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2月17日(木)「六条御息所−4」六条御息所の魅力−円地文子の六条御息所考

前回にも書いたとおり、本居宣長をして「擬似古文」で「出会いの一章」をものし侍らせてしまった六条御息所の魅力とは何なのでしょうか。
いえ、宣長だけではありません。
およそ、源氏物語に拘わる人々は概ね彼女に魅了され、源氏物語の魅力は六条御息所に負うところが大きい、とおっしゃる方が多いのです。

円地氏は「私見」の「六条御息所考」の中で、
「――一般には源氏の物語の基調をなすものは桐壺、藤壺、紫の上の物語であって、六条の御息所は傍系的な挿話として語られるか、弘徽殿皇太后に似た悪型として扱われているが、私には『源氏物語』の中での六条の御息所の位置はそういう軽いものにはどうしても思われない。」と言っています。

さらに、対談集「源氏物語のヒロインたち」の中では、対談相手の竹西寛子が、対談の口切りに、
竹西 「『源氏物語』に出てくる女性達の中で、藤壺の后と六条の御息所は、やはり特別な女性でございますね。」
という発言があり、さらに円地氏の「いろんな意味でそうですね。いちばん位の高い人ですし…」というアイズチを受けて、
竹西 「位の高さもそうですし、教養の深さ高さも、特別の扱いだと思うんです。―中略―
私いつも思うんですけど、この六条御息所が、もし「源氏物語」に登場しなかったらどういうことになるか。物語の厚みが違ってしまうんじゃないか、と。」という具合です。

同じ対談集の「明石上」の章では、「ほのかなるけはひ、伊勢の御息所にいとようおぼえたり」の文を受けて、田中澄江氏は「御息所は嫉妬部深いだけじゃなくて、教養があり、人間的にも魅力ある人ですかにらねえ。」と言っています。

竹西氏との対談は、続いて御息所の経済力に触れて、
竹西 「一般的なこととして平安時代の貴族の女性は私有財産をたくさんもっていたといわれていますが、御息所の経済力は、いまの世では、どの程度にかんがえたらいいものなんでしょうか。」
円地 「私もそのへんはよくわからないんです。極端にいえば、あの時分、六の宮の姫君あたりは、しっかりした後見者がいないと、だんだん落ちぶれてしまう。だから、ごくふつうに考えて、六条の御息所はそうなっていないし、非常にしっかりした人だったんじゃないでしょうかね。」という問答から、さらに、大臣の娘というバックのよさもあるが、経済力にしても、自分の位置を保って行く力にしても、ちゃんと自分でやってのける、いわば自立した女性であることを述べています。

「私見」のほうの「六条御息所考」を読み進むと、
「実際には当時の貴族女性は自分が財産を管理するようには育てられていなかったので、しっかりした後見人がなければ、土地なども不在地主として、自然にその権利は他に移っていった。末摘花がひどい困窮に落ち行くのも、恐らくそういう管理能力が皆無だつたために所領からの収入などありえなかったためであろう。」という記述があり、続けて
「貴族の姫君や未亡人に対して所謂御後見の必要がここに生じるわけであるが、六条の御息所に限ってはそういう後見役は全く存在しない。彼女の父が大臣であったことは本文に語られているが、兄弟や親族については何ひとつ言及されていないに拘わらず、元皇太子であった夫の死後も、彼女は六条の屋形の女主人として、優雅なサロンの雰囲気を造り出すだけの才能と富を維持していた。」と記しています。

もう、ここは、丸写しと謗られても仕方ない!
これ以上の六条御息所像は描けないので、「『私見』丸写しの段」です。

「彼女の六条の住居がいかに優雅に整えられていたか、侍女や女童の末々に至るまで、隙のない才気や教養が衣裳の好みや立居振舞にまで及んでいた事は、『夕顔』の巻のはじめに光源氏が、朝帰りの渡殿で侍女の中将に戯れる件などにも、よく現れている。
 貴人公子たちは、御息所の司宰するこの上なく優雅な贅沢な雰囲気に心ひかれて、六条通いする事が多かった。これは野々宮に移った後にも同じであったというが、こうした風流な趣味生活に男たちを魅惑するには、精神的な教養だけではなく、豊かな財力を使いこなす能力が、欠くことのできない要素であることも争えない事実である。
 御息所は雅やかに見える表面の底にいくつもの能力を隠していて、その能力のひとつは、廃太子の遺産を空しく他に横領などさせず、整然と管理していく稀な力量であったに違いない。光源氏に対しても、恐らく御息所は、他の愛人たちの及びもつかない心憎い贈り物の数々をしたであろうし、彼が六条の屋形にいる間中、どこの女のもとにいる時とも違うデリケートな美の雰囲気に心身をひたしているように仕向けたに違いない。逆にいえば、その極端に技巧的な美的調和が、源氏をいきぐるしくしたことでもある。
 しかし、その階調あるびの造形は正しく御息所の教養と能力が作り出したものであってみれば、御息所の執着の強さにあぐねて、彼女から遠ざかって行く時でも、遠ざかれば遠ざかるほどその完成された美的雰囲気は、彼の心に離れにくくまつわっていたであろう。」

私は、これ以上、何を書けばいいのでしょう!?
ここに全てがかたりつくされておりますなぁ。

六条御息所の魅力を語る時、その財力と管理能力は落とせない大きな部分を占めていると思います。

六条の御息所の魅力は、あの時代に身分高く生まれ、美貌と教養と趣味の高雅さを併せ持ち、その上に経済力を持つ自立した完全無欠のスーパーレディであることにあるとおもうのです。そして、それほどのスーパーレディがアキレウスの泣き所のように、美貌だけがとりえの若者に翻弄され、全身全霊で愛し傷つく姿に、一層の魅力を感じるのではないでしょうか。

そのあたりのことは、「物語の中の六条御息所」ということで次回触れてみたいと思います。
あの「六条邸朝帰りの渡殿の場」というのは、本当に凄い傑作というか、素晴らしい場面で、私も大好きなのですが、これをモチーフにした寂聴氏の素敵なエッセイがあるのです。
また丸写しにならなければ良いが・・・と案じつつ

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