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10月31日(日) 「女三宮−3」おくれべうやは

さて、女三宮は源氏をどう思っていたか、とえば、先に書いたとおり、あのお姫様方は、源氏であろうがなんであろうが、自分の庇護者としてしか、受け入れてはいなかったろうと思います。
ましてや、美貌の源氏も四十の賀を祝われる老人、いまでいえば60歳に近いくらいではないでしょうか。
俗に、年齢は「今の我々」より三割増くらい、と言われますが、どうも、実感として、五割増くらいにみていいように考えています。(これには、なんの根拠もないので、ひたすら私の実感)
そこに十三歳の少女(といっても18〜9歳の感覚、但し、女三宮自身は年齢より幼稚ということになっている)が嫁ぐのですから、非常な無理があるわけです。

そのうえ、嫁入りの事情も、父親が出家するので保護者がいなくなってしまうから、この後よろしく、という感じですから、朱雀院が姫宮に言い聞かせることだって普通の降嫁とも違う、第二の父とも思いなさい、などというものではなかったか、と思います。
お互い惚れた脹れたというのなら、十の娘が七十の翁に嫁いでも、おかしくはないのですが、こういう結婚の仕方は、いくら当時としても無理があるのは歴然です。
しかも、当の源氏に最愛の紫上がいる事も、彼女が火の打ち所のないファーストレディであることも、当の朱雀院は知っているわけです。(ナンタッテ自分の息子であるところの「東宮」の明石の女御の養母ですからね。)だからといって
「六条のおとどの、式部卿の親王の女おほしたてけむやうに、この宮を預かりてはぐくまむ人もがな。ただ人の中にはあり難し。」という感覚で源氏に、というのはいかがなものでしょう。
これを読むたび、私は六条御息所の頭脳の明晰さと現実的な処理の仕方に感じ入っています。
六条御息所が死ぬ間際に、娘を世話してくれるのはあり難いけれど、決して愛人の中に入れてくれるな、と言い残した事はあまりにも有名ですが、朱雀院は朧月夜のことでも、アレほどの煮え湯を飲まされているのに、あえて、その渦中に愛娘を投じようと言うのは本当に解せません。

とにかく、その不自然な降嫁の中で人形妻として七年も暮らすのです。
その間に、女三宮自身も自分の置かれている立場の不可解なことに気がついていたとしても不思議はないでしょう。ただその不可解さに気付いたとしても、内親王だからこそ大事にされている、と思うか、或いは、そう言う立場に異議を唱える方法も場面もなかったのでしょう。
それにしても、柏木もまた根気良く、七年間もの間、女三宮を思いとおすのですなァ!おまけに、女二宮の降嫁まで受けても思いきれず、女三宮の御愛猫ということで、手を回して猫までもらって真夏の寝室にまで持ち込んで可愛がる、というのは・・・ね。もはや病気そのものです。
そして、無理をおしての女三宮への急襲。しかし、最初はただ近くで、顔さえ見られれば、というくらいだつた、というのは既に述べました。しかしながら、その柏木の畏れや遠慮を忘れさせる女三宮の無防備さ!そこから。ドラマは急展開していくのです。

柏木は一途さ、神経の細さが女性の母性本能をくすぐるのか、同情票を集めて、このあたりになると、人間性の嫌らしさが露になる源氏に取って代わって、主役の座を占めてしまいます。

また、女三宮のほうも、だらしがない、とは思われつつも、だんながあれじゃねぇ、という同情票も集まってきます。確かに年恰好なら、柏木との方が釣り合いは取れているし、現に彼は、廟堂の嘱望をも、夕霧と二分する当代の貴公子なのです。源氏みたいに権力だけは維持していても「昔は―」っていうのではないのです。女三宮が現に心惹かれたとしても責めることはできません。
その上、彼女は真面目に源氏を恐れます。あの畏れ方は、正しく「浮気妻」が「夫の目」を恐れるのではない、「娘」が「怖い父親」を恐れているのです。
その恐れ方をみて、読者はしょうがないやっちゃなァ、と思いながら、こんな他愛ない娘をホッタラカシテ勝手に出家してしまった実父や、お世話しまひよかとかなんとか調子の良いことだけ言って引き取っておきながら、たいした女でもないと知ると、手のひらを返したように冷淡になった権力者の夫をうとうとしく感じられてくるのです。

さきの円地文子・近藤富枝両氏の対談でも(「源氏物語のヒロインたち」)
近藤「私は、女三宮は好きですね。ほんとにいじらしくて、あのへんを読むと、どうしても源氏を憎みたくなるんです(笑)。それと、やっぱり柏木もかわいそうで・・・。副主人公で同情されるのは、あのふたりではないでしょぅか。」
円地「柏木には誄(るい)があるのね。「しのびごと」というんですか、その人の一生みたいなことを褒め称える言葉があるんです。藤壺が死んだ時も誄がありますね。」
といことになります。(誄というのは何事か、とも思いましたが、文中で生前のその人となりを思い出のように語る下り、ということらしいです。別にそのために一章を当てると言う形にはなっていません)

女三宮の一番の見せ場は出産前後から、シャンとなって、皇女らしく出家の要望をいいだすあたりからです。
それまで、ふにゃらふにゃらと生きているのかいないのか、喜怒哀楽の定かでなかった女三宮がしっかと己が意志を主張しはじめるのです。
これは、後になって、六条御息所の物の怪の仕業という文章が出てきてなぁ〜んだ、ということになるのですが、読者はそれでは納得しません。

まず、柏木が瀕死の枕辺から、今生の―という歌を送ってきます。
「今はとて燃えむ煙もむすぼほれたえぬ思ひのなほや残らむ」
それに対して女三宮もしぶりながらも、小侍従にせつつかれて返歌をおくります。
「立ち添ひて 消えやしなまし憂きことを 思ひ乱るる煙くらべに」と詠んで「おくるべうやは」と一言添えられています。
これが、俗に言う「煙較べ」の歌で、「おくるべうやは」の解釈を巡って、女三宮は柏木を愛していたのかどうか、という論争(?)の元になっています。

田辺聖子氏は「源氏紙風船」の中では「女三宮は男子を出産して出家するが、柏木を愛していたというこころの動きはみられない。」といっています。

瀬戸内寂聴氏は「原文の『おくるべうやは』という語気は、なよなよしている女三宮の言葉と思えないほど強い。この頃から女三宮は変わってきたと見るべきだろう。思いがけない運命の試練にあい、他愛なく頼りないだけの女三宮も、見るべきものを正確に見る目が生まれてきたといっていい。」という記述がありますが、女三宮が柏木を愛していたかどうか、ということには触れていません。しかしながら、寂聴氏自身の
感想として「源氏物語の中で好きな男性を挙げよといわれたら、私は柏木を第一に挙げる。」とおっしゃるところをみると、「女なら―」という意志を見せているようにも思います。

また、円地文子氏は「彼(源氏)は柏木をただ一度の対面で再び立つことのできないほど痛めつけたが、女三宮に対しても、表面は何気なく見せながら、二人だけの場所では、陰険にこの無力な美しい小動物のような内親王を虐げ、居たたまれないようにした。源氏の真綿で首をしめるような迫害にじりじりと心身を痛めつけられながら、その間に、女三宮の内に柏木への愛と源氏の妻の座を退こうとする意志が芽生え始めると見るのは私だけの僻目だろうか。」と述べ、さらに
「柏木への愛に首肯する日とは少ないかもしれないが、歳の違う源氏に苛めつけられるうちに、若いひたむきな柏木の求愛をいとおしむ念は、宮の心に起こってもよさそうである。」と続きます。

思えば、私も、源氏と藤壺とのもののまぎれをそういう思いで解釈しました。あの時、桐壷帝は、こんな源氏のような勝手な男ではなく、藤壺をこよなきものと大事にしていたにもかかわらず、亡き更衣を忘れかねて、形代として迎えられた皇女の心外さ、或いは更衣とのセレモニーの踏襲を続ける桐壷帝への反感ということを考えてのことでした。
藤壺の半分ほどにも、知恵も気力もないような女三宮であったとしても、ここまで、源氏に踏みつけにされれば、窮鼠返って猫を噛む、のたとえどおり、最後の牙、一世一代の大舞台をしきったしても、おかしくはないでしょう。

もとより我は皇女なり。准太政天皇といえども、臣籍にあるべき人に降嫁せしめたりしを忝き御仕置きともえ思ひたまはず、やむごとなきもてなしとてえ侍らずなりしはいかでか口惜しかるべし。という内親王のプライドが頭をもたげてきたとしてもおかしくはありません。

しかしながら、あの「けむりくらべ」の歌の折りには、その内親王というプライドさえ超越して、一己の女性としての自覚が頭をもたげてきたのではないでしょうか。初めは気息奄奄と「たち添ひて 消えやしなまし 憂きことを 思ひ乱るる 煙くらべに」と詠むうちに、たゆとう煙が炎を呼び、一丈の火柱が立つように、思いの丈が身内を突き破り「後るべうやは」というひとことが吐き出されたのだと思います。

柏木が、この返歌を聞いて「いでや、この煙ばかりこそは、この世の思い出ならめ。はかなくもありけるかなと、いとど泣きまさり給ひて」というのも、しかとも手応えのなかった幻のような恋人との現実的な結びつきを、互いにのみ通じる思いを確認したのでしょう。勿論それは、冷たく沈潜して行くものではなく、たとえ、秘し、隠しとおさねばならぬとしても、いまわの際の身内を駆け巡る熱いマグマのような思いであったと思います。
そして、これを境に柏木は夢から覚めたように、自分の死後の妻の女二宮を案じ始めるのです。つまり、夢の中での、女三宮の愛を確かめた時、現実の愛に目覚めたとでも言うように。

この後、女三宮は男子(後の薫)を出産し、源氏の俄かな未練がましい留めを振りきって、決然と出家するのです。
それまで、何があっても、源氏に譲っていた朱雀院さえも当然のことながら、娘の側にたって落飾を強行します。或いは、朱雀院さえもが、頼りなかった娘の俄かな変貌を訝しげに思いながらも、内親王としてのプライドを守ろうとする女三宮の情念に引きずられて行ったのかもしれません。

この出家については、寂聴氏が「女三宮は初産で子を産むことの動物的な浅ましい生理にショックを受け、おじけづいて、罪の子を産んだ苦しさも重なり、このまま死んでしまいたいと思う。」という解釈をしています(瀬戸内寂聴「わたしの源氏物語」)。

しかし、私は、先の自分の感慨をも受けて、内親王としてのプライドに目覚めた女三宮か゛、自身の歩む道をあゆむべく源氏を片隅に押しやったと考えます。
ただ、ここで、私も「?」なのは、藤壺にしてからが、その出処進退は、ひたすら、自分自身とわが子冷泉帝を守るためであったのに比べれば、女三宮には、「薫」という存在はなきに等しいような具合で、これには、なんという感想をのべるべきなのか困ってしまうのです。内親王は自分しか見えない、自己完結的存在だと、私は繰り返して言っているのですが、それにしても、あまりにあっさりしすぎているのです。柏木との罪の子であることに嫌悪感を抱いていたのかどうか、そう思わせる下りもなさそうだし、
柏木の死後人気のない折に源氏が「この人をば、いかが見給ふや。かかる人を捨てて背きはて給ひぬべきよにやありける。あな心憂」と問い掛ければ、「顔うち赤めておはす。」とあります。
この「顔うち赤めて」というのは何に対してなんでしょうか?
私は、柏木とのミソカゴトを思い出してのことだと考えるのですが、いかが?

まぁ、宇治十帖までいくと、女三宮はもとのイメージに戻って、息子の薫を保護者のように頼りきって子どもっぽいさまで暮らしているようなので(作者がどうこうは別として)、あれは、火事場の馬鹿力!と考えるのか?
ここまでくると、「ねぇ、やっぱり、こんな大芝居、六条御息所がついてなけりゃできなかったんじゃない?」
と言いたくなってしまう。困りましたねェ。

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