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2月16日(日) 古文書解読講座第二回「江戸時代の事件と生活」講師北原進(江戸東京博物館)

「古文書」の勉強は歴史の勉強だと言うことから始まりました。
そして、それを読むための基本として・・・
○「日本書紀」などは、大陸に見せるために著したもので、日本的な単語だけに万葉仮名を使って漢文で書いた。
○江戸時代の公文書の漢文は日本的漢文で、中国では通用しない。
 (→返り字などは30通りくらいしかない―例 :可=必ず返って読む・・・「可く杯(べくはい)」などという全部飲み終えるまで「下に置けない」杯もある)
○古文書口調を正確に覚えたほうが読みやすい。

今日のテーマは江戸時代の古文書ということで、講師の北原先生の著書「独習・江戸時代の古文書」というのがあるそうですが、
○村方・町方の文書の中には借金証文が多い。(土地の貸借証文、取り扱い・仲介の証文)
○武家文書は上納金の督促状など(規模の大小は有っても、江戸時代の中で、何処の藩も藩政改革をやっている)
 (→町田辺りの旗本の幕末の家政改革では大砲の本を買ったりしたという記録もある)
○利息は高くて呆れるほど!!(現代のサラ金より高い→高利貸し)
 (→農村とも結びついている)
 (→町中―金額は小さい・期間は短い・利息はまあまあ)
○これは公的な貸付ではないか、と言う証文もある(馬喰町の郡代貸付)
○借金証文の性格 (貸すほうにも事情/借りるほうにも事情)
 (→増上寺の借金証文―増上寺が幕府から借りた金を「○○の為」という名目をつけて貸してやる―利ざやを稼ぐ)
 (寛永寺・英勝寺など裕福な寺社は貸付をしていた)

テキストC

嘉永六年八月 熊野三山修復名目金借用証文 
       拝借仕御銀之事
    合銀壱貫也
         但御利息月壱分定

右者熊野三山為御修覆料
御公儀様御寄附在為  立於
御館様御役所御取扱御座候
御金之内奉願之本行之通拝借
     (印) (印) (印)
仕候処実正御座候返納之儀者
来寅正月廿一日限御定之利息ヲ加
急度返上納可仕候右御大切之
御金奉承知拝借仕候上は内外
如何様之異変出来候共限月
無遅滞上納可仕候万一遅滞候はヽ
御取立之儀二付連帯之者共何方
迄茂罷出候儀者勿論如何躰之
御取扱御座候共可出○申分無御座候
猶又  御公辺掛り諸御名目
拝借之外掛合筋など一切無御座候
為後証依而如件
         湊村 
             今津  利助  印
         同村 
             吉田屋利兵衛 印
         新在家町
             平野屋久兵衛 印
  嘉永六年
     丑八月
紀州様
 御貸付方  
  御役所
嘉永六年は1853年
拝借仕る御銀の事(「御銀」当時は銀本位制)
「合銀壱貫也」というのは利息を言う書き方
(担保が書いてない、ということは「信用貸し」である。
しかも、元金一貫で月一分の利息は安い→公的貸付ということ)
右は熊野三山御修覆料為(として)
御公儀様御寄附在る為  立於
御館様・御役所御取扱い御座候
御金之内、奉願之本行之通り拝借
(三人の印が押してあってそれを墨で消している。精算済み)
仕り候処、実正に御座候。返納之儀は
来る寅正月廿一日限り、御定めの利息ヲ加え
きっと「返上納」仕る可く候。右御大切之
御金承知奉り拝借仕り候上は内外
如何様の異変出来候共、限月(正月)
無遅滞上納仕るべく候。万一遅滞候はば
御取立之儀に付き 連帯之者共 何方(いずかた)
までもまかりいで候儀は勿論 如何躰(いかてい)の
御取扱御座候共 出○べき申分御座無く候
猶又  御公辺掛り、諸御名目
拝借之外掛合筋など一切御座無く候
後証の爲依って件の如し
         湊村    今津  利助  印
         同村    吉田屋利兵衛 印
         新在家町 平野屋久兵衛 印
(吉田屋・平野屋は町方の有力な商人か?→商業助成金?
印はみな墨で消してある) 
嘉永六年丑八月
(当時の数え方→8・9・10・11・12月・正月で半年)
紀州様
 御貸付方(→低利息であっても利子収入を得ていた)  
  御役所

いやぁ・・・これは読めませんでした!!全然歯が立たなかった(^_^;
これで入門ではお家に帰ろう!!と思ったのですが、次のテキストがわりと読めていた(↑に比べれば、と言うくらいですが)のであやうく止まりました(^_^;

テキストD

       借用申金子之事
一.金拾六両也右借用仕當午之御年貢御味進
 御上納仕候処実正<二>御座候此質物我等持分
 薬師堂と申草場境之儀ハ東ハ木下久五郎境
 西ハ大泉儀助境北ハ溝切南ハ我等持分溝境処
 同所壱切此境北ハ大泉村久平作境西ハ木下久五郎境
 北ハ大泉村儀助境南ハ我等持分溝境双場合籾七俵
 預け之処當午之五月より年<々>戌之暮迄五ヶ年季入置
 候所実正也此地<二>付出入毛頭一切無御座候
 来<る>戌暮迄壱割五分之以神定急度返済
 可仕候若元利及遅滞に候はば右之地所御訴え
 如何様之御差引<に>も御出儘御支配可或候その
 節一言之申し分無此候万一本人不埒等申出
 候共加判人引受少茂貴殿<に>御損御苦労拭
 申○○○候為後日借用証又何如件
    文化七年午年
           極月
              北殿村 ○主 長次郎
              目付 加判人 安助
              目付 名主  又左衛門
      借用申す金子の事
一.金拾六両也右借用仕つり、當午之御年貢、御味(未の意)進
 御上納仕つり候処、実正に御座候。此の質物として我等持分
 薬師堂と申す草場―境之儀ハー東ハ木下久五郎境、
 西ハ大泉儀助境、北ハ溝切、南ハ我等持分の溝境処
 同所壱切―此境、北ハ大泉村久平作境、西ハ木下久五郎境、
 北ハ大泉村儀助境、南ハ我等持分溝境、双場合わせて、籾七俵。
 預け之処、當午之五月より年<々>戌之暮迄、五ヶ年季入置
 候所、実正也。此地につき、出入毛頭一切無く御座候。
 来<る>戌の暮迄壱割五分の神定を以って、きっと返済
 仕つる可く候。若し元利及び遅滞に候はば右之地所、御訴え
 如何様之御差引きにも御出の儘、御支配或る可く候。その
 節一言の申し分此れ無く候。万一本人不埒等、申し出で
 候とも、加判人引受け、少しも貴殿に御損御苦労を拭け
 申すまじく候。後日の爲、借用証、又何、件の如し。
    文化七年午年
           極月
              北殿村 ○主 長次郎(三人とも名前が墨で消)
              目付 加判人 安助
              目付 名主  又左衛門

――「當午」というのは今年。「當午之御年貢、御味(未の意)進」は年貢が未払い、ということ。しかも日付を見れば極月(十二月)。
――「此の質物として」借金の担保として、「草場」といのは草狩場。境に「傍示杭(ぼうじくい)」を打つ。
――「双場合わせて、籾七俵」合わせて、年間籾七俵が取れるような場所、と言う言い方。〜中部地方は土地の広さを著す時、「○俵取れる場所」という言い方をする。「北殿村」というのは信州伊那群の村。
――「神定を以って」神定は神が定めた利子率
――この借用証文には宛名が無い。本来地主か名主の名が書いてある。

これは、一寸は読めたのですが、それでも、テキストCに比べれば、というところで2割読めた、と言ったら大嘘つき、と言うところでしょうか(^_^;




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