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8月8日(火)「光源氏と紫上-4」 紫上のヒロイン性A山本健吉氏の『原(ウル)源氏物語』

だいぶ古い本からの引用で恐縮なのですが(それ以降新しい研究が進んでいたならなんとも茶番!ということで)、昭和35年発行の山本健吉著「古典と現代文学」に述べられている「源氏物語」を紹介したいと思います。これはその書のあとがきにもあるとおり、昭和30年に「群像」1月号〜10月号に掲載されたものです。
その第2章に、「戦後、国文学者たちの『源氏物語』研究は、その成立論にしぼられて来ているらしい。」という書き出しで、様々な成立論のあることにも触れ、

――だが、作者が複数であるという推論の成立する根拠はきわめて合理的なものと思われ、今日ではもはや、この物語を単純に紫式部の作品とする根拠のほうが崩壊に瀕しているとみてよいであろう。それは『源氏物語』の性格が、紫式部の時代としては、きわめて当世風の写実小説でありながら、古い、非個性的な文学的要素も、きわめて豊富に抱合しているからである。そして、成立論の焦点は、結局文献の外に『原(ウル)源氏物語』を追求する一点にしぼられて来るだろう。

ということを述べられています。成立論については、また後日のこととして、ここに述べられた『原(ウル)源氏物語』こそ、紫上のヒロイン性を問う大きな鍵となっています。
また、種々の成立論を後回しにするとしても、ここで触れておかなければならないのは、武田宗俊氏の説で、それについて述べ、更に折口信夫氏の講義において述べられた折口説の紹介へと続いています。相変わらず長い引用で恐縮ながら、

――『原(ウル)源氏物語』の問題は、第二部・第三部は後で書き綴がれたことを明らかとして、第一部の分析的解明が中心となっている。その中で、もっとも、問題を提供したのは、武田宗俊氏の説であって、氏は第一部を紫上系と玉鬘系とに分け、前者を長編的構成の巻とし、後者を短編的な巻としている。(ただし、武田氏は、その区別が長編・短編という形式の区別から来るのでなく、人物・事件の展開――筋が二つに分かれているからだとする。)―中略―紫上系17帖・玉鬘系16条の巻名を挙げ―そして、紫上系の一貫した主題の中に、玉鬘系の短編は、長編の筋を中断する異分子として後に挿入されたもので、『原(ウル)源氏物語』は光源氏とその恋人藤壺・紫の上・明石の御方との関係を中核とする紫上系十七帖であつたとする。―中略―だが結局『原源氏物語』が紫上をヒロインとする長編物語にまで、圧縮して考えられるようになって来たことだけは言えるだろう。
渡氏は、学生時代に、折口博士の講義において、紫式部が、この物語を書いたとすれば、『若紫』あるいは『若紫』を中心とするいくつかの巻々であろうということを、聴いたことがある。ある物語の根幹ができ上がれば、当時暇で物好きな連中はたくさんいたのだから、その物語の後を書きつぎ、また主人公その他いろいろの登場人物達の前歴をも書き加えて、前に付け足すことにもなる。また一人の登場人物の運命を深追いして、物語の本筋から言えば、物語の枝葉にわたる部分も出来、これは昔から並びの巻とも言われている。この書き足しは、おそらく鎌倉時代に近いころまで行われていたのであって、元来女房の文学であったものが、隠者階級の手によって書きつがれている気配があり、ことに第二部・第三部の巻々の文脈に、隠者たちの手がちらついて見えるのである。

と述べています。
そして同著の第三章では、更につっ込んで、折口説と自説とを展開しながら、紫上のヒロイン性を模索し、検証しているのですが。

――紫の上の一生を書いた部分が、『原(ウル)源氏物語』あるいは『原(ウル)源氏物語』の一つであることは、一応定説と見てよいであろう。―中略―紫の上は女源氏であつて、臣籍へ下ったのであるから、后とは言えないが、親王の御子であるから尊い女性である。―後略―
紫の上はこの物語のヒロインであり、当時の理想的な夫人像として描かれている。この物語には、愛すべき女性たちが数多く描かれているが、藤壺の后を除けば、紫の上に比してすべて何か欠けるところがあるのだ。だが私は、この物語のヒロインは紫の上と藤壺と、一体どちらであろうかという問いを折口博士にしたことがあった。「やっぱり紫の上でしょうね」と博士は笑いながら答えられたが、私が通説に対する反抗を試みたくなったのも、理由の無いことではないのだ。

とありまして、そこから紫上VS藤壺のヒロインの二重性に話は突入して行くのです。

――たとえ紫の上がヒロインだとしても、藤壺は傍系的な登場人物とは言えないからである。それに物語全体に投げかけている藤壺の影の濃厚さ、物語の主題を形成しているその存在の重要さにおいて、藤壺は他のいかなる女性とも、紫の上とも比較にならない。
『源氏』における藤壺と紫の上とは、いわば二重ヒロインとして、この物語に位置を与えられているのではなかろうか。これを現世の写実的小説として見るとき、そのヒロインは紫の上以外でありえない。現実の女性として、彼女は当時の理想的女性像としての形姿を与えられている。彼女は光源氏によって幼少の頃から養育され、理想的に形成された女性なのである。それは神聖な女性を養って、それが成長して神格の完成するのを待つという、日本における古い物語の一つの型だと折口説に言う。例えばかぐや姫の物語である。そして神聖な女性とは、神に仕える最高最貴の巫女である。―中略(ここで紫上の徳の具体例を挙げて)―
ところが藤壺の美しさは、同じく完璧なものであるが、超現実的・幽玄的な美しさなのである。このことは物語作者が、あたかも物惜しみするかのように、藤壺の姿を垣間見せるに過ぎず、それもうちかすめて描き出した形姿をしか、読者の前にしめそうとしないことにも現れている。そしてこのことは、この物語に現実的と超現実的との二つの主題が絡み合っていることを物語るものでもある。

偉大な文芸評論家である山本健吉氏の述べられた説や、その師であり、近代源氏研究の原典とも言える折口博士の説に首を傾げるのは何たる身のほど知らず!なのですが、第二部・第三部隠者説!
私は、どうも?なのです。
勿論、文法上のことなど踏まえてのお説なのでしょうが、私としては、確かに第三部に到っては、かなり本編(第一部・第二部)より後に書かれたと思えるのですが、書き手は隠者などでなく、かなりなアプレのように思われてならないのです。勿論、宇治十帖全体を覆う宗教色の強さは感じますが、その求める宗教はは、隠者の求める宗教ではなく、現世を謳歌しながらものた打ち回るアプレたちのそれのように感じているのです。宇治十帖はナマなのです。非常に青臭く、生臭くライブ感覚の、俗に言う (ワイドショーの、と言っては貶めるようで忸怩たるものがありますが)再現ドラマという感じなのです。本編にあれだけ鮮やかな政治的感覚にも乏しいですしね。これについては後日。

で、さらに藤壺と紫上の二重ヒロイン説はうなづくところがあるとしても、やはり藤壺の存在は光源氏の原罪としての存在であって、「源氏物語」としてのヒロインとしては、やはり、?というしかないのです。
勿論「源氏物語」のテーマとして藤壺自体の存在は大きいけれど、では彼女が源氏物語全般に亘る影響を与えているかといえば、どうなのでしょう。もちろん「主人公の原罪」であるならば、「作品自体の原罪」でもある、と言われれば、それまでなのですが、果たして・・・藤壺がなければ紫の上はないのでしょうか、そういう意味の二重性といわれるならば、これは確かに二重ヒロインというのだろうな、とは思うのですが。

私としては、藤壺は源氏にとっての原罪であり、紫上は源氏の栄華の象徴である、と考えております。
桐壺帝と更衣との純愛の中に生まれた源氏が、藤壺との間に背徳の種をまき、紫上という共同経営者を得て、その背徳の種を育て栄華を得る、そこで、紫上はその背徳によって得た栄華の象徴になるわけです。紫上が光り輝く時、その背徳の栄華の絶頂も極め、そして、その栄華の象徴たる紫上が死ぬ時光源氏の栄華もまた終わるのです。
「若菜」を見れば、それは一目瞭然ではないですか。紫上の病とともにその栄華の蔭りが見え始めて来ます。その病のもとは、といえば、光源氏が紫上に与えた衝撃、心労が元なのです。源氏と紫上は互いに相呼応し栄光に輝き、汚辱にまみれるのです。

そう、もう一度問いたい、果たして紫上は藤壺が無ければ存在しなかった女性なのでしょうか?
否、と言いたいのです。あれだけのセンセーショナルな登場のしかたをした女君です。もし藤壺の縁で無かったとしても、必ずや同一の道筋を辿ることになったでしょう。ただ、藤壺の縁というのは、確かに作品にある種の重さと色合いをつけたとは思うのです。

大体、藤壺にしてからが、実母桐壺更衣に似ている、ということから出発していますが、それが、作品の展開の上で大きなポイントになっているかというと、どうなのでしょう。
勿論、桐壺帝が藤壺を傍に挙げるきっかけになり、源氏が心を寄せるきっかけにはなっているのですが、「源氏物語」の作品上の展開の上で、桐壺更衣と藤壺が似ていることで、どのような葛藤が生まれたか、ということはないのです。
私は、「藤壺」(1999年5月13日)の中で、桐壺帝の心の葛藤を勝手に想像して書いたのですが、本来なら作品中に、そういう表現があってもおかしくないと思うのに、ないのです。ただ、これも後日纏めて書きたいことの一つなのですが、このあたりは、全くメルヘンチックな主人公の生誕説話ふうな形で書いてあるように思えて、それならば、仕方ないかな、とも考えています。
また、源氏の藤壺に対する恋をエディプスコンブレックスとして表現していますが、だからどうなの?というほど、作品上ではそれによって生み出される葛藤が(「若菜」に到るまで)無いのです。そして、それは、桐壺の更衣と藤壺が似ている、ということは桐壺帝と源氏に与えられる免罪符に過ぎないと思われるのです。桐壺帝にとっては、更衣の死後新たな女性を傍に上げることへの、源氏にとっては、父の後妻を奪うことへの。
紫上にしてもしかり、です。はじめは、藤壺の縁、ということが強調されるけれど、紫上の成長とともに、彼女自身の魅力を語るだけに留まって、藤壺との縁のなかで源氏と紫上がのた打ち回ることもない、あの人はあの人、この人はこの人、なのです。
ただ、やはり「若菜」に到って、藤壺・紫上・女三宮という「紫の縁」のトライアングルが映し出される時、「源氏物語」は「紫の縁」に彩られた物語なのだと、うなづきはしますが、それにしても、それまでがあまりに弱い。紫上が出現した時から、藤壺は徐々にその存在と影響力を隠して行きます。まるで、彼女自身、弘徽殿一派から冷泉帝を守るために落飾したように、表舞台を徐々に後ずさりしていきます。そして、紫上から藤壺に言及する問いかけは一切ないのです!!
そう、桐壺更衣と藤壺は似ていた、しかし、紫上と藤壺は縁とは言え似ていたのでしょうか?紫上と桐壺更衣はどうだったのでしょう、似ていたのでしょうか。「若紫」の巻で、の北山のすき見の場面では、
「さるは、限りなう心をつくし聞こゆる人に、いとよう似奉るれるが」という表現があります。また「賢木」では、藤壺に手ひどく拒まれている源氏が、物陰から藤壺の様子を除き見て、「かんざし、かしらつき、御ぐしのかかりたるさま、限りなきにほはしさなど、ただかの対の姫君に、たがふ所なし。年ごろ少し思ひ忘れ給へりつるを、『あさましきまでおぼへ給へりつるかな』と身給ふままに、少し物思ひのはるけ所ある心地し給ふ。」とありますから、このころ(紫上14〜5歳くらい?)はよく似ていたらしいのですが、長じて後は、紫上自身の美しい様を書き出だすことに汲々として、藤壺!?は!?というように思えます。それより、もう、この時は、紫上が藤壺に似ている、という感じ方ではなくて、藤壺が紫上に似ている、という感じ方をしているのです。源氏の心のウェートが次第に紫上にかかってきている、と思うのは私の勝手でしょうか。

さて、長々と偉い先生達の理論に蟷螂の斧のような疑問をさしはさんできましたが、結局、私としては、面白みは薄いけれど「源氏物語のヒロインは紫上」と思っています、ということです。

そう、「面白みの薄いヒロイン」に面白い説がありました。AERA別冊「源氏物語がわかる」のなかで、元・藤女子大学教授の藤村潔という先生が「源氏物語の中でもっとも興味深い人物とその理由」というところで書いていらっしゃいます。以下――
紫上――どの登場人物もそれぞれに面白いが、物語全体を通して、最も興味深いと言うことになると、やはり紫上ということになろうか。紫上は藤壺宮の身代わりとして源氏に愛され、夕顔の身代わりのようなタイミングで、二条院に迎え取られ、葵上と入れ替わるようにして源氏の妻となり、明石姫君が生まれると生母に代わって彼女を育て、東宮女御として入内させた。
この関係は、藤壺宮の姪である紫上が、宮の代わりとして源氏に愛されることによって、予言された源氏の三人の子の生母全てに身代わりとしてかかわっていることを意味する。これが源氏物語の第一部(桐壺〜藤裏葉)における紫上の在りようである。
そうした紫上の物語の全体は、義母たる藤壺宮を冒し、彼女と結婚することなく一子を得た源氏に対して、養父たる源氏に冒され、彼と結婚したにもかかわらず、遂に子を生むことの_ことで、「対称的であべこべ」の関係を構成している。

ここでは「源氏物語を読む十五人」ということで、専門の先生方が書かれていますが、「紫上」を「最も興味深い人物」に挙げたのは、この藤村先生お一人でした。

そうそう、まだ山本健吉氏の「古典と現代文学」の中には「源氏物語のヒロイン考」として大事な説が載っていました。それはまた次回に。



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