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元暦元年・1184年

4月16日に寿永3年より元暦元年と改元す)

4月

16日 甲申 改元。壽永三年を改め元暦元年と爲す。
18日 丙戌 殊なる御願に依って、下総權の守爲久に仰せ下し、正觀音像の圖繪を奉らる。
20日 戊子 雨降る。終日休止せず。本三位中將、武衛の御免に依り沐浴之儀有り。
21日 己丑 去んぬる夜自り、殿中聊かぶっそうなり。
22日 庚寅 民部大夫光行、又、豐前々司平家に与する之過事、免許を蒙るべき之由
23日 辛卯 下河邊の四郎政義者(は)、戰場に臨み、軍忠を竭(つく)す。
24日 壬辰 賀茂社領四十一箇所、院の廳御下文に任せて、武家の狼藉を止むべき之由
26日 甲午 堀の藤次親家郎從、藤内光澄歸參す。入間河原に於いて、志水の冠者を誅する之由、
28日 丙申 平氏、西海に在る之由、風聞す。
29日 丁酉 前の齋院の次官(すけ)親能、使節爲(と)して上洛す



5月大

 1日 戊子 故志水の冠者義高の伴類等、甲斐・信濃等の國に隱居せしめ、叛逆を起こさんと擬する之由、
 2日 己丑 志水の冠者、誅戮の事に依って、諸國の御家人馳せ參ず。凡そ群を成すと
 3日 庚寅 武衛は、兩村を二所大神宮に寄附奉らる。
12日 己亥 雜色(ぞうしき)、時澤、使節爲して上洛す。
15日 壬寅 伊勢の國の馳驛(ちえき)參着す。
19日 丙午 武衛、池の亞相・右典厩<一條能保>等を相い伴ひ、海濱を逍遥し給ふ。
21日戊申武衛、御書を泰經朝臣に遣わさる。是は池の前の大納言・同息男、本官に還り任ぜらるべき事、
24日 辛亥 左衛門の尉藤原朝綱、伊賀の國、壬生野(みぶなの)の郷の地頭職を拜領す。



6月小

 1日 戊午 武衛、池の前の亞相を招請し給ふ。是は近日、皈洛有るべき之間、餞別の爲也。
 4日 辛酉 石河の兵衛、判官代義資、關東に參着す。朝夕官仕致すべき之由、之を申す。
 5日 壬戌 池の前の大納言皈洛せらる。武衛、亞相に庄園を辞せ令め給ふ之上、逗留之間、連日、竹葉宴酔を勸め、
16日 癸酉 一條の次郎忠頼、威勢を振るう之餘り、世を濫す志、插(さ)すか之由、其の聞こえ有り。
17日 甲戌 鮫嶋の四郎を御前に召し、右手指を切らしめ給ふ。是は昨夕騒動之間、御方を討つの罪科有る之故也。
18日 乙亥 故一條の次郎忠頼の家人、甲斐の小四郎秋家、召出さる。
20日 丁丑 去んぬる五日、小除目行はる。其の除書、今日到來す。武衛、申せしめ給ふ任人の事相違無し。
21日 戊寅 武衛、範頼・義信・廣綱等を召し聚(あつ)め、勸盃有り。次いで、除目の事に觸れ仰せらる。
23日 庚辰 片切の太郎爲安、信濃の國自り召し出さる。之殊に憐愍せしめ給ふ。
27日 甲申 堀の藤次親家の郎從、梟首せらる。是、御臺所の御憤りに依って也。



7月大

 2日 戊子 成就院僧正房の使者、去んぬる夜、戌の尅參著す。
 3日 已丑 武衛は前の内府已下の平氏等を追討せんが爲、源九郎主を以って、西海に遣わすべき事仙洞に
 5日 辛卯 大内の冠者惟義(これよし)の飛脚參着し申して云く去んぬる七日伊賀の國に於いて
10日 丙申 今日、井上の太郎光盛、駿河の國蒲原(かんばら)の驛に於いて誅せらる。・
16日 壬寅 澁谷の次郎高重者、勇敢之器、頗る父祖に耻ざる之由、度々御感に預かる。
18日 甲申 伊賀の國、合戰之間の事。其の沙汰を經らる。平家隱逃(おんとう)之郎從等を討亡すべき之由
20日 丙午 此の間(このかん)、鶴岡の若宮之傍に於いて社壇を新造せらる。
25日 辛亥 故井上の太郎光盛の侍、保科の太郎・小河原の雲藤の三郎等、降人爲して參上す


8月大

 2日 戊午 大内の冠者、飛脚を重ねて參着し申して云く。去んぬる十九日酉の尅平家餘黨等と合戰す。
 3日 乙未 大内の冠者の使いを召し、委細の御書(ごしょ)を賜る。
 6日 壬戌 武衛は、參河の守・足利藏人・武田兵衛尉を招請し給ふ。又、常胤已下、宗爲る御家人等。
 8日 甲子 參河の守範頼、平家追討使爲して西海に赴く
13日 已巳 鹿嶋社に御寄進之地等事
17日 癸酉
18日 甲戌
19日 乙亥
20日 丙子
24日 庚辰
26日 壬午
28日 甲申


9月小

 2日 戊子
 9日 乙未
12日 戊戌
14日 庚子
17日 癸卯
19日 乙巳
20日 丙午
28日 甲寅 ここまで2007年6月9日





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