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1月30日(火)インターミッションB

年末からひいた風邪が長引いて、今年初めての源氏店になってしまいました。
それで、まだ、長い文は打てないのと、ちょっとショックな事があったので、そのことなどをつれづれに。

源氏物語ミュージアムなどを抱える宇治市が主催する「源氏物語文学賞」の記念フォーラムがテレビで放映されました。
前半は選考委員長梅原猛氏を司会として、田辺聖子・瀬戸内寂聴の鼎談、後半はNHKの桜井洋子アナウンサーの司会で、俵万智を聞き役に、各回の受賞者江國香織・村田喜代子・川上弘美の、まぁ五人の対談ということでした。
それぞれ、前半一時間・後半二時間を大幅にはしょって一時間のうちに収めてしまっているのですが、当然のことながら、前半の密度の濃い、丁丁発止という鼎談に比べると、後半冒頭で江國香織が、「なんで、前半が一時間で、私たちが二時間なんでしょうね。私、あんなに喋れません」と言った弱音が、正しくずばりで、聞いているこっちがはらはらするようなボキャ貧振りで、言葉のプロの桜井洋子がイライラしているのがわかりましたし、俵万智があきれているのもよくわかりました(^_^;

まず、梅原・田辺・瀬戸内鼎談の方ですが、

番組外のところでは、「紫式部文学賞」選考過程の話などもあったのでしょうが、番組では、もう「源氏物語」の内容に入っていました。
寂聴氏の「女人成仏」論についての話から、宇治十帖に出てくる「横川の僧都」についての扱い方で、
源信をモデルにしていると思われるけれど、浮舟に泣きつかれるとホイホイと出家させたり、出家した浮舟に薫から便りがきたとたんに還俗を勧めたり、というのがいかにも俗っぽく、高僧だの、徳が高いだのといういかにも尊敬しているように書いているけれど、実はかなり批判的なのではないか、という意見があり、「円地さんは嫌っていたのよ」と言うことでした。
でも、寂聴氏としては、大きな慈悲心で、一度出家したからには、もうそれで、出家の心は御仏に届いたのだから、現世の幸せを求めてみたら、という大慈大悲の心だと思う、とのことで、田辺氏も「私もそう思う」と一致していました。

田辺「殊に、最後に小君に声をかけられても振り向かない、という場面は素晴らしいです」と言い
瀬戸内「そうです、あれは、ああいう最後の場面を設定して終ったんですね。」
田辺「そうですね。薫がつまらない想像をしてるのにね。」
梅原「あれはいいですね。僕はヘミングウエイの『武器よさらば』の最終場面を連想してました。
瀬戸内「男って、なんでああいうつまんない想像しかできないのかしら!?」ということでありました。

形成不利と思ったか、梅原氏から「お二人はあのたくさんの女性達のうちで誰がお好きなんですか?」と言う問いに
田辺氏は「私はもう紫の上」 そりゃそうでしょう(^.^)
瀬戸内氏は「私は朧月夜」 え!え?六条御息所じゃないのぉ〜!?まあ、以前から朧月夜も好きだとは伺っておりましたが・・・(^_^;

で、寂聴氏は田辺氏に「紫の上って、あの人はほんとに可哀想な人ですね」とおっしゃる。はいはい、そういうお説でしたね。
瀬戸内「私は、以前はあの人は何にもないつまらない人だと思っていましたが、この頃、あの人くらい不幸な人はいない、と思うようになりました。あの時代、みんなが、出家して後生を祈って一応の安らぎを得て死んでいくのに、あの人だけは出家できないんですね。」とお続けになります。これには、田辺氏は不服そうで、
田辺「そうでしょうか。紫上は、自分の産んだ子ではないのに実子同様に可愛がって、その上、入内の時には、もう、私では話しにくいことも出てくるでしょうから、といって、明石上に後見を頼んで、自分は身を引くんですね。あれはできないことですよ。」と紫上の優しさに感激なさっているご様子です。そこで、瀬戸内氏が「でも、その子を明石から取り上げたじゃない?」と言われると、梅原氏が、
「いや、取り上げたのは源氏でね、あの時代としては、明石上の子のままでは出世できない」と助け舟を出します。
梅原「でも、源氏もちゃんと紫上の恩を忘れてはいけないと明石姫にいいきかせますよね。ああいうフォローを、男はしなくちゃいけないんだな」と言うようなことで、「瀬戸内さんが朧月夜を好きなのはどうして?」とお聞きになります。
瀬戸内「派手で華やかでしょ、あの人が出てくると、ぱ〜っと場が華やかになるじゃありませんか。それで、源氏と朱雀院と両手に花で」とおっしゃる。田辺氏は、これにも同意できない顔です。田辺氏の源氏解説の中に「朧月夜は朱雀院の出家によって捨てられる」という表現がありましたからね。別に捨てられた訳じゃないと思うけど、朱雀院は出家するときもこの人を気がかりにしていたはずだし、ま、お嫌いなんですね。

あ、どこの部分でか「源氏本人を好きか嫌いか」という問いが梅原氏から出されて、瀬戸内氏は大嫌い、とおっしゃっっていましたが、田辺氏はお好きと言っていらしたかな。
瀬戸内氏が「谷崎さんは源氏が大嫌いだったそうですよ。それに比べて、円地さんはとてもお好きで、生きていたら、一度お願いしたかったわ、と笑っていらしたわ(笑)」とのことでした。梅原氏も「ああ、そう、お願いしたい、ね(笑)」と受けていました(^.^)
こういうジョークは田辺センセはお好きでないのか、シランフリ(^_^;

まぁ、ちょつとうろ覚えのところもありますが、なんてったって風邪引きのベッド中で、メモもとらずにおいたものですから、言葉もニュアンスも多少の違いはあるでしょうけれど、まぁ、こんなところでした。
最後に「どうなることかと思っていたけど、平和に終ってよかったな」と梅原氏から一言!はいご苦労様でした(^.^)


さて、後半の俵万智司会の紫式部文学賞の受賞者の座談会ですが、冒頭でも書いたようにかなりひどいもので、まず、源氏物語を読んでいるのは、田辺源氏を読んでいる江國香織だけ。村田喜代子は、受賞したとき、少し原典を読んだだけ、現代語訳を読むのと印象が違う、と言っていましたけれど。あと、川上弘美が田辺源氏をちょっとだけ読んだ、とかいうテイタラク!!おいおい。
さすがに、司会の俵万智は、受賞者ではないけれど、今どこかの雑誌(文芸春秋)に源氏物語の中の和歌をピックアップして解説しているとかで、まして、もともと高校の国語教師だったわけですからね。原文だって多少はかじっている筈だし、全文制覇しているかもしれません。

それにしても、そんなことありなのでしょうか?いやしくも文学者としてある者が、その名前を冠した文学者の作品を知らずして受賞するなんて考えられないことですよ。昔、深沢七郎氏は、川端康成文学賞を辞退して、その直後に谷崎潤一郎文学賞を受けた!これは、深沢氏自身が川端康成の体制的な性格を嫌い(政治家に擦り寄るような?)、反体制的、というか、アンチモラルの具現者でもある谷崎氏に大きな共感を得ていたものと言われています。
芥川賞・直木賞というような個人的正確が薄められてただ単に文壇への登竜門と言うだけにされてしまった賞ならともかくも、個人名が冠せられた賞には受けるほうにも、やはり、それなりの覚悟と共感が必要なのではないでしょうか。
よくも、読んだことの無い作家の文学賞をもらえるな、と思うし、また、受賞後何年もたっているのに、その原文どころか、現代訳さえ読もうとしないとは、現代の女流作家たちの感覚って何だろう?と大いに疑問があります。

座談会に交わされるボキャ貧ぶりも唖然とするもので、いくら作家は書くのが商売で、話すことは苦手だと言っても、今自分が思うこと、考えていることくらいはとつとつとでも述べられないものでしょうか。
桜井洋子アナが何を聞いてもはっきりした答えはないし、挙句の締めで、これから書きたいもの、読者の要望にどう応えていくか、など伺いたい、という問いにも、まず江國さんから、と名指しされて、「私は〜、あのう、あのう自分の書きたいことしか書かないので、読者の要望に応えるといっても・・・むにゃむにや」と言いよどむ。そこで臨席の村田喜代子が「わかる、わかる」と助け舟を出して、「それを言い出すと長くなっちゃうから・・・私も自分の書きたいものしか書かないし、みんなそうだと思うのよね」と川上弘美にあいずちを求めて、今度は「そうですよね」などと適当なことを言う。

ネ〜、それをいうならさぁ、「私は、今まで自分の書きたいものしか書いてこなかったから、これからもそういう書き方をすると思います。それが読者の方タチの要望に応える形になれば理想ですが、もし、読者の要望があっても、自分の書きたくないものは書けないし書かないと思います」くらいのこと、いえないのでしょうかね??
桜井アナもかなりうんざりしていたし、最後に俵万智に水を向けたら、「私も、この源氏物語の中の和歌に取り組んでみて、思意を伝える実用品としての歌に惹かれている、丁寧に恋を発展させていく過程にも関心が深く、一層よい解説をして紫式部文学賞を受けられるようになりたい!」などと言って会場から大きな拍手を得ていました。な〜んて、かなり、この受賞者達に対して皮肉だったのではないかしら?もっとも、桜井アナもお決まりの質問とはいえ、相手を見てすればよかったのに、と思いました。

別に源氏物語を読んでないから、と言うわけではないのです。源氏だけでなく、この人たちは古典というものを読んだことがあるのか、と疑ってしまうくらい言葉に対して野卑なのか無知なのか。大体、座談中、どういう動機から作家になったか、と言う質問では、川上弘美が「私は、村田さんの○○(書名忘れた)を読んで、これなら私にも書けるかな、と思って」と言うのですよ。変な意味じゃなくて、とかなんとか言い訳っぽい前ふりもつけていましたけど、たとえどうでも、先輩作家の本を読んで、「これなら私にも書ける」というのはあまりにも失礼なんじゃないのでしょうか。それを聞いて、村田喜代子も別にムカっと来てる風もない!私にはこれがわからない!!!

これじゃ小説と漫画が同等に扱われても文句は言えない。現代の漫画家は「学歴的」にも、文学者と遜色無い人も多いし、自分の書きたいと思うものには貪欲な研究もする、一家言ある人も多いし、聞かれたときには単純明快に自分の意志を伝えてくる、なんだか悲しくなってきましたね・・・
私は、歌人としての俵万智は、あまり好きではないし、ああいう和歌の取り扱い方には不満も多いけれど、少なくも、今夜の彼女達のボキャ貧振りに比べれば、やはり言葉のプロとしての自覚があるし、気概も感じられました。桜井アナとしては、けっこう気に入った仕事だったでしょうに、終ってみれば・・・どうだったでしょう。

それと個人的に一番残念だったのが村田喜代子!今、朝日に掲載中の小説がなかなか面白くて、新聞小説嫌いの私が、時々読んでいますからね。期待していたのに・・・というけで「紫式部文学賞フォーラムレポート」でした。


はい、「愚痴」の段!

去年、源氏の某サイトで「源氏研究」という定期刊行の年刊雑誌のことが話題になって、ふうん面白そうだな、と夏のボーナスを待って買ったんですが(だって、一応学者達が出している専門誌みたいなものだから、部数も少なくて高いだろうと思ってさ)、それが、けっこう素人にも面白く読める出来なので、今度は冬のボーナスを待つてバックナンバーを揃えたのですよ。一応専門誌としては2400円というお手ごろ価格だったのだけど、4冊まとめると一万円!になりますからね。
で〜、ショック!!!!!私が源氏店でシコシコ書いて来たこととか、けっこう各先生の説として載ってるのよね。そりゃ、同じ本読んで、ましてあちらは専門家、同じように考えているのは当たり前、素人の私が同じように考えているということでさえ光栄!と思わなくちゃいけないのでしょうが、第一、今までだってこういうことは何度もあって、そのたびにへこんだり、気落ちして、あ、いやいや、専門家と同じように考えられるなんて、私も捨てたもんじゃないね!と割り切ってきたのだけれど、今回はあまりに多くて、かなりへこんでしまいました(;_;)
一番悔しい!と思うのは、私がここで、自分の知恵のありったけを傾けて書いたものでも、同じ説が専門誌に載っていれば、あれはパクリ!だと思われるだろうということです。それが、一番!何より悔しいわけですよ。先にそういう説があるのを知っていれば、そうそう、私もそう思う!あ、○○氏もそう書いてるじゃないか、私ってなかなか、とさっきみたいに割り切れるのだけど・・・ま、結局は私の見栄っ張りなんだけれど。
寂聴氏の桐壺更衣の「聞こえまほしげなること」の解釈だって、清水好子氏なんかは、学者はそう思っても、なかなか踏み込んでかけないから、よくこそ書いてくださった!ということでしたけれど、時期的にどうかわかりませんが、藤井貞和東大教授も同じような解釈で書いてるんですよね。あのあたりでも、そういうバッテイングというかクロスかニアミスか、ということはあるんだから、こんなこと素人のおばさんがいうことさえ馬鹿馬鹿しくおこがましいわけで(^_^;

ま、一応ラインアップ
1.「源氏研究第一号・藤井貞和氏『などやうの人々』との性的交渉」から
「明石の君との性的な関係の終わりは野分の巻においてではないか、と私は判断する(参照「歌と別れと」)。」という記述。
私も、「明石御方付記」で、明石御方に対する源氏の愛の覚め方を取り上げて、大堰の邸のことから始まって、野分の翌朝、他の女君たちが、嵐の様に驚いて、まだまだおじたまひて何も手につかずにいるのに、明石御方一人が端然として日常的な態度にいることに違和感を唱え、その自立振りが、「なんとはなしにいつか源氏にも感じられてうとうとしく、とは言わないまでも、隔てをおくような気分になっていったのではないでしょうか。」と書きました。

2.「源氏研究第2号・古橋信孝氏『身体と感覚の共有』」から
「夕顔は内気な頼りなげな女ではない。―中略―関係ができてからも、源氏の歌に対しすぐ応えためらうことがない。物の怪に対する異常な反応は、性格的なものではなく、やはり身体で受け止めた感覚的なものなのだ―後略」という記述。
私の場合は「夕顔=秋吉久美子」のイメージから入ったかなり俗っぽいものですが、頭中将の愛にも応えた女、玉蔓という娘の才長けた娘ぶりから、外見の手弱女振りとはかけ離れたしなやかにしてしたたかな感性の中に物の怪に以上に反応するほどの神秘な部分があって・・・と書いていたのだけれど、これを、源氏店にまとめるときなくしてしまったわけで、もっと分が悪いのですよ(;_;)

3.源氏研究第3号・土方洋一氏『〔ゆかり〕としての身体』」から
「さらに光源氏と紫の上もまた大納言の娘と王族の男性との間に生まれ幼くして母を失って祖母に養育されたという著しい共通性があり、男女の違いを超えた分身関係にあるといえる。」
これはまた、私は、「光源氏と紫上A」で、北山での紫上の祖母の述懐の文を取り上げて、「これだけ読めば源氏の出生そのままが語られているようだ」とし、「二人の出生、境遇、それ自体が非常に源氏と紫上は酷似している」とも書きました。

勿論同じような説を持っていたとしても、そこまでたどり着く過程やら、それをどう発展させていくかが、また個人の思考と嗜好・感覚と学識の差があるのでしょうから、ど素人の私としては、たとえ一文でも学者先生と同じような考え方ができたということで、もって瞑すべし、というところなのかもしれません。

でもね〜〜〜。。。。




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