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10月24日(金) 「万葉集を読む」 第三回 

万葉仮名から仮名文字の誕生

↑と、先生が名づけられた題名ではありません(^_^;
あくまで、私が伺った今回のご講義から名づけた物です。トンチンカンだったらごめんなさいm(__)m

前回までのまとめから

万葉集の文字の難点は
@ 一字一音で長々と書いて行く \これらが折衷されて、両者の間をさまよっていたのが当時の表記法
A 漢文式に短くなっている    /  ―→平安初期には読めなくなっていた!

男は漢文で、女はかな文字で、という文字の分化現象を起こしながら、
村上天皇が万葉集わ読みたい、ということから951年宮中和歌所に「梨壷の五人」を集め万葉集の研究を命じた。
そこで全てではないが読み解いた物を古点、平安期の終わり頃152首を残して読めたという次点、鎌倉時代の1252年に
仙覚が読み終えたという新点・・・300年かかって漸く万葉集が読めた。

万葉集を読み解くための苦難のエピソードとして「石山寺縁起絵巻」の源順の話し

「1000年かかって今日の表記法を得た。
私達は漢字とかなを組み合わせて読む運命にあります」
というお話がありました。

そうなんですよ。これぞ日本文化!!ただ漢字を中国からもらっただけではない!!
それを工夫してカタカナ・ひらがなを作って、その組み合わせになる流麗な文字と耳ざわりのよい言葉を作ってきたんだわ♪
日本人て凄い!!

美智子皇后が、中国にはじめておいでになった時のご挨拶で、
「貴国から、いろいろな素晴らしい文化を頂いて、それを取捨選択して日本の文化を創ってきました・・・」でしたっけ・・・、
そのようなことをおっしゃって、どこの先生だかが偉く感激していらっしゃいましたね(^^)
「取捨選択だよ!ただ丸呑みにもらっただけじゃないんだ。ちゃんとセレクトして日本文化として消化したということなんだ」
「いゃぁ、美智子さんてのは頭の良い女性だと思ったよ」とたいした感激振りでした。
(あ、全部、原文はわからない・・・ウロ覚えですが、意味はあっているはずです!!)

でも、そうなんですよね。
漢字という大きな題材は頂いたとしても、そこから日本文字として発展させてきた日本人の才能はたいしたものです。
で、只今その創世記の御勉強・・・万葉仮名!!

「万葉集」を読む立場・分類する立場

「日本歌学大系」に、↑そういう話があって、時代によって一字一音で31文字を表すようになる、そうです。
とにかく、漢文と漢音表記を使って組み合わせている上に、もともと、漢字一文字自体が持つ意味まで加味されていることもあり、
たとえば「柳」は下に向いているやなぎ、「楊」は上を向いているやなぎ・・・って雪柳とか猫柳かな・・・(^_^;
だから、これは、漢文の熟語として使われているのか、単に漢字の音を借りてるだけなのか、意味も含まれているのか、
その上に助詞・助動詞を読み足さなければ日本語にはならないわけで、しかも歌の形にするという・・・
はぁ・・・聞いてるこちらも頭が痛くなりましたm(__)m

2447 白玉從手纏不忘念行畢 
    (白玉を手に巻きしより忘れじと念へることは何時か畢らむ)
2453 春楊葛城山發雲立座妹思 
    (春やなぎ 葛城山に發つ雲を立ちてもいても妹をし思ふ)

10字・11文字で、書かれた歌をどうやって和歌の表現にするか。
逆に、詠まれた和歌を漢字の音と意味を使ってどう書き残していくか・・・という処に太安万侶の苦労がある!!
「白玉を」を音を以って連ねれば更に長く、訓を以って連ねれば正確な読み方がわからない、ということで、
組み合わせるっきゃないのよねぇ・・・(^_^;
しかし、巻二十の「防人」の歌のような方言が強い時には一字一音で表記されているそうで、
段々一字一音が固定していくような過程が偲ばれるようです。
古事記は歴史を口語の音で書くことに努力した跡もみられる、とのことでした。

「お寺の坊さんのお経は・・・」と、おっしゃるので、はっ?と思いましたら、「経文は訓読の原点である」ということで、
オ〜、そうだ!!大体、日本人て、教わった物の形を崩す事を嫌がるところありますよね。
↑のように便利に日常的に崩して日本的なものに消化させる一方で、
琵琶も漢詩もオリジナルで残している、というのは、こないだの「鎌倉と中国文化」で聞いたばかりです。
お経が伝わったのは飛鳥時代ですから、そこから、ずっと経文を聞いたままの中国音で読みつづけていたとしても、
それを解釈していく上に、それなりの訓読があったはずです♪
なぁんとねぇ・・・(^^)v
こういうことはほかで聞けない!!

万葉集は13548首である!ん?

というわけで、「万葉集の読み方に正解はない」と先生はおっしゃいます(^^)
前回でも、
「角川や岩波・新潮・小学館・・・今出版される「万葉集」を読み比べれば1000箇所くらいの読み方の違いがあるだろう。
もしかしたら、4516首は10000首くらいになってしまうだろう。」との御言葉でした。
で、今回も、今、読まれている読み方が正しい読み方だとは限らない、
岩波は佐々木信綱の佐々木万葉集であり、佐竹先生のものも、佐竹万葉集だ、とおっしゃいます。
「みんな自分の学問的良心に従って読んでいるけれど、要するに好みの問題です。
「みんなウソだと思って読みなさい!」
「要するに乱世だね。群雄割拠だ!!」とお笑いになりました。
で、留めの一言、「万葉集(の和歌)は一粒で3度美味しい」
4516首が3度づつ味わえるのだから・・・13548首あるともいえる・・・フフフ、先生ご機嫌です(^^ゞ

でも、それは真実です。
みんなウソだと思って読む、というのは確かに「先生の学問的良心」に他ならない、と思います。
知人の学者さんが、ご子息を学者に不向きだと判断なさったのは、
私達には羨ましい素直なご子息のその素直さが、何でも教わることに疑いを持たずに信じちゃうからだそうです(^_^;
まあ、一般人ではそうも言ってられませんけど(^_^;

続けて
「研究会や学会で意見を戦わせて、学説が一つに纏まる事はない。ふえるだけです。
学説が一つにまとまる、ということは帝国的学問です。」
「『コーラン』だって、マホメットが翻訳したものを、死んだ後弟子が書いた物です。
『孔子』だった孔子が死後に『子曰く』って弟子がまとめた。聖書もそうです。」
「古典の名著を読む、というのは不可能に近い」
と、おっしゃいました。

そうですよねぇ・・・現代の文学だって、海外文学を翻訳で読む、というのは筋だけを読むのと変わりない。
どうしたって、その時代、その土地、その空気の中で培われた言葉で味あわなければ、本来著者の書いたテーマ、
伝えたかった言葉は味わえない、と言いますよねぇ。

それでも、「日本書紀」は良心的なので(←というのは佐竹先生の言葉)、「○○書に曰く」という但し書きがあるそうです。
つまり、別の説があるよ、という但し書きですね。
万葉集にも「いつ〜に曰く」とか、別の歌の形を記録しているところもあり、
それを加えると、確実に4516首を越えるそうです。
柿本人麻呂の歌などは、「いつ〜に曰く」と書かれている歌のほうが、最初に人麻呂が作った歌で、
今、本編に残っている歌の方は人麻呂が推敲した後(に完成した)の歌だから、
「人麻呂の推敲の過程を知ることができる」という説が現代ではあるそうです。
しかし、先生は、これには疑問で、
「(別の歌があるというのは)万葉集を写して行った段階で、変わってしまったこともあるのではないか。」
「もっと俗に受け取って、♪欲しくばあげましょ 熨斗つけて♪見ることも必要です。
万葉集は民謡に近いものですから、こういうことに時間を費やすのは・・・的ではありませんから」
ええっ!!??
先生「さのさ」を唸り始めちゃいました\(^o^)/会場大受けで聞こえないです(^_^;
先生ご機嫌・・・何か良いことあったのかな?
朝の御茶にちゃ柱が立ったとか、いや、もっと色っぽいほうだ!!
電車の隣の席に美人が座った、とか・・・(^^ゞ

何々?つまり、万葉集の中の別の形で残る歌も同じ歌として、歌の中味だけ受け取っていけばいい、
ということで宜しいのでしょうか?

で、ここで、軌道修正!エヘン(^0_0^)

仮名の誕生

「万葉集が、このように31音が表記できるようになると、古くからの万葉集の複文的表記は捨てられた」
「その時代は、平安朝の極初期か、奈良朝末期である」
そして、この頃
「自分達の表記を使って、正確に我々の歌を書き取っておきたい」
「格式上『勅撰集』でなければならない」
と、いうことで「古今集」選考の勅命とのことでした。
「複文的表記」というのは↑の漢文の熟語と漢字の音を組み合わせた表記法ですね。
つまり、この時、万葉仮名から仮名文字が発生した、ということで、「大変なことです」と先生。
但し、まだこの段階は「男は漢文、女はかな」と言う以前の仮名文字だったそうです。
ん?どんなの?
これが、男性用の漢字は「真名」というから、それに対して女性用の字は仮に読む字で「仮名」と言ったんだ、と
どこかで聞きました。
例の前回の「真に対する片」で考えれば「仮名」を「片名」と書いて「かな」と読ませたこともあったのでしょうか?

男は科挙などで漢文を使うから必要、女は男から送られた歌に返しをしなくちゃならないから、文字が必要になって、
仮名が一般化して使われた、ということでした。
更に、
「『土佐日記』は、紀貫之が女性の振りをして『男もすなる日記を女もして見むとて』という書き出しで書き始めましたが、
『すなる』というのは伝聞の助動詞で、当時としては大変なセンスであったとおもわれます。」と、先生はおっしゃいます。

で、このあたりから、チョイ脱線モード、なんですが、大事な脱線!!
今の教育界が、ひらがな・カタカナをちゃんと教えているだろうか?
ワープロでローマ字打ちでひらがなが出る、ということに慣れていると困るのではないか?
漢字の略字化や書き順は教えているか?
佐竹の「佐」の字を「左」を先に書いて、後から「イ」をチョイとくっつけるのでは困ります、とも。
せめて、のことに当用漢字は読めて書けなければならない!!
筆で書く順番をきちんと教えるべきである。書道でなくともペン習字でもいい。
「田子の浦に・・・」と書かれた歌を読めることより、「田子の浦」がちゃんと書けるかが大事!

石川達三の小説に出ていたフランス文学者の渡辺一夫氏の言葉で、
「老人にもし力があったら、もし知識があったら、もし健康があったら・・・」という三つの条件があるのだが、
「私にその三条件があったら、小学校低学年の悪がきを相手にやりたい」という御言葉でした(^^)

そうなんですよ!!言葉は伝統文化です。
で、その文化を身につけさせるためには、絶対小さいうちからの教育しかないのです!!
小学校低学年では遅すぎるくらいです!!
本当は、親になると決まった時点に、日本語の特訓をして、親が家庭でちゃんとした言葉を話していかなければだめです!!
それで、その子どもが大人になって生まれてくる子どもにきちんとした言葉がつたえられなければならないと思います。
私が演説してどうする(^_^;

で、ここでまた、急に「万葉集に還ります」とご発言♪

2506 言霊の 八十の衢に 夕占問ふ 占正に告る 妹はあひ寄らむ
    (ことだまの やそのちまたに ゆうけとふ うらまさにのる いもはあひよらむ
2507 玉鉾 路往占 占相 妹逢 我謂
    (たまぼこの みちゆきうらの うらまさに いもはあはむと われにのりつも )

2506の「占正」と、2507の「占相」はともに「うらまさ」と読んだのですが、そのことについて、
何方かがご質問なさったのでしょうか?

2507の「占相」の「相」にも「まさ」という読み方があることが「類従量秘抄」にあるそうです。
ただし、漢字一字の意味で違ってくるそうで、「まさし」という形容詞は「占」にとって重要、とのことでした。
「占正」というのは「占が正」=占いが適切である事を意味する。
「占相」というのは、「うらなえば」という意味になる、とのことでした。
2506番の歌の意味で言うと、「八十の巷で、夕方の万人の声に耳を傾けていると、『きっとあってくれるわよ』という言葉が耳に入ってきた――という、大通りで、何気なく耳に飛び込んでくる言葉が良いことばか、悪い言葉か、で占っている」
2507番は、「玉鉾の道で占ってみると、彼女は会ってくれると私に告げた」
ということになるそうです。

で、本日は、ここで、先生がちょつと早いけど(5分前でした)、次に入るとまた長くなってしまうから、今日はここまでにしましょう。
きょぅは日ごろ思っている事を言えてスッキリした〜♪
とご機嫌なご様子です(^^)
ということで終了になりました(^^)

でぇ〜、資料館のほうから、「どうも先生と皆さんの意気があってきたようで・・・」とニヤニヤという感じのご挨拶がありました♪
いや、そういう意味もありますけどね・・・今日は先生、ホントにご機嫌麗しくハイテンションでしたょん♪
ホントに美人の隣に座れたのかな・・・などと考えてました(^^ゞ



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