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9月22日(水) 「近江の君−2」

田辺聖子氏が書いていた「近江の君」像をあちこち探したのだけれど、うちの田辺文庫にはないみたい。
本文(田辺訳の新源氏物語)を読んだ時の感じでは、円地訳と同様に、自分を笑う貴族たちを鋭く見据えて笑い返しているようにおぼえています。
その印象が強くて、私は松竹新喜劇だと表現していたのだけれど、数えてみると年が合わないのです。
たぶん、私は円地訳が、あるいは、手探りで読んだ原文からそこはかとなくも、そういう印象を持ったのだろうと思います。
但し、藤山寛美・直美親子のイメージはこのあいだのひらめき!思った以上にはまっていて、もし、寛美が生きていたら、親子でやらせたかったですなぁ。

とにかく、その最初の印象は「おもしろうてやがて悲しき道化かな」から始まったのも覚えています。
それが、「悲しくはない」。笑われても笑い返す強さがあれば道化にはならない、という気がしてきて、
そこに、貴族社会を突き放して見据えている紫式部の冷たい眼差しを感じてブルブルっときたのをおぼえています。

受領階級というのはどんな階級なのでしょう。「枕草子」のなかには除目に近い頃、ちょっと顔見知りの女房たちにも、「よきに奏し給え」「よきに啓し給え」と頭をこすりつけるように猟官運動に狂奔する受領たちの姿が描かれています。
清少納言・紫式部の父もああして猟官、任官に走り回ったのでしょうか。
それでも、清少納言の家は三代続いた歌詠み(曾祖父・清原深養父、父・清原元輔)の名家ですから、ある程度は知名度もあって、多少は楽だったかもしれませんが。式部はお父ちゃんの爲時が一条天皇の天気を動かすほどの漢詩を作って越前の守の座をせしめたわけですけど、それまでかなり冷や飯を食わされたことを考えれば、どうなんでしょうか〜(^_^;

そんな階級の出身たる式部がいわゆる上級貴族たちの真近に仕えて見た貴族というものにどういう気持ちを持っていたかは大変興味深いところです。大体、中宮彰子に仕えながら、道長の政敵小右記の小野実資と親しくて、どうやら実資の意思を彰子に取り次ぐ役までしていたらしい。それが原因で道長の不興を買った、というんですね(^^ゞ

前に「空蝉」と「明石」の章で、紫式部は彼等二人に自分をなぞらえた、と言うようなことを書きましたか゛、今、ここに、「近江の君」をも追加しなくてはなりません。
或る意味で言えば、「源氏物語」全ての登場人物が式部の分身ではあるのですが、やはり、この三人、
殊には、「近江の君」の道化た姿に託した式部の思いは一入のものがあったのではないかと考えます。彰子サロンでの華やかな日々に溶け込みきれぬ「水鳥の歌」などに見られる式部の本音と共通するものがある、というのは僻目でしょうか。

ただ、玉蔓が頭中将の娘と披露され、盛大な裳着の式なとしてもらい、更には尚侍として参内することがわかると、大いに怒り狂い、すねまくります。曰く
「めでたき御中に数ならぬ人は交じるまじかりけり。」
そして、「『あなかしこあなかしこ』といと腹悪しげに、目尻引き上げたり。」とののしるのです。
このあたりは、紫式部も近江の君を突き放して、私は「コチラガワの人間です」といっているようです。
受領階級という貴族でもない(いや、貴族ですけど一応、中級〜下級の)、庶民でもない、宙ぶらりんの階級の人間のプライドと悲哀が見え隠れする、とは、私の考え過ぎでしょうか。

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