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9月30日(木) 「末摘花」

「末摘花」というのは常陸宮という親王の晩年の姫宮というのがウリで源氏の網に引っかかったのですが、
この場合、ナントナク引っかかったのは源氏の方で、「末摘花」のほうには悪気も無く、まして、引っ掛けようとは及びもつかなかったわけです。
円地文子氏に言わせれば「馬鹿律儀」というほど、まぁ、PUREなお姫様であるわけです。
しかし、なんといつても、ブスイ!それがナマナカのブスではなく、「お顔がご不自由」というほどらしい。
私は会った訳ではありませんが、はい。
「花散里」だってけっこうブスいんだけど、そんな生易しい段階ではない!
「まず、居丈の高く、を背長に見え給ふに、『さればよ』と胸つぶれぬ。。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、御鼻なりけり。ふと目そ゛とまる。普賢菩薩の乗り物と覚ゆ。」とあって、普賢菩薩の乗り物って象ですよ、象!さらに、その鼻の先が赤い、とか、顔色が青白い、額が広くて、下膨れで、馬面で、ぎすぎすのやせっぽちで、、、、とありとあらゆる罵詈雑言なのです。だつたら、そこではい、さようならといえばいいのにそうはならない。
それでも大事にされるのは、まぁ通り一遍なだいじにされ方ではありますが、とにかく「捨てられない」
これは大変なものです!
このあたりは、「末摘花」の人徳でもあるけれど源氏のよいところで、
まぁ、須磨流たくの時帰京後に、源氏自身さえ忘れていたのにただひたすら、儚い縁を信じて貧しさに打ち震えながらも、源氏を待ち続けた、という純情さにほだされたのでしょう。それにしても、これも「馬鹿律儀」ですよねぇ。
その「馬鹿律儀」がたたって、玉蔓の裳着の祝いにとんでもない祝い品と場違いな歌を贈ってしまいます。
さすがの源氏もあきれかえって、自分の方がが恥ずかしい!という気にさせられて、
「唐衣また唐衣からごろも かへすがへすも唐衣なる」ってあてつけがましい返歌をするのですが、お姫様はどの程度感じたのでしょうか?

この「馬鹿律儀」な末摘花を円地文子氏と大庭みな子氏は対談(「源氏物語のヒロインたち」)で、
大庭「でも、なんとなく憎めない。才気煥発の人に比べたら、どこか滑稽で、趣味もあんまりよくないけれど
    そういう人の魅力というのを・・・・・。」
円地「あれを捜し出す源氏は偉いですよ。」
大庭「前略・・・御息所だの、朧月夜だの、あんな才女ばっかりでしたら、世の中、なんとあじけないことか、
   と」おっしゃつておいでです。よかったですね、常陸宮のお姫様!

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