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10月15日(金) 「若菜序章」

ここで、女三宮に行く予定ではなかったので、迷っていたのですが、実はそろそろ六条御息所と紫上をやってもいいかな、と考えていたのです。
二人は源氏物語の裏・表の表紙ですからね。源氏自身は背表紙だと、私は考えております。

でも、宮家の姫が出てきたついでですし・・・

源氏物語正編を一部・二部に分けて「藤裏葉」までを一部とし、源氏の栄達の極みとその嫡男夕霧の初恋の成就を以って、大団円、中詰のラインアップとして、暗く、重たい二部「若菜上・下」に突入する、といったことになっています。
作者も「若菜」以降は与謝野晶子の「紫式部の娘(大弐の三位)が書いた」のだという説もあるそうで(田辺聖子・源氏紙風船より)、ま、とにかく偉く雰囲気が違うというのです。
そうかな? 素人の私としては、へー、そうですか?そんなに違うようには思えないのですが・・・とことばをにごすしかありません。
与謝野晶子説によれば、その「若菜上下」さえ、後の「宇治十帖」の主人公である薫の出生のため、ということになっていて、これには、田辺氏も異論を唱えています。
(「宇治十帖」については、素人の私でも、紫式部とは違うんでないかい―くらいはいえますなぁ)

ちなみに、田辺氏の異論というのは、紫式部の娘賢子というのは、
「賢子は母に似ず父親似で、何人もの名門の貴公子と浮名を流し、現世に適応力があり、向日的に生きたと思われる。後冷税泉帝の乳母に選ばれ、従三位、典侍という高位に進み、女のみで宮仕えの栄華を極めた末、太宰の大弐高階成章と結婚し、物質的にも不自由にない恵まれた晩年を送っている。」とあって、「現世的に充たされれば、物語は書けない、というのではないが、賢子の生涯の軌跡を眺めてみると、どうも母の仕事の後をついで書きつづけるという文学的希求や渇望は感じられない。」としています。

えっと、ところで、女三宮ですが、まっ、とにかくたよりない!
ただ、ただ、美人で身分が貴いというだけで、内から輝くものが何もない。必然的にそんな外面だけで惚れこんで、熱射病みたいに焦がれ死んだ柏木はお馬鹿の大将!という感じですが・・・

ちょっと脱線話!
「MORIの散歩道」で面白い話をききこんだのです。
女三宮のモデルは道長の娘、紫式部自身の主人「中宮彰子」だという説があるそうなのです。
私は寡聞にして知らなかったのですが、思わず「あぁ〜、あれぇ」と桜庭風アイヅチをうってしまいました!

「MORI」さんのところでも、あんまり頭脳明晰とはいえない女三宮のモデルが主人の彰子というのは考えにくい、という方もいらしたのですが、私としては、ちょっと合点するところもあるのです。

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