元々が和歌の会から発展してきた物なので、
会員の方たちも、自然と、そういう節付けをした読み方をなさいます。
和歌だけでなく、本文全体が節付けで読まれるので、
聞いている分には優雅でいいのですが、どうも、自分が声に出して、というのは抵抗あります(^_^;

でも、ね・・・今日は、唱和というのは、こういうことだったんだ!!
と、大変強く実感しました。
これは自分でも意外でした(^_^;
ハルオ・シラネ先生が「和歌は物語の時間を静止させる。オペラのアリアのようだ」と、
仰った時も思ったんだけど、
この唱和を、こういう形で聞いて見ると、全く本当に和歌はアリアなんだ!と思いました。
ついでに、ミュージカルで台詞から歌になるのは、本当に自然な感情の発露なんだ!とも思いました♪
最近は、全編歌で綴るポップ・オペラ形のミュージカルが流行ってますが、
私の言うミュージカルはタモリ氏に軽蔑される「台詞から突然歌になる」本格的ミュージカルです(^_^;


ことに、紫上の「おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露」は、
細々としたお声で、本当に儚くなる間際のように、聞こえました。
これはまた、別次元の、やはり演技力!ということなんでしょうけどね。

まあ、私も、今度から、まじめに、あの節付けをした読み方を勉強いたしますm(__)m

色々、寄道しながらでなかなか進みませんが、明日は
竹西先生のご講演がアップできるかな・・・(^^ゞ


「あはれ」から「もののあはれ」へ
竹西寛子


「源氏物語」は「もののあはれ」と言われて、はて?と思った。
「源氏物語は『もののあはれ』である」と言ったのは本居宣長。

宣長は若い時に『紫文要領』を著して、主な主旨はこちらに出尽くしている。
その20年後に「玉の小櫛」という有名な源氏注釈書を出した。
宣長といえば、戦争中に流行った山桜の作者です。
(「敷島の大和心を人問わば朝日ににおう山桜花」・・・ですよね。筆者注)

(宣長は)「愛国百人一首」の作者でもあります。
それが、「人の心の情緒、恋に勝る物は無い!」と言う。
同じ人の言葉であろうか?という疑問。

『紫文要領』というのは、
日本人が「源氏物語」を独立した文学だと認めた組織的な文学論の最初では無いか。

知識としては、宣長に説得されるが、「私にとっての『源氏物語』」とは違う。
私としては、「源氏物語」は「もののあはれの文学」た゜゛とは言っていないと思う。
「源氏物語がもののあはれ」というのは宣長の知的直感の産物である。

「あはれ」というのは「古今集」などに多く使われているが、「源氏物語」にはことのほか多い。
長編でもあるが、それにしても多い。
どあして、こんなに多くの「あはれ」や「もののあはれ」が多く使われているのか?
「あはれ」にしても、前後の関係によって「あはれ」の表情が変わる。
「一瞬の事に関して、あ!と声を出す事」が「あはれ」の元だと言われるが、
柔軟にものを感じられる、という事だけでなく、(この語尾が分かりませんm(__)m)

「古今集」は勅撰集の第一番目ですが、
第三番目の「拾遺和歌集」に
「春はただ 花の一枝に咲くばかり もののあはれは 秋ぞまされる」という歌があります。
「詠人不知」と言う歌です。

紀貫之が、この人は、古今集の編纂などにも携わりましたが、土佐の国の国司となって、
任が解けて、京へ帰る途中の道中記を、女性の振りをして「土佐日記」を書きました。
その中に、「舵取り もののあはれも知らで」という文が出てきます。
身分の低い船頭たちでさへ、というところて゜゛すが。

また、「ものがあはれ」→「ものがあはれ」という意味で使われることもあります。
「蜻蛉日記」の「瀬田の橋」という所で
「もののあはれもかなしきに」という表現があります。

和泉式部の
「もののあはれにおぼゆれば ものにもうずと人にいひやる」というのもあります。

滑稽話が多いという「平中物語」の中にも、
二人の男性に言い寄られた女性が、前の男を振って、後の男に靡いたため、
前の男が、後の男の悪口を宮中にまで言いふらしたため
後の男は失脚してしまう。
その話の結びに「もののゆえ 知りたるものに」という文があります。

歌物語には「大和物語」なともありますが、
「源氏物語」を考える時には、常に「伊勢物語」を考えるが、
「伊勢物語」の中には「あはれ」は出てくるが「もののあはれ」は一つも出てこない。

「源氏物語」の中の「あはれ」と「もののあはれ」は凄い数で、それはまでの、
詠み人や作者とは違う。

「あはれ」は一つのものに反応して起こる一つの感情。
個々の経験が広がらないで、「あはれ」をたくさん集めても一つずつのあはれは違う。

「もののあはれ」は一つの情緒が投げ出されて、結合的な認識の広がりを持つ、という
知的操作をしている。

「源氏物語」を読んでいくと「あはれ」と「もののあはれ」の多さにびっくりする。
作者はどんなに感情の豊かな人かと思う。

「源氏物語」中の例

1.「玉鬘」
玉鬘は、物語中で賢さにおいて数えられる一人。
「蛍」の巻で、源氏が物語論を語る相手は玉鬘。
「源氏物語」の登場人物が語ることは、ストレートに紫式部の意見ということではない。
しかし、総合的に考えれば「紫式部の感性」ということは言える。

「げにいつわりどもの中にあはれを見せ」と源氏が言う。
「あはれを見せられないものは良い物語ではない」と言っているのではないか。

「あはれ」を「あはれと知る心」
あはれ」を「あはれと見せられる能力」
・・・宣長の言うのは、ここからきているのではないか。
宣長の言う「源氏物語はもののあはれ文学」ということですよね・・・筆者の確認

玉鬘に言って聞かせる、相手に何を言って聞かせるか、というのが、
その相手に対する評価となる。
ここでの物語論は20世紀の文学論として通じる。

手紙の返事の書きかたについて「胡蝶」の巻で述べている。
「もののあはれ」は知っていなければならない!
しかし、ナマ悟りはいけない!
知ったかぶりはいけない!という。

2. 「朝顔」の巻の朝顔の齋院。

ついに薫に従わなかった大君に対称する、といわれるが、
大君よりも、もっとわずかな筆致で描ききる。
源氏を嫌っているのではなく、柔らかな拒み方をしている。
源氏サイドとしたら、柔らかな心を持ちながら自分を拒んでいる。
齋院退下後の交流に
「すぎにしもののあはれ取り戻しつつ」というのは、
ただ一度の、二人の教養・境遇・恨み・慕わしさを全て含んでいる。
ただ一度の、というのは「ただある時、ある場面の」ということでなく。

3.「御法」の死を予期している紫上。

法華経の供養を行おうとしている紫上に対する敬愛・信頼・いささかの同情。
ほんのわずかな分量でもののあはれを表す。
紫上の物語中での身の上の浮き沈み。
@忍耐強さと 
A破格の理性 
B影の人としての努力(直接いえないけれど)
C愛されている事は知りながら、信じられないものを持ち続けて先に死んでいく。
D「正式ではない正妻の座」を守り通す。
その死の朝の景色を情緒深く描く。

それに対応する「幻」の巻きの源氏

4.「幻」は俗身として現れる最後の源氏
本当の所はどこにあるのかわからない。
女性を操るのが巧みであった。
嘘はつかない。
(対する女性によって?)言い方が違う〜方便。
明石の君に吐露する紫上と藤壺に対する思い。
藤壺は大変重い存在。
紫上は、幼い頃から一緒に暮らした。
この哀しみは夫婦の死のあはれの悲しさではない。

「もののあはれ」は、紫式部が始めて使った言葉ではない。
しかし、紫式部が使ったような複雑に多様に使った例はない。

式部は、この世の中に、「言葉で生きている人間」として、
「『あはれ』の万華鏡」では満足できなかった。
何か違和感があった。
その違和感と折り合いをつけるため「もののあはれ」と言う言葉を使った。

感銘を一般化して、一般化する為に、知性的操作をしたことに、
紫式部の生身を感じた。
この経験が、私の錯覚で無いことを願っている。

既にある言葉を集めて、ある秩序で集めて文章を作っていく。
「あはれ」から「もののあはれ」ということは、言葉による伝統の実践である。

「源氏物語」を読んでいて、人間は言葉を知っていてよかった、と思う。



大変面白いお話で、内容も充実していたし、分かりやすくもあったのですが、
それでも、話の順序がちょっと後先になったり、
繰り返す事があったり・・・。
でー、その辺は、他の先生でもけっこうあるので、こちらもメモ取りながら矢印つけたりして(^^ゞ

宣長の「山桜」と「もののあはれ」の違和感は、私にもありました。
私の場合は、「もののあはれ」はたいして違和感なかったんですよ・・・国学者なんだから、
たとえ国粋主義者であったとしても、優秀な学者であれば、「源氏物語」を無視することは出来ないだろう。
(まあ、明治や戦時中の国学者は無視しましたけどね!)
だから、国粋主義の国学者としての理解の仕方をしたのだ、と、ずーっと思ってました(^^ゞ
と・こ・ろ・が!
例の「手枕」ですよ!!
あれ、円地文子氏の「源氏物語私見」で初めて知って、これはビックリしました!!
だってさぁ〜、あのお堅い国粋主義者が、
六条御息所と源氏の書かれていない見染を書こう!で〜、書いた!というのですから(^^ゞ
あー!ホントに本気で源氏フリークだったんだなぁ〜(^_^;と。
まあ、当時からずーっと、今の今まで、源氏の研究者なんて、
み〜んな、源氏フリークですからねぇ!!

宣長の研究者という方のお話も一度聞いて見たいな、と思ってます(^^ゞ

そうそ、竹西先生のお話は大変よかったのですが、
途中で
もう少し早くお話できれば良いのですが、ワタクシは、ワタクシの速さでしかお話できません、
と仰ったように、かなりスローペースで、お話の具合が明快とは行きません(^_^;
まあ、論旨が明快な分、たぶん、こう仰ったんだろう、という推測はつきますが、
それでも、一寸メモとりながら、?というところもありでした。

でー、そのスローのお話ぶりのために、元々こんな時間割じゃ無理!と思っていた時間が、
25分も遅れてしまい、
ヌァ〜ント!シンポジウムが85分の予定だったのが、たった60分になってしまいました(^_^;
これは酷いでしょ(^_^;

竹西先生のお話は面白いし、また伺いたい!とは思いますが、
ライブは無理です(^_^;
もし、次にお呼びするとしたら、持ち時間30分としたら、20分位にお伝えしておいて丁度くらいかも(^_^;
いやー、それでも無理かな(^_^;


この後、一応15分間休憩で二部になります。


――第二部――

ここから、スティーブン・ネルソン/法政大学教授とツベタナ・クリステワ/国際基督教大学教
の両教授が参加されました。
「最初に簡単に自己紹介をしてください」と、司会の伊井先生に言われて、
お二人とも大変お困りになってました。
もともと、「簡単に」というはずだったのでしょぅが、
本来85分しかなかったシンポジウムの時間が、↑で書いた用に60分になってます。
そこでシンポジウムも展開したいでしょうし、
ご自分たちの自己紹介、というより、自分はどう「源氏物語」と関わっているか、
ということは是非お話したいでしょ。
こちらとしても、ツベタナ先生はお馴染みだけれど、
ネルソン先生は初めてなので興味深々です(^_^;

でー、まず

スティーブン・ネルソン/法政大学教授

日本音楽史・芸能史を専攻して、日本在住28年以上!
とうとう自分の人生の半分以上を日本で暮らしています。
(いや、本当にNativeJapaneseでいらっしゃいますm(__)m)

今日は、音楽史・芸能史の立場から「鈴虫」の巻を取り上げます。

「源氏物語」は、物語と音楽が密接に関わっている。
催馬楽や、きわどい男女の場面にも音楽があり、音楽小説と言いたいほど。

(作者は)一昔・二昔前の現実の記録を取り出したりして、
「源氏物語」を歴史ものだという風に受け取らせようとしている。

(紫式部は)音楽については、どれほどの知識があったか?

『紫式部日記』より
前略。さるはあやしう黒みすすけたる曹司に、筝の琴、和琴、しらべながら、心に入れて
「雨降る日、琴柱倒せ」などもいひはべらぬままに・・・後略


『紫式部集』
      筝の琴しばし」といひたりける人、「参りて御手より得む」とある返り事
露しげき よもぎが中の 虫の音を おぼろけにてや 人の尋ねむ

この歌を、朗々と詠唱なさったのにはぶっ飛びました!!)

『源氏物語』
「少女」より
[朱雀院に行幸 放島の試み、歌・音楽の宴]
楽所遠くておぼつかなければ、御前に御琴ども召す。兵部卿宮琵琶、内大臣和琴、
筝の御琴院の御前に参りて、琴は例の太政大臣賜はりたまふ。

この(太政大臣に賜った)琴は10世紀半ばには消えつつあった。
紫式部は見てはいないはず。

「若菜 下」より
[源氏、女三宮を相手に琴について語る]
「この対に常にゆかしくする御琴の音、いかでかの人々の筝、琵琶の音も合わせて、
女楽試みさせむ。―中略―。琴、はた、まして、さらにまねぶ人なくなりにたりとか。
この御琴の音ばかりだに伝へたる人をさをさあらじ」


[源氏、夕霧とともに音楽について評論する]
・・・琴なむなほわづらはしく、手触れにくきものはありける。・・・中略・・・
・・・今は、をさをさ伝ふる人なしとか。いと口押しきことにこそあれ。・・・
・・・まして、この後といひては、伝はるべき末もなき、いとあはれになむ」

紫式部は虚構の音楽史を作った。

「源氏物語」の中にもたくさんの曲が出てくるが、今伝えられているものはない。
たとえば、「青海波」も今の雅楽の「青海波」ではない。

『新撰楽譜』  (『博雅笛譜はくがのふえふ』)より<<青海波>>

『博雅笛譜』というのは、源博雅という人の残した笛の楽譜ですが、
これをもとにコンピューターで復元した曲を聴いていただきます。


ここ、しつこく資料をピックアップしたりしたのはですね、
実は、現在「うつほ」をかじっている関係で、「琴楽入門」というサイトさんに辿りつきました。
ここは「琴」の研究機関です。
そこで、前々から「?」という感じだった「女楽」について、ちょっと面白い記事を見つけたのです(^^)
「源氏物語と琴」という論文などもありまして、
そこから孫引きしちゃうと、またご挨拶に行かなくてはならないので、一寸失礼してm(__)m
まあ、「女楽」の現実性に乏しいことを仰っています。
(これくらいなら、許していただけますかね(^_^;)
興味のある方は、こちらのサイトさんで直接勉強なさってくださいm(__)m

でー、これは、大変勉強になりました。
オバサンは、大昔、生田流の筝曲をたった二年ですがかじったことがあります。
たった二年でも、やはり、琴の音色や押し手のちょっとしたことくらいは、
言われれば、まだ記憶にかすかにありますから(^_^;←本とかね?
それと、変な例えですが、ピアノの練習は騒音だし、
バイオリンは、よっぽど巧くても「のこぎり音楽」になりやすいのですが、
琴の調べは、ナント言うか・・・それこそヘタッピが弾いても、幽玄の調べに似ていたりするような・・・
少なくとも、騒音にはならないのよね・・・(^_^;

でー、ネルソン先生の仰った「(紫式部が物語にあわせて)紫式部は虚構の音楽史を作った。」
と言うのは、凄く納得!なのよね(^^ゞ


ツベタナ・クリステワ/国際基督教大学教

ネルソンさんは28年以上。私は半分の14年ですが、
最初名古屋大学にいて、・・・(このあたり聞き取れなくてm(__)m)・・・今は国際基督教大学で、
日本文学を日本の学生に教えています。
さまよえるブルガリア人と呼ばれています。

今の若い人に日本文学が人気が無い。
なぜか?「源氏物語」のような朧化した、はっきりしていない文学が理解できない。
私も「源氏物語」を嫌っていたが、今は大好きです。

20世紀の肯定主義・・・YESorNOで解答一つに絞ろうとすることにある。
シラネ氏の講演の中の和歌なども読者の参加を求める開かれた構造である。

「詠人不知」というが、詠むと読むは元々一つであった。
日本の文学の

(私は)イデオロギーに支配される社会に生きて、イデオロギーは嫌い。
「源氏物語」の持つ「心のゆとり」=「あいまいさ」が大事。
それは「月の影」の世界。光でもあり影でもある。
善と悪との間を彷徨う人間の世界。

今、「源氏物語」のオペラ「月の影」の台本を書いている。
「藤壺の作った歌」をテーマにしたものです。

「源氏物語」の中で汗を流すのは女ばかり。
男は涙を流す。
よそへつつ 見れば心はなぐさまで 露けさ勝るなでしこの花    源氏

袖濡るる 露のゆかりと思ふにも なほ疎まれぬ やまとなでしこ  藤壺

源氏の「露けさ勝る」の「露」は涙としても愛情としても読める。
藤壺の「なほ疎まれぬ」の「ぬ」は
完了の助動詞として読めば「嫌になってしまった」だが、
打ち消しの助動詞として読めば「なお嫌になれない」ということになる。
両方の読みがあるからこそ、こう詠んだのではないか。

苦い恋と甘い苦しみを味わう人間の人生を描いている。
しかし、実は、「打ち消し」の意味で訳がついているのは、小学館のみ。
小学館でも、別の本は完了で訳している。
わざわざ「打ち消しの意味には取らない」と書いてある注釈もある。
(私のテキストも小学館でした。
確認したら、「『うとまれぬ』の『ぬ』は完了。打消とする一説はとらない」
と書いてありました。)



クリステワ先生は、日本語としては一番外国人の日本語かも〜(^^ゞ
いやねその前のネルソン先生の日本語が凄すぎ!!
でもお話は大変おもしろい(^^)
ユーモアのセンスだけで言ったら、本日のナンバーワン(^^)v

しかし、オペラの台本をお書きになったんですね〜♪
数年前の「源氏研究」で、
三田村先生とのお話で、当時オペラの「源氏物語」が出来たばかりでしたが、
「ダメです。映画よりダメです」と嘆いてらっしゃいました!!
でー、ついにご自分で手を染めてしまったわけ(^^ゞ
そういう所がおもしろい先生です。
感情的には、情緒的には、かなり日本人です!!

(クリステワ先生については、ココも参考になさってください)

シンポジウム

伊井――「和歌と物語」に関して、シラネさんから。

シラネ――英文学を専攻して、イギリスに留学中に、アーサー・ウェイリーの「源氏物語」の英語訳に出会い、
       日本文学を研究することになりました。
       和歌がはいることによって、オペラのアリアと同じように時間が止まる。
       外から見て「文学とメディア」、「テキストと文字」は純文学、「声」は語り。
       ツベタナさんの言う「参加する」ということ。どんな人でも和歌を作る。読むだけでなく参加する。

フィアラ―チェコで言語学を研究していて京大に留学中、古典文学に目覚めた。
       高校時代から源氏に興味を持っていた。
       現代言語学に比較しながら研究を進める。
       翻訳する、といっても直訳できない!と、ドナルド・キーンさんが嘆いていた。
       あまりに複層的・重層的。
       注釈はあまり好きではない。文章を読んで理解の出来ないことはあるが。
       ヨーロッパにありながら自分の言葉で訳してみたい、と思った。
       (チェコ語で四冊の源氏訳を出している)

伊井――サイデンステッカーは「御法」を読むたびに涙が出る、と言った。
 
平野―――「御法」の三首は、思いが高まって、「心の結晶」として出てくる歌。
       (歌を読む時は)この歌を口に出して詠んでいるのか、手紙に書いて伝えているのか、
       ということを考える。
       手紙で書くときには、自分や当事者が読めばそれとわかるが、他の人が読んだら普通に受け
       取られるように書いてあったのではないか。
       「御法」の三首も、最初は淡々と読むつもりでいたが、控え室にいる時に、
       ネルソンさんに、「和歌には歌に音階があったのではないか」と伺い、少し節をつけて詠んだ。
       和歌の詠唱には流派もある、と聞いている。今回の私の節は、それとは少し違うかもしれない。

ネルソン―「和歌の音楽性」は歌会始、かるた会の時など、読師(どくじ)などの朗読する人々がいた。
          節回しは、中世辺りでは楽譜になっているものもある。

ツベタナ―和歌は一番猟奇的(えー!この字でいいの?)な語りを出せる。
       後でシャーロック・ホームズの仮説と、ワトスンの間違った仮説から比較することが出きる。
        (いや、本当に、ここはこう仰ったんですってば!少なくとも私は、そう聞いたよ!!)
       「御法」の歌については勿論、
       「源氏物語」の最初の歌、「源氏」は命の大切さを言っている。
       「桐壺」は後から付けられたというが、それだけに意味が大きい。
            かぎりとて 別るる道の悲しきに 生かまほしきは 命なりけり

シラネ――「世界文学全集」を編集する時、(「源氏物語」は)どういう位置に置けるか?
          @宮廷文学
          A女流文学
          Bロマンス
          C物語論(文学論)
          ・・・・いろんなジャンルに該当する多面性。

フィアラ―−人間と自然の調和が見事に表されている。
       源氏だけでなく、平安文学全てに、人間も動物も同列に扱う。
       共通の運命が仏教の中にもテーマにとられている。―仏教の教えの中でも色々違っているが。
       最初は唐代の文化の影響を受けていたものが、紫式部の心が自然の調和を受け入れ、
       須磨の源氏は、大自然に触れ触発されていく。

平野―――声によって伝えられていた文化。
       本来、宮中では、声に出して言えないことが、はっきりと書かれていた。
       それに共感した人も多かったはず。


伊井―――本日は本当にありがとうございました。
        この後皆さんでディスカッションをしていただくはずだったのですが、
        本当に時間がなくて 申し訳ありませんでした。




というわけで閉会の辞だったのですが、混雑回避で、一寸フライイングしてしまいました。
ゴメンナサイm(__)m

でも、本当に充実した講演会でした\(^^)/










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