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5月24日(月)「朧月夜ー1」

朧月夜については、ファンもけっこう多くて、うっかりしたことは書けないのですが、
( 5月5日のページにも書いた通り )
今は、私も結構彼女のことが好きですが、最初は嫌いでしたね。
私としては、随分C調に生きている、と思えたからです。

入内が決まっているのに「朧月夜ににるものぞなき〜」なぁんて
いくら自分の邸内でも(弘毅殿の局内)、ほろ酔い気分で歌なんか歌いながらそぞろ歩くとは
チトハシタナクハナイカイナ ?とは思いますがね。
まぁ、その後はなるようになってしまうとしても、拒めば拒める条件もあったと思われるのに
入内がきまっていることを盾にしてもいいし、
辺りにに、女房がいなかったわけでもないようなのに、呼びもしない。
相手が源氏と知って「ただ、このきみに頑ななりとは思われまじ」というすきごころ !
その挙げ句が女御としての入内こそ叶わなくなるが、
しっかり尚侍として宮中に上がり、朱雀院の寵愛を受けてときめくのですからね。
その合間にも、また、源氏と密会を重ねているでしょ、挙げ句の果ての須磨流しデスよ。
それは、源氏に大きな責めがあったとしても、彼女の方も十分悪い。
割かれれば割かれるほど燃え上がるのが「恋」だというけれど、
とうの朱雀院だって苦しむわけだし、須磨から帰ってきた後も
ずるずる続いて、朱雀院に嘆かれても、その時だけはしおらしいけれど、また密会、
朱雀院の崩御によって初めて、そのおおらかな愛情に気付いて出家するわけで、
といっても、それだけではない、
いい年をして、まだ、そちこちの女性問題でうろうろしている源氏にアイソを尽かしてのことですからね、
どうも同情はできないなぁ、と思っていたのです。

三十路近くなって、「とはずがたり」を読んでいるうちに、だいぶ気持ちが変化してきたのです。
「とはずがたり」はかなり源氏物語を意識して書いているけれど
全くのフィクションではなく、セミドキュメントと言った態のものです。
「二条」というヒロインのあきれかえるような男性遍歴が臆面もなく綴られています。
しかし、決していやらしくは感じない。識者の先生方は作品の出来不出来として
源氏物語とはくらぶべくもないようにおっしゃるが、それはそれとして、
流に任せて生きていくしかない、当時の上流貴族の娘の
男遍歴の果てに流浪の尼僧としての生き方に辿り着く、
和泉式部の「くらきよりくらき途にぞいりにけり 遥かに照らせ山の端の月」
という心境が、二条の中に投影して痛々しいほど理解出来たのです。
(和泉式部日記を読んだ時は、反発も無かった変わりに、そう感動もしなかった。
ただ、和歌は、みんな好き。和泉については夕顔の時触れたい)

朧月夜が二人の男性の間でたゆたふているのも、浮ついているだけでは無い、
朱雀院のそばにいる時はそのおおらかな愛の中に浸りきって幸福感に酔いながら源氏を忘れかね、
源氏と密会している時は朱雀院に対する背徳の共犯者として絶望的な恋に身を焦がして、
それぞれの男の愛にそれぞれに応えようと、その瞬間、その瞬間を必死に生きているのだと。
だからといって、自分の一生を振り返って悔いはしなかったろうとは思わない。
朱雀院に対する裏切りを悔いもしたとおもうし、
出家したのは、やはり源氏のその場凌ぎの愛に絶望したからだと思うし、
ただ、私にはこういう生き方しかできなかったのだ、という自分なりの確信はあったと思います。
そういえば「朧月夜の不器用な生き方が好き」という方がいらっしゃいました。
私自身は、こういうのを不器用な生き方とは言えないとも思うのですが、
どちらかに決め兼ねるというのは、そういう風にも言えるのかな、
とは、私もだらしないですね。

というわけで、今ではけっこう朧月夜が好きです。
PS:谷崎潤一郎の「細雪」の妙子は、朧月夜ですねぇ。これも朧月夜が好きになってから
気がついたことですが・・・

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