表紙へ/古典継色紙へ


国文研第17回連続講演

古今集から新古今集へ


この、ご講義ノートを国文研の方に、
こういう形で載せさせて頂いてますが宜しいでしょうか?と伺いましたら、
ナント!国文研の先生が松野先生の処にお持ちいただいたそうです!!
それに松野先生が直接「朱」を入れてくださったのです!!
聞き取れませんでした、と書いたところは、ちゃんと加筆してくださって・・・もう感激、感激です。

それにしても、かなり、酷い初歩的ミスを重ねていたりして、
(例えば、一昨年の「万葉集」のご講義をした下さった佐竹先生を佐川先生と書き続けたり、
風巻景次郎先生の字を間違えたり、
「とはずがたり」の紹介者として、うちのサイトでもリンクしていた
ツベタナ・クリステワ氏の名前を全く失念していたり、国籍を間違えていたり・・・)
事実誤認で書いていたり、と、あまりにも、恐れ多いチョンボの連続で(^_^;

それにしても、いつもはもう少し何度か見直して
分からなかったところや、記憶があやふやな所は、自分で調べてから書くのですが、
今回は焦ったなぁ・・・というのが第一の反省です。

でも、載せちゃ駄目!とは仰らなかったので、
ちゃんと訂正すれば載せていいのかな〜?
だって、
先生自ら、せっかく「朱」を入れてくださって、加筆もしてくださったのに、
そのまま下げてしまったら勿体無いじゃないですか!!

誤字・脱字の訂正加筆迄して頂いたのですが、そこまで書くと煩くなってしまうので
失礼して訂正するだけにさせていただいてます(^^ゞ
文章・内容で訂正加筆していただいた所は、わかるように書き換えて有ります。
というわけで、ちゃんと訂正したはずなのですが・・・(^^ゞ大丈夫かな、まあ言い訳しながら・・・ドキドキ(^0_0^)

。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜

国文研第17回連続講演

古今集から新古今集へ


さて、今年は、古今集1100年という年で、源氏の方でも、いろいろ話題が出たり、
関連の本を見せて頂いたりしていますが、とうとう本拠地の国文研での連続講演になりました(^^)

今年の講師は松野 陽一先生・・・つまり、去年まで国文研の館長として、
冒頭のご挨拶をなさっていらしたお立場でした。
今年はヌァ〜ント講師のお立場でご講演をなさることに♪
松野先生は、毎回のご挨拶や国文研WEB講演録の「江戸堂上派武家歌人の世界」などで、
こちらとしてはお馴染みの先生です♪
東北大の先生というのに(スミマセン、てっきり東北出身だとばかり思っていたので)、
江戸弁でおかしいなぁ・・・と思っていたら、今回の検索で東京のご出身、しかも神田だとわかってビックリ(^_^;

それでまたビックリしたのは、今度の館長はヌァ〜ント、ヌァ〜ント伊井春樹先生ですよん(^^ゞ
偉いBigNameじゃん!
というと、今までの歴代館長諸氏には申し訳ないのですねm(__)m
まあ私が源氏ナマカジリをやってるから、という事もあるのでしょうがこれはビックリ、シャックリでした。
やはり独立法人の影響なのかな・・・佐倉の歴博(民族歴史博物館)などと
人間文化研究機構」なんてのを立ち上げたり、大変ですからねえ(^_^;

でも伊井先生ってそんなお年ですか?大阪大学大学院教授 ってことしか存じ上げなくて、
けっこうお若いイメージでしたけど・・・ってとこまで来て気が付いた。
阪大は国立だから定年60歳なんだ〜若いはずです(^_^;


それにもうひとつビックリだったのは、松野館長って、あ!もう「前」館長ですね。
早稲田卒業なのですぅ〜〜・・・(^^ゞ
早稲田から東北大の先生って珍しく有りません?
佐竹先生が、松野先生の前の館長でいらして、京大からおいでだったから、
当然東北大でおかしくないんだけど、
だからご出身も東大か東北大だと思っていたのですね(^_^;
世の中けっこう開けてきているのねん(*^-^*)

でー、その伊井新館長のご挨拶がございまして、
古今集と新古今集の勅撰集編纂経緯に触れて、
更に↑歴博との共催で五ヶ所の連携展示を行うこと、
11月3日に東商ホールでシンポジウムを共催することなどをお話になりました、とのことです。
実は、国文研のHPでも見てたのですが、応募を忘れてました(^^ゞ
まだ間に合う、と聞いて、かえって直ぐハガキを出しました。


10月18日(火)

第一回 和歌史の中の古今集
─仮名で書かれた「やまとうた」─

さて、松野先生のお話も、その当たりから始まりました。
館長をお退きになった後、体調を崩されたそうです。
「このところ、家でずーっと寝てばかりいましたので・・・」とおっしゃいました。
うちの源氏の先生も、嘆いてらしたのは、やはり一緒に退官なさった同僚の方、
一年後に退官なさった後輩の方たちが、続々体調を崩されたり、亡くなられたり・・・。
やはり、嗚呼、これで一区切りついた、ホッとしたり寂しがったりするのは禁物だそうです。

松野先生はお若い頃大病もなさったそうなので、殊に、無事勤め終えられた、という安心感もお強かったのでしょうが、
と書いていたのですが
「今も身障者一級です」とお書きになっていらっしゃいました(^_^;
実は、それは、当日のご講演でも、身障者手帳をお持ちなのだ、と伺っていたのですが・・・でも、大変お元気そうで(^^ゞ
今まで(過去四年間の講演の冒頭挨拶)だって、そんなこと気振りにも見えず・・・シャキシャキしていらして♪
病後の佐竹先生のことお気遣いなさる時なんて・・・「私は若いから♪」と言う感じでしたよぉ〜!!

でも、外見はお元気そうだったとしても、
「法人化(民営化)で超多忙でくたびれた」とお嘆きになったのは本音ですよねぇ〜(^_^;
第三回・第四回・第五回と、講演後には、
待たせておいた「タクシーに転がり込んで自宅のベッドに直行」というほど、体調がお悪かったそうです。

でも、部外者としては「『機構』まで設計して実現にこぎつけた」素晴しい花道で幕を引かれた、と思うのですよ♪
一休みされたら、またいろいろと狩り出され、引っ張り出されることにおなりでしょうけど(^^)v

あ、松野先生のご専門「藤原俊成」&「平安から近世までの和歌の研究」
最近完結した岩波の「新日本古典文学大系」では、「近世歌文集上巻」の半分を担当されたそうです。
(松野先生の略歴についてはAmazoneの「書影手帖―しばしとてこそ」の著者略歴に掲載 )

本題!本題!!

「連続講演は今年で五回目になりますが、これは私の企画でした。」と、連続講演の裏話から始まりました。

「(第一回目の)岩佐(美代子)先生は、
それまで『源氏物語』に関して一度も人前で喋ったことがない、と言う方でした。
皆様もご存知でしょうが、照宮(てるのみや)様のご学友の一人として御所のお話や源氏物語のお話をして頂きました。」

うんうん、照宮様って、昭和天皇の御長女で、池田家に嫁いだ方だと記憶しているのですが、
私の記憶もこの頃宛にならないからネェ(^_^;
ホントに当てになりませんでしたm(__)m

松野先生が「照宮成子(しげこ)様、嫁ぎ先は東久邇盛厚氏、池田隆政氏に嫁がれたのは第四皇女厚子様」と、
訂正してくださいましたm(__)m

「これが大好評で、その次の長谷川(強)先生の西鶴も評判がよくて続いたのです。」
「その次は井上宗雄先生の百人一首でした」

そうそう、私はこの時から応募したのですね♪
だって、それまでは敷居が大変高かったのです・・・国文学研究資料館、というと、
国文を研究している人でなくては相手にしてもらえないんじゃないか?
一般人の古典愛好家なんて吹けば飛ぶように思ってるんじゃないか?とかね〜(^^ゞ

でも「テーマ」が「百人一首」ということで、
これは一般人も応募していい、ということなんじゃないかとオソルオソル電話で問い合わせたら、
かまいません、という回答を頂いて(^o^)〜ホー
でも、「応募者多数の場合は抽選になりますのでご了承ください」といわれて、それは当然なので諒解了戒(^^)v
そしたら、この時は大変だったらしい、応募が突然増えて、でも断わるのは忍びないと、目一杯机を入れて、
机がなくても椅子さえあれば〜と、椅子を押し込んで、人数分の席を用意してくださった、と伺ってます。
(今回も定員120名の所に325通の応募があって急遽200名に増やしたそうです
・・・それなのに体調崩して二回も欠席してしまって・・・m(__)mホントに抽選に漏れた方ゴメンナサイ)


長谷川先生の「西鶴」は承れなかったのですが、
講義録は国文研のHP(WEB講演録)にアップされています♪

「大学の教員というのは、古典をやっていれば、平安朝〜中世の和歌史は何度も喋らなくてはなりません。
だから、しゃべることには慣れていますが、果たしておもしろいかどうか・・・
今日は満員、次回は半分、次は三分の一になっているかも・・・」などと穏やか冗談を飛ばしながら、
それでも大変熱っぽいご講義です。

まずは資料のご説明!
「私はパソコンが出来ませんので全部手書きです。読みにくいかもしれませんが・・・」
いやぁ・・・さすがに達筆でいらっしゃって、細かい字ですが、綺麗で読み安いです(^^)
細かい字?↑まあ、張り合わせて縮小コピーはなさったのでしょうけど、
とにかく一枚の中に凄い濃い〜濃い〜中味が満杯ですm(__)m

一頁目は表紙? 古今集から新古今集にいたる年表です。
それと「勅撰二十一代集部立別歌数一覧」という、「国文研のCD−ROM」のを基盤にして作られた豪華資料です!!
で、これが優れものでネェ・・・岩波から12000円で出ているそうですがー・・・
・・・欲しい(^^ゞヨダレ
二頁には、遣唐使一覧表と井真成の墓誌
三頁には、一.古今集への道 
(1)古代漢詩集の世界 懐風藻・凌雲集・文華秀麗集・経国集のそれぞれの序と部立
四頁には、(2)万葉集の四季配列、
(3)古今集成立前後――漢字表記の世界
五頁には、(4)仮名の誕生―三十一音節→三十一文字―
桂本万葉集・高野切の影印/小松英雄氏の「みそ一文字の抒情詩」紹介
六頁には、二.古今集の成立、古今和歌集の序全文
七頁には、三.八代集四季部歌題・歌材・配列一覧
(1)風巻景次郎『新古今時代』より「八代集四季部の題における事実」
八頁には、和漢朗詠集・左大将家百首歌合・堀河院百首和歌・枕草子の抜粋


「古今集は、序には平城帝から醍醐帝の100年間に出来た歌を納めてある、ということになっていますが、
それは建前です。建前は大事だけれど、必ず建前から逸脱するものです。」
「序文が出来た後に詠まれた歌も入っています。」
「新古今集の奏覧は1205年というが、後鳥羽院が隠岐に流されても、編纂は続いて、
その後の勅撰集(「新勅撰集」)の方が先に出来ています。」

そうだよねぇ・・・ちょっと話飛びますが、この現代の社史なんてものの編纂だって、五年くらい掛かるのですよ〜!!
その間に社長が死んだり、社会的アクシデントがあったりして、会社・団体の置かれている状況が変わったりして、
あの時代の勅撰集なんて、超アナログの作業でしょう。
平安時代近辺の編集作業なんて大変だったでしょうネェ(^_^;
万葉仮名の解読についての苦労は、一昨年の佐竹先生の「万葉集」での御講演でよくわかりましたけど、
勅撰集の編纂といえば気が遠くなりそうな大事業ですよね。


で、松野先生も
「私の前の館長でいらっしゃった佐竹昭弘先生には万葉集のご講演をして頂きましたが、
『万葉集』は勅撰集ではないんです。
また、漢字で書かれた―万葉仮名―歌集です。」

(題目番号・項目分類等は先生の資料の題目番号のまま、ノートの内容を振り分けました。)


一.古今集への道

(1.)古代漢詩の世界
ということで、漢詩集のお話がありました。

資料を見ながら、
751年、懐風藻
814年、凌雲集
818年、文華秀麗集
827年、経国集

のお話をして下さいました。
「懐風藻」だけは私撰漢詩集で、後の三点は勅撰漢詩集です。

「古今集は仮名で書かれた初めての歌集です」

「『仮名で書かれた古今集』を語ろうとすると、どうしても600年くらい前―国として形が整って来る頃―まで
遡らなければなりません。」
「東アジア全体を見ても、中国では、隋は581年頃の統一国家ですが、直ぐ唐の時代になります。
その中国を手本にして、参考にして周辺諸国が整備されていきます。」
「6世紀後半から7〜8世紀は唐を中心に、その周囲の小さな国が独立して整備されていきます。」

「日本でも、多くの優秀な人材を中国に送って、帰国してから国作りに役立てようとします。」
「ピークの時は500人を越える人たちが送り込まれます。国を傾けるほどの費用です」
資料集に遣唐使の一覧表があります。

でー、戦後世代の松野先生は、アメリカと重ね合わせてしまうのだそうです(^_^;
(戦後の日本で)優秀な人材は、劣等感に苛まれながら勉強に励んだそうです。
無論、個人的な劣等感ではなく、国力の違い、ということで。
ある意味で、「明治の時期とも重なります」との事でした。

それは、戦後世代の方たちの共通意識なのでしょうネェ・・・。
戦中派の方たちが、初めてアメリカに旅行して、飛行機でアメリカ国内を移動する時、
一番最初に感じることは、こんな大きな国とどうして戦争したんだろ!って事だときいたことあります。
でも、今の若い人たちは、アメリカなんてダサい国だとか思っていたり、
アメリカと戦争したこと知らない人さえけっこういるんですよ〜(^_^;


でも、ですね、松野先生は、その話を中国でもなさったんだそうです♪
しかし
「ゼロの国から来たんではないぞ!という気概が大事です」

そうです♪
美智子皇后も、中国に初めておいでになったときのご挨拶で、
「貴国から色々な素晴らしい文化を頂いて、それを取捨選択して日本の文化を創ってきました・・・」と
仰ったそうです(^^)

ゼロの国では取捨選択は出来ません!取捨選択するだけの土台がある国なのです!!

松野語録は続きます♪
「文学は文字がなくても成立します」
「文字がない時代から和歌はあった」
そうです、そうです!!
「それでも、何に関してもレベルは段違いである」・・・んー、その当時はねぇ・・・6・7・8世紀(^_^;
「その差を意識して埋めようとする、とにかく言語を覚える」

「そういう中に井真成もいたのですね。」
「これは、(と、資料、井真成の墓誌を指して)、
『懐風藻』という漢詩集で、名前が分かっている最後の人で、
正五位下葛井連廣成(くずいのむらじひろなり)という人がいますが、
井真成は、その一族だと思われます。」
「葛井氏は“成”で終わる名前が多いのです。」
「井真成は中国で公務員になります。」

「遣唐使が一番日本にプラスになった時代です」
「600年代後半は朝鮮半島に問題の多い時代でした。
しかし、(当時の交通ルートは)百済を通らなければ中国に行けない」

日本も、朝鮮半島のトラブルに巻き込まれてますよネェ・・・白村江の戦いなんてどうなったんでしょう(^_^;
あったか、なかったか(^_^;
広開土王の碑文は、嘘かホントか(^_^;
ナニシロ百済の王族をはじめ百済の人々はたくさん日本に亡命してきましたし・・・高野新笠なんて、
日本の天皇のお母さんになっちゃった人もいます(^^ゞ


「700年代始め、701年に大宝律令が出来て、日本の法整備が出来ました。
法律国家日本です」

「800年代に入ると三つの勅撰漢詩集ができます」

「800年代初め日本の当時の貴族・知識階級は中国的教養を身につけています」
懐風藻は、中国から見ればレベルが低い、といわれますが、
全体的に見て(ここ聞き取れなかったんですm(__)m筆者の謝罪)」と書きましたら、
先生から
天智天皇の大津京(近江朝廷)の詩壇のレベルがわかる。
渤海国の国史と漢詩の交流のあったことが知られるなど
当時の国際交流の共通の場が漢詩であったことの重要性もわかる
。」
と書き加えていただきましたm(__)mもう〜感動ですよ〜!!

凌雲集というのは、嵯峨天皇の時代が漢詩が大変盛んで、その時代のものが多いです。」

「平安朝の歌人たちは、この勅撰漢詩集を詠んでいたのではないか」
「古今集二十巻は万葉集二十巻を踏襲している、というが『経国集』のことを見落としてはいけない」
「もっと和歌との関係で漢詩集を考えなければいけない」

というのは、勅撰集を編纂するのに大事なことは、和歌の配列・部立ということなのだそうです。
つまり、先程の「勅撰二十一代集部立別歌数一覧」という資料ですね。

そして、「文華秀麗集」では、中国の「文選」の影響と思われる「部立」が見られ、
更に、その「部立」の中に日本独自の工夫として四季の配列が見られる、ということなのです。
「文選」には遊覧・公讌・祖餞・贈答・詠史・詠懐・艶・情・楽府・哀傷・雑詩という部門があり、
「文華秀麗集」には、多少の呼称の違いは有りますが、それに対応する部立があります。
そして、独自の部門の「梵門」という仏教に関する詩を集めた部門があるそうです。

そして、その中の「遊覧」の部門では、
江頭春暁・春日嵯峨山院・・・夏日臨泛大湖・・・秋日冷然院新林地・・・・という
四季の配列が見られ、
「こういう春・夏・秋の並べ方は中国の詩集には見られない」そうです。

経国集」のところで、思わぬお名前が飛び出しました。

松浦友久さんという漢学者がいます。私と同年で、早稲田の大学院で一緒でした。
松浦さんとよく学食で語り合ったことが有ります。
当時はまだ漢文は国文の一部門、ということでストレートに中国の漢文ができなかった。
懐風藻や凌雲集など、日本の漢文からやっていかなければならなかった、そういう時代です。
まだ、これから、という時に亡くなってしまわれたので、最近、お弟子さんたちが、遺稿の論文などを集めて、研文出版から、四冊の論文集を出版しました。
大学院時代の修論の周辺のもので1960年代のものです。研究は、其の当時より進んでいるが、松浦さんの着眼や内容が大変素晴らしい。
経国集は、全20巻の内6巻しか残っていないが、
このなくなった部分の推量の仕方が松浦君の素晴らしい所で、その当時推量だったことが今では常識になっています。
小島憲之先生も素晴らしいが、松浦先生の功績は偉大です。
何かの機会に図書館などで見かけたら、是非読んで欲しい。
彼を通して、この時期の日本漢文学研究全体の成長があった。

嗚呼!ここにも、こんなに松浦先生を惜しんでくださる方がいらっしゃるm(__)m
うちの源氏の先生も、退官記念論文集の前書きで、松浦先生に献辞を捧げてらっしゃいました(^^)
ありがたいことです!!


でー、その「経国集、巻十一雑詠」は、四季の順に並べられているそうで、
「やはり日本独特」
「(雑詠)他には、文華秀麗集のような遊覧(・宴集・餞別・贈答・詠史・述懐・艶情・哀傷)などがあったのだろう。」
ということでした。


↓以下は、第二回に重ねてご講義があるところで、
ちょっとノートの整理と、書き方の方針が定まらないので、とりあえず、今日のところ・・・ですm(__)m


(2)万葉集の四季配列

「万葉集」には
春雑歌・春相聞・夏雑歌・夏相聞・秋雑歌・秋相聞・冬雑歌・冬相聞・・・などの四季配列があります。

その万葉集の影響で「経国集」に四季の配列ができたのか?
それが更に古今集に繋がっていったのか?
「もっと和歌との関係で漢詩集を見ないといけない」

「万葉集には、公的な歌、天皇を賛美する歌、天皇が亡くなった時の歌が多い」そうです。
ところが、「7〜800年代の初め、公的な場で和歌は詠まれなくなった」
「公的な場では、日本人も漢詩を作る」
「私的な場では詠まれていた」
「この、公的な場で和歌が詠まれなくなった国風暗黒時代に仮名が発明される」んですねぇ。



(3)古今集成立前後――漢字表記の世界

「万葉集」の最後の方の歌(「国歌大観番号」の4500番前後)は、
殆ど「(漢字)一字一音」で表記されているそうです。
資料の歌の「国歌大観番号」は明治以来の物と、新しい物が並列されているんですって!!

「最近になって新しい歌が発見れたこともあって、新しい番号が付されて、併記されています」
(スミマセンm(__)m嘘を書きました・・・検索の某サイトの記事を鵜呑みにしてしまいました・・・ネットにはこういう怖さもあります。
検索先の信頼度も、自分で、きちんと調べなくてはm(__)m

先生からの訂正
旧大観番号では番号の打ち間違いがあって、新しい番号が付されて、併記されています

「しかし、万葉集を研究する方たちは新しい番号を認めない方も多い」とのことで、
うちへ帰って確認したら、角川文庫も小学館の日本の古典シリーズも旧番号のようでした(^_^;
ちなみに、小学館のシリーズは佐竹先生です♪

4516 都奇余米婆 伊麻太冬奈里 之可須我尓 霞多奈婢久 波流多知奴等可
4492 つきよめば いまだふゆなり しかすがに かすみたなびく はるたちぬとか

4540 新       年乃始乃  波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家余其騰
4516 あたらしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと

なるほど「(漢字)一字一音」ですよねぇ♪
あ、新旧の国歌大観番号は上が新、下が旧です。
一字一音でない漢字使用は、平安朝の漢文用法と同じだそうです。
ここで、先生から、
ただし、万葉仮名には「濁音」がある。古今集の仮名表記では濁音を打たない。
そうでした!
だから影印本で読むと大変なんですよ(^_^;
おまけに芸術的散らし書きだと後になったり先になったりと言う感じで・・・歌を知っていても読めませんm(__)m



(4)仮名の誕生―三十一音節→三十一文字―


資料には、桂本万葉集・高野切の影印がコピーされています。
「桂本万葉集というのは、平安時代に書かれた万葉集で、三十一文字を十七文字で表記したもの」だそうです。
かたや、「高野切」。
「今残っている古今集の伝本では漢字が混じっている。これは全部仮名である。其処が大事」なのだそうです。
なぜ、其処が大事なのか?といえば、
「掛詞は世界が共通することで初めて発見される」ということなんですね。
その共通要素として同音表記としてのかながあるのですね(^^)

小松英雄氏の「みそ一文字の抒情詩(笠間書院)」紹介がありました。
↑で書いたとおり、平安初期に成立した仮名は清音・濁音のない音節文字の体系で、
濁音がないことで、ひとつのことばに複数の意味を持たせる「複線構造による多重表現」(とすることができる)。

例文
かかりひの かけとなるみの わひしきは なかれてしたに もゆるなりけり
篝火の   影となる身の   侘しきは  なかれて下に  燃ゆるなりけり
                          流れて下に→篝火の影が水面の下を流れながら燃えていることの確認
                          泣かれて下に→こっそり人知れず泣けてきて恋の「おも火」に燃えていることの確認


「古今集を読む上で小松先生の提言は大事なことです」


二.古今集の成立、古今和歌集の序全文

はい、ここで、古今集序文です。
仮名序の全文が資料に載っています。
「やまとうたはひとのこころをたねとしてよろづのことのはとぞなれりける、・・・」というあれです。
「やまとうた、というのは漢詩に対応して言う」
「まず、心を大事に考える」
「詞書というのは、貫之―編者―が、読者―天皇―に対して、選者が説明している文です。
しかし、どういう場で詠んだかわからないものも有ります。」


「八代集の歌語を、クロアチア人の○○さんが
スミマセン真名序に気をとられて、まるで聞き取れませんでしたm(__)m筆者のドジ

で、先生が、
八代集の歌語・同音意義語(掛詞・縁語・・・)の研究をしているブルガリア・ソフィア大卒のツベタナ・クリステワさん
と書いてくださって、キャア!!

これはもう恥ずかしい大失敗をしました(^^ゞ
「とはずがたり」を追っかけてネット内をフラフラしている時に、面白い人発見!!
と、うちのサイトに書いたのですよ〜、私(^_^;
今、再編集中の講義録なので、リンクできませんけど
まあもう半年くらい前になりますが、それにしたってなぁ・・・(;_;)
自分で書いといて、全部聞きとれなかったとしても、思い出せないものかなぁ(^_^;


そのツベタナ・クリステワさんが、
「二十一代集の歌をローマ字化している。これは全部かな書きで表記していくのと同じことです」
「表記したことから音が生まれ意味が生じる」
「漢詩から和歌の時代に移る時期です」



三.八代集四季部歌題・歌材・配列一覧

(1)風巻景次郎『新古今時代』より「八代集四季部の題における事実」
八頁には、和漢朗詠集・左大将家百首歌合・堀河院百首和歌・枕草子の抜粋


「菅原道真が第二十回の遣唐使をやめてしまう。
私的な交流はあったにしても、やめてしまった影響は大きい」
「来週は古今集の本を持ってきてください」
「いろんな出版社の本でいいです。本文の違いを知ることも大事です。」


。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜

今回、松野先生の望外のご指導を賜り、添削して頂くことが出来ました。
その上に、自由に扱っていいですよ、と、これまた望外のご好意を頂戴いたしました。

これはもう、大変なことで、どう御礼を申し上げたらよいか言葉もありません。
もっとも、あの元の第一稿のままでは、松野先生の名折れにもなり、見捨てておけない、
というお気持ちもおありだったと思いますが・・・(^_^;
ご体調も優れないうちに、お手紙と訂正原稿を頂戴して、有り難いやら申し訳ないやら
本当に狂喜乱舞と困惑と・・・私メも大変でしたm(__)m

ここで書いていいかな、とは思うのですが、
お手紙の最後に
「最終回の最後の15分での本歌取りの方法論とその効果――高校教科書の修辞論とは違う面白さの話に五回全体の真髄をこめた」
と、お書になっていらっしゃいました。
それを伺えば、猶のこと、
体調を崩しご講義を受けられなかった自分が情けなくて、残念で、本当に涙がこぼれました。

ご講義の内容はまた↓笠間書院から出される御本で読むこともできるでしょう。
先生の御著書を読めば勿論そこに書かれてもいるでしょう。
でも、ナマでご講義を受けて理解する・感動するというのとは、やはり違うと思うのですね。
そう思えばこそ、いろんな先生のいろんなご講義にあちこち走り回ってはいるのですが・・・
体力がついていかなくなってきました。

そこで、今回、これ以上の講義ノートを掲載いたしますと、更なるご迷惑をおかけする危惧も有ります。
第一には途中挫折(第四回・第五回を欠席してしまったため、ご講義の内容が知りきれトンボになってしまうかもしれない、
と言うことが大きいです。
最初の考えでは、第一回〜第三回まででも、素晴らしいご講義だったので是非、掲載させて頂きたい、
と思っていたのですが、
予想以上に自分のメモが間違えていたこと、
(これは何度かキチンと推敲して行けば、ちゃんと記憶を呼び戻すことも出来ると思うのですが、今の体調では無理が有り)
松野先生のご好意にお応えするような掲載のしかた、ができるか自信がないことなど、諸々のことを考えて、
「古今集」のこの講義ノートにて、掲載は終了させていただこうと思います。
表の掲示板においでになってらっしゃる方は私の体調不良もよくご存知と思いますし、
ご理解いただけるものと存じます。

最後になりましたが松野先生のご健康の回復と、益々のご活躍をお祈り申し上げます。


。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜補足事項。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜

岩佐美代子先生の「源氏物語」については岩波書店から
長谷川強先生の「西鶴」・井上宗雄先生「百人一首」・佐竹昭弘先生の「万葉集」
笠間書院
「古典ルネッサンス」シリーズとして(こちらの方がわかりやすいかも)、出版されています。

先程も申し上げたとおり、このたびの松野先生の「古今集についての講演録」も笠間書院から出されるのでしょう

日下力先生の講演録はちょっと見当たりませんが、当該講演の参考資料にもなった、
「『平家物語』誕生の時代」というのがあります。

ツベタナ・クリステワさんについては、
「有鄰堂で出している『有鄰』という広報誌で、『ツベタナ・クリステワ』と言う人の特集をしています。」って
別の講義録の方に書いているのです(^_^;
彼女は1954年のブルガリア生まれで、モスクワ大学で日本文学を専攻し「とはずがたり」に出逢います。
モスクワ大学の、日本文学の古典文学の先生から「あなたにぴったりのテーマと作品がありますよ。」と
『とはずがたり』のことを教えていただいたのだそうです。
『有鄰』には、彼女自身のエッセイなのでしょうか、その辺の軌跡がよく語られています。
プリントアウトしたらA4で四枚ですから、かなりの分量です。
私が触れたのは「とはずがたり」と「枕草子」の紹介者ということだったのですが、
その中で、彼女が「古今集」に関する研究にも携わり「袖の涙」の謎に挑戦した『涙の詩学』 」という本を上梓した、
ということも書いてあったんですよネェ(^_^;
字面だけでツベタナ・クリステワと憶えているから、音声で聞き取りにくくてクロアチアになっちゃったのかなあ(^^ゞ

自分が書いた文や内容を憶えられないって、体力だけでなく、もはやボケなのか(^_^;ショックだ!!


冒頭にご紹介した松野先生のWEB講演録・「江戸堂上派武家歌人の世界」は国文研HPのサイトで
音声・資料ともに見られて、ホントに受講している気分になります\(^^)/


国文学資料館につきましては、以上のような古典文学だけでなく、
オンデマンド方式による「明治文学の復刻版」などを創刊してらっしゃいます♪

名づけて「リプリント日本の近代文学」というシリーズで、第一期に四十冊、第二期も同数の予定で、
以降毎年80〜100冊位発行していくらしいです♪(朝日新聞の記事より)
これが、チラシを貰ってきたのですが、表紙などが錦絵を用いた大変美麗な装丁です。
「本文はモノクロ印刷だそうですが、口絵等必要に応じてカラー印刷を交えます」(国文研広報誌)

二葉亭四迷の「浮雲」や「浮草」、坪内逍遥の「京わらんべ」があるかと思えば、
瓜生正和の「西哲叢談」もあり、
民友社編の「国民小説」が本編と第二・第三と三巻揃ってます。

で〜、草双紙系統というのかな、
「因果応報の高畠藍泉たかばたけらんせん『怪談深閨屏』、
高橋お伝が題材の武田交来たけだこうらい『綴合於伝仮名文とじあわせおでんのかなぶみ』など40点。
多くは全集などに未収録」(同朝日新聞から)
なんてものもあって、
みんな題名だけは聞いたことはあるけど読んだことはないものばかり(^_^;
ムム・・・ヨダレだ!!

え?筆者が読みたいものは?すりゃ「高橋お伝」です♪
今の人は知らないでしょうけど、けっこう筆者の子供時代はまだ講談・浪曲のネタになってました(^^ゞ
どちらかというと、毒婦といえば阿部定より、こっちの方が有名だったと思います。
阿部定は大島渚の「愛のコリーダ」からですよねぇ・・・タ・ブ・ン(^_^;
後「夜嵐お絹」とかね・・・今回配本でも「夜嵐阿衣花廼仇夢」というのが有りますが、これが「夜嵐お絹」かどうかは不明ですm(__)m

でも、けっこう高い!安いのは千円くらいなんですが、一番高いのは5565円もするの!!
(坪内逍遥の「当世書生気質」だから仕方ないのかな(^_^;)
でも、将来は国文研のサイトで全画像公開してくれるそうですが・・・今、欲しいよねぇ(^_^;

あっ、出版は「平凡社」です♪

もうひとつ、これは国文研ではないのですが、関連情報として
ぼんやり夫人さんの「平家物語」でご紹介されていた中島泉氏のサイト「文庫本のページ」では、
戦前・戦後の文庫本についての歴史・復刻版の紹介など素晴らしい充実度です!!
現在の目玉は、
岐阜県博物館での「文庫の世界--文庫で見る日本の近現代史」(展示自体は終了)を紹介していらっしゃいます。
これは大変に見ごたえ有ります。
是非覗いてみてくださいませm(__)m


表紙へ/古典継色紙へ