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7月20日(火) 「花散里−1」花散里の出自

だいぶ寄り道をしてしまいましたが「花散里」のお話。

源氏物語に出てくる女性というのは、おおきく分けて2種類あると考えました。
源氏の人生に直接かかわり、影響を与えるタイプと、
源氏の人生に関りなく、その時、その場の彩りとして、
まさに、短編連作の一遍ずつのヒロインとして登場しては消えていく(消えないまでも脇に回る)タイプと。
それを 私は勝手に前者に「叙情の女君」、後者に「景色の女君」という名目分けをしました。

では、花散里は、どちらのタイプかというと、タイプ的には「景色の女君」です。
短編の一遍どころか一場のヒロインにもなっていない彼女。
花散里を形容する言葉といえば、
髪が少ない、かもじを使えば、とか、大体例の年の暮れの衣裳選びのときでも、
彼女に送られた物は薄藍色に波や藻、貝などの紋様の小うちぎで、織り方は艶めかしいけれど
色合いがしずんでみえる、という代物であるということ。
母代わりに育てた夕霧にさえ紫上の美しさに引き比べられて
「いかで東の御方、さる物の数にて立ち並び給ひつらむ」とか言われては立場がないではないですか。
で、そんなに、冴えない花散里が疎まれるか、というとそうではない。
これが、至極便利重宝に使われる、というか愛用されるのですよ。

光の君様は、あっちこっちの女君にいい顔してHして、あーあ、疲れたなんて感じで、花散里のもとでくつろぐのです。
まず、母を亡くした自分の長男を預けるのは、紫上ではないことに驚きます。
自分が父を裏切って義母と通じたから、それを心配して、というのは野分の巻をみてもわかりますが、
とにかく、最愛の女性に我が息子を託さない !
最愛の女性は自分専用なのです。

ま、これは、現代でさえ自分の子どもに嫉妬する幼い父親がいるから納得はしますけれど、ね。
たしかに、花散里という人は人間ができている。
大臣家の三の君にうまれて、女御にも立てられる格式もあるのに、現に姉は女御です。
朧月夜の例をひけば、姉の養女として、朱雀院(この頃は東宮)に入内してもよいのです
末には准太上天皇の称号をえたとはいっても、、
なれ初めた頃は最上級とはいえ若手貴族のひとりだつたわけで、既に左大臣家に婿入りしている。
まあ、朧月夜(こちらは右大臣家の六の君)の落とし方をみても、強引に迫ったのかもしれないが、
花散里自身にとっては、あまりよい縁組みとも思われないはずなのに。
ただ、姉か゛麗景殿をたまわって女御として入内はしていても、
弘毅殿の女御の権勢に押されたり、愛情的にも桐壷更衣や藤壷中宮に押されて、
決して幸福ではないのをしかとみて、自分自身は愛する人ならば、と思い定めていたのでしょうか。
まだまだ若き日、ごくたまに訪れたあだし男にむかって
「人目なく 荒れたる宿は橘の 花こそ軒のつまとなりけれ」という歌が胸を打つのです。
そんな、苦しい時期も上手に、というのじやないな、それなりの葛藤はあったでしょうが
まぁ、淡々と乗り越えて、自分なりの生き方を求めていくわけですよ。

そういう花散里のおおらかな生き方や人間性を見こんで、源氏が自分の跡取である夕霧を預けて、花散里の身分保証をしたのだ、とも言えます。
(そういえば、紫上は中宮の母代ですから、もっと凄い身分保証があったのですねぇ)
「薄雲」の巻の「斎宮の女御の里下がり」の段では、
「東の院にものする人の、そこはかとなくて、心苦しう覚えわたり侍りしも、おだしう思ひなりにて侍り。心ばへの憎からぬなど、我も人も見給へあきらめて、いとこそさはやかなれ。」と、花散里のために夕霧を預けたこと、そして自分だけでなく、紫上さえ、いい感じを抱いているのだと、秋好中宮にさえ言っています。

同じ「薄雲」で明石上母子の話の後に、ちゃんと「花散里の近況報告」の段があって
「東の院の対の御方も、有様は鼓の好ましう、あらまほしきさまに」棲み暮らしている様子が描かれていのですが、
「ただ、御心ざまのおいらかにこめきて、かばかりの宿世なりける身にこそあらめ、と思ひなしつつ、有り難きまでうしろやすくのどかにものし給へば、」軽くも扱われず、本邸同様に秩序だって「めやすき御有様なり」というわけです。明石上母子のすぐ後の段に比較するように出てくる、というのもあなづり聞こゆべうはあらず、といったところですか。

それにしても、「家妻」としての能力はなかなかの物で、紫上の陰に隠れて目立ちませんが(もともと目立とうというキャラの人ではないし)、染色だの、織物だの、衣裳の選び方から下の者たちへの下し物のされ方まで、紫上に劣らず心利いた人だと出てきます。
源氏の「四十の賀」のおりの嫡男夕霧の衣裳も母儀としての彼女が整えます。
右大臣家からの正妻をさしおいてのことで(雲居の雁ですけど、彼女はあまりそっち方面はだめそう)、それだけでも、大変なことです。
「なにごとにつけてかは、かかるものものしき数にも、交ひ給はまし、と覚えたるを、大将の君のご縁に、いとよく数間へ給へり。」ということになります。
そういえば、朧月夜が出家した折も、二条院に病気静養中の紫上とともに袈裟だの僧服だのを調整するのですよ。

後に、紫上の養女である明石女御が皇子・皇女を産んで紫上が、その世話に楽しそうに走り回るのを見て、
「夏の御方は、かくとりどりなる御孫あつかひをうらやみて、大将の君の典侍腹の君を、せちに迎へてぞかしづき給ふ。いとわかしげにて、心ばへも、程より、はざれおよづけたれば、おとどの君もらうたがり給ふ。」ということになります。典侍腹の、というところが、いかにも花散里らしくてよいのでは、と思いますし、その子達が、また、正妻の雲居雁の子供たちよりできがいい、というのもしっかり見込んでいるのだな、という気がします。こういうところでも、花散里が言い出すと、対抗している、という気にならずに、本気で「あら、うらやましい」と、源氏や夕霧にせがんでいる姿が想像できてほほ笑ましく思えます。

それにしても、花散里の白眉は、蛍の巻の人物評の場面でありますな。
ここに来て、さこそ、ことあるごとに、目覚しき御方々にもえおとりたまはずまじらひたもうべけれ、と
合点するのです。

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