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9月30日(土)「光源氏と紫上-6」 ふたりの生涯・あいことばは「ふたり」

光源氏と紫上の生涯を語ろうとしてだいぶ「源氏物語」そのものに踏み込んでしまいました。
主役について語ろうとすれば、どうしてもそうなるはずで回り道とは言えませんけれど、私としては、ここでは純粋に「ふたり」について触れたいと思います。

衆知のことながら、この時代の夫は、妻の実家の丸抱えです。葵上の実家である左大臣家がいい例です。あれは、天皇の皇子を婿に取ったからということではなく(まぁ、この場合はやはり特別だ、とも思いますが)、正月の晴れ着は勿論のこと、日常の衣服・持ち物全てに心を尽くしています。正妻でなくとも、財力の豊かな六条御息所などは、その富とセンスにものをいわせ「他の愛人達の及びもつかない心憎い贈り物をしたであろう(円地文子『源氏物語私見』)」というのはもう何度も取り上げて来ました。

兵部卿の息女、母は大納言の娘、といっても、正妻ではなく、しかもその母や祖母も死に、身一つで源氏に略奪されて来て、実家とも絶縁状態であったとすれば、紫上は丸裸と言ってよい訳です。そういう女性がこういう社会構造の中で、天皇の皇子と一対一で相対して行くのは大変なことです。紫式部はなぜそのような難しい設定を主人公に与えたのでしょうか。

「光源氏と紫上-1・2」で触れたように、ふたりの出生・環境・境遇は著しく似ております。しかも、この時代には珍しいほど、親の存在・家の存在を無視しての「ふたりだけの恋或いは愛」が中心の世界なのです。
そして、光源氏の家や社会的野望に類するものは、全て紫上以外の世界で進行するのです。

源氏の社会的地位を固めて行くのは紫上以外の女性達が産んだ子供達です。冷泉帝しかり、(秋好中宮しかり)、夕霧・明石姫しかりです。

源氏と紫上はそういう社会構造の外に、いや中核に純粋に二人だけの世界を築いた、と紫式部は描きたかつたのではないか、と思うのです。そして、先回りして結論を急げば、そのために、冒頭に家や身分に押し潰される若い恋人達として桐壺帝と更衣とを配したのではないか、と考えております。家にも身分にも縛られない恋人達は美しく、ひたすら美しくあることが至上命題であってその他は不用のものなのです。
紫上は身一つで源氏の前に現れ、身一つのまま源氏に愛されます。与えられるものは全て源氏からのものです。知性・教養・財産・地位・・・それは源氏が全て外部の世界で獲得してきた者です。その外部からの獲得物を源氏は紫上の傍らで蚕が繭を吐き出すように吐き出し、糸を紡ぐように愛を紡ぐのです。

まず、紫上に子供を産ませない!これは何より大きな作者の意志表示ではありますまいか。
どんなに美しく書こうとしても、「孕み女」は醜い者です。近年でこそ「新しい命を抱えている女性の姿は美しいものだ」などとおためごかしふうな言葉も聞き、それに感化されたのか勘違いをしたのか、女優という職業の女たちまで妊婦ヌードを公開しますけれど、果たして妊婦は本当に美しいのでしょうか。
少なくとも、紫式部はそうは思わなかったはずです。一児を挙げ、妊婦の経験もあった彼女は妊婦を、そして出産を、決して美しいとは思わなかった、私はそう考えます。勿論一児を挙げた女性の魅力は、洋の東西を問わず言われるところですが、それはまた異次元のこと、私も「六条御息所-6」では夕顔と六条御息所のそういう魅力について書いていますが、紫式部は紫上にそういう魅力を与えようとはしなかった、いや、与えることを嫌悪したかもしれません。

キリスト教のマリア様の処女懐胎は、更に意味があって、聖なるキリストは「まぐあうことなく生まれた聖なる救世主」という意味合いがあるそうですが、紫上に子供を産ませなかった紫式部にもそれに共通する「我がヒロインの聖女性を守ろうとする」強い意志を感じます。

出産は新しい命をこの世に送り出す尊い行為ではありますが、子供を産むということは非常に原始的な動物的行為でもあるのです。出産を経験することは、女性を確かに大きく飛躍もさせますが、人間が本来持っている本能的な野性を確信させられる辛い作業でもあります。紫式部はその野性的な、ある意味では獣的ですらある作業を自分の大事なヒロインにさせることを拒否したのではありますまいか。
そして、その紫上にはさせなかった辛い作業を藤壺にさせたのは、これは源氏の須磨流謫に呼応する「罪の報い」だと思うのです。藤壺は我と我が身で罪業の報いをこの世に産み、その罪業の報いを日夜見つめ慈しまねばならぬことによって、逃れられぬ罪業に日々身を焼かれなければならなかったのです。

ところが、この罪に向き合うことによって藤壺像は陰影が深くなり光源氏のマドンナたりうる皮肉な結果を招き、あまりに美しいものだけに包まれ、美しいものだけを見て、清らかに大事に秘匿された紫上は、陰影の薄い(少なくも「若菜以前は)ヒロインらしからぬ影の薄い面白みの無い存在になってしまったのだと思います。
(あるいは「源氏物語」に先立つ「輝く日の宮」としての単独の「藤壺物語」があったとしたなら、そのドロドロした果てしなくつづく泥濘のような愛欲に疲れた紫式部が清涼剤のつもりで描いたか、或いは逆に初めこそ、少女小説のようなシンデレラストーリーとして描き始めた「若紫物語」に物足りなくなって「藤壺物語」を書き始めたのか・・・それはまた後日)

光源氏の子を生むのは他には、正妻の葵上ですが、これは物語の都合上さしたる物語も人間性も書かれぬ間に姿を消します。そしてもう一人の明石御方は物語こそ与えられますが、女性としての魅力を急速に失い「母」としての存在だけになってしまいます。(「明石」参照)

源氏の子ではありませんが、源氏の愛人という女君の中で大きな存在である六条御息所と夕顔は、ともに一児を挙げています。しかし、これまた、共通するように、源氏と出遭うのは子を生んでからなのです。しかも、夕顔の場合は手許にすらおりません。
御息所の場合にしても、広い邸宅の中で、源氏や、或いはサロンの客人たちがさんざめく華やかな折には、姫宮は恐らく多くの乳母や侍女にかしずかれて、御殿の奥深く秘匿され姿を見ることも無かったことでしょう。
子供が出てくると生活感が出てしまい、紫式部がそれを嫌ったとも言えますが、それ以上に考えたことがあったのでは無いか。「子を生んだ女」はある意味地獄を覗いた女達です。けっして源氏とともに同じ蓮に乗ることはできないのです。
もっとも、女三宮には「蓮葉を同じ台と契りおきて露のわかるるけふぞ悲しき」と詠みかけて、「へだてなく蓮の宿を契りても君が心やすまじとすらむ」と、手ひどく撥ね付けられていますから、子を生んだ女の方でも、男と同じ゜蓮台には乗ろうとも思わないのかもしれません。明石御方にも、そういう傾向はかなり強く感じますから。

ま、ともかく、私としては、紫上に子供を生ませなかった作者の意図をこの様に考えております。そして、それは物語の中で源氏が、紫上に抱く思いそのものなのです。
源氏は紫上の美しさを愛し、穢れを知らぬ紫上を愛する、美しいものだけを好む紫上を愛し、気立ての良い、様々な才能に溢れる紫上を愛する。そして何よりも、そのような紫上を作り上げた自分の才能を愛するのです。
親も子供もない、家に縛られないふたりだけの愛の世界を謳歌するためにこの物語は生まれたのです。
子孫は源氏の血筋を繁栄させるためのもので、源氏の愛を結実させるためのものではありません。冷泉帝すらも、です。
しかし、物語の成長は源氏と紫上の美しさを数え上げるだけではすまなくなっていきます。

物語の成長とは何か、人が成長し人生のピークを極め黄昏に向かい、死の淵に辿りつくように、主人公たちは生きることの最終地が「死」であることを意識せねばなりません。
それを先に悟るのは皮肉なことに源氏に育てられた紫上です。
紫上は悟ります。自分への愛がどんなに強いものであったとしても、源氏の心にはその強さに甘える男の驕りがあることを。そして、それはどういうふうに繕っても繕い切れない男と女の愛憎の裂け目なのだと。
そして、さらにその裂け目の向こうに透けて見えるのは老いて行く自分、誰を伴うこともできない死なのです。
出産という生の淵から地獄を覗くことのなかった紫上は、老いて行く自分という道筋から死の淵に立って地獄を覗いてしまいました。

そして、これこそ永遠のテーマとも言えるかもしれない、男と女のすれ違い。男は女を大事にしてさえいれば女は満足していると思う、また、事実を告げることが真実なのだという勘違い、自分が思うことは相手の女も同じように思うものだという思いあがり、等々、それによって女がどれほど苦しむか考えもつかないない想像力の欠如。勿論逆の場合もあるかもしれないけれど、往々にして男が犯して気付かない仕打ちです。女は黙って堪えるしかないのでしょうか。

後生を願って出家を願い出ても、取り残されることを恐れた源氏は許そうとしません。
ことに、六条院の例の女楽の後の源氏と紫上との語らいは、男の愛情と我侭と驕りと、さらにはいとおしさまでをあまねく表現しています。
源氏自身、いかに紫上を愛し、大切にしているかを強調し、だからあなたはだれよりも幸せなんだ、と言い立てます。しかし地獄を覗いた紫上にはそのような泡のような言葉は通用しません。紫上が出家を思いとどまるのは、「さてかけ離れ給ひなむ世に残りては、何のかひかあらむ。ただかく何となくて過ぐる年月なれど、明け暮れのへだてなきうれしさのみこそ、ますことなく覚ゆれ。なほ思ふさま異なる心のほどを、見はて給へ」と泣く源氏を憐れ、と思うからです。
このへんから、もはや、紫上は源氏を超えて行くのです。源氏に育てられた少女は、妻となり、今は源氏の母ともなったのです。

それに気付かぬままの源氏は、紫上の発病に動転します。一時的に息絶えた折りの、また蘇生した折の源氏の動転ぶりは(「六条御息所-10」)あの見栄っ張りが!とおどろくほどです。けれど、一度喪われた生きる力は二度と湧き上がっては来ないのです。病床に伏したままの紫上が、脇息によりかかって庭を眺めている、というそれだけで
「今日は、いとよく起き居給ふめるは。この御前にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」と喜ぶ源氏を、
「かばかりの隙あるをも、いと嬉しと思ひ聞こえ給へる御けしきを、見給ふも心苦しく、つひにいかに思しさわがむ」と哀しく見守るしかないのです。

「犬君がすずめをにがしつる」と真っ赤になって走ってきた少女は、今「おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露」と消えようとしているのです。

そして、紫上の死――やっと源氏は落飾を許します。
あれこれ指図をするうちにも
「心強く思しなすべかめれど、御顔の色もあらぬさまにいみじく、堪へかね、御涙のとまらぬを、ことわりに哀しく見奉り給ふ。」という具合で、あんなに気を配って寄せ付けなかった夕霧が、「ただ今より他にいかでかあらむ」と、几帳を挙げて覗きこむのをとがめもせず、紫上の死に顔を見せるのです。それは、今ここに生き残った源氏の半身が、今そこに横たわっている骸なのだと無意識に我が子に告げているように思えるのです。

「臥しても起きても涙のひる世なく、霧りふたがりて明かし暮らし給ふ。」
少し落ちついて、女君たちの間を訪れるようになっても、もはや、源氏の心には昔日の女達を訪れた浮ついた気分は戻って来ません。「わが御心にも、『あやしうもなりにける心の程かな』と思し知らる。」のです。
(ま、それでも、お気に入りの中将という若い女房を手放さないのは、どういう了見だ!?とは思いますが、これはこの時代の人達にしてみれば人数の他、という考えなのでしょう。その辺も作者はよく見ていますよね)

紫上の一周忌の後、取り交わした文反古やら、思いでの反古を焼き捨てさせて源氏自身も出家の準備に入ります。このとき源氏は思い知らされているのです。
自分が育てた、と思っていた紫上に実は源氏自身が育てられていたことを、源氏が包み守っていたはずだった紫上に源氏が包み守られていたことを。
もう一度言いましょう。源氏に育てられた紫上は、初めは源氏の娘でした。それが妻となり、母となって、源氏を包み込んでいたのです。

紫上が死んだ時源氏もまた死んだのです。ふたりはひとつになり、ひとつになりながらひとつ心を持てぬまま、ふたたびふたつの魂として分かれて行きました。

紫上が蓮の上に源氏が乗る余地を残しているかどうかさだかではありません。
また、紫式部もそれを望んでいたかどうかも・・・



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