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6月6日(火)「光源氏と紫上-1」 ジゴロとその妻

さてさて、紫上にとりかかりましょうか。というと、これはもう、源氏と一緒に語るしかないのでは、と思っております。
なぜなら、私は、光源氏と紫上は表裏一体の、あるいは光と影の、もしくは同一人格の、存在だと考えているのです、少なくとも一部の段階では。そして、光源氏自身は、二部に到った段階でも、恐らく、そう信じて疑わなかったはずです。ところが、二部の紫上は、光源氏の思惑を離れて、一人飛翔してしまう、そのすれ違いが、柏木と女三宮を中心とする「若菜」の輝きに、より暗い愛憎の底無し沼の藻のゆらめきを与えているのではないか、と考えるのです。

私は「六条御息所」の章で、「源氏物語」は表表紙紫上、裏表紙「六条御息所」、背表紙「源氏」と書きました。背表紙を見て手に取れば「紫上」の表紙が見え、読み終わって本を閉じれば、そこにあるのは「六条御息所」の肖像だと思っているのです。

AERA別冊の吉海直人同志社大学助教授の「平安文学における乳母の存在の重さ」という文章の冒頭に――
ノーベル賞作家の川端康成は、短編『住吉』の中で、「源氏物語」のあんなに多くの主要人物がほとんどすべて孤児、すくなくとも片親のいない人達」(森本穣、平山三男編『注釈遺稿「雪国抄」「住吉」連作』)と述べている。川端が具体的にどの人物を念頭においていたかはわからないが、なるほど『源氏物語』の主要人物たる光源氏も紫の上も、早くに母親と死別していた。また、桐壺更衣・空蝉・夕顔・末摘花などの女性達にして藻、父親不在が彼女達の運命を大きく左右しているようである(桐壺更衣以外は母親の存在も描かれていない)。
両親とも不在の孤児に関してはひとまず措くとして、「片親」という設定はそのパラドックスたる「一人子」とともに、どうやら『源氏物語』の親子関係を考える上で看過できない要素のようである。つまり物語りは両親揃った平凡な親子関係よりも、片親(あるいは片親不在)の方をよりきょうちょうしているのである。
――とあって以下は本文の「乳母の存在の重さ」に繋がっていくのですが、ここでは、この「親なしっ子」のことを取り上げて見たいのです。

私も、小学生の頃、最初に読んだ「小学生用の源氏物語」の段階で「親無しっ子」のことには気がついておりました。しかし、児童文学の主人公たちは以外に「親無しっ子」が多いのです。竹取物語、落窪物語、鉢担ぎ、欧米文学ならフランダースの犬、アルプスの少女・・・みんな親にはぐれた主人公が周囲の善意に助けられて、自分の努力も実らせて、そして幸せを掴む、というパターンが多いのです。
ただ、主人公二人ともが「親無しっ子」というのは珍しいなぁ、とは思っていました。たいていどちらかには親がいて、そのどちらかの親が応援したり邪魔したり、というパターンで、二人とも「親無しっ子」というのは、本当にめずらしかったのです。

思えば、紫式部も母を早く無くした「片親育ち」の娘でした。そして、彼女自身結婚後二年あまりで夫宣孝を亡くし、娘の賢子は片親になります。では、その「片親育ち」の父子或いは母子の親子の情の濃密さが「源氏物語」に現れているか、といえば、私は決してそうは思えないのです。
確かに桐壺帝は、源氏のことを死して後まで、案じつづけることもあり(「須磨」の亡霊?)、藤壺は冷泉帝の東宮位を守るために落飾しますが、はて、その後は・・・明石御方が明石姫を思いやる、というのはまた別の、明石一族の野望の先鋭としての意味合いが大きいように思われます。女三宮に到っては、薫の存在自体をどう思っていたか、定かとも思えません。

概して、「源氏物語」の登場人物は親子関係にクールです。それは男女の物語としての密度を損なわないために、あえて紫式部がそう描いたのかもしれません。確かに乳母制度が確立していたこともあるでしよう。現実的な問題として、医療の行き届かない時代では両親揃って健康で長生きと言うほうが珍しかったかもしれません。それでも、私は、「源氏物語」の「親無しっ子」たちに、一つの意味を感じているのです。

まず、光源氏と紫上。厳密に言えば、源氏には、23歳まで父帝がいたことになりますし、紫上に到っては兵部卿宮は式部卿宮となって、「若菜・下」で紫上が一時絶え入る時にはやってきますから、生きているだけは生きているのです。
しかし、帝というのは、父であっても世間一般の父親ではありません。父親としての意思より公人としての義務が先立ちます。退位後の「院」となっても、「父親」としての意思表示ができることはかぎられており、また、12歳で元服した時から、源氏自身のほうに帝に甘えることはできない、という自覚も生まれてきたことではあったでしょう。
紫上にとってはましてのことです。源氏と新枕を交わした後には自分自身の天涯孤独の身の上を噛締めることは多かったと思います。
こうして「親無しっ子」ふたりが翼を寄せ合う下地が作られていたのです。

そう、源氏には岳父がいました。人品卑しからず源氏を心から慈しんでくれる善き人でした。肝心のその娘としっくりいかぬまま死別した後にも、様々な心遣いを見せてくれる人でしたが、やはり、彼には実子の頭中将がいました。そこにたとえ婿君としても、甘えきるわけには行かなかったでしょう。

源氏が、紫上を手許に引き取って育て始めたのは、勿論藤壺の形代としてですが(思えば柏木の猫も女三宮の形代ですねぇ)、源氏の心のうちに、自分だけを見つめてくれる存在を熱望する思いもあったと思われます。もう、あの時は、藤壺・空蝉を犯し、六条御息所をたらしこみ、さらに夕顔と危険なアバンチュールの果てに横死させた稀代の蕩児であったわけです。そんな源氏が、病を得て、都を離れ、自分の天涯孤独な身の上と対峙していた時に出遭った女君こそ自分と同じ運命の紫上ではありますまいか。
その時から、二人は一体となって同じ運命の道を歩みはじめます。

藤井貞和東大教授の「源氏物語入門」では、「源氏の子を産む」藤壺と明石御方を「運命の女性」と位置付け、紫上を恋しい女性とおっしゃっていますが、私としては、それは逆ではないかと考えます。
藤壺も明石御方も恋しい女性であって源氏の子を生み、確かに、それによって「源氏の運命」が開かれていくのですが、その源氏の運命を源氏とともに享受するのは、他でもない一蓮托生と思われる紫上なのです。もし、藤壺・明石を「運命の女性」と位置付けるなら、それは「源氏と紫上」ふたりにとっての運命の女性なのです。

そう、源氏がジゴロとするならば、紫上は己が意思にかかわらずジゴロの妻を演じなければならぬ運命にありました。それが「六条院の女主人」の役回りだったのです。




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