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7月28日( 水) 「花散里−2」花散里の位置

「蛍」の巻では、五月五日の節句の宮中での催し(左近衛府の競射の手合わせ)の後、夕霧が若い貴公子たちを
大勢連れて六条院へ押しかけてくる。
瀬戸内寂聴氏の「私の源氏物語」の中に凄く良い解説があつたのですよ。
熟年夫婦のところへ、一人前に成人した息子が友達を大勢連れて帰ってくるという。
親爺殿が古女房に、「おい、なんかうまいもん、腹一杯食わせてやれよ」
といっているような情景が目に浮かぶ所です。 ピ〜ッタシカンカン!

その人騒ぎの後、勿論家庭的なお母さんの花散里にソツはなかったでしょ。
お客様が満足してお帰りになつた後、老夫婦(?)はいろいろ品評会を始めるわけです。
その品評が、その人々に応じて、外見だけの華やかさにとらわれず、内面的な品格にまで及んでいて、
「ふと見知りたまひにけり」と、一行だけの記述だが、花散里の人を見る目の確かさを述べている。
それは、いつもつつましく控えていながら、しっかと心眼をあけて冷静に状況を把握している有能な秘書、とも言えるかもしれません。
ある意味でキャリアウーマン的でさえあるのです。
自分の立場−位置を確とみつめ自分のなすべきことを、やりすぎぬよう、足らぬよう過不足無くなしきる。
たとえ、わずかのあいだでも、そこには、宮中で姉女御の世話をしたという経験がものをいつたでしょう。

田辺聖子氏は「温良ではあるが、何もワケのわからない無知の純真さと違って、批判能力のあることだ。批判能力と純真さが抵抗無く同居していることは難しいが、花散里はそういう稀有な女人なのである。」と言っています。(「源氏紙風船」)

この後、就寝ということになるのだが、老夫婦は一つ床にはいることもなく、自然な状態で別々のベッドに入るのです。
「今はただ大方の御睦みにて、おましなどもことごとにて大殿篭る。
などてかく離れそめしぞ、と殿は苦しがりたもふ。」
−−なぁに、今更いつてやがんだい!ってのは少し品降るでしょうか?
それにしても、今更に
「あいだちなき御言どもなりや。朝夕の隔てあるようなれど、かくて見奉るは心安くこそあれ」とはよういう!

花散里は「のどやかにおはする人ざまなれば、しづまりて聞こえなし給ふ。」のだ。
ここにも、私は超家庭人のような顔をした花散里の思いがけないビジネスライクな姿勢を感じてしまうのです。でも、ここには明石上のような嫌みがない!お互い共同事業者であるかのような爽快感だと思うのです。あの、嫉妬深い(?)紫上すらも、前回書いたように「我も人も――」と言うように、まぁ、これは源氏のノー天気な独り善がりの意見でもあるのでしょうが、まああたらずとも遠からず、そこそこのお付き合いをしているようです。
「朝顔」の巻では、朝顔邸通いで紫上に旋毛を曲げられた源氏が「恒例・女君批評大会」を開いて紫上のご機嫌取りをするところでも、
「東の院にながむる人の心ばへこそ、ふれ難くらうたけれ。さはたさらにえあらぬものを、さる方につけての心ばせ人にとりつつみそめしより、同じやうに世をつつましげに思いですぎぬるよ。今はたかたみに背くべくもあらず、深うあはれと思い侍る」とよくもぬけぬけと、と言いたいほど花散里をほめあげています。明石御方や他の女君たちには緊張する紫上も、花散里に関しては、何を言われても納得してしまうようで、その辺がなんとも微妙な女心です。

後に源氏の四十の賀の折りには、右大将となった夕霧の衣裳を「母」として整え、
「何事につけてかは、かかるものものしき数にも、交ひ給はまし、と覚えたるを、大将の君の御縁に、いとよく数まえ給へり。」ということになります。

円地文子と大庭みな子との対談で、彼女について
円地「自分を出さない。特に出さないんじゃなくて、自然にそういう性でしょう。
   自分がスターになることを喜んでいない人ね。」
大庭「けっして目立たないんですけど、『源氏物語』全体の構成の中では非常に貴重な人ですね。」
円地「ああいう人がいないといけないんです。」
大庭「下の方を底流みたいに流れている清水というのかな。そんな感じで、いつもさやさやと流れるせせらぎというのか・・・」
円地「それも、あんまり大きな音じゃなくて、つねに低音でね。」

あ殆ど全部写しちゃった。でも、これ大賛成nです。こういう人がいないと困る!
だけど、こういう人にとって自分とは何なんだ!?

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