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3月13日(月) 「六条御息所−6」 六条御息所の憑霊現象@

六条御息所が、生霊となって祟り始める最初は、某の院での「夕顔取り殺しの段」です。
とはいえ、この時は、「六条御息所の仕業」とは一言も書かれていなくて、源氏でさえ気がつかないままです。

よひすぐるほど、少し寝入り給へるに、御枕がみにいとをかしげなる女ゐて、「おのがいとめでたしと見奉るをば、たづね思ほさで、かくことなな事無き人をゐておはして、時めかし給ふこそ、いとめざましくつらけれ」とて、この御かたはらの人をかき起こさむとすと見給ふ。ものにおそはるるここちして、おどろき給へれば、燈も消えにけり。

ということがあっても、源氏は、この「いとをかしげなる女」を六条御息所と繋げては考えていないのです。そこを「源氏物語私見」の中で円地氏は、しかし、この「いとおかしげなる女」の幻の現れるすぐ前に、源氏は自分の行方知れずになっているのを父帝も心配していられるであろうと推量するすぐ後に、

「六条わたりにもいかに思ひ乱れ給ふらん、恨みられんに苦しう、理なりといとほしき筋はまず思ひ聞え給ふ。何心もなきさし向かひを、“あはれ”とおぼすままに、あまり心深く、見る人も苦しき、御有様を少し取捨てばやと思ひ比べられ給ひける。」
と両極にある二人の女を比較してみている。そのすぐ後に、例の「いとおかしげなる女」が夢うつつに見えて、夕顔を取殺すのであるから、私はどうもこの物の怪も「葵」の巻の前提としての六条の御息所の生霊であると思われる。

更に、円地氏は、

葵上との「車争い」のように明確に敵対する状況と、プライドを踏みにじられた屈辱感という明確な条件がある場合ではなく、顔も棲み家も知らない、存在さえ知り得ていようとは思えない夕顔を、また、源氏ともあろう貴公子がそんな女を人里離れた廃院に連れ込んで隠れ遊びをしていようとは夢想だに思わないであろうに、そのような条件の下で、夕顔が呪い殺されるはずはないのである。

としなからも、

しかし、御息所の凝っとものを見据え、考え詰めて動かない心の底には、自分でも気づかない微妙な動きがあって、愛執している光源氏の行く方向へさまよって行き、彼が自分を見失うほどにうちこんでいる女を自然みつけだしもする。」

と述べています。
この「自然みつけだしもする」には、寂聴氏が異論を唱えていらして、同氏の「私の好きな古典の女たち」の中で、

円地文子氏は、御息所ほどの人は、自分のところへよりつかなくなった男の行方に人をつけて探らせるようなはしたない真似は仮にもしないという見解を『源氏物語私見』の中で書いていられますが、どうでしょうか。『蜻蛉日記』のヒロインは、男の行方をすぐ探らせて、男がどんな女に通うか探知してしまいます。私は、紫式部が『蜻蛉日記』を読んでいて、意識的か無意識的か、「夕顔」を書くとき、『蜻蛉日記』の中の「町の小路の女」を思い浮かべていたような気がしてなりません。御息所の気位の高さやしつこい情熱や執念も、『蜻蛉日記』のヒロインに似ていないとは思えません。
 いずれにしても、この時代の高貴の人に仕える女房の中には、気の利いた女たちもいたようです。女主人の許へ通ってくることの間遠になった男の行動を、ひそかに探ってこなかったとはいえないでしょう。
 御息所に知られていないと思っているのは源氏だけで、本当は御息所は、すでに夕顔との新しい情事をすっかり知っていたのではないでしょうか。御息所の口惜しさ、傷つけらた自尊心が、こんなつまらない女に見返られたということばに直截にあらわされていると思います。
 けれども、物の怪を見る心も、源氏の意識下の罪の意識が招きよせたのではないかという円地文子氏の御意見に私も全く同感です。



そして、円地氏は、この「私見」というエッセイよりは少し堅い「小論文」と言っても良い考察集の中では珍しく、御息所自身が、自らの御帳台の中で不本意な夢遊状態から汗にあえて目覚める御息所の姿を一場面切り取ったように描いています。

人の棲まぬ荒れ果てた廃院の広い一間に屏風や几帳をわずかの蔽いにして、さして恥じるでもなく、素直にしなやかに光源氏の愛撫に応えている女、そんな女を美しい小動物のように愛しぬいている男・・・眼に余るものが見え、言葉がするすると喉はしり出る、同時に抱き合っていうち伏している女の細い首に手をのばすと、骨の両側へ冷たい手をきつく当てる・・・もうそれだけで女は息が苦しくなり、汗みどろにあえいでいた・・・
御息所は御帳台の中で、喉をふさがれて苦しく、かき払おうとすると胸が痛んで目覚めた。
自分が喉をふさがれたようで長い吐息が洩れた。
「どうか遊ばしましたか」とお傍にやすんでいる中将の君が御几帳の帳をあけてそっとうかがう。
「何か恐いゆめを見たのかしら、汗にあえて」
女君は静かにいう。ほんとうに、あの廃院も目鼻立ちの仄かな女の顔も、それを好もしそうにかき抱いていた光源氏の輝かしい眉目さえ、女君の心には今残っていなかった。ただ何かに惹かれていたものが、自分をうつろにし、また、自分のうちに帰って来る息苦しさに汗を流したのである。


そして、更に「私見」として、

「源氏」の作者は「夕顔」の巻の物の怪も、「葵」の巻と同じ、同じ六条の御息所として設定していると私は思っている。しかし、それをはっきり、御息所の生霊であるとは、彼女自身も知らず、源氏も知らない。源氏の眼には唯枕上に「いとおかしげなる女ゐて」と見えるように書いているところに、「葵」の巻での鮮やかな生霊の出現と区別される一線がある。

と続きます。

私は、この円地氏の「私見」に諸手を上げて賛意を表するものではありますが、もうひとつ、先ほどの源氏の「六条わたりにもいかに思ひみだれ給ふらん―思ひくらべられ給ひける」の意志を受けて、思うことがあるのです。

それは、源氏が夕顔の女体に惑溺しながら、己も知らず御息所のそれと比較していたのではないか、ということです。ともに一児を挙げ、女体の開花としては申し分ない「時分の花」でありましょう。ただ御息所は幾分薹がたっているのも事実です。性格的な違い、身分の違い、慎み深さの相違もありましょう。しかしながら、人妻とはいえ藤壺や空蝉の物堅さとは違う爛漫の開花の中に狂おしく身を委ねていくことに御息所と夕顔との共通項はありますまいか。

それやこれやを、官能の世界に惑溺する中に、源氏は我知らず思い合わせ、その思い合わせることによって、無意識の内に御息所を呼んだのではないか、ということです。それは正しく御息所に届き呼び寄せられてみれば「眼に余るものを見」、思わずその手が女の細い首にからみついたのではないか、と思うのです。

それは、ある意味で、源氏は六条御息所に「男として育てられた」という思いがあるからです。当然御息所の方にも「私が仕立て上げた男」という思いはあったのではないでしょうか。あたかも源氏が紫上を「MyFairLady」に仕立て上げたように、御息所は源氏を「MyFairLord」として育て上げたのです。

「六条御息所-2」でも書いたとおり、御息所は当代の数寄者として、数多の貴族達垂涎のサロンを主宰しているわけです。源氏としては、その中に侵入し我が恋の勝利の美酒を汲んだと思っている。ところが、
円地氏いうところの「近優りする」御息所の才能と魅力に圧倒され気おされながら貴公子としての薫陶を御息所から受けていたのではないか、ということなのです。
勿論源氏とて初手から当代の貴公子ではあったでしょう。しかし、当初の源氏と、7歳年上の、いずれは皇后の位にも立とうかといった御息所との位置関係は圧倒的に女性優位であったでしょう。
それが逆転したのは偏に御息所の薫陶よろしく、源氏が天性の麗質に更なる磨きをかけられ、雅の上に雅を身につけ、さしもの御息所をさえ魅了する男性に成長したからに他ならないと思うのです。当然、御息所の中にも「私が仕立て上げた雅男」という意識はあったでしょう。だからこそ愛執も人一倍強く、源氏にのめり込んで行ったのではないでしょうか。

「源氏物語-4」で紹介した円地氏の「私見」の中で、

恐らく御息所は、他の愛人たちの及びもつかない心憎い贈り物の数々をしたであろうし、彼が六条の屋形にいる間中、どこの女のもとにいる時とも違うデリケートな美の雰囲気に心身を浸しているように仕向けたに違いない。

という文には、そういうふたりの関係が確実に見えると思うのです。
当然男女の実の交わりを教えたのも御息所ではないでしょうか。
葵上を妻とし、藤壺や空蝉を犯し、己の欲求を充たすための交わりはしていても、人間の男と女としての情を伴う愛の交わし方を教えたのは御息所のような気がするのです。
ある意味で、六条御息所は源氏の母であったのです。
確かに、御息所の数多の才能や途方もない財力は、源氏を圧倒したでしょう。しかし、そればかりでなく、源氏の上に唯一の女性として束縛しようとする御息所の見えない力からこそ源氏は逃れようとしていたのではないか、と思うのです。唯一の女性とは若い青年にとっては往々にして母を意味し、また、母の腕から逃れでることが青年の独立の第一歩なのです。

母に焦がれて藤壺を犯し、もうひとりの母たる御息所から逃れるために夕顔との愛欲の世界を必要としたのではないか。
しかしながら夕顔を愛する行為は御息所に教え込まれた一挙手一投足であり、母を裏切る行為に後ろめたさを感じて御息所を思った時、その思いに御息所の魂が呼応してしまったのではないか、と思うのです。

そして、これが、「葵」の巻での出現の仕方との大きな違いなのではないか、と思うのです。


付記ー2003年12月11日「上村松園の『焔』を見る」

以前から、この絵に関して、思うところがあったのですが、生で見るまでは、と控えていました。幸い、現在国立博物館の「日本美術の流れ」の中で取り上げられ展示されているのを見てまいりました。

この絵は、美しく高貴な雰囲気を漂わす女性が己れの黒髪を噛みながら後ろを振り向きざまに凝視している構図です。そして、その衣装の内掛けに描かれた模様こそ、蜘蛛の巣と藤の花房なのです。上村松園がどの程度「源氏物語」に通暁していたかはわかりません。しかし、私は、この一文を書いて後、ふとこの絵を画集で見たとき、あっそうだった、と改めて、自分の思いを強くしたのです。それは、勿論「ふたりの母」という自説なのです。六条御息所と藤壺については、多くの源氏愛好者、専門家の先生方も含めて、上の品の女君として別格的に扱っていますが、その殆どの方たちは、そこにもうひとり朝顔齋院を加えて、「上の品の女人たち」グループという位置づけにしています。しかし、私自身は、相変わらず、この六条御息所と藤壺ふたりを別格の「源氏の母」として見たい、と思うのです。

黒髪を噛む、と言う仕草にも、御息所の生霊が葵上の枕上にさまよい出て、髪にも着物にも芥子の匂いが染み込んだと、何度髪を洗い着物を着替えても、その匂いが取れない、と、「わが身ながらもいとましうにおぼさるるに」という御息所の心情にある葵上に対する悔しさと自らに対するいとましさが黒髪というひとつのモチーフに集約しているように思うのです。
そして、もうひとつの面として葵上に対する嫉妬ということでは、藤壺はなんら無関係のように触れられてはいませんが、果たしてどうだったのでしょう。私としては、藤壺は源氏の邪恋を厭うている、とは考えておりますが、それでも、一児を設けた仲なればこその源氏に対するそれなりの思いがあるならば、葵上に対して心安らか、というわけではないでしょう。それやこれやの思いの丈が絡み合っての藤と蜘蛛の巣の構図であるならば、私は松園としての文学を解読する見識としてだけでなく、女の性を見据える目に驚倒せざるを得ません。

また、「源氏の女君たちを花にたとえれば」という例えがよくされますが、私は六条御息所について、どんな花であっても蔓性のもの、たとえばノウゼンカヅラなど、と答えます。藤壺には、そのまま、爛漫の藤はふさわしいと思うと同時に、ああ、これも蔓なのだ、源氏の人生に絡んではなれぬ蔓なのだ、と思えば、二人ながら源氏の人生に絡んで離れぬ蔓という共通点を、うまく一方を蜘蛛の糸に変えて藤を絡める構図の見事さに頭が下がる思いです。

「目の寄る処にに玉が寄る」で、同様に考える人を見つけてきました。それは「読み直し文学史」(岩波新書)という本を書かれた詩人の高橋睦郎氏であります。全面的に同意するところばかりではないのですが、少なくとも、六条御息所と藤壺を二人ながらに母として捉えているところは同じような意味だと思いますし、またちょっと反論したい部分もあり、その部分をあげます。
同氏は、詩人としての立場から、様々な文学を捉え解説していらっしゃるのですが、その中で「源氏物語」を「伊勢物語」と比較しながら、当然「伊勢」は歌物語ですが、「源氏」をも歌物語と捉えて解析を試みています。第一部といわれる「桐壺」から「藤裏葉」までを「第一次源氏」として、なお、その上で、「光源氏」を「むかしをとこ」と比較して

「むかしをとこ」が天皇の後宮に入るべき高貴の女性と通じたように、光源氏も兄帝の寵姫と通じる。しかし「むかしをとこ」の東下りの原因が他にあったように、光源氏の須磨流謫の原因も他にあったはずだ。それは何かと言えば自分の亡母と生き写しと言う父帝の女御と通じ、父帝の亡弟、前坊(皇太弟)未亡人と通じたことだ、と私は考えている。
なぜ二人か。実は、藤壺と呼ばれる父帝の女御と六条御息所と呼ばれる前坊未亡人とはひとつの人格の二つに分裂したものに過ぎない、というのが私の考えだ。光源氏にとってひたすら思慕の対象である藤壷とおぞましい嫉妬の権化のような六条御息所がひとつの人格と言うと不可解に思われるかもしれないが、私なりの根拠もある。それは夕顔、葵上、紫の上、女三宮・・・と、光源氏と関わりの深い女性に恐ろしい嫉妬を向けたこの女性が、最も激しく嫉妬すべき藤壷に対してまるで無関心なことだ。
 もうひとつ言えば、藤壺は光源氏の全き思慕の対象とされながら、殆ど実体がない。藤壺は六条御息所と合わせてようやくひとつの人格となるべきもので、その人格とは男性にとって母なるもの、または姉なるもの、その慕わしい面が藤壷で、おぞましい面が六条御息所。その母なるもの、姉なるものを犯したから光源氏は須磨に流されなければならなくなる。

「ひたすら思慕の対象である藤壷とおぞましい嫉妬の権化のような六条御息所がひとつの人格というと不可解」とおっしゃるのは、嗚呼、やはり男性には「源氏物語」は理解できないのだな、という感慨も新たにするのですが・・・おっと研究者の先生方って男性が多かったですね(^_^;
また、「藤壺は光源氏の全き思慕の対象とされながら、殆ど実体がない。」とおっしゃる言葉にも、もうちょっと本文をしっかり読んでください、と申し上げるしかないのだけれど(私の反論としては、藤壺の項をお読みくださいm(__)m)、御息所と藤壺が「ひとつの人格の二つに分裂したもの」と言う点に関しては、ある意味首肯するべき点もあります。しかし「ひとつの人格の二つに分裂したものにすぎない」とまで言い切るのには無理があるように思います。
また、六条御息所が藤壺に対してのみ嫉妬を向けないことに対する疑問は、みんなが常に持ちながら、従来「それは自分に匹敵しうる人物、或いは自分以上の女性として御息所が藤壺を見ているからである、」というような言い方をされておりますが、是に関しては私は大変疑問を抱いているのです。(明石御方についても同様の疑問あり。)ですから、これは、また項を改めて考えたいと思っております。


松園の「焔」から飛んだところまで来てしまいましたが、いつか書き足したいと思っていた二点です。それにしても紫式部という女流の描いた「源氏物語」と言う世界を本当に理解できるのは上村松園という女流だけなのかもしれない、と考えた一点でした。





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