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8月31日(木)「光源氏と紫上-5」 紫上と『紫の物語』&光源氏と『光源氏の物語』の存在

再び、山本健吉氏の「古典と現代文学」の中から続けます。

――藤壺と光源氏の秘恋を主題に持っていたらしい「輝く日の宮」の巻があったらしいとうことについては、定家が『奥入』の中で一説として述べていることである。そして戦後の諸家の物語成立論でも、この巻が何らかの理由で脱落したことについては、玉上琢彌氏・風巻啓次郎師をはじめ、諸学者の一致するところとなっている。折口博士は、この巻にもその前型を考え、輝く日の宮、すなわち藤壺女御の「紫の物語」があり、そのあとにもう一人若い女性の「紫の物語」が出て来たから、「若紫」の巻になったのだと、極めて暗示的な説を述べておられる。それも、藤原氏出身の女性の物語であったのを、紫式部が王氏(女源氏)の物語に書き替えたものと推測される。ここに到って、もうひとつ『原(ウル)源氏物語』の存在を考えなければならなくなるのだ。だから、紫式部にとっては、『源氏物語』とは、何よりもまず女源氏(藤壺女御・紫上)の物語だったのであって、それが光源氏という男性中心の物語に変貌したことは、むしろ作者の意外とするところだったのだ。
――というのです。

源氏物語の全貌を語ろうとする時、本編の第一部・第二部だけでも、色合いがかなり変わることは皆々認める所ですが、私はことに第一部はシンデレラストーリーという感覚が強くて、だからこそ他愛なく宮中の女官達にもてはやされ流布して行ったのではないかと考えているのです。
誰の表現だったか忘れたのですが、「第一部は直木賞、第二部は芥川賞」の作品の匂いがするのです。
今で言うロマンス文庫のような形態から始まった小説が作者の成長とともに大きく飛翔し変貌し、主人公も変わって大河小説となって行ったのではないのでしょうか。

本文は、この後主人公として藤壺の解析を続け「光る源氏、輝く藤壺」と並称される藤壺のモデルが「輝く日宮」と呼ばれた上東門院だったことは考えられることであるとし、紫上が現実の理想的女性とするならば、藤壺は夢の上の理想的女性であって、更に、そのイメージを「藤三娘」である光明皇后にさかのぼって求めているのです。それは、光明皇后に伺える光り輝く貴女であるが、その仏教的な慈悲心とともにエロティックな伝説が多い、ということが、藤壺の精神美・超現実的な美の裏にほの見える要素である、というのです。

しかしながら、その結びに「それは紫の上のような現実的な女性に憑くことはない。紫の上は罪も苦悩も知らぬ女性である。藤壺は現実離れがしているゆえに、想像がメタフィジックに働く余地を残している。」という記述には、全く賛同し難いものがあります。
円地氏が「私見」で言う(7月22日「光源氏と紫上-3」)「藤壺にはどんなにそれ自身完全であっても、どうにもならない大きな破れが宿命としてに与えられている。」「物語のヒロインとして、紫上は余りに庇われすぎている」
というのも同じ事なのでしょぅが果たしてそうだろうか、という疑問を投げかけずにはいられません。

勿論、時代背景もありましょうが、今、表面上のことを言えば、この現代においては、藤壺こそ、ありふれた不倫妻であり(当時も帝の寵愛を受けながら臣下と浮気していた女御はけっこういたらしい)、
紫上こそめったに無い貞淑な妻、ということになりましょう。また、紫上こそ一見幸福な砦に守られながら多くの苦悩に耐えて生きることを強いられ続けた女性はいますまい。だからこそ、瀬戸内氏の「いまはこの人がいちばん悲劇的な人だと思うんですよ。いちばん幸せそうに思われながら、実は人一倍苦労して」(十人十色『源氏』はおもしろい・五木寛之との対談で)ということになるのではないでしょうか。
愛する人から裏切られ続ける女性の苦悩を一顧だにしないのは当時の文学者・評論家の常なのでしょうか。
また、円地氏は女性の身でありながら、さらに「女坂」の著者でありながら、紫上の苦悩に知らぬ振りを決め込むのはなぜでしよう。

ただ、藤壺の持つエロティシズム!これだけは、紫上には欠けている、というか足りない部分があるのは事実です。もっとも、私としては、エロティシズムの権化は六条御息所と思っておりますから、藤壺だって御息所には叶うまい、と考えております。そして朧月夜、ね。このヘンに較べると確かに紫上は部が悪い。
しかし、源氏との相性そのものはどうなのでしょう。源氏の手によって、源氏好みに作り上げていったわけですから、相性そのものは一番よかったのでは、と思うのと同時に、これはかなりの、ある意味淫靡ですらあるエロティシズムが伺えるのではと思います。また、その淫靡さを感じさせないように、あえて作者は紫上を底抜けに明るい個性の持ち主として(「若菜」以前では)描いたのでは・・・とも考えているのです。

ただ、二つの「紫の物語」があるとするならば、どちらにもヒロインはいたわけです。その各々にかたや藤壺が、片や紫上がいて、その二つの物語が取りまとめられ、さらに山本氏の言う第三の『原(ウル)源氏物語』、今度こそ男性を主人公にした「光源氏の物語」(折口説によれば海部(あまべ)の民の持ち歩いた貴種流離譚)とからみあって「大きな交響楽を奏で出している」ということにであればヒロインが二人だつたとしても不思議はないのです。しかしながら・・・

山本氏の本文は続きます。
――第三の『原源氏物語』は、「須磨」「明石」の巻に認められる。木梨軽皇子や麻続王や、石上乙麻呂や、行平・業平や、その他数々の断片的な流離の物語となって定着した海部の文学が『源氏』に到って、もっとも大きな集成を見たことになる。平安朝の「もののあはれ」も、海部の持ち歩いた悲劇的叙事詩が、人々の情操を養い育てた結果、形成されたものと言ってもよい。「須磨」「明石」の巻は古来名文として愛誦されたものだが、『原源氏』が海部の伝承をうけたものとすれば、どうしても海辺にさすらえねばならない必然性があった。貴種流離の原因は、すべてそこに何等かの犯しが前提として存在したが、『源氏』も正直に、その伝統的な型を守っている。
―中略―(表面的には朧月夜との密通事件が原因だが)物語における源氏遠流の内在的原因は、こういう軽い出来心の起こした事件ではなく、藤壺との一件である。それは物語の内面的構造から考えて、そういえるのであって、物語作者は、みずから覚えなき罪によってとさりげなく洩らしているが、藤壺との秘められた罪は、身に覚えのないどころではない、この藤壺との秘められた罪がなかったら、物語一巻の根本の主題は失われてしまう。源氏を中心とする男女間の無数の葛藤は、宇治十帖に到るまで、このふたりの秘恋が中心である。紫の上は実は藤壺の姪であり、そのゆかりをひいて面影が似ているから、源氏は心惹かれたのである。

――そうでしょうか?私は再び反論いたします。面影に惹かれ、藤壺の血に惹かれた女三宮の場合はどうなったのでしょう。面影も血縁も現実の世界では幻でしかなく、ただ、紫上の優れた素質と性質を際立たせるだけでした。
ただ、六条御息所、に関しては、やはり、上臈にあこがれる気持ち、ことに藤壺に満たされぬ思いがあったことが大きいとは思っています。藤壺のことがなければ、御息所と源氏はああいう関係にまではすすまなかったのではないか、とも思われますし、それは「六条御息所-5」などでも取り上げたことでもありますが、六条御息所としても、藤壺とのことは知りながらだからこそ、自分が求められたのだということを感じながら源氏を愛したのだと思います。コレニ関してはまた後日。

山本氏の文は続きます。
藤壺との恋が、この物語に終始一貫して主調低音を奏でている。あらゆる女たちとの好色関係のあいだにも、源氏、あるいは物語作者の意識は、藤壺との恋を忘れることがない。「須磨」「明石」は罪なくして配所の月を眺めるなどと言いながら、その隠れた罪の所在を作者は意識しつづけている。藤壺への犯しを光源氏の原罪として設定することによって、この物語は王朝人の愛欲絵巻に堕することから救われているのだ。そしてそれが、主人公の生涯を宿命づけ、この長物語に繰り広げられる男女の離合集散を、荘厳な運命悲壮劇に転化するのだ。藤壺への秘恋がなかったら、女三宮と柏木との邪恋によって光源氏自身がコキュの嘆きを見ねばならぬことも、感銘が薄いであろう。この二つの邪恋を、仏教的な因果応報を寓したものと言うのは言いすぎになるが、同様に、全然無関係であり、偶然の照応であると言うのも言いすぎである。
――として、女三宮と柏木との不義の子である薫が浮舟に失恋することさえ「冒頭に深刻な犯しを設定した物語作者の、用意周到な処置として見ることができるのではないか」と述べ、
「誤解される恐れがなければ、『源氏物語』は一つの罪と罰の物語といってもいいのだ。」と結んでいます。

薫の項は、私としては作者が違う(紫式部ではない)、と考えていますし、さらに因果応報とは一理あるものの、心貧しい人間たちの愚かな営みの繰り返し、と受け取っているのです。つまり、これも、「宇治十帖」でまとめて書くつもりですが、私としては「不義の子薫」ではなく、「朱雀院の孫・薫」と「源氏の孫・匂宮」の一人の女性(浮舟)をめぐる争い、かつて源氏と朱雀院が朧月夜を巡って愛憎があったように、あれは綺麗事ですんでしまったけれど、本当は、もっと酷くて空しい男女の愛憎劇が展開されたのだというふうに受け取っているのです。ですから、山本氏のおっしゃる「用意周到な処置」とは「宇治十帖」を見てはいませんが、つまるところは同じことかな、とは思います。

しかし「あらゆる女たちとの好色関係のあいだにも、源氏、あるいは物語作者の意識は、藤壺との恋を忘れることがない。」とおっしゃる。果たしてそうでしょうか。
藤壺は光源氏の一生に大きな影響を与えはしますが、其の影響はどの時点まで、どの程度にあったのでしょうか。須磨流謫の折りはともかく帰洛後、現世を謳歌する源氏の中に藤壺との罪を悔いる姿は見当たりません。少なくとも「若菜」までは。「若菜」にいたつてコキュにされて、初めて自分の犯した罪の大きさに戦くのです。
そして「『源氏物語』はひとつの罪と罰の物語」とおっしゃることばには「罪は藤壺、罰は紫上」と受けましょう。
「光源氏と紫上-4」で書いた通り、私は、「藤壺は源氏の原罪、紫上は源氏の栄華の象徴」としてみております。栄華の象徴が死ぬとき源氏に罰が下るのです。

思えば、「若菜」という巻は女三宮という専用のヒロインがありながら、藤壺・紫上という大本のヒロインたちに改めてスポットを当てる役割をしています。そしてねこの紫のトライアングルがあるからこそ、紫上という面白みのないヒロインが物語全体を締めくくる女君として大きく浮かび上がってくるのだと思うのです。

第三の『原・源氏物語』の光源氏像として、山本氏の解析は続きます。
罪を負うた源氏の君の姿は、一方では流離の貴公子たちの成長した形姿であるが、一方リアルな理想的人間の姿であると見るとき、それは過去における、まだ罪を負わぬ大国主命や仁徳天皇などの肖像の発展と思われる。だが王朝人の理想的肖像には、当時流行の阿弥陀信仰のイメージが付着する。源氏の中には、古代的と仏教的との二つの要素が共存している。弥陀の尊容が、現世の貴人である光源氏の容姿の上に二重映しになり、如来の色相を招き、極楽の荘厳を観ずることへの、当時の人達の欲求が、居ながらにして源氏に、六条邸の豪壮な「生ける浄土」を現出させているのである。
――とあります。このあたりは円地氏が源氏物語全体を曼荼羅にたとえたと同様な仏教信仰の影響に多いにうなづくとともに、同じ円地氏が紫上を略奪する一連の源氏の行動を、「源氏物語私見」の中で、
「彼は唯一人の祖母を喪った姫を父宮の手へわたすまいと、みずから抱きかかえて、自邸へ奪ってきてしまう。略奪結婚の遺風がはっきり出ている場面で、この部分の源氏は空蝉の閨に忍び込むときとは比べ物にならないほど、男っぽく、野性味をおびている。」と書いています。

さらに、当時まだ「法然や親鸞の純粋化した浄土思想は現れていない」としながらも、だからこそ「華美をつくした浄土芸術が盛り」で、「眼前に彷彿と描き出される西方浄土の完璧な美しさが、『われらうちいそぎとくとくまいりてみばや』の焦燥感を生む。」と当時の社会を考えるのです。

そして、山本氏は
六条邸の栄華を描き出した作者は、その反面、人々がしきりに出離本願を急ぎ、死へ急ごうとすることを描き出すのを忘れない。そういえば、この物語の冒頭桐壺の巻からして、たとえそれは後で付け加えられた巻であるにしても、まず桐壺の更衣の死を似て始まるのだ。次いで夕顔の死、桐壺院の死、六条御息所の死、藤壺の死と、第一部においても主要な登場人物たちの死は絶えぬが、第二部に到ると、老齢、病気、出離、死はこの部分の主題ではないかと思うくらいである。

――とおっしゃるのですが、私としては、何を今更、「生あれば死あり」で、当然人生の上り坂第一部で絶頂を極めれば、第二部は下り坂、行きつくところは「死」がテーマであるのは当然で、「死という生き方」を描くのは流れる水の添う如くと思うのですが、これは僭越な感情でしょうか。
そういえば、第三の『原源氏物語』としての光源氏像については、あれ以上の展開はありませんでした。ある意味で、やはり、「光源氏の物語」は「紫の物語」に吸収され、渾然一如の「源氏物語」となったと考えます。

ただ、私も「源氏物語」に先立つ短編集は絶対あったはず、という考え方をしておりますので、これはまた、後日ふれたいと思います。




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