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12月11日(土) 「私が六条御息所に惹かれる訳」

さぁ、今月から、「六条御息所」にとりかかりたい、っと思っていたら、やはり、12月というのはだめですねぇ。
一応、主婦であるからして、いろいろ忙しい!と、言い訳しつつ・・・

私が源氏物語が好きなのは、六条御息所にひかれるからです。
私としては、六条御息所抜きにしては源氏物語というものは成立しない、とさえ思っています。
だから、他の源氏愛読者に対しても、「源氏物語を愛する人イコール六条御息所が好き」という図式をあてはめていました。
だから、あんなに源氏物語を愛しているMoriさんが「六条御息所はどうも好きになれない」って書いてあった時は、ホントオドロキモモノキサンショノキであったわけです。
そのMoriさんも、会員(?っていっていいのかな?)に説得(?)されて、ま、存在だけは認めよう、くらいになってきたので一安心!
といいつつ、それでは、わたしゃなんでそんなに六条御息所が好きなのか、と言いますと、これはもう理屈じゃないのです。
一番最初、小学校の5.6年で、子ども用に書かれた源氏物語を読んでからずっとなのです。

子ども用に書かれた物ですから、そうそう男女の愛憎が克明に書かれていたわけではないでしょう。
物語も須磨・明石の流拓から戻って二条院を造営し女君たちを集めて仲良く(?)暮らしましたとさ、メデタシメデタシ、と終わっていたように思います。
その中で、子ども心にも、六条御息所だけが、物語の破調の旋律を奏でているのに気付き、その危うげな旋律に魅力を感じてしまったのだと言えるでしょう。

もともと、私の家は下町で映画、芝居が大好。その上、隣家は我家との境の塀やグルリに映画のポスターをはらせてあげていて、そのためにビラ下券というのがあって、自分たちだけでは使い切れないので、よく我が家まで回ってきたのです。
おかげで一週間のうち3日くらいは映画館通い、勿論「おばあちゃんのおとも」で、です。
ということで、高級な情操教育にはならなかったでしょうが、男女の愛憎、下町人情、武士道、任侠、といったあたりには結構詳しくなっていました。

もともとが、早熟ではあったのでしょう。中学一年でフロイトなんか手にとって、いっぱし分かった気になっていましたから。
谷崎(潤一郎)、(永井)荷風、などに触れたのも小学生〜中学生の頃でしたしね。
そういった環境の中で、六条御息所という女性はそれまでの私が出会ったフィクションの中の全ての女性達の集大成のように感じられたのです。
もっといえば、六条御息所が流す涙が、逆流していく血の熱さが我事のように感じられたのです。

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