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7月31日(土)「花散里−3」花散里の存在

花散里が一番好き!という人は少ないかもしれないけれど、「誰それが一番、二番目は・・・」とか、
「すごく好きという人はいないけど花散里なんかいいかもねぇ」などという言い方で
多くの人にそれなりに愛されている花散里。
そういう愛され方が一番彼女の性格にはふさわしいかもしれないけれど、
また、源氏物語のなかでも、そういう穏やかな存在感で第三夫人の地位を示されているけれど、
彼女自身としては、どうだったのでしょう。

それについては、瀬戸内寂聴がおもしろい解説を書いています。
「ユルスナールの花散里」ということで、フランスの女流作家マルグリット・ユルスナールという人が
「源氏の君の最後の恋」という題で、彼女を主人公にした作品を書いたという紹介文ですが。
最愛の紫上を失って絶望のうちに出家遁世した源氏のもとへ尋ねてきて、尽くそうとする花散里と、
その愛を知りながら、頑なに拒み続けて寄せ付けぬ今は失明した源氏、そんな彼のため、大和の国司の娘に身をやつし、それでも尽くし続けるのです。
(ちょっと国司の娘というには、花散里自身も年をとりすぎているのですが、それはチョト置いといて・・・)

今はの際に過去の栄華を回想する源氏がつぶやく女たちの名・・・
しかし、何人ものながでてきても、「花散里」というつぶやきは聞えません。

「『もう一人、もうひとり、あなたの愛した女人がいらっしゃいませんでしたか。大人しい、ひかえめな女・・・』
花散里は源氏にとりすがり、胸をゆすって訊いた。源氏は微笑をうかべたまま、すでにこときれていた。」

これは、寂聴氏の翻訳でしょうか、それにしても、胸を打つシーンではないでしょうか。
そして、これこそ、彼女の真骨頂、幻の巻の書かれぬ奥底にこのようなドラマを秘めて、
それでこそ、一代の蕩児たる源氏の罪が花散里の涙に浄化されて往生できるのです。
花散里こそ、源氏の告解師であり、源氏の最後を看取るためにこそ、存在していたのです。
ヒロイン紫上には与えられない、酷い、しかし、源氏の物語に幕を下ろす大事な役所、
こうして、源氏物語が愛され続ける限り、花散里も愛され続けるのだと思います。

そういえば、本邦の劇作家北条秀司も、新派の京塚昌子のために「花散里」という芝居を書いていましたね。
あれは、どういう芝居だったのか見ていないので、ここではなんとも言えないのですが、
京塚昌子のキャラクターからして、やはり、多くの人の「花散里」像を裏切らないものだとは思うのですが、
それはまた、後日のことに・・・

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