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7月15日(日)「落葉宮」

落葉宮といえば、「もろかづら落葉を何に拾ひけむ名はむつまじきかざしなれども」という柏木の歌からつけられたものです。本人からしたら、「失礼な呼び名」なのですが、私としてはかなり好きなのですよ。それは上田敏訳のヴェルレーヌの「落葉」がかなりイメージされているからなのですが、落葉宮自身にしてからがヴェルレーヌの「落ち葉」のイメージにかなり合致する部分があるように思います。

ことに冒頭の「秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら哀し・・・」という一文には、そこそこ末はハッピーエンドに落ち着きはするけれど、彼女自身の心の内には誰も知らない一抹の寂寥感があったのではないか、と私が感じる落葉宮の心象風景が感じられると思うからなのです。
というのも、彼女自身の中には「私は常に立派な内親王でありつづけなければならない」という責任感と使命感が、誰よりも強くあったと思うからです。

1999年10月10日の「宮家のお姫様」のなかでヒトククリに簡単な皇女論まがいなものを書きましたが、彼女程、この「源氏物語」の中で「内親王」という身分を意識していた女性はないように思えてならないのです。
勿論、孫皇ではありながら、斎院宣下を受けて、賀茂の斎院を勤めた朝顔宮にもそういう皇女の矜持はより強く感じますが、やはり、身分的にはなんといっても孫王です。まぁ、朝顔宮にしても、同じく孫王の立場で伊勢の斎宮に卜定された秋好中宮にしても、斎院・斎宮の卜定を受けた段階から内親王の宣下があつたはずだと思うのですが(物語中には書かれていないけれど)、一応、最初から宮中で内親王として育った、という意味合いでは、落葉宮こそが、誰よりも、皇女の立場に拘り、その誇りと責任感と使命感に縛られていた女性ではないか、と思います。
そして、その内親王としての誇り・使命感・責任感と背中合わせのように、「秋の日のヴィオロンの溜息の身にしみてひたぶるにうら哀し・・・」とも感じられる彼女自身の心の内の誰も知らない一抹の寂寥感を、私は感じるのです。

やはり、その原因としては父・朱雀院の妹宮(女三宮)への偏愛が大きいと考えます。そして、自分が妹より愛されぬその原因として母親の出自を考えたというのは時代としても、立場としても無理からぬ事でしょう。「更衣」といえば、源氏の母・桐壷更衣と同じ大納言クラスでしょうか、親戚には受領階級もいるという(落葉宮の母・一条御息所の死に際して世話をするのは甥の大和守)家柄を憚り、苦にすることもあったと思われます。勿論、それは、母・一条御息所のコンプレックスを反映していると考えます。
兄たる今帝は髭黒右大臣の妹・承香殿女御腹、そして妹は桐壺帝の先帝の皇女腹(母は更衣で内親王腹の藤壺宮とは格が違いますが)、というわけで(後二人の皇女については、なんとも物語りの中には触れられていないの、ここでも不問)、まあその二人との比較だけでも、十二分に身分的な差を苦にする理由はあり、それが、落葉宮が父院の愛を十分に受けられない理由だと母子ともに考えていたのではないかと思われます。また、それゆえにこそ、母と二人一卵性母子のように寄り添って生きようとしていたのではないか、と思います。そして、その母子を支えていたものこそ内親王としての誇りなのだと思うのです。
――源氏物語の中では、「宇治十帖」を別にしては、母子の恩愛の強さを描いているのはこの落葉宮と一条御息所のところだけなのですよ。
勿論、「葵上の死」や「六条御息所の遺言」などに関して、親子の悲嘆の場面は出てきますし、「柏木の死」の場面でも致仕の大臣夫妻の嘆きぶりもそこそこには書かれていますが、この一条御息所・落葉宮母子や浮舟母子ほど、身につまされるような書き込み方は見られません。それについては後日――。

だからこそ、自分は、それらの同胞に対してでも立派な内親王でありつづけなければならぬと考え、内親王としての道を踏み外してはならない、内親王の誇りを失ってはならない、内親王としてこうあらねばならない・・・などという自戒の念やら、自縛の念が常に落葉宮にはあったのだと思います

明石御方は「上臈はこうあるべき」として上昇志向を貫くための手段として「誇り」を大事にしましたが、落葉宮にとっては「誇り」こそは生きる支え、生きる証しだったのです。

その思いは、柏木という当代を夕霧と二分するような貴公子のところに降嫁しても、また、女三宮の不遇に比べ、父院をして「なかなかこの宮は行く先後やすく、まめやかなる後見まうけ給へり」と宣はしめたとしても、変わらなかったのでしょう。自分が妹女三宮の形代だとは気付かなくとも、賢い落葉宮は柏木の表面的だけの丁重な扱い方を見抜いていたのかもしれません。自分は一女性として愛されて迎えられたのではない。内親王の身分で迎えられたのだということを、ちゃんとわかっていたはずです。また、彼女にとっては、その内親王としての身分が、自分自身に取っても最重要にして最大の誇りなのだということは、確信していたと思いますし、それだからこそ、先に述べたように心中奥深く潜める憂愁があったと思うのは私の僻目でしょうか。

しかしながら、表面丁重に扱われても真実愛されない、というのは、葵上も女三宮も、「源氏物語」に出てくる高位の正妻たちの運命といっても良いかもしれません。政略上で迎える身分第一の正妻に愛の芽生えるはずがない!とでも言いたいように、「源氏物語」に登場するどの正妻も哀れです。愛し愛されて幸せなのは筒井筒の夫婦雲居雁ただひとり、と言っていいのでは・・・三条大宮は幸せそうにみえましたが、夫左大臣との細やかなやりとりなどは書かれていません。空蝉は老夫の伊予の介には大事にされますが、空蝉自身は諦観の中に生きています。それに受領階級になれば、話しはまた少し違ってくるでしょう。

ただ、、落葉宮が幸せだと思うのは、柏木に、その死に際して、妻を思いやる心が芽生えて、「女宮のあはれにおぼえ給へば―中略―『かの宮に、とかくして今ひとたび参うでむ』と宣ふ」たり、「誰にも、この宮の御事を、聞こえつけ給ふ」たりすることです。これについては99年10月31日「女三宮-3 おくれべうやは」の中にも書きましたが、女三宮と煙比べの歌を交わした後、柏木は夢から覚めたように、自分の死後の妻を案じ始めます。夢の中での女三宮の愛を確かめたとき、現実の愛に目覚めたとでもいうように。
ただし、では、柏木が本復して、ふたりで共住みするようになってうまくいくか、といえば、それはまた疑問です。柏木が、もう、どこにも目を向けず、落葉宮一人を大事にすれば、彼女の心も内親王という身分や誇りを跳ね除けて、一女性として、柏木の愛に応えることもあるかもしれませんが、果たして・・・???まあ、夕霧と再婚した後は何気に幸せそうなので、そういうこともあるかな?とは考えますが。

そのへんの落葉宮について対談集「源氏物語のヒロインたち」のなかで円地氏と近藤富枝氏がこう語っています。
近藤――落葉の宮については、いかがですか。
円地――あの人は大して美人でもないし、それに内親王的な堅苦しい性格も持っていて、だから、柏木にもそんなに大事にされなかった。表向きは大事にされてますけどね。夕霧が一生懸命通っても、なかなか傾かないでしょう。
近藤――落葉の宮にすれば、女三宮の処遇のされ方を知っていた。夕霧には雲居の雁という年来の奥様がいる。自分は女三宮の二の舞ではないか。という思いが強かったんで、頑固なまでに夕霧を拒否しつづけたといえないでしょうか。
円地――かもしれませんね。
近藤――夕霧の方は、拒否されて、かえつて想いがエスカレートする。それに未亡人というのは、どこか男心を惹くものがあるんじゃないでしょうか。
円地――そうでしょうね。「若後家で七日七日のにぎやかさ」という川柳がある(笑)。
近藤――あ、そうですか。それは知りませんでした(笑)。

しかし、ホントに頑固でしたねぇ〜、あの夕霧に対する拒否の姿勢は!!
まぁ、これも99年10月10日「宮家のお姫様」で書いた事ですが、こんなときに軽く見られたがために言い寄られた、と悲しむわけで(本当は怒ってる!)、多少は信頼していた夫の友人がという失望もあつたでしょうが、それ以前に「皇女たる自分」には、見返りなく無条件で庇護してくれるのは当たり前、という末摘花的発想があつたのではないか、と思うのです。
そのへん、夫が生きていれば、こんな憂き目は見るまいにという落葉宮の気持ちが、また「落葉」の詞とよく似合っているのです。
「鐘の音に胸ふたぎ色かへて涙ぐむ過ぎし日のおもひでや」
そして、母・一条御息所にも先立たれ、夕霧の求婚は強引になり、仕える女房達にまで夕霧との再婚をすすめられて、
「げにわれはうらぶれてここかしこさだめなくとび散らふ落葉かな」と哀しむ姿が重なります。

それでも、また、こちらも思い込んだら命がけ!という夕霧の不器用な粘着力120パーセントの求婚が実って、なんとか雲居雁と妻の座を分け合う形で納まります。もともと、雲居雁は生まれたまんまの、人柄は鷹揚でよいけれど、いつまでもお姫様気分の抜けない可愛いタイプの奥方ですから、こういう苦労人のしっかり者タイプの落葉宮は、夕霧に取っても新鮮でもあり、且つ重い身分になっていく身に取っては、大事な妻の条件も兼ね備えていたといえるでしょう。花散里亡き後は、六条院の夏の御殿の女主人となって、藤典侍腹の六の君を引き取って養育するのですから、そこそこ幸せな妻の形に納まった、と言えるのではないか、と思います。落葉は再び春にめぐり合って緑を取り戻した、といえるのかもしれません。宿木の巻で、養女の六の君を匂宮に娶わせるところでは、養女の代わりに代筆などしてやる様子が見えますが、だた上品だというだけのふつうのお母さん、という感じになっています。きっと幸せなんだろう、と思わせる平凡さです。

そう、あの夕霧の求婚に対する頑なさは、柏木の急襲に無抵抗に犯されてしまい、ズルズルと関係を続けた女三宮との比較上の表現だ、という解説もありました。そうであったかもしれません。しかしながら、内親王としての誇りにすがって生き、その誇りを傷つけまい、とひたむきに生きていた女性として、最後にめでたし、めでたし、となったことはやはり、読者に安堵感を与えてくれました。




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