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7月14日(土)

「源氏物語の作者・紫式部について」

という単発講座を受講してきました。

「源氏物語の作者・紫式部について」ということで、
以前のこのAカルチャーで受講した「紫式部日記」の復習みたいなものですね。
もともと、22年、カルチャーのこの支部校創設以来続いていた「源氏物語」のOB会みたいなものです。
「源氏物語」を全編読み終わったところで、
「桐壺」から再開したのですが、先生が体調が優れなくなったのと、源氏千年紀の忙しさに続けられなくなって、
ここの「源氏」をお弟子さんにバトンタッチなさってから、
同窓会的に一年に2〜3回開かれるのですが、相変わらず満席です(^^)

でも、ここでは、絶対、「源氏物語」本体のご講義はなさらないのですよ!!
だから、その「源氏」の周辺事情ということで、作者とか、構造とかを扱って、しかも単発講義だけ!!
先生は、ここのカルチャーのドル箱だったし、
かなり、再開要望が強いらしいしのに、ダメらしくて・・・事務所はなんとかと思ってゴマすってます(^_^;
今日だって、先生のお見送りなんか、事務所勢ぞろいなんですけどねぇ(^_^;

まあ、先生に言わせると、
「半分はサクラでしょ!」ということになります(^^ゞ
サクラ・・・つまり、同窓会的というように、Aカルチャーの「源氏」OBとか、
その他先生がアチコチで持っていらっしゃるカルチャーの現役生徒のことですね。
まあ、そういう方たちが、半分までは行かないんじゃない・・・大体、前回くらいから、
三分の二くらいは知らない顔です。

それでも、アチコチで、
あら〜、お久しぶり?お元気でしたぁ?なんて言葉が交わされてます(^^)
私も、今、Nカルチャーで源氏をご一緒に受けている方たちも何人かご一緒です(^^)

体調を考えて、ギリギリまで申し込みを待ったので、受講料は今朝支払うことになっていたので、
一寸早めに行ったら、
先生とばったり!!
「お体の具合はいかがですか?」と聞いて頂いて、複雑・・・一昨日もNカルチャーのご講義受けていたんですもの(^_^;
さらに、もひとつまずいことに、今、休会中の源氏の会のの幹事さんもいらっしゃっていてビックリ(^_^;
こちらでも、「お体の具合はどう?」と聞いて頂いて、恐縮m( )m

別に仮病使っているわけではありませんが、やはり、皆様に体調いかが?と聞いていただくと、
病名の決まった病気があるわけではなし、
発熱が続いた、発作が起きた、というわけでもないし、
今は眩暈も落ち着いているので、
全体的にそれほどでも重症というわけではないわけで・・・要するに「体調不良」ですからね・・・。


というわけで、今日のご講義の目玉は、という、最後にプッシュされたのは、
先生が言いだしっぺであった
@ 中務出仕説
A 寛弘元年初出仕説
B道長召人説

でー、@に関しては、ですねぇ・・・これ、3月の最終講義の後のお茶のとき、
私が、うかつにも、すでにこれが定説になっていたと思い込んでいたことをペロンと喋ってしまい、
先生がビックリされて、
「これは、僕が最初に出した説なんだよ」と仰られて、へぇ〜!!でした(^_^;
先生も、ちょっと、それはショックでいらっしゃったらしく・・・だって、先生、いつも謙虚で、自説・自説と宣伝するようなこと仰らないんですよ!!
だから、つい、私は、かなり定説化していることだと思い込んでいたんですねm( )m
すみませんm( )m

それに、長いこと゛源氏」には携わってきたけど、自己流の勉強だと、手当たり次第というところがあって、
論文の順番、というわけにはいかないじゃない(^_^;
それでも、かなり、古いものを漁って、それなりに順番追っているつもりだったのですが・・・(^_^;

というわけで、一応、先生としては、これは、ご自分の説から始まったと言うことを、学者のプライドとして、おっしゃったんでしょう。
ホントニスミマセンでしたm( )m

Aについては、「紫式部日記」の受講のとき、詳しく伺いましたので、その復習になりました。
これは、まだ、寛弘二年説・三年説と、いろいろあるそうですが。

Bについても、「紫式部日記」の時、かなり食い下がったことを覚えています(^^ゞ
・・・いや、私は、「召人」じゃなかった、というのではなくて、当然男女の仲になったことはあっただろうけど、
「召人」などという重い?というより確定的な仲ではなかったんじゃないか、と考えるんですけどね(^_^;
つまり、当時の宮中はフリーセックスだからね・・・(^^ゞ

そうそう、このBについても、ですね、これも、最初に仰ったのは萩谷朴先生かと思っていたものですから、
今日、先生が、「論文に始めて書いたのは僕です」と仰ったのにビックリ!!
すみませんm( )mパートU。
「小学館の昭和34年版の紫式部日記」の解説に書かれたのが最初だったそうです。
だから、「あの時期に、ああいう解説を書かせてくれた“小学館”も大変な所ですよ」というお話でした!!

ことのついでに、
今日も、ご講義後のお茶会で、紫式部の初恋の人のことで、非公式にも誰の名前も挙がってないんですか?
と、伺ったら、それは本当に無いそうです(^_^;
先生方も、誰か絶対いるはずだとお考えのようですが・・・。

ねぇ、ここで、お聞きしたかったんですよ〜!
「慶慈保胤ではだめですか〜?為時父ちゃんより年上ですけど〜!」と、聞きたかったんだけど・・・勇気ないわぁ・・・(^_^;
だってさ・・・本職の先生方でさえ、ああだこうだと探しているのに、ねぇ・・・。
まあ、慶慈保胤はオバサンの楽しみということで(^_^;


まあ、そんなことで、ご講義もお茶会も楽しかったけど・・・疲れました(^_^;
夜は、もう、ピアノのお稽古に出かけていた息子にお弁当頼もうか?
デパ地下のデリを買って帰ろうか?ってさんざっぱら考えたんですが、
自分の道楽しに行って、ここでお弁当というのは言いづらいので、もう〜考えた結果、手巻き寿司!!





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