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11月16日(火) 「若菜終章」

若菜については、「若菜序章」で書いたとおり、古来いろいろの争点になっているようですが、私は素人らしく、極々単純に紫式部が書いたものと考えております。
ただ、私がちらりと考えているのは玉鬘に関する諸章との関連性です。

玉鬘をヒロインとする諸章はトータルすれば、登場のはじめである「玉鬘の巻」から鬚黒邸にひきとられて男子を揚げ一応の退場をする「真木柱の巻」迄で十巻に及ぶのです。
(俗にいう、玉鬘系16帖ということでなく、そのわけ方は後日別項で)

各巻でウェートの大小はありますが、これほどいわば「脇筋」ともいうべき玉鬘に割いているのはなんでだろう、という思いがありました。
それについては、「玉鬘の出処進退」で瀬戸内寂聴氏の説、つまり、玉鬘の出自などによるシンデレラスーリー的な“エンターテーメント性”が読者諸氏に受けたので、作者自身ついつい興に乗って長引いてしまった、という説に多いに大賛成ということでその説をご紹介したのですが、私にはもう一つの思いがありました。

似てる!「玉鬘」のシチュエーションに似てる!と思ったのは私一人なのでしょうか?
これは、私が「若菜」を読んだ第一印象だったのです。
あれ(玉鬘)は、源氏が中年になっての恋でした。
若さに任せた情熱のほとばしるような恋ではなく、相手の反応を確かめながら、じらすように弄る様に自信たっぷりに恋の駆け引きそのものを愉しむための。
その挙句は「とんびに油揚げ」よろしく、思いもかけない鬚黒に横合いからさらわれるのです。
それでも源氏はめげずに、人妻になったら、かえってこっちのいうことも通じるようになるだろう、などとノーテンキなことをかんがえるのですが。

そして、紫式部は、そういう源氏が乗り移ったか、いや、そういう源氏に合い呼応するように読者をじらせ愉しませているようでした。
私は、そのじらせ、愉しませている内に、式部の作家としての内部から、もっと、もっとの欲求が出てきたように思われるのです。

ま、玉鬘と女三宮は「女」としての「格」が違います。(当然玉鬘の方が内親王様より上ですよ!身分的にではなく)
しかしながら、あの玉鬘を書きながら、紫式部の中に、このままでは源氏の一生を終えることはできない、中年のいやらしさが出てきた源氏の中に、もっと老年の醜い源氏を映し出して見たい、それでこそ、「源氏の一生」が完成するのだ、というような作家魂が芽生えてきたのではないかと思うのです。

円地文子氏は「源氏物語私見」の中で
「『源氏物語』の作者は、初めに仏教でいう曼荼羅を念頭に置いたのではないかと私は考えております。
生まれからいっても、容貌、才能の面からいっても、あらゆる点で傑出した光源氏を中心に置き、そのまわりに、源氏に愛される女、源氏と関わりのある女人たちを描いて行くことで、そこに一服の曼陀羅がかんせいされる、というのが作者の初めの意図ではなかったかと思うのです。」とのべています。更に、
「けれども、実際には『藤裏葉』までで、光源氏の生涯の約三分の二が終わったあたりで、その曼陀羅図は一応完成されたように見えます。そしてそこから先、源氏の晩年に属する「若菜」以後は、作者自らその曼陀羅を切り破って、曼陀羅には描かれなかった、地獄相のようなものが、現れてきています。」
と続けられています。

これを読んだとき「やったね!」と思いましたね。私が、幼心に読んで曖昧に感じていたことをちゃんと理路整然と解説して一論を立ててくれてる人が居る!って嬉しいものです。しかも尊敬する円地文子先生ですからね!

玉鬘で源氏の六条院での全盛の栄華の様を描きつつ、玉鬘を通じて源氏の一生の閉め方を暗中模索している内に、「若菜」の構想がまとまってきたのではないでしょうか。
そして、そのために、玉鬘があんなにもたついた、というのは考え過ぎでしょうか?
つまり、最初は玉鬘に女三宮の役回りをあてようかと、考え始めたこともあったのではないか、ということです。しかし、そういう役回りを与えるにしては玉蔓はしっかり者に描きすぎてしまった、そこで・・・と言う風に私は考えるのですが・・・

先ほど述べた玉鬘をヒロインとする各巻のエンターテーメント性の中にあって、展開される紫式部の物語論は、その決意を促す起爆剤になったのかもしれません。
ま、この物語論に関しては、私はあまり大きなことは言えないのです。なぜなら、「そんなもん書いとったなぁ」くらいの印象しかなくて、今回こうして、あちこち丁寧に読みまわしているうちに、そういえば、玉鬘から女三宮に飛躍する橋懸りとして、絶好の第一歩だったのでは、と思い至ったのです。
いわば、「玉鬘」から「若菜」に至る感じ方は直感でしかないのです。
しかし、今、こうして、あらためて物語論が「玉鬘」の中に書かれたと言うことを考える時、また、円地文子氏の「私見」を考える時、突飛な発想とも思えないのです。

それまで紫式部は、源氏をこの世に比類無き美貌と才能に恵まれていると崇め奉っていました。「須磨・明石」の雌伏の時代はあったとしても、それをバネに大権力者へと変貌し、それこそ道長さながらに「この世をば我世とぞ思ふ望月の―」と栄華を貪らせ、大甘に甘やかしていたのです。その作者が、源氏の人間性の追及と、それを超える我作品自体の昇華を求めて、作品全体に振るった大鉈!それが「若菜」だったのではないでしょうか。これこそ、円地氏のいう曼陀羅を切り破る作業だったのです。

女三宮はそのために曼陀羅を切り破るために、源氏を打ちのめすために登場させられた女君だったのです。
さきの、円地氏と近藤富枝氏との対談の中でも、円地氏は「あそこへ出すには、ああいう人がよかったんでしょうね。一番たあいのない人に、源氏は挫折感を味わわされるわけでしょう。」と言う発言をされています。
それまで、影も霞もなかったお姫様の突然の登場こそ、作者が大事大切に育て上げた主人公と作品とに、より深い輝きとより大きなスケールを与えるために送られた闇の女王だったのです。
しかも、本人自身は、誰よりも頼りなく自覚も自主性もない無邪気なのがばかなのか、というお人!(寂聴氏は無垢だというけれど!?)そのお姫様に、恋の手練れ、人生を謳歌し尽した源氏がその生涯を覆されるような痛手を与えられるのです。

同じ円地文子氏の「源氏物語私見」の一節に
「これは、また聞きですけれども、折口信夫博士などは、「若菜」以後の巻巻は、男でなければ書けないようなものだ、と言われたそうです。」これについては円地氏も「私にはそうは思えません」とはっきり否定していますが、私も「女」だからこそ書ける、「男には思い至らない」世界なのではないかと思います。
ただし、作家はいつの時代も両性具有であります。ウェートの大小はあったとしても、男、女の感情を心の襞をあますところなくさらけだしてこそ千年余の永きに亘って人々の心を占める事ができるのだと思います。それにしても、女三宮が、いくら出家したとはいっても、薫にそっけなさすぎる部分、或いは源氏が薫に当惑しながらも可愛いと感じるなど、男性はちょっと書けないのでは、と思いますが、いかがでしょうか。

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