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10月10日(木)「国文学研究資料館連続講演・百人一首」井上宗雄立教大学名誉教授

―nemoのレポートから―

目次

  1. (1) 百人一首の解釈について── 一筋縄では行かぬ作品群──(前回の続き)
    1. 21 今来むと いひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな
    2. 30 有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし
    3. まとめ
  2. (2) 歌人群像──和歌と歌人とどちらを優先したか──
    1. 10 これやこの
    2. 32 山川に
    3. 37 白露に
    4. 39 浅茅生の
    5. 次回予告・他


(1) 百人一首の解釈について── 一筋縄では行かぬ作品群──(前回の続き)

21 今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな 素性法師
30 有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし 壬生忠岑

【レジメ】

《配布された実際の資料には、ふり仮名・送り仮名の補記、間違った歴史的仮名遣いの訂正が多いが、煩雑なので多く省略した。よって誤字はママである。(尤も、それぞれ資料の書名が多く不明なので、従って原典も不明で、「何のまま」なのかも分からないが。)取り立ててふり仮名を行う場合は、漢字の後に( )によって記した。また、テキストの多くは活字のコピーだが、先生の手書きの部分もある。手書きによる記述は、先生の注記も含めて斜体として、区別してみた。疑っている訳ではない。例えば、文献の名称は一々コピーしないだろうから手書きが多いが、特に意味は無かろう。》


    21 今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな 素性法師

長月の在明の月とは、なが月の夜のながきに在明の月のいづるまで人を待とよめり。大方萬葉にも、なが月の在明の月とつゞけたる歌あまたあり。
  大略相同じ。今こむといひし人を月來まつ程に、秋もくれ月さへ在明になりぬとぞ、よみ侍けん。こよひばかりはなほ心づくしならずや。
(顯注密勘抄)

    30 有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし 壬生忠岑

是は女のもとよりかへるに、我はあけぬとていづるに、有明の月はあくるもしらず、つれなくみえし也。其時より暁はうくおぼゆともよめり。只女にわかれしより、あかつきはうき心也。
  つれなくみえし、此心にこそ侍らめ。此詞のつゞきは不及えむにをかしくもよみて侍かな。これ程の歌ひとつよみていでたらむ、この世の思出に侍べし。
(顯注密勘抄)

古今集 巻十四 恋四

   題知らず

689 さむしろに衣(ころも)片(かた)敷き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫

    または、宇治の玉姫

690 君や来む我や行かむのいさよひに真木の板戸もささず寝にけり

素性法師
691 今来むと言ひしばかりに九月(ながつき)の有明の月を待ち出でつるかな

よみ人知らず
692 月夜よし夜よしと人に告げやらば来(こ)てふに似たり待たずしもあらず

古今集 巻十三 恋三

源宗于朝臣
624 逢はずして今宵明けなば春の日の長くや人をつらしと思はむ

壬生の忠岑
625 有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし

在原元方
626逢ふことのなぎさにし寄る波なればうらみてのみぞ立ちかへりける

よみ人知らず
627 かねてより風に先立つ波なれや逢ふことなきにまだき立つらむ

六百番歌合 (暁恋)

    四番左
有家
787 つれなさのたぐひまではつらからぬつきをもめでじあり明けのそら

    右
隆信
788 あふとみるなさけもつらしあかつきの露のみふかき夢のかよひぢ

右申云、暁のつれなく見えし別よりといふ歌を本歌にて読みたるは、伴歌は月をつれなしといひたるとは不見、暁に人をつれなしといひたるにこそみえたれ、さらば此歌いかが、陳申、有明のつれなくみえしと読みたれば、月のこととこそきこえたれ、左申云、なさけとおける詞、心にかなひても不聞
判云、左、有明のつれなくみえし別よりと云ふ歌は、人のつれなかりしより、暁ばかりうき物はなしといへるなり、但さはありとも、月をもめでじといへらんもたがふべからずや、右の夢は人のなさけにやはあるべきと聞ゆれど、末句宜しくみゆ、右すこしまさり侍らん

百人一首切臨抄 (幽斎抄にも近い文章あり)

一 宗祇註云。有明をつれなしといふに二義有。一にハ有明の比ハ遅ク出るをつれなしと云。一にハ夜ハあくれ共残る故いふ。此哥にてハ此義を用る也。扨哥に二ノ心有。一にハ逢て別るゝ恋也。有明の難見へし別より暁ほと憂きものハなしと也。又一義当流にハ古今集に此哥の前後不逢恋の哥共〔ども〕也。其中に此一首逢て別ルヽ恋の哥を入へき義なし。此故に不逢して帰る恋の哥とす。有明ハ久残る物なれハ難面とハつゝけぬれ共此難面見ゆるハ人の事也。女のもとへ行て終夜心を尽しいかて逢んと思ふに人ハつれなく今ハはやむなしく帰らて不叶時分にいかゝハせんと立別る〔ゝ〕空に有明の残る哀深切なるへし。たとひ逢夜のかへさ也ともかゝる空ハかなしかるへきに結句あはて帰る心を思ひ侘て今夜の暁はかり世にうき事ハあらしと思ふよし也。・・・・

【先生の解説】

《遅刻したこともあり、断片的で、しかもよくわからない。尤も、このことは、今回に限ったことではないのだが。》

古今集には恋一から恋五まであって、配列が出鱈目でない。例えば「初恋」という言葉があってこれは所謂初恋ではなくて、恋の始まりの時、恋が段々と浸透していく時のことをいうのである。
 

21 今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな

恋四について
古今集の良さは、言葉がある調べの中で調和していることである。
例えば、安田さん《誰》──「生活の中で調和している《云々》。」

30 有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし

恋三について
「有明のつれなし」=「女性のつれなし」という解釈は、古今集に即してということになる。
新古今には「つれない」のは「月」か「人」かの解釈が分かれている。
-->> 現代では「定家は『月』、古今では『女』」が通説。

まとめ

古今集と異なる説、解釈を定家が行ったものを扱ったが、こうしたことは集歌というものには往々にしてある。

歌を作る場というものを考える時、
 ・外に出て / 歌会で──第一次的場
 ・新聞に投じたり──第二次的場──選者の意図の存在
また《という並列の文脈だったと思うのだが》
 ・古今集=生活の場に密着した -->> 同時代なら問題無い。
 ・定家の時代=非日常的場
《という、「次元の問題」と「時代による違いの問題」とがある、ということだったと思う。》

百人一首における古今集は35,6番あたりまでに多い。



(2) 歌人群像──和歌と歌人とどちらを優先したか──

10 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふ坂の関 蝉丸

【レジメ】


後撰集 雑一 一〇八九「あふさかの関に庵室をつくりて行きかふ人を見て」
今昔物語 巻二十四 (23)、江談抄、無名抄(関の明神として)
平家物語 ほか。

・異文「ゆくもとまるも」「別れつつ」

・後撰 一首
 新古今 二首
 続古今 一首 入集


新古今和歌集巻第十
蝉丸
1850 秋風になびく浅茅のすゑごとにをくしらつゆのあはれ世中*
1851 世中はとてもかくてもおなじこと宮もわら屋もはてしなければ**

〔古注〕応永抄 此歌の1事書に、あふ坂の関に庵室をつくりて住侍りけるにゆきかふ人をみてとあり。是や此とは、あふ坂の関におち付五文字也。おもては旅客の往来のさまの儀・(なり)明也。したの心は、2会者定離の心なり。ゆくもかへるも、3るてむの心也。関は開(せき)をまぬかるゝ儀也。万法一如に帰することはりとぞ。此蝉丸延喜の御子のよしいへる事、大に不然。古今集に此人の歌いれり。是にてさとるべし。盲目といへるは、4見濁(けんぢょく)をはなるゝ儀也。〔宗祇抄─ゑんぎ九歳にてそくゐ、十七年よりこきんの事はじまる。其時は、御門5びしやくにおはしますうへ御子にあらざるだんもちろんなり〕
1、詞書のこと。2、会う者はかならず別れる定めにある、人の世の無常をいう語。3、流転。4、仏教にいう五濁(ごじょく)の一つで、衆生が悪い見解を起こすこと。5、微弱。
(有吉著書による)
「会者定離」 -->> 幽斎抄まで。改観抄・うひまなび は否定。

*和漢朗詠集(述懐)763・俊頼髄脳・今昔
**新撰朗詠集(無常)744


ながらへてつひにすむべき都かはこの世はよしやとてもかくても (山家集 1232)
山桜花のせきもる逢坂はゆくもかへるも別れかねつつ (拾遺愚草 2191)
なげかれず思ふ心にそむかねば宮もわらやもおのがさまゞゝ
《注》 (拾遺愚草 480)
さとからの秋とはことにながむとも宮もわらやも同じ夕ぐれ (後鳥羽院集 1274)
  ほか。
(参考)小峯和明『説話の森』・磯水絵「蝉丸」(解釈と鑑賞 62.6)


《注:原文においては、通常の(二字以上の反復に普通用いられる)「く」の字型の踊字である。》

【先生の解説】

10「これやこの」は後撰の歌である。蝉丸の歌は後撰に一首、新古今に二首、続古今に一首入っている。

昔は東西の迎え・見送りは逢坂まで来たものである。

古注に
下の心とは本心のことである。
古注「したの心は・・・」は、一度会った者は必ず別れがくること(会者定離)である。
これは室町頃までの解釈である。
江戸以降、会者定離は否定されて、現在にいたる。

蝉丸は芸能の達者であり、芸能の神様とされる。
逢坂関あたりの芸能集団のシンボルとしての存在か。

新古今に
「秋風に」は無常観を歌ったもの。
(この歌が蝉丸のものか否かではなく、こうした人物として捉えられていたと。)このイメージ、伝承歌人としてのイメージが、新古今の頃には広がっていた。これを本歌取りとした歌によって、却ってこの歌が浮かび上がってくる。それを定家が選ぶ。定家は会者定離として捉えていたと考えてよい。


32 山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり 春藤列樹

【先生の解説】

しがらみ とは水流をせき止める、ダムみたいなもの。

袖中抄に「シガノヤマゴエニテヨメル」
崇福寺──天智天皇が夢に見た寺。現在は址。平安中期ぐらいまでは人がよく行くが、平安後期には歌枕(信仰的というか)になってしまう。更に「志賀の山越」という言葉も修辞として、新しい道を意味するものとしてイメージ化。
-->> 初めに志賀の山越を紅葉で詠んだこの歌がクローズアップされる。流行る。

典型的な古今集和歌の良さ。

定家は紅葉の歌が好き。

「雪ならば」について
先生の趣味である。先生が中学の頃読んだ歌である。教科書は謡曲からであっただろうか。更に古い「志賀の山越」の典拠《?》中務卿──この時代の人の歌集にない。《今ノートを見返しても何のことだかよく分からない。》


37 白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける 文屋朝康

【先生の解説】

「玉」とは、この時代はほとんど真珠を指す。
「つらぬきとめぬ」とは、穴をあけて紐を通してない意。

定家が好きだったのは、
 ・「武蔵野につらぬきとめぬ白つゆの草はみながら月ぞこぼるる」
 ・「手づくりやさらす垣根の朝つゆをつらぬきとめぬ玉川の里」

佐藤恒雄先生、《・・・誰》

定家は二重写しになる歌が好きである。

後撰の配列によると、《・・・何》

《この辺りは、聴きながら うとうと したものか、ノートを見返してもよく分からない。》


39 浅茅生の小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき 参議等

【先生の解説】

序詞である。

あまり評価は高くないが、一種荒涼とした寂しさ、寂寥感がある。定家は華やかさの一方でこうしたものを好んだが、定家に「小野の篠原」は七首あり、当時の歌にも多い。当時の風潮であったか。



次回予告・他

次回、今回の残りから。今回最も取り上げたかった部分である。
78「淡路島」は源氏物語の世界。

また、先生が問題があると考える十五〜二十の歌を挙げる。

  ***

他、主宰から、「笠間書院が先生の著書を持って来ているから、見ることができる。また、購入も可能である。」とのこと。


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