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3月30日(木) 「六条御息所-7」 六条御息所の憑霊現象A

さて「葵」の巻では、いよいよ後ジテ登場と言う具合で、御息所の生霊(いけすだま)が現れます。
ここには、「夕顔」の巻での嫉妬なのか、御息所自身と源氏との呼応する魂の彷徨なのか、というあいまいなものではなく、明確な動機付けがあります。
六条御息所のプライドに拘わることです。
おしなべて源氏物語に出てくる女君たちは、プライドの高い女性が多いわけですが、多くはそのプライドを拠り所として上手に見を処して行くのですが、六条御息所に限っては、その性格、自我の強さとプライドの高さを自分でも持て余してしまうところが見受けられます。といっても、やはり最終的には、そのプライドを支えにして有終の美を飾って死ぬ訳ですが、それは後の話。

で、その動機、とは賀茂の斎院の御禊の日の桟敷争いに、葵上方に敗れ、散々な狼藉を受けたことに始まります。
お互い、あちらは、というのは当然のこと知っています。こちらは、という自負もあります。
それが絡み合いぶつかり合っても、互いの嗜みの程が同等ならばまだ許し合える余裕がありました。
しかしながら、葵上方には、「今をときめく左大臣の娘、まして皇女腹で光源氏の正妻」という威光を振りかざし、臆することは何もない!という強気一方の気勢に嗜みも糸瓜もありません。
かたや、「御息所は当代の数寄者といっても、後ろ盾たる父大臣はもう亡く、廃太子の未亡人、しかも、愛人」という弱みがありました。
この時代は、愛人といっても、それなりの処遇をすれば公式に認められる第二夫人のような扱いを受けるのです。(それでも、プライド高い六条御息所としたら、自分が第一でないことに面白からぬ思いを持つのは必定ですが。)
それが、正妻の威光を笠に来て意趣晴らしのように襲いかかってこられてはたまりません。

葵上方にも言い分はあるのです。源氏が正妻の葵上としっくり行かないのは公然たる事実です。その原因は葵上自身にもありますが、もう、既にこの時二条院には紫上が大切に秘匿されていましたから、そちらに、心を奪われている、ということもありました。それより、何より藤壷に夢中の時でもありました。
それらが全て、今現実に目の前にいる六条御息所への攻撃となってしまったのです。

本来は御息所にしても同じ原因で、同じ憂き目をみていたのです。しかし、この仕打ちは六条御息所の耐えに耐えていた、忍びに忍んでいた神経を直撃してしまいました。
御息所にして見れば、あんな左大臣の娘というだけのチンピラ娘に正妻の座を奪われているだけでも口惜しいというのに、そんなやつらに衆人注目の中にバカにされ、踏みにじられた、ということは、耐え難いことでした。

「御息所の心の深みには、自分ほどの高貴な立場の女が、左大臣の娘に正妻の立場を奪われ、いつまでも世間に脅えた情婦の立場でいるなんて、許し難いことではないかという口惜しさが、一刻も消えたことはなかったと思われます。その口惜しさも、煎じ詰めれば、御息所の傷つけられた自尊心の生み出すものでした。」(瀬戸内晴美「古典の女たち」より)

そこには、源氏に対する執着よりも、葵上個人に対する嫉妬よりも、六条御息所自身のプライドが傷ついた、ということが優先されています。勿論意識の底にはそれらがあるでしょう。でも、今大事なのは自身のプライドが傷ついた、ということなのです。
この時代の貴族にとっては体面ということは第一に考えられるべきことでした。また、先にも言うとおり、源氏物語の女君たちはそれぞれが高いプライドを持ち、それによって己が人生を全うして行くわけですが、それでも、これほど、強く源氏を愛しながら、更にその愛よりもなお強いプライドを持って生きようとする女君はおりません。そして、そのプライドと言う意味の中には、他の貴族や女君たちの体面という意味合いよりも「自我」という部分が大きく処を占めているのです。
「我思う、故に我あり」と考証したのはデカルトですが、六条御息所は、というより紫式部はそれに先立つ5〜600年前に独自の「情念論」を打ちたて、真理の根源としての自己を求めていたのではないのでしょうか。

その辺のところを、円地文子氏の「源氏物語私見」では
「六条の御息所は男の中に摩滅することのできない自我に身を焼きながら、現実のいかなる行動にもよらず、憑霊的な能力によって、自分の意志を必ず他に伝え、それを遂行させねばやまぬ霊女なのである。」と述べています。

思えば、葵上の枕上に物の怪として徘徊し修験者の焚く芥子の香りに包まれて、ふと、自邸で正気に戻る時、
「あやしう、我にもあらぬ御心地をおぼし続くるに、御衣などもただ芥子の香にしみかへりたり。あやしさに御ゆするまゐり、御衣着かへなどし給ひて、試み給へど、なほ同じやうにのみあれば、わが身ながらにだにうとましうおぼさるるに」というところなどは、夫を唆してダンカン王やバンクォーを暗殺させたマクベス夫人が夢にうなされて何度手を洗っても血が落ちないと嘆く様子を連想させて、御息所の神経がもはや常人のそれとは言えない様子も窺えます。
神経症や精神病医学も発達していないその頃に、こういう症状を描き出した紫式部の慧眼と筆致には、現代の私達の到底及ばぬ洞察力を感じぬわけには行きません。
と同時に、六条御息所には憑霊現象というヴェールの下にかなり現代的な要素が隠されているようにも思われるのです。

そう、現代といえば、寂聴氏が「私の源氏物語」の中で、
「これが現代の小説なら、自分はあの人の子を産めない立場で堕ろしているのに、とでも書きたいところである。御息所と源氏はずいぶん長い間のつきあいなのだから、その間に御息所が一度や二度妊ってもいいはずである。源氏は二十二歳、御息所はまだ二十九歳だから懐妊しても不思議ではない。むしろ四、五年もつづいた間柄の中で懐妊しなかったことが不思議なくらいである。現に藤壺はわずかの逢瀬で、源氏の子を妊っている。すでに前東宮との間に女の子を出産している御息所が石女であるわけはないのである。」と述べています。このあたり、寂聴氏の面目躍如というところでしょうか。

再び円地氏の「私見」ですが、
「一体紫式部は理知的な作家で、死霊生霊など、当時の当時の文献に多く現れてくる現象であるのに、『源氏』の正編中では、六条の御息所にだけ規定して、憑霊の働きを述べているだけで、他には名指しされるものの毛は現れない。(宇治十帖の浮舟の家出の時に、美しい男が誘い出したのが物の怪として扱われている。)
それだけに、唯一の、霊能力者の司宰者としての六条の御息所の存在は、『源氏物語』の全巻を通じて、重い役割を担っていると私は思っている。」とのべています。

また、対談集「源氏物語のヒロインたち」の中では、竹西寛子氏と、
竹西――ほんとうに、六条御息所の影響は、後々まで続いて・・・。藤壺の存在も大きいですけど、ふつうの賢い女という気がします。
円地――ふつうに美しくて、この上なく教養があって、だれが見ても素晴らしいと思う女性です。だけど、ドラマチックにおもしろいのは、やっぱり御息所のほうですね。
竹西――それまでの日記や歌物語に、あのような女性はまずいなかったんでしょうから。人間の意識と無意識、情理の調和と分裂の問題としては、現代人のことでもあります。
円地――自分ではどうにもならないのね。
竹西――はい。二十世紀の御息所が書かれる可能性も無論あるでしょうが、『源氏物語』の場合は理屈っぽくないのですね。御息所が物語の中に自然に置かれて、観念も論理もなまではないのに、全体をがっしりつかんでいる。
円地――御息所がいるおかげで、『源氏』というシンフォニーが、複雑になっていますよね。

更に、先の「私見」の中では、死霊となった御息所が紫上や女三宮に取り憑いたことについて述べていますが、これは、次回に。



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