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5月5日 (水) 「私の源氏物語」

このところ「源氏物語」関係のお知り合いが増えて幸せです。
私が「源氏物語」を知ったのは小学校5年生の時
子供向けに書かれた、「源氏物語」からです。
それでおおよその所はわかって、すぐ、谷崎潤一郎の「新・源氏物語」にアタックしましたが、
これは一蹴されました。
小学生にとっての「谷崎源氏」は、原文並みの難解さでした。
母のアドバイスもあって与謝野晶子のほうが読みやすいだろう、ということで、
ここから行脚が始まったわけです。
もう、最初から六条の御息所に痺れていて、
私が「ぜ〜ったい、年下の男の子 ! 」と叫び続けていたのは、ここが原点じゃぁ !

原文に取り付いたのは、中学1年、但し、桐壺から若紫まで必死に取り付いて3ヵ月くらい掛かり、学校の勉強もあったので、コリャダミダァとギブアップしました。
最終的に辿りついたのは円地源氏です。
これは、もともと母が円地文子の本をよく読んでいて、私も、それを横合いから(小学生のくせに!)読んでいたりして、文章に馴染みがあったことが大きいかもしれません。
円地文子作品群に関しては、源氏物語より先に大分読んでいたので、円地氏がどれほど源氏を愛しているか、どれほど深く影響を受けているか、ということはわかりすぎるほどでしたので、よけいにすんなり入れたのだとおもいます。
といっても、私が円地源氏に辿りついたのは三十代になってからで、円地源氏の文庫版が出てからであって、その間の15〜6年は、源氏より、ドイルやらクリスティー、日本なら山本周五郎・石川達三・井上靖に痺れていたころでもありました。
殊に、クリスティー物からは、物事の捕らえ方、心理的な駆け引き、プロットの展開の仕方など多くを学んだと思います。
今、「源氏物語」に関するエッセイめいたものを書いている上で、クリスティーの「物の見方」が大きな拠り所になっていると、(自分では)思っています。
それと合わせて、15〜6年のブランクがあってよかったと思うのは、その間に「枕草子」は勿論高校生の必修テキストであるから当然原文で読んだし、「和泉式部日記」はゼミで当たることが出来たし、「とはずがたり」(瀬戸内版)は勝手に読んだし、ということで、関連する周囲の本を読むことが出来て、「源氏物語」の解釈に幅が出来たと思うのです。

勿論、小学生には小学生の「源氏物語の読み方」があると思うし、中学時代・高校時代でも、本質的には変わりない読み方だったとは思うけれど、周辺の本を読むことで、確実に解釈の幅が出てきたとは思います。

そういえば、紫の上と言う人は、漠然と、あぁこの女の人が主人公なんだなぁ、という位で、
特に憧れるということはなかったのですが、
本当に近年になって、嗚呼やっばりこの物語の主人公は紫の上だ !と、

「源氏物語」が「紫の物語」と呼ばれたことに大いに納得したのです。
( それまでは「紫の物語」という言い方でも、特に紫の上を指すとは考えず、
俗に、紫は貴い意味を表すので上流貴族の話という意味でそういうのかと思っていました。)

私って、結構、自分が思い込むと、ちゃんとした学説がどうこう言ってもだめなのです。
困ったもんだ !!!

朧月夜の君という人を最初は嫌いだったのです。
ああいう風に、あっちの人から好きだと言われればあっちにべったり、こっちの人から好きだと言われればこっちにべったり、あんた自身はどうなのさぁ ! と、一発食らわしてやりたかった位でしたが、近年、さすがに年を取って来て、
昨日まではあっち、今日からはこっち、と、きっちり心に線引きするなんざぁできねぇよなぁ、と、考えるようにもなり、
殊に、円地文子の「源氏物語」では、
朱雀帝が出家してから、朧月夜が源氏と密会しながら奧悩を重ねたりするのが、昔なら、「あったりまえだよ、恥知らず !」とでも罵り倒した所が「うんうん、そうなんだよねェー、」となってきたのは自分でも不思議 !

花散里という人は、昔からそれとなく大好きで、
目立たず、晴れがましくもせず、そのくせいつの間にか、人の心の中に根をおろして喜びも哀しみも上手に押し包むようなイメージができていて、これは終始変わらぬ憧れの女性です。
ナンタッテ六条御息所だけでは疲れますものね。

年がバレマスガーーーっていっても、もう子供の年をかぞふれば、バレバレですが、
私の子供の頃は、ラジオ全盛時代でーー今の個人的娯楽機としての盛り上がり方とは違う
ーー「文化の担い手」なんて陳腐な言葉ですが、
そういうものであったわけです。
そこに、「ラジオ放送劇」などと言うものがありまして、
当時、歌舞伎役者の人たちも良く狩り出されて出演していたのです。
そこで、「若菜・下」を柏木・大谷友右衛門、女二ノ宮(三宮ではなく落葉の宮)・加藤道子、
夕霧・守田勘弥、というキャストでした。
加藤道子という人は、今もNHKの日曜名作座で名人芸というべき
朗読をしていますから、ご存知かも。
大谷友右衛門というのは、いまは中村雀右衛門、一昨年、70歳の道成寺で話題になった、
守田勘弥は、ご存知玉三郎の義理の父、
ちよっと前振りが長くなりましたが、これが絶品だったのです。
「源氏物語」は、そのころとしても、けっこうな題材で
映画にもなり、ことに歌舞伎では舟橋聖一・原作(?)の「源氏物語」で
今の市川団十郎の父の海老蔵や、まだ生きている中村歌右衛門等が
人気を博していましたが、ラジオ放送劇としては初めてだったのではないでしょうか?
私は小学4年生から歌舞伎を見はじめて、雀右衛門(当時は友右衛門)の大ファンですから
聞き逃す筈はありません。
それまで、源氏を取り巻く女性にのみ目がいっていたのを広げるきっかけになった
放送劇でした。

もうひとつ、悪役・憎まれ役の代表である弘徽殿の女御が、私は意外と好きなのです。
これも、大川橋蔵という歌舞伎出身の二枚目役者が歌舞伎座で「源氏物語」を出した時、弘徽殿の女御を演じた沢村宗十郎という役者が、「弘徽殿の女御からみた細腕繁盛記」というほど上手く演じていたからです。

ちよっと 調子に乗って書き過ぎたかしら、
でも、「源氏物語」話す人に飢えていたんですよねぇ。
どういう訳か、今仲良くさせて頂いている方達は西洋文学志向が強いんだ !
よく源氏の話や、額田王、清水次郎長、なんて話が通じたお友達とは
彼女が管理職になって超多忙になって来て会う暇もなくなり、
たとえ、会えたとしても時節柄話題が違って来てしまったのですよ。
曰く、介護、老後、・・・・
夢よもう一度、楽しいお話が展開できるといいですね。

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