治承五年・1181年
治承五年(7月14日に改元あり、養和となる)
正月大
1日 | 戊辰 | 前武衛、鶴岳若宮に参り給ふ | ||
5日 | 壬子 | 関東の健士等南海を巡り | ||
6日 | 癸丑 | 工藤庄司景光、平井紀六を生け取る | ||
11日 | 戊午 | 梶原平左景時仰せに依りて初めて参禅す | ||
18日 | 乙丑 | 去年十二月廿八日、南都東大寺・興福寺已下の堂塔坊舎・・・焼失す。 | ||
21日 | 戊辰 | 熊野山の悪僧等・・・伊勢志摩に乱入す | ||
23日 | 康午 | 武蔵国長尾寺并びに求明寺に於いて |
2月小
1日 | 戊寅 | 足利三郎義兼、北条殿息女を嫁とす。又加々美次郎長清、上総權介廣常之聟と爲る | ||
9日 | 丙戌 | 去んぬる年の冬、河内國、河内の國に於て、平家の爲、殺害せらるる所の源氏、 | ||
10日 | 丁亥 | 安房の國洲崎の神領に於いて、在廳等煩い成す之由神主等之訴え有り。 | ||
12日 | 己丑 | 左兵衛督知盛卿・左少將清經朝臣・左馬頭行盛等、近江國自り上洛す。 | ||
18日 | 乙未 | 大河戸太郎廣行・同弟次郎秀行・同三郎行元・四郎行平、日來御氣色を蒙り | ||
27日 | 甲辰 | 安田の三郎義定の飛脚、遠江の國自り鎌倉に參上す。 | ||
28日 | 乙巳 | 志太三郎先生義廣、濫悪に常陸の國鹿嶋社領を掠領する之由 | ||
29日 | 丙午 | 鎮西に於いて兵革有り | ||
2月大
04 | 庚戌 | 戌剋(いぬのこく)。入道平相國、薨ず。 | ||
07 | 癸丑 | 武衛御誕生之初め、御乳付に召さる之青女<今は尼なり。摩々と号す。> | ||
10 | 丙辰 | 前の右大將<宗盛卿。>、家人の大夫判官景高以下千餘騎、 | ||
12 | 戊午 | 伊豫の國の住人、河野の四郎・越智の通清平家に反するが爲に、 | ||
15 | 辛酉 | 院廳御下文(いんのちょうおくだしぶみ)を東海道之諸國に下さるる。 | ||
17 | 癸亥 | 安田の三郎義定、義盛・忠綱・親光・祐茂・義清・・・橋本の邊りに到る。 | ||
19 | 乙丑 | 中宮大夫屬(ちゅうぐうだいぶのさかん)康信の状鎌倉に到著す | ||
20 | 丙寅 | 武衛伯父、志田の三郎先生義廣、骨肉之好を忘れ、忽ち數萬騎の逆黨を率いて、 | ||
21 | 丁卯 | 今日以後七ヶ日(にち)、鶴岡若宮御参有る可き之由、立願し給ふ | ||
23 | 己巳 | 義廣は、三萬餘騎の軍士をを率いて、鎌倉方に赴く | ||
25 | 辛未 | 足利の又太郎忠綱は、義廣に同意せしむと雖も、 | ||
27 | 癸酉 | 武衛は若宮に奉幣し給ふ。今日七ヶ日に滿つる所也。 | ||
28 | 甲戌 | 宗政は朝政の名代爲して<朝政、疵を被るに依り不參。> |
3月小
01 | 丁丑 | 今日、武衛の御母儀の御忌月の爲に依って、土屋の次郎義清の龜谷の堂に於いて、 | ||
06 | 壬午 | 大中臣の能親、伊勢の國より、書状を中八の維平之許へ通はす | ||
07 | 癸未 | 大夫屬(だゆうのさかん)入道[三善康信]状を送りて申して云く | ||
10 | 丙戌 | 十郎藏人の行家<武衛叔父>、子息藏人の太郎光家。同次郎。僧義圓<卿の公と號す>。 泉の太郎重光等、尾張參河兩國の勇士を相具し、墨俣河(すのまたがわ)の邊りに陣す。 |
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12 | 戊子 | 諸國未だ靜謐(せいひつ)せず。武衛は御怖畏(ごふい)無きに非ず。 | ||
13 | 已丑 | 安田の三郎の使者、武藤の五、遠江の國自り、鎌倉に參著し、申して云く> | ||
14 | 庚寅 | 淺羽の庄司、相良三郎等の事、一方の欝陶に就いて、罪科に處せられ難き之由 | ||
19 | 乙未 | 尾張の國の住人、大屋の中三安資鎌倉に馳せ參じて、申して云く | ||
27 | 癸卯 | 片岡の次郎常春、謀叛之聞こえ有るに依り、雜色を、彼の領所たる下総の國に遣し |
4月大
01 | 丙午 | 前の武衛、鶴岳(つるがおか)に参り給ふ。而るに、廟庭に荊棘(けいきょく)有り。 瑞籬(みずがき)に草露を藏す。仍って掃除せらる。 |
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07 | 壬子 | 御家人等の中、殊に弓箭に達する者、亦御隔心無き之輩を撰び、毎夜御寢所之近邊に 候べき之由、定めらるると |
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19 | 甲子 | 腰越の濱邊に於いて、囚人平井の紀六(平井久重)を梟首す。 | ||
20 | 乙丑 | 小山田の三郎重成、聊か御意に背く之間、怖畏(ふい)を成し、籠居(ろうきょ)す。 | ||
30 | 乙亥 | 遠江の國淺羽の庄司宗信、安田の三郎義定之訴へに依り、所領を收公せらるると雖も、 謝し申す之旨、等閑せざる之間、安田は亦た之を執申す。 |
5月大
08 | 癸未 | 園城寺の律靜房日胤弟子僧日惠<師公と號す。>鎌倉に參著す。彼の日胤者(は)、 千葉介常胤の子息、前武衛の御祈祷師也。 |
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13 | 戊子 | 鶴岳若宮の營作の爲、材木の事、其の沙汰有り。土肥の次郎實平、大庭の平太景能等奉行と爲す | ||
16 | 辛卯 | 村山の七郎頼直の本知行所、今更相違有るべからざる之由、仰せらる | ||
23 | 戊戌 | 御亭之傍に、姫君の御方、并びに御厩を建てらるべし。 | ||
24 | 己亥 | 小御所御厩等之地を曳かる。景能・景時・昌寛等之を奉行す | ||
28 | 癸卯 | 去んぬる夜、安房の國の大工、參上す。仍って今日、件の屋々、立柱上棟すと。 |
6月小
13 | 戊午 | 新所(しんじょ)の御移徙(おんいし)也。千葉の介常胤、[土完]飯以下(おうばんいか)を献ずると。 | ||
19 | 甲子 | 武衛、納涼逍遥の爲、三浦に渡御す。彼の司馬一族等、兼日の結搆之儀有り。殊に案内申すと | ||
21 | 乙丑 | 鎌倉に還らしめ給ふ。義澄は甲(よろい)以下を献ず。又馬一疋を進む。髪不捺と號す。 | ||
25 | 庚午 | 戌尅、客星(きゃくせい)、艮方(うしとらのかたを見る。 鎮星(ちんせい)、色は青赤、芒角(ぼうかく)有り。是は、寛弘三年、出見之後、例無しと。 |
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27 | 壬申 | 鶴岳若宮の材木、柱十三本、虹梁二支(にんし)、今朝、且つ由比浦に著すの由、之を申す。 |
7月大
03 | 丁丑 | 若宮營作の事、其の沙汰有り。而るに鎌倉中に於いて、然るべき之工匠(こうしょう)無し。 | ||
05 | 己卯 | 長尾の新六定景(さだかげ)厚免を蒙る。 | ||
08 | 壬午 | 淺草の大工、參上する之間、若宮の營作を始めらる。先ず、神體を假殿に遷し奉る。 | ||
14 | 戊子 | 治承五年を改元し、養和元年と爲す。 | ||
以降は養和元年参照