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10月5日(水) 「末摘花−2」

こうして、末摘花は源氏の庇護の下、おだやかな生涯を終える事になるのですが、果たして、このお姫様は、本当はどう思っていたのでしょう?

まず、源氏のこと愛していたのでしょうか?それはもう、一番始めから疑問でしたね。
ことに朝顔の宮、女三宮との対比上(末摘花と女三宮を対比する人もあんまりないでしょうが)、おっとりしているのはよいとしても、女三宮もこの人も「恋の仕分け」ということにまるで無頓着ですよね。
朝顔の宮だとて、知的レベルや洗練のされ具合はこの二人とは格段の隔たりがあるけれど、「恋の仕分け」と言うことに関しては似たり寄ったりだと思うのです。
だとしたら、末摘花という人は源氏を愛してはいなかつたのではないか、もちろん好意は抱いていたでしょう。それは、縁のあった婿君、と言った程度であって、惚れたはれたではない、と思うのです。
落葉の宮もそうですよね。柏木の死に際しても嘆きはするけれど、どうも愛した人に死別しての嘆きとは違うらしい。
自分が愛されないまま死別すること、それも、女性としての誇りが傷つけられたというよりは皇女としての誇りが傷つけられることの畏れが優先しいいる気がします。更に、妻として看護が出来ないこと(柏木は実家に引き取られていますから)、それも、愛しいから看護したいのではなく、「妻の勤め」だから、それができない、ということが悲しい、といった嘆き方のように思われるのです。
私は、この落葉の宮というお姫様は意外に好きなのですが、ソコントコ、ちょっと残念!
どうも、内親王というものは、たとえ高位高官の娘だったとしても、内親王でない女性とは比較できないような精神活動があったように思います。
(内親王といっていますが落葉宮と女三宮は正しく内親王ですが、朝顔と末摘花は孫王です)

末摘花にとっての源氏は、正しく「よい庇護者」であって、「宮家の姫」には当然受けるべき待遇だと思っていたかもしれません。
勿論、自分の容貌にコンプレックスなどは感じていないのて゜す。
なぜなら、容貌などと言う下賎なことは宮家の姫が考えることではないからです。
そう思って見なおして見るとうっかり笑い者には出来ない宮家の姫の矜持の高さとしたたかさを感じます。
そして、、実はこの考え方から、女三宮に対する見方も少々変わってきたのです。

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