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9月14日(火) 「近江の君−1」

「近江の君」を書こうと予定していたのに、9月に入ってなんじゃかんじゃと忙しい日が続いて今日がお初!

「近江の君」というのは源氏のライバルたる頭中将の落胤で、本来なら玉蔓と等し並に扱われてしかるべきに、あまりの下品さに「笑われ者」の役目を一手に引き受けさせられた気の毒な女君でありますな。
「女君」というのもはばかられるチンコロネ―チャンというわけで、
私は、初手から、なんとなくもののあはれを彼女に感じてしまったのでありますよ。
それは、さきに出てくる「源典侍」の影響もあったのではないかと思います。

「源典侍」は「伊勢物語」の「九十九髪の老女」のパロディというふうな言われ方をしていますが、
「年いたう老いたる典侍、人もやむごとなく、心ばせあり、あてにおぼえ高くはありながら、」と書かれて、
たいそう立派な老貴婦人という扱いになっています。
もっとも、その後すぐ「いみじうあだめいたる心ざまにて、そなたには重からぬあるを、『かうさだ過ぐるまで、などさしもみだるらむ』といぶかしう覚え給ひければー」と続いて、年もわきまえぬ色好みぶりに周囲から
あきれられている、ということがわかるのです。
しかも、ですね、ちよっとふだんよりおしゃれをして
「やうだいかしらつきなまめきて、装束有様、いと華やかに好ましげに見ゆる」時に、源氏に裳裾を引かれると、
「かはほりのえならずえがきたるを、さし隠して見かヘリたるまみ、いたう見延べたれど、目皮ら、いたく黒みおちいりて、いみじうはずけそそけたり。」というわけで、ちっとも、かっこよくはないのに、
一目も二目も置かれていると言うことになっているのです。
まぁ、頭中将さえ、源氏との対抗上彼女に言い寄るのですから。
なぜだ?「人もやむごとなく」だからですよ。だから「心ばせあり」で「あてにおぼえ高く」なのです。

ひるがえって、わが近江の君嬢は
「中に思ひはありやすらむ、いとあさへたるさまどもしたり。容貌はひぢぢかに、愛敬づきたるさまして、髪うるはしく、罪軽げなるを、額のいと近やかなると、声のあはつけさとに、そこなはれたるなめり。」と、実の父たる頭中将にまで言われ、挙句は
「取りたてて良しとはなけれど、こと人とあらがうべくもあらず。鏡に思ひ合はせられ給ふに、いと宿世心づきなし。」とまでいわれてしまうのです。
あんまりじゃないですか!若気の至りとはいえ、勝手気ままな放埓の上に身分違いの女に手を出して、
子供が生まれたのだって、今回の「玉蔓事件(?)」がなければ知らん顔だったはずなのですからね。
それで大騒ぎして探していたところへ名乗り出てくれば、これまたろくすっぽ調べもしないで認知して、
手許にひきとってみてから、「心の中では何考えてるかようわからんがアサハカそうなやっちゃなぁ、愛敬もあって、髪なんかみごとやし、そう悪うはないけど、デコが小そうて、早口でぶち壊しや!とくにええわけやないけど、わしの子ぉやないつっばねるわけにもいかんしなぁ。鏡にうつったわしの顔とようにてんのや。
難儀やなぁ・・・」ちゅうわけだぁ。
おとうちゃん、あんまりでっせぇ!
なぜか、近江の君のとこは松竹新喜劇になりよるねん。
この場面藤山寛美と直美の親子でやったらよかったやろね。

とはいいながら、血が繋がっていると思うから、余計に人目を気にして、劣った子供は自分の子としてふさわしくない、とつっぱねるエゴもあるのですよ。
現代だってそうじゃないですか。なまじなエリートが、勉強ができることだけを「良い子の条件」にして、
どんどん我が子を追い詰め、あるいはスポイルしていく。
頭中将は、須磨・明石のころは、宮中に稀に見る男気のあるアンちゃんだったのに、このあたりになると、
功なり名遂げていやらしい俗物になりきっとるんやねぇ。源氏のエロ親父といいコンビじゃよ、まったく。

それもこれも単に近江の君の出自が低いからですよね。卑しいという階級かもしれない。
「夕顔」の巻の8月15夜を「五条の家」で過ごした明け方、隣家の男たちが声高に寒いだの、不景気だのと
話す声が聞こえて夕顔が「いと恥ずかしく思ひたり」という記述があるけれど、
「近江の君」はそのあたりの出身かもしれません。
「五条の家」は頭中将の正妻に脅された夕顔が乳母の家に身を隠し、そこがむさくるしいので、山里へでもひっこもうとしていた矢先の「中宿り」のようなかたちでの仮住まいだったのですが、
当時の頭中の行動半径の一端ではあるわけですから。

瀬戸内寂聴氏の「わたしの源氏物語」の「近江の君の不幸」という章でもそうやって、実父にさえ疎まれて、それでも、真っ正直にまじめに働いたら認めてもらえるのだと、独楽鼠のように働く近江の君を、
「近江の君をこっけいだ、馬鹿だと、作者が描けば描くほど、私はこの無知な庶民的な娘があわれでいじらしくなる。場違いの世界に置かれた彼女の不幸に、同情の涙を禁じえない。」と見ているのです。
でも、私としては「源氏物語私見」の中で円地文子氏がおっしゃるように、
「しかし、彼女自身は、自分の心を内へ内へと畳み込んで容易く表に見せないことを教養とし、美と感じる貴族社会に、少しも溶け込めない野生をそのまま持ちつづけて、いきいきと動き回っている。この生活の
不調和なところに、滑稽が生じ、笑われるのはいつも近江の君の側であるが、実際には、逆な滑稽もこの作者の意地悪い眼は見透かしていたかもしれない。」という解説に大いにうなづいてしまうのです。
雑草は強いものです。有る意味で、彼女は「一旗上げよう」という気概を持って、内大臣邸に乗り込んできたのです。だからこそ、
「お許しだに侍らば、水を汲みいただきても、仕うまつりなむ」ともいい、「何かそは、ことごとしく思ひ給へて交じらひ侍らばこそ、所狭からめ、おほめおおつぼとりにも、仕うまつりなむ」とも言うのです。
なよなよしたお姫様育ちとはチガウンさぁ!たくましいんだよ!

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