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6月18日(金) 「玉蔓の出処進退」
玉鬘ーーあきちゃった!
どうして、あんなに脱線してしまったのでしょうね。
玉鬘の登場が源氏の変貌の象徴って事からでしたよね。
さて、その玉鬘自身は、母親よりしっかりしている、というのは誰しも認めるところです。
ナンタッテ頭中の娘ですもん。( 私は夕顔も結構才気があったとはおもってますが)

それにしても、片田舎で育って、文化的だけでなく知的環境だってたいしたことはなかったろうに
都でもナンバーワンと思われる、俗にいうではないですか、
「○○様には及びも無いが、せめてなりたや公方様」っていう○○様である六条院に来て
それなりに順応してしまう玉鬘の凄さ!これは本当に「凄い」といって良いと思う。
持ち前の才気と吸収力と性格的にも開放的で前向きだと思います。
そこが九州育ち!でほかの女君と違うところでしょう。
明石上だって、都育ちではないけれど、明石入道が財力にあかせての擬似都育ち!
お上品ぶるのが身上と心得、何事に付けても「アタクシそんなはしたないことできませんわぁん」
って、引込み思案が女の美徳というのとはチョトチガウ。
といって朧月夜の奔放さもなく、わりと真面目で几帳面。
だから、あんな「たらしの光君」に言い寄られても、一線は超えさせない所があったのでしょう。
ま、源氏にしても、足踏みする条件は、そりゃありますよ。
夕顔の娘ってだけなら、これ幸いと手を付けてしまったろうけれど、
やっぱり、頭中の娘ってのは疎かに扱えない思いがあったろうし、
それでも、寂聴氏にいわせれば「ペッティングまではいってるんでしょ」ということになるわけです。

いろいろな男君に言い寄られた挙げ句、
一番強引で一番嫌っていた髭黒に押さえ込まれてしまうのだけれど、
源氏が彼を婿の君として認めて、嫌々ながらも婿扱いしているのに、頑として嫌がりとおす。
そのへんも九州育ちの心意気!って感じがあります。
一応内侍として宮中に上がることもするけれど、結局は髭黒邸にひきとられて
前妻の子供にまで慕われる良き母に納まってしまうのですが、
すごく現代的、合理的な身の処し方で
誰をも傷つけず、頭中なんか実父として慶びますものね。
お家の事情(既に手許の姫君を弘毅殿の女御として入内させている。)もありますし。
源氏自身も秋好中宮を立てているわけですから、
この終り方も現代( というより近代ですか?)小説のようでしょ?

というより、これは作者自身(紫式部 )かなりの政治家であるな、という気がします。
それは、六条御息所の遺児を朱雀院が望んでいることをしりながら、冷泉帝に入内させるときも、
冷泉帝の母である藤壷と密事をこらして知らぬ振りで通してしまえ、なんてところ、
なかなかの政治家ぶりで、こんなところに作者「道長説」があるのだろう、と思います。
でも、後々の江戸城大奥の話などみても、やはり後宮では女も政治力がなければ生きていけない、という
ことだったろうと考えます。

血の繋がらない娘に寄せる複雑な愛情、その娘の母を争ったライバルとの葛藤
娘を奪っていく若者と老いていく自分との対比、
一方、継父の愛情に戸惑いながら惹かれていく娘、キャリアウーマンをめざして挫折、
自分をひたすら愛する風采の上がらない子連れの中年男にあきらめのような恵をかけて
家庭を持てば、そこに安らぎの世界を得るーーーとね。

もっとも、この玉鬘のしっかりぶりに、杉本苑子氏は、「対談−源氏物語のヒロインたち」の中で、
「母親(夕顔)は流れる水が、器に従っていくように男をとりこにしつつ男のままに生きた。
そういう母親を反面教師として、『自分はしっかりしなければいけない。名乗れないような男の子を生むとか、あるいは、古御所みたいな所で生霊にとり憑かれて死ぬような生き方はすまい』と常に自分に言い聞かせた。それゆえに、必要以上にしっかりした娘になったのではないか、という気も致しますが・・・。」
と言っています。
いずれにしても、大変に現代(近代)私小説の世界で、このまま、独立した物語として平安の女房達だけでなく、
今のこの時代にも通用する小説ではありますねぇ。

この巻は、他の巻に比べると格段にエンターテーメントだと言われるのは
この辺の事からでしょうか。
寂聴氏が「わたしの源氏物語」の中で、
「こんなところが、当時の物語の読者にとってはこたえられない興味津々の場面だったのでは」
とあり、更に、
「じりじりするほど、玉鬘との間が進展しないのは、紫式部が書きながら、このふたりを
どう扱うか迷っていたように思えてならない。」と続けている。
ごもっとも。さらにまるうつしにして恐縮なのですが
「小説というものは、不思議なもので、それ自体『いのち』を持っていて、作者の思惑を外れて、
筋や人物が勝手に動き出すときがある。実作者の立場からいえば、そういう時、
つまり作中人物が作者の手におえないほど、勝手に動き始めたとき、
初めて、その作品に『いのち』が吹き込まれたような快感があり、
作品としても成功したときの方が多いのである。」

最後の一行「作品としても〜多いのである 」という所、
なぜ、「作品としても成功だ」ではないのか?
そりゃ、勝手に動き出した作中人物に引きずられないだけの筆の力が必要だよ!
って事でしょうね。
それは、勿論紫式部の筆に力があったからこそ、ここまで源氏物語が語り伝えられ、
こうして、私みたいなアホが虚構と現実のはざ間で、宇宙遊泳のようなお題目をとなえられるんす!
「紫式部の筆の力」の「紫式部単独作者論」OR「合体作者論」の件についてはまた、別の日に!

玉鬘の話については、寂聴氏の解説が一等面白い!
やはり、氏の作風に合うのでしょう。

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