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2009年

9月1日(火)

あ〜ら、嫌だ!!

源氏関係で書くのは、今年になって初めてなんだっけ(^^ゞ

えー、実はですね・・・五月に源氏の横浜の会で特別公演がありました。
N先生のお弟子さんで、現役のW大学教授の先生がご出講くださいまして、
「源氏物語の語り」についてご講演がありました。

それを、まとめてここにアップするのは一寸まずいので、自分だけのノートを纏めようと思っていたら、
色々ありまして・・・(^_^;


まあ、そのう・・・
「語り」も、
@物語としての語り、つまり物を語るから、物語というのである、つまり物語は近代小説とは違う、
と言う意味での「語り」
A当時は「語り」を以って物語の享受をした、という「語り手の存在」を重要視した「源氏物語音読論」など。

今回は、@について、
「源氏物語」の中の草子地に見られる語り、語り手は誰か、ということ。
語り手によって、遠い語り手、近い語り手・・・その立場によって見る目の遠さ、近さ・・・様々な視点の語り手がいる。

てな処でした♪

その時のご講演の後に質問を受けてくださいました。
実は、一寸お聞きしたいなぁ、と思ったことがあったのですが、なんとなく、あの会では、
その手の質問はできなくて、
幹事さんから質問を振られたのですが、全く無関係なことを聞いてお茶を濁してしまいました(^_^;

でー、それが、前からの疑問を、いいチャンスだったのに聞けなかった!
ということで割れながら勇気無いナァ・・・と、忸怩たる思いがありました(^_^;
そしたら、先週木曜日のN先生のカルチャーのご講義の時、
昔、玉上先生が、「源氏物語は、当時は語りによって享受されていた」という「源氏物語音読論」を打ち出された時、
当時大学院生だったN先生が、それはおかしい!と反論されて大騒ぎになった、というお話が出ました!!

N先生としては、「更級日記の文を読んでも、当時は既に
『昼はひねもす、夜は灯りの限り読み続けて、妃の位もいかがはせん』という記述があるように、
語りだけで享受をしていたとは思えない」と言うものだったそうです。

ひぇーっ!あの時、聞かなくてよかったよー!!

実は、私もこれが気になっていて、語り、語りという最近の流行はちょっとなぁ〜?と、思っていたのです。
だから、それを特別講義の後の質問で伺いたかったんだけど、
あの会で、質問を振られて、そういう時にいかにもの聞き方をするのは、ちょっとまずい!と思って、
別の質問にしてしまいましたm(__)m

な・の・で、
N先生の、このお話を聞いた後で、ウワッ!聞かなくてよかった〜♪と、思いました。
だってさぁ、私は、今回、N先生の口からは初めて聞いたように思いますけど、
N先生のご講義は追っかけ宜しく、アチコチで聞いているわけで、
既にどこかで聞いていて、刷り込まれていたのかもしれないでしょ(^_^;
記憶にはないのですが、最近、記憶になくて実際あった!なんてことばっか(^_^;
まあ、その逆もたくさんありますm(__)m

少なくとも、あの場面で、私が、N先生のお弟子さんに、いかにも自分の疑問のようにそれを伺えば、
N先生のお説を知ったかぶりでわざとらしく聞いたみたいに思われたら困るもの!!

でも、本当に、これは、疑問でした。
これはね、たぶん、私が演劇好きということからきていると思います(^^ゞ
それと、自分自身が感情過多で、朗読しながらすぐ泣く、と言う事も関係有よ〜(^_^;

私も、源氏成立と思える時期からたった20年くらい、と言う時期に
菅原孝標女が、あれだけ物語に耽溺して読み続けているのに、
「当時は語りで、語りで」というのが疑問でした。
勿論、当時だって、20年の時間の差はいろんな観点から大きいとは思いますけど、ねぇ(^_^;
それにしても、紫式部日記を読むと、式部なんか自分の家の召使にまで、
「字を読んだりするから不幸になるんだ」位のことを言われたり、
「女は経文さえ読まないものだ」と言う風習があった、と書いてあるでしょ。
そんな所で、たった20年の間にそんなに変るものかな・・・と言う疑問がありました。
今の時代の20年ではないですからね。
あの平安の悠長な時代の20年て・・・どんな時間的長さがあるのか?

それに、まず、村上天皇の例の宣陽殿女御芳子さんの例をみても、
それから、ライバルの安子中宮のことを考えても、村上帝の時代でさえ、
当時「宮廷にいる女性は」と限ってもいいて゜すが、
かなりのレベルで文学教養を自分のものにしていた、と思います。
そうすると、それが全て語りによるものと考えるのは無理じゃね?

それで、今度は清少納言ですよー!
あの人は、枕草子に色々自慢を載せているくらい漢学の素養もあった!わけですが、
それを受け入れられる定子中宮と、そのサロンもそれなりの教養があったわけですよね。
そこで、語りばかりで物語を享受しているとは思えない(^^ゞ
特に、「うつほ」の仲忠と凉のヒーロー比べなんて、自分で何度も読んでなくちゃ・・・と思うのですよ。
「枕草子」の解説で、N先生が良く仰る
「当時の女房のcommon senseがわからなければ理解できないことが多い!」
っての!!
アレは本当だと思います(^^ゞ

でー、たしかに一条天皇は、女房に読ませているし、中の君は、浮舟を慰めるのに、
絵巻を見せて、女房に物語りを読ませてますけど、
そこで、演劇好きのオバサンの虫が疑問を呈するわけですよ〜(^_^;

朗読による享受というのは、常の読書法ではない、ということです。
ある意味、観劇というような意味合いを含んでいるのではないか。
つまりさ、物語を朗読する女房というのは、朗読の巧い特定の女房なのではないか?
ということに繋がるのですが(^^ゞ
でー、「浮舟」などのように、絵巻を見ながら、朗読させる、というのは演劇の奔りではないか?ってこと。

恥ずかしながら、私は、朗読していて、感動的な場面なんかはすぐ泣いちゃうのですよ(^_^;
「平家物語」なんかは、泣く場面ばかりで、もう〜あかん(ーー;)
「源氏物語」だって、「葵巻」などの、葵上の死後の左大臣邸のようすなどは、
もう、何度読んでも涙、涙!!
「柏木」の夕霧が見舞いに来て、柏木の枕頭に座って話すところなど、
私は、本当は柏木なんてあまり好きじゃないのに、涙、涙で・・・。
今の「源氏」のご講義は「柏木」なんですが、朗読の順番に当たったらどうしよう?と心配するくらいダメでした(^_^;
当然下準備で読んでいたら教科書は涙でベチョベチョになってしまいました!!

ねぇ、こんな人が朗読係の女房じゃ困るでしょ。
しかも、よ、例えば、朗読係の女房じゃなくても、当時朗読出の享受が一般的なことだとしたら、
「誰某のおもとこそおかしけれ。源氏の物語り読みながら泣きに泣く。」
くらいな記事が残っているんじゃないかな(^_^;

それと、源氏の朗読としては、例の関弘子(観世寿夫未亡人)さんのあの超スローモーな読みが有名ですが、
いくらノンビリした時代でも、それを聞きながら、早く次の筋を知りたいねと思わないのかな?
でー、オバサンは又も考える。
音読の享受は確かにあった!
でもそれは、先に物語を読んだ上での演劇を見るような形でのことではなかったのかな、と。
勿論、一条天皇が、女房に朗読させて、それを聞いて、
「この人は日本記をこそよく読むべけれ」なんて仰った、ってのは、
帝自らが物語の本を読む、というのは、当時としては考えられないことです。
だから、そういう形で紫式部が自慢をしたのかな、
とは思います。

あー、当日、私が「語り」とは無関係の質問でお茶を濁したと言う、その質問は、ですね
西鶴の好色一代男は源氏物語の影響で書かれたのだという説は定説ですが、
好色一代女に源典侍が反映されているんじゃないか、ということ。
これも、本当に気にはなつていたのです!!

西鶴が
吉野に死なれた世之助を、女護ヶ島を目指して船出させるというのは、
変形「雲隠れ」だよねぇ〜♪







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